■「生きる」ってなんだろう6『ホームレスだったぼくから、きみたちへ』(実業之日本社)
松井計/著 磯倉哲/イラスト
読みながら、路上生活者の方々の実情が垣間見れたと同時に、いくつかの疑問も浮かんだ。
なぜ、もっと早く生保を受けなかったのか。男のプライド?
なぜ、家を持てるようになっても、家族と暮らせないのか?
家族に何年も経済不安を相談せずにいたのが夫婦の溝になって、娘と合わせるのを拒んでいるのかな?
それとも、子どもの将来を思うと、有名になったとはいえ(だからこそなお)、元ホームレスの父を持つという世間からのレッテルを怖れてか?
一緒に暮らすことはムリでも、会うくらいは叶うのでは? 子どもの気持ち次第で。
日本の路上生活者の数は約2万人だという。
政治屋を10人くらい減らせば、それくらいの人々の生活はなんとかなるのでは?
それとも、家、仕事、金の問題だけじゃないのかもしれない。
松井さんの小説を読めば、もっと詳細が分かるかな。
『ホームレス作家』
『ホームレス失格』
【内容抜粋メモ】
「まえがき」
「生きる」とは、どういうことなのでしょうか?
わたしたちが「生きる」ためには、なにが必要なのでしょうか。
心臓が動いていれば生きているといえるのかもしれません。
でも、人間にとって「生きる」とは、もっともっといろいろな面があります。
松井さんは、小説家でしたが、家族の病気など、幾つものトラブルが重なり、心ならずもホームレスになった人です。
そんな松井さんが、共に生きる社会について、分かりやすく話してくれます。
※「ホームレス」という言葉は1970年代にイギリスで使われはじめた。
どうしてホームレスになったのか
2001年1月。私たちは多摩ニュータウンの公団住宅を強制退去処分になった。
出版不況の影響、妻の病気などが重なり、収入が減って、前年春から家賃滞納が続いたため。
3ヶ月払えず、住宅都市整備公団と和解前提の裁判となり、どう払うか相談したが結局払えなかった。
それまでとてもお世話になった住宅都市整備公団担当者から電話があった
「奥さんと娘さんにはショックだと思いますから、業者がそちらへ行く前に団地を出られたほうがいいですよ」
妻は妊娠4ヶ月。幼児期に交通事故に遭った後遺症で感情のコントロールが難しい状態。両親も身寄りもいない。
これまで一度も仕事をしたことがない人だから、仕事と子育てはムリだと思った。不況で仕事のない人も多かった。
退去の前日は長女の3歳の誕生日だった。
四国にいる、亡父の義理の姉に妻子を預け、私は東京で仕事を立て直し、新しい家を見つけて、妻子を呼び戻せばいいと考えていた。
後で、それがどれほど甘い考えだったか、痛いほど思い知らされることになる。
※「ホームレス」が生活する主な場所は、公園66%、道路13%、河川敷15%、駅舎3%。
※「ホームレス」の食事は、1日あたり3食20%、2食42%、1食29%、ゼロ8%。
(意外と食べられるもんなんだな。毎日、大量に捨てられるコンビニ弁当や、パンなど分けることもできると思う
ホームレスの日常とは?~夜は寒くて眠れない
叔母は、妻子を預かるのはムリだと断った。
いとこ夫婦と同居していて、その子どもたちが2人いるから、キチンと世話をする責任がもてないため。
千葉の鎌ヶ谷に古い知人がいて、20年ぶりに訪ねて頼むと、彼には障害をもつ子どもがいて、ムリだと言われた。
新宿警察署に頼んで1晩ロビーで寝かせてもらい、翌日、私は妻子を新宿区役所に預け、施設で暮らせるようになった。
その間に仕事を探そうと、その夜からホームレス生活が始まった。
死ねない3つのワケ~家族、小説、親しい人たち
私は小説家を10年続けて、20冊出版したが、代表作だと言える作品がまだなかった。
それが、「今死ぬわけにはいかない」という強い意志につながった
何年も経済的に苦しい時代があり、親しい人からお金も借りた
死んだら、お金を返すことができなくなり、迷惑をかけてしまう。
もう1つの大きな理由は、家族。
自分に課したルール
1.どんなに辛くても道路では横にならない。
2.残飯をあさらない。
1月の寒さは厳しく、夜はずっと歩いていることに決めた
夜が明けたら、図書館や電車の中で仮眠をとる。
よく、駅前の公園などで昼間眠っているホームレスを見て「怠け者だ」と思うかもしれないが、
実際は、寒い冬は、夜、眠れないから。凍え死ぬこともある。
※なぜホームレスになったか。失業70%、その他、病気、家族とのトラブル、家出、借金など(東京都調べ
※働いて自立したい63%、福祉の助けを得て働きたい18%、福祉を希望8%、その他11%。(東京都調べ
ホームレスへの偏見=少数派への偏見
施設に預けた妻子の様子を聞きに区役所に行くと、50代なかばの女性(福祉事務所の相談員)が私に聞き取り調査をした。
女性は「お酒は飲みますか?」と聞いた。私は「飲みます」と答えた。小説家仲間と飲みながら楽しく過ごすのが好きだという理由で。
次に「ギャンブルは何をやるの?」と聞いた。「ギャンブルに興味はありません」と答えると、「正直におっしゃい」と言われた。
つまり、ホームレスになる人は、酒好き、ギャンブル好きの、怠け者という作り上げられた見方がある。
※全国にホームレスは何人いるか?(平成13年9月 厚生労働省調べ)
大阪市:8660人
東京23区:5600人
名古屋市:1318人
川崎市:901人
横浜市:602人
京都市:492人
神戸市:341人
福岡市:341人
広島市:207人
北九州市:197人 ほか
合計:2万4090人
全人口からみると少ない数字。
ホームレスは少数派で、みんなが持っているものを持っていないことが「特別な人」に見えている原因の1つ。
少数派はホームレスだけではない。外国人、障害を持つ人も、勝手な先入観で見下しているとしたらどうなのか。
ヒトはだれも一人ひとりが違っていて当然。
さまざまな個性を持つヒトが、特長をいかして、お互いを尊重して生きているのが社会。
私は差別的な人間ではないつもりだが、日常生活では、ついホームレスの存在を忘れてしまう。
まず、関心を持つことが大切。ホームレスの問題は自分と無関係ではない。
いつホームレスになるか分からない社会は健全とはいえない。
一度ホームレスになると、もとの生活に戻るのは大変~住所と住民票が合わないと仕事に就けない
『ホームレス作家』を出して印税が入り、新しい家を借りて、ホームレス生活が終わったのは2001年の9月。
7ヶ月というのは、実は早いほう。実情は、何年もずっと路上生活をしている人のほうが多い。
路上生活をしていると、体を壊したり、ココロの病気になり、新しい家を見つけるのが難しくなる。
私は、ハローワークに行った。当時43歳で求人自体がとても少ないことに驚いた。
住民票は多摩ニュータウンにあり、プリペイド式の携帯電話もあり、コンピュータが使えるため面接ではすぐ来てくれという会社も多かった。
でも、数日経つと、採用取り消しの電話がかかってくる。私が多摩ニュータウンに住んでいないと分かったため。
不況時は、「買い手市場(就活している人より、雇う人が相手を選べる)」のため、相手が信用できるか調べている。
仕事がなければ金が入らない家に住めない仕事ができないの悪循環となって、長引く。
路上生活をしていると、体を壊すことが多い金がないから医者にかかれない住民票がないと保険証が持てない長引く。
仕事をする意志があり、能力があっても、望む仕事ができない状態。
・駅前で古雑誌を安く売る
・空き缶を拾って換金する
・ダンボールを集めて換金する
これらは、日々の食費などで消えてゆく(リサイクルの役に立ってるんだなあ
※ホームレスの平均月収は、半数が無収入。半数は月収3万円未満(都内
(1日1ドルで生きている途上国の人もいるから、比較の問題でもある。
ヒトを助けるのが福祉サービスなのに、機能してないんだな。
じゃあ、その金はどこへ??? 他のことに使われているのか?
で、今じゃ人材不足ってゆってる企業もある。。。
※ホームレスになる前はどんな仕事だったか?
技能工41%、土工・雑役20%、サービス業10%、事務職6%、、、(東京都調べ
もし、家がなくても得意な仕事をさせてもらえたらどうでしょう。
私は、自分の能力をいちばん発揮できる仕事に集中するべきだと気づいた。
古本を売ったりしてお金を作り、ファミレスでひと晩中小説を書いた
昔、古本屋を経営していたので、どんな本が高く売れるか知っていたため。
(マンガ雑誌、週刊誌あたりかな? それらも最近下火だって噂だけど
3ヶ月で『ホームレス作家』が完成(早!)、2001年9月に出版された。
私の得意な仕事が「小説を書く」ことだから短くて済んだ。
想像力
大工や、運転手は、誰かに雇ってもらわなければ能力を発揮できない。
能力があるのに発揮できないのは、生活苦よりずっと辛い。
しかも、傍目には「怠け者だから仕事をしない」と誤解されてしまう。
もし、町でホームレスを見たら、「この人の特技は何だろう」などと考えてみると、相手をもっと理解したいという気持ちも生まれる。
それを「想像力」という。
※ホームレス生活で辛いのは?
入浴・洗濯ができない44%、嫌がらせ39%、空腹36%、寒さ23%(東京都調べ
娘の写真がココロを支えてくれた
図書館や電車の中で仮眠をとっても、つねに睡眠不足。
少ないお金で、原稿用紙を買い、100円ショップのお菓子やパンばかり食べ、いつも空腹で、栄養不足のため体力が弱る。
体重は18kg減り、夜歩き回るのもできなくなった。
いつも古本が拾えるわけもなく、食べない日もあり、意識が遠のく時もあった。
私はホームレスになった生活のすべてを、日本推理作家協会の名簿を兼ねた手帳に綴っていた。
その最後のページに娘の写真を1枚貼っていた。
ほかの写真は、コインロッカーに預けていたが、開くお金がなく、保管期限が過ぎて処分された。
娘・冬望子(ともこ)の写真に「とんとん、もうすぐ会えるからね」と話しかけると、
「がんばって、早く迎えに来てね」という言葉が本当に聞こえてきた。
しかし、新しい家を借り、収入がこれまで以上にある今でも、実は、家族と一緒に住むことはおろか、娘と会えずにいる。
※都内のホームレスの年齢の平均は50歳台。(東京都調べ
20~29=1%
30~39=6%
40~44=6%
45~49=14%
50~54=24%
55~59=24%
60~64=16%
65~69=7%
70歳以上=3%
※性別は、98%が男性、女性は2%(都内。東京都調べ
読者からの手紙は100通を超えた
ほとんどの感想は「自分と無関係とは思えない」というもの。これでは健康な社会とはいえない。
日常にはなにかしら辛いことがあるが、前向きの姿勢で解決すれば、必ず明るい未来がまっている。それが健全な社会ではないだろうか。
それは、みんなが今日という日をどう生きるかにかかっていると思う。
日本の未来をつくるのは、みなさん1人ひとりだから。
それには、自分と違う人たちを、よりよく理解する必要がある。
「無関係ではなく、自分の問題だ」と考えることで、理解しようという気持ちがうまれる。
「ハウスレス」と「ホームレス」
私は、上北沢に新しく家を借りた。仕事も順調で、新聞・雑誌からのインタビューも多数あった。
お金を借りていた人たちに返すこともできた
しかし、最初に話した3つの生き延びる理由の、もっとも大切な「家族との生活」は取り戻せていない。
妻子は、ある区役所の福祉課に保護されていて、2人目の子どもも生まれている。
妻の入院中に赤ちゃんの顔を見たが、それも一度だけ。長女には、保護されて以来一度も会えていない。
妻子を返して欲しいと何度も頼んだが、どんな理由からか、応じてもらえないまま時間が過ぎた。
それは、寒さや空腹に耐えたホームレス時代よりもっと辛い日々だった。
家族が心配なあまり、心身が弱って、私は原稿が書けなくなった。
またホームレスに戻ることは絶対に許されない。
もしかしたら、区の職員は、一度でもホームレスになった私を信用できないのかもしれない。
ヒトは誰でも失敗する。でも、何度失敗しても、もう一度、挑戦する機会が与えられているはず。
再挑戦できる機会があるからこそ、ヒトは失敗を恐れず、毎日を生きることができるのではないだろうか。
いまだにホームレス~「ホーム」には2つの意味がある
私は、今の自分のことを正直に書いてみようと思い『ホームレス失格』を書いた。
娘の写真を拡大コピーして仕事机の前の壁に貼り、同じように話しかけた。
英語の「ホーム」は、単に「家」だけでなく「家族と共に暮らす家」の意味が含まれている。
私はもう「ハウスレス」ではないが、「ホームレス」生活は続いている。
「ホームレス」はけっして自分から望んでなったわけではない。
いろんな事情が重なって、生活が立ちゆかなくなり、しかたなく道路で生活している。
冬は凍え死にの危険があり、真夏は猛暑で体力が弱る。
それなのに「外見が汚い」「臭い」という理由で差別された時の気持ちを「想像」してほしい。
直接お手伝いしてあげることはできずとも、かれらの気持ちや生活を理解することはできる。
それがとても大切だと今の私は考えている。
娘への手紙
私は、いつ会えるか分からない娘に、毎日、手紙を書くことに決めた。今でも書いている。
その第1通目を紹介して終わらせたいと思う。
この手紙を娘が読む日が必ず来ると信じている。
何年先になっても、私と子どもたちは深い絆でつながっていると信じている。
(下記は抜粋
「君が生まれてくるまで、パパはこれほど深く愛せる対象が、この世界に存在することすら知りませんでした。
君が生まれた日は雪がまだ残っていたので、冬の日に希望を運んできた子、という意味で冬望子と名付けました。
君とかかわった時間のすべてが、パパにとって珠玉のときでした。
今でもそれには、なんら変わりはないのです。
パパは今とても仕事が忙しく、収入も今までで一番多いのです。
君が迎える4度目のクリスマスとお正月は、これまででもっとも豊かで、楽しく過ごせるはずだったのに。
どうしてもパパと君を会わせたくない人たちがいるのです。不思議なものですね。
その人たちも、君の幸せを考えているのです。ただ、誤解と勘違いがあるのです。
だけど、パパは負けませんよ。また一緒に暮らせると信じていて“確信”という言葉を使っていいと思います。
『ハリー・ポッター』という小説を書いたJ.K.ローリングは、生活保護を受けながら、カフェで小説を書いたそうです。
それが全世界で1億冊も売れるベストセラーになり、映画化もされました
パパは、どうしてもこの映画に君を連れていきたかった。ピッタリの映画だと思いました。
パパは、こないだ代々木にある人形劇団プークの劇場で、君の名前で会員になったのですよ。
劇場で人形劇が見られるだけではなく、出演者や人形をかこむ会にも出られるのです。
いい本をいっぱい読んで、いい映画を観て、テレビでではなく、劇場や球場で実際の人形劇やスポーツを見ることは、
とても大切なことなのです。そういう時間を多くもつことが、これからの君の人生を豊かにしてくれるのです。
では、また明日、お手紙を書きますね。お休みなさい」
[関連本]
『グランドセントラル駅・冬』リー・ストリンガー/著 中川五郎/訳
『生きることと学ぶこと』早乙女勝元/著
『ガラスの地球を救え~二十一世紀の君たちへ』手塚治虫/著
**************************
そういえば、30代頃の時、横浜方面にある有名な占い師から
「あなたは、たとえホームレスとかになっても、なんとか楽しく生きていけそうですね」と言われたことがあるのを思い出した。
私も素直に納得。まあ、実際なったことがないから、実際の辛さを知らないっていうのもあるけど。
それこそ、こないだ見た、さまざまな社会にあるチームに助けてもらうことだって1つの手だ。
多大な借金の中には、不正に利息を上げているものもあるだろうし。
駅舎が快適なら、そこに宿泊所や炊き出しの場所を作るとか、
そこで行政の相談員が1人ひとりの事情を聞くとか。
福祉事務所のソーシャルワーカーが偏見を持っているのはどうなんだ???
かたよった見方・差別意識などが、被害者・加害者双方のココロの底に根強くあるのも諸悪が長引く根因かも。
松井計/著 磯倉哲/イラスト
読みながら、路上生活者の方々の実情が垣間見れたと同時に、いくつかの疑問も浮かんだ。
なぜ、もっと早く生保を受けなかったのか。男のプライド?
なぜ、家を持てるようになっても、家族と暮らせないのか?
家族に何年も経済不安を相談せずにいたのが夫婦の溝になって、娘と合わせるのを拒んでいるのかな?
それとも、子どもの将来を思うと、有名になったとはいえ(だからこそなお)、元ホームレスの父を持つという世間からのレッテルを怖れてか?
一緒に暮らすことはムリでも、会うくらいは叶うのでは? 子どもの気持ち次第で。
日本の路上生活者の数は約2万人だという。
政治屋を10人くらい減らせば、それくらいの人々の生活はなんとかなるのでは?
それとも、家、仕事、金の問題だけじゃないのかもしれない。
松井さんの小説を読めば、もっと詳細が分かるかな。
『ホームレス作家』
『ホームレス失格』
【内容抜粋メモ】
「まえがき」
「生きる」とは、どういうことなのでしょうか?
わたしたちが「生きる」ためには、なにが必要なのでしょうか。
心臓が動いていれば生きているといえるのかもしれません。
でも、人間にとって「生きる」とは、もっともっといろいろな面があります。
松井さんは、小説家でしたが、家族の病気など、幾つものトラブルが重なり、心ならずもホームレスになった人です。
そんな松井さんが、共に生きる社会について、分かりやすく話してくれます。
※「ホームレス」という言葉は1970年代にイギリスで使われはじめた。
どうしてホームレスになったのか
2001年1月。私たちは多摩ニュータウンの公団住宅を強制退去処分になった。
出版不況の影響、妻の病気などが重なり、収入が減って、前年春から家賃滞納が続いたため。
3ヶ月払えず、住宅都市整備公団と和解前提の裁判となり、どう払うか相談したが結局払えなかった。
それまでとてもお世話になった住宅都市整備公団担当者から電話があった
「奥さんと娘さんにはショックだと思いますから、業者がそちらへ行く前に団地を出られたほうがいいですよ」
妻は妊娠4ヶ月。幼児期に交通事故に遭った後遺症で感情のコントロールが難しい状態。両親も身寄りもいない。
これまで一度も仕事をしたことがない人だから、仕事と子育てはムリだと思った。不況で仕事のない人も多かった。
退去の前日は長女の3歳の誕生日だった。
四国にいる、亡父の義理の姉に妻子を預け、私は東京で仕事を立て直し、新しい家を見つけて、妻子を呼び戻せばいいと考えていた。
後で、それがどれほど甘い考えだったか、痛いほど思い知らされることになる。
※「ホームレス」が生活する主な場所は、公園66%、道路13%、河川敷15%、駅舎3%。
※「ホームレス」の食事は、1日あたり3食20%、2食42%、1食29%、ゼロ8%。
(意外と食べられるもんなんだな。毎日、大量に捨てられるコンビニ弁当や、パンなど分けることもできると思う
ホームレスの日常とは?~夜は寒くて眠れない
叔母は、妻子を預かるのはムリだと断った。
いとこ夫婦と同居していて、その子どもたちが2人いるから、キチンと世話をする責任がもてないため。
千葉の鎌ヶ谷に古い知人がいて、20年ぶりに訪ねて頼むと、彼には障害をもつ子どもがいて、ムリだと言われた。
新宿警察署に頼んで1晩ロビーで寝かせてもらい、翌日、私は妻子を新宿区役所に預け、施設で暮らせるようになった。
その間に仕事を探そうと、その夜からホームレス生活が始まった。
死ねない3つのワケ~家族、小説、親しい人たち
私は小説家を10年続けて、20冊出版したが、代表作だと言える作品がまだなかった。
それが、「今死ぬわけにはいかない」という強い意志につながった
何年も経済的に苦しい時代があり、親しい人からお金も借りた
死んだら、お金を返すことができなくなり、迷惑をかけてしまう。
もう1つの大きな理由は、家族。
自分に課したルール
1.どんなに辛くても道路では横にならない。
2.残飯をあさらない。
1月の寒さは厳しく、夜はずっと歩いていることに決めた
夜が明けたら、図書館や電車の中で仮眠をとる。
よく、駅前の公園などで昼間眠っているホームレスを見て「怠け者だ」と思うかもしれないが、
実際は、寒い冬は、夜、眠れないから。凍え死ぬこともある。
※なぜホームレスになったか。失業70%、その他、病気、家族とのトラブル、家出、借金など(東京都調べ
※働いて自立したい63%、福祉の助けを得て働きたい18%、福祉を希望8%、その他11%。(東京都調べ
ホームレスへの偏見=少数派への偏見
施設に預けた妻子の様子を聞きに区役所に行くと、50代なかばの女性(福祉事務所の相談員)が私に聞き取り調査をした。
女性は「お酒は飲みますか?」と聞いた。私は「飲みます」と答えた。小説家仲間と飲みながら楽しく過ごすのが好きだという理由で。
次に「ギャンブルは何をやるの?」と聞いた。「ギャンブルに興味はありません」と答えると、「正直におっしゃい」と言われた。
つまり、ホームレスになる人は、酒好き、ギャンブル好きの、怠け者という作り上げられた見方がある。
※全国にホームレスは何人いるか?(平成13年9月 厚生労働省調べ)
大阪市:8660人
東京23区:5600人
名古屋市:1318人
川崎市:901人
横浜市:602人
京都市:492人
神戸市:341人
福岡市:341人
広島市:207人
北九州市:197人 ほか
合計:2万4090人
全人口からみると少ない数字。
ホームレスは少数派で、みんなが持っているものを持っていないことが「特別な人」に見えている原因の1つ。
少数派はホームレスだけではない。外国人、障害を持つ人も、勝手な先入観で見下しているとしたらどうなのか。
ヒトはだれも一人ひとりが違っていて当然。
さまざまな個性を持つヒトが、特長をいかして、お互いを尊重して生きているのが社会。
私は差別的な人間ではないつもりだが、日常生活では、ついホームレスの存在を忘れてしまう。
まず、関心を持つことが大切。ホームレスの問題は自分と無関係ではない。
いつホームレスになるか分からない社会は健全とはいえない。
一度ホームレスになると、もとの生活に戻るのは大変~住所と住民票が合わないと仕事に就けない
『ホームレス作家』を出して印税が入り、新しい家を借りて、ホームレス生活が終わったのは2001年の9月。
7ヶ月というのは、実は早いほう。実情は、何年もずっと路上生活をしている人のほうが多い。
路上生活をしていると、体を壊したり、ココロの病気になり、新しい家を見つけるのが難しくなる。
私は、ハローワークに行った。当時43歳で求人自体がとても少ないことに驚いた。
住民票は多摩ニュータウンにあり、プリペイド式の携帯電話もあり、コンピュータが使えるため面接ではすぐ来てくれという会社も多かった。
でも、数日経つと、採用取り消しの電話がかかってくる。私が多摩ニュータウンに住んでいないと分かったため。
不況時は、「買い手市場(就活している人より、雇う人が相手を選べる)」のため、相手が信用できるか調べている。
仕事がなければ金が入らない家に住めない仕事ができないの悪循環となって、長引く。
路上生活をしていると、体を壊すことが多い金がないから医者にかかれない住民票がないと保険証が持てない長引く。
仕事をする意志があり、能力があっても、望む仕事ができない状態。
・駅前で古雑誌を安く売る
・空き缶を拾って換金する
・ダンボールを集めて換金する
これらは、日々の食費などで消えてゆく(リサイクルの役に立ってるんだなあ
※ホームレスの平均月収は、半数が無収入。半数は月収3万円未満(都内
(1日1ドルで生きている途上国の人もいるから、比較の問題でもある。
ヒトを助けるのが福祉サービスなのに、機能してないんだな。
じゃあ、その金はどこへ??? 他のことに使われているのか?
で、今じゃ人材不足ってゆってる企業もある。。。
※ホームレスになる前はどんな仕事だったか?
技能工41%、土工・雑役20%、サービス業10%、事務職6%、、、(東京都調べ
もし、家がなくても得意な仕事をさせてもらえたらどうでしょう。
私は、自分の能力をいちばん発揮できる仕事に集中するべきだと気づいた。
古本を売ったりしてお金を作り、ファミレスでひと晩中小説を書いた
昔、古本屋を経営していたので、どんな本が高く売れるか知っていたため。
(マンガ雑誌、週刊誌あたりかな? それらも最近下火だって噂だけど
3ヶ月で『ホームレス作家』が完成(早!)、2001年9月に出版された。
私の得意な仕事が「小説を書く」ことだから短くて済んだ。
想像力
大工や、運転手は、誰かに雇ってもらわなければ能力を発揮できない。
能力があるのに発揮できないのは、生活苦よりずっと辛い。
しかも、傍目には「怠け者だから仕事をしない」と誤解されてしまう。
もし、町でホームレスを見たら、「この人の特技は何だろう」などと考えてみると、相手をもっと理解したいという気持ちも生まれる。
それを「想像力」という。
※ホームレス生活で辛いのは?
入浴・洗濯ができない44%、嫌がらせ39%、空腹36%、寒さ23%(東京都調べ
娘の写真がココロを支えてくれた
図書館や電車の中で仮眠をとっても、つねに睡眠不足。
少ないお金で、原稿用紙を買い、100円ショップのお菓子やパンばかり食べ、いつも空腹で、栄養不足のため体力が弱る。
体重は18kg減り、夜歩き回るのもできなくなった。
いつも古本が拾えるわけもなく、食べない日もあり、意識が遠のく時もあった。
私はホームレスになった生活のすべてを、日本推理作家協会の名簿を兼ねた手帳に綴っていた。
その最後のページに娘の写真を1枚貼っていた。
ほかの写真は、コインロッカーに預けていたが、開くお金がなく、保管期限が過ぎて処分された。
娘・冬望子(ともこ)の写真に「とんとん、もうすぐ会えるからね」と話しかけると、
「がんばって、早く迎えに来てね」という言葉が本当に聞こえてきた。
しかし、新しい家を借り、収入がこれまで以上にある今でも、実は、家族と一緒に住むことはおろか、娘と会えずにいる。
※都内のホームレスの年齢の平均は50歳台。(東京都調べ
20~29=1%
30~39=6%
40~44=6%
45~49=14%
50~54=24%
55~59=24%
60~64=16%
65~69=7%
70歳以上=3%
※性別は、98%が男性、女性は2%(都内。東京都調べ
読者からの手紙は100通を超えた
ほとんどの感想は「自分と無関係とは思えない」というもの。これでは健康な社会とはいえない。
日常にはなにかしら辛いことがあるが、前向きの姿勢で解決すれば、必ず明るい未来がまっている。それが健全な社会ではないだろうか。
それは、みんなが今日という日をどう生きるかにかかっていると思う。
日本の未来をつくるのは、みなさん1人ひとりだから。
それには、自分と違う人たちを、よりよく理解する必要がある。
「無関係ではなく、自分の問題だ」と考えることで、理解しようという気持ちがうまれる。
「ハウスレス」と「ホームレス」
私は、上北沢に新しく家を借りた。仕事も順調で、新聞・雑誌からのインタビューも多数あった。
お金を借りていた人たちに返すこともできた
しかし、最初に話した3つの生き延びる理由の、もっとも大切な「家族との生活」は取り戻せていない。
妻子は、ある区役所の福祉課に保護されていて、2人目の子どもも生まれている。
妻の入院中に赤ちゃんの顔を見たが、それも一度だけ。長女には、保護されて以来一度も会えていない。
妻子を返して欲しいと何度も頼んだが、どんな理由からか、応じてもらえないまま時間が過ぎた。
それは、寒さや空腹に耐えたホームレス時代よりもっと辛い日々だった。
家族が心配なあまり、心身が弱って、私は原稿が書けなくなった。
またホームレスに戻ることは絶対に許されない。
もしかしたら、区の職員は、一度でもホームレスになった私を信用できないのかもしれない。
ヒトは誰でも失敗する。でも、何度失敗しても、もう一度、挑戦する機会が与えられているはず。
再挑戦できる機会があるからこそ、ヒトは失敗を恐れず、毎日を生きることができるのではないだろうか。
いまだにホームレス~「ホーム」には2つの意味がある
私は、今の自分のことを正直に書いてみようと思い『ホームレス失格』を書いた。
娘の写真を拡大コピーして仕事机の前の壁に貼り、同じように話しかけた。
英語の「ホーム」は、単に「家」だけでなく「家族と共に暮らす家」の意味が含まれている。
私はもう「ハウスレス」ではないが、「ホームレス」生活は続いている。
「ホームレス」はけっして自分から望んでなったわけではない。
いろんな事情が重なって、生活が立ちゆかなくなり、しかたなく道路で生活している。
冬は凍え死にの危険があり、真夏は猛暑で体力が弱る。
それなのに「外見が汚い」「臭い」という理由で差別された時の気持ちを「想像」してほしい。
直接お手伝いしてあげることはできずとも、かれらの気持ちや生活を理解することはできる。
それがとても大切だと今の私は考えている。
娘への手紙
私は、いつ会えるか分からない娘に、毎日、手紙を書くことに決めた。今でも書いている。
その第1通目を紹介して終わらせたいと思う。
この手紙を娘が読む日が必ず来ると信じている。
何年先になっても、私と子どもたちは深い絆でつながっていると信じている。
(下記は抜粋
「君が生まれてくるまで、パパはこれほど深く愛せる対象が、この世界に存在することすら知りませんでした。
君が生まれた日は雪がまだ残っていたので、冬の日に希望を運んできた子、という意味で冬望子と名付けました。
君とかかわった時間のすべてが、パパにとって珠玉のときでした。
今でもそれには、なんら変わりはないのです。
パパは今とても仕事が忙しく、収入も今までで一番多いのです。
君が迎える4度目のクリスマスとお正月は、これまででもっとも豊かで、楽しく過ごせるはずだったのに。
どうしてもパパと君を会わせたくない人たちがいるのです。不思議なものですね。
その人たちも、君の幸せを考えているのです。ただ、誤解と勘違いがあるのです。
だけど、パパは負けませんよ。また一緒に暮らせると信じていて“確信”という言葉を使っていいと思います。
『ハリー・ポッター』という小説を書いたJ.K.ローリングは、生活保護を受けながら、カフェで小説を書いたそうです。
それが全世界で1億冊も売れるベストセラーになり、映画化もされました
パパは、どうしてもこの映画に君を連れていきたかった。ピッタリの映画だと思いました。
パパは、こないだ代々木にある人形劇団プークの劇場で、君の名前で会員になったのですよ。
劇場で人形劇が見られるだけではなく、出演者や人形をかこむ会にも出られるのです。
いい本をいっぱい読んで、いい映画を観て、テレビでではなく、劇場や球場で実際の人形劇やスポーツを見ることは、
とても大切なことなのです。そういう時間を多くもつことが、これからの君の人生を豊かにしてくれるのです。
では、また明日、お手紙を書きますね。お休みなさい」
[関連本]
『グランドセントラル駅・冬』リー・ストリンガー/著 中川五郎/訳
『生きることと学ぶこと』早乙女勝元/著
『ガラスの地球を救え~二十一世紀の君たちへ』手塚治虫/著
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そういえば、30代頃の時、横浜方面にある有名な占い師から
「あなたは、たとえホームレスとかになっても、なんとか楽しく生きていけそうですね」と言われたことがあるのを思い出した。
私も素直に納得。まあ、実際なったことがないから、実際の辛さを知らないっていうのもあるけど。
それこそ、こないだ見た、さまざまな社会にあるチームに助けてもらうことだって1つの手だ。
多大な借金の中には、不正に利息を上げているものもあるだろうし。
駅舎が快適なら、そこに宿泊所や炊き出しの場所を作るとか、
そこで行政の相談員が1人ひとりの事情を聞くとか。
福祉事務所のソーシャルワーカーが偏見を持っているのはどうなんだ???
かたよった見方・差別意識などが、被害者・加害者双方のココロの底に根強くあるのも諸悪が長引く根因かも。