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図書館で借りたCDシリーズ~ファッツ・ウォーラー ほか

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図書館で借りたCDシリーズ。

今回の3枚はいずれも大当たりばかりだったv
それにしても、どれも年輪を重ねたディスクばかりで頭が下がる。

Wild Man Blues/Woody Allen
 
ウディはジャズ大好きで、映画に使うほかに、自らも演奏するとは聞いてたけど、実際耳にするのは初めてかも。
さすが図書館、掘り出し甲斐がある。

  

【ライナー抜粋メモ~小沼純一】
映画『マンハッタン』の中で「NYにはガーシュウィンがピッタリだ」と語ったウディ。
彼がクラリネットを吹き、バンドを組んで、ニューオリンズ発祥の「デキシーランドジャズ」を演奏しているという話はしばしば耳にしていたが、その音はなかった。
だから聴きたかったら、NYに行き、毎週出演している店に行かねばならない。

それが、ヨーロッパでツアーをしたら面白いかも・・・と会話したのがきっかけで、2週間後にはツアーが決まったという。
パリ、マドリッド、ジュネーヴ、ウィーン、ヴェニス、最後はロンドン、計10箇所。
その珍道中を女性映画監督バーバラ・コップルが撮影したのが『Wild Man Blues』。

このCDはけっしてオリジナルのサントラではない。
映画で演奏されて、ここに入っているのはわずか2曲。サッチモの♪Wild Man Blues と、♪Hear Me Talkin' to Ya。
おそらくドキュメンタリー映画であることでハプニングもあっただろうし、出来不出来もあっただろう。

映画の中では「デキシーに興味のある奴は少なく、映画を撮っているオレを観に来るのが多い」と言っているのを思い出す。
映画を観て、「デキシーランドジャズ」に興味を持った人が、本アルバムを手にすることこそウディは望んでいるのだ。

ウディが好み、理想としているシドニー・ベシェのような音、独特の音色。
パリのクラリネット/サキソフォンメーカーであるビュッフェ・クランポンを訪れ、金属製のクラリネットを吹いて感銘を受けるシーン。

ここで主役をなしているのが「ニューオリンズジャズ」だ。
映画の中でバンドのメンバーは「ジャズの方言みたいなもので、いい意味でやぼったい音楽」と語っている。
一種の泥臭さをもち、陽気さを湛えているのは事実ではないか。
それぞれのラインは絡み合うのではなく、並んだり重なったりしながら、同じ方向を向いて進んでいく。
「デキシーランドジャズは、僕を不思議な気分にさせる。ハチミツ風呂に入っているような・・・」(ウッディ・アレン)


JAZZ MASTERS SERIES Ain't Misbehavin'/Fats Waller
アルバムタイトルの邦題は♪浮気はやめた バンバンバがカバーしてるファッツ・ウォーラーのアルバムにやっと出逢えた/嬉
タイトル曲の他にもカバーしてるのは、♪手紙を書こう ほか数曲も収録されていて、原曲が聴ける!
いかにも陽気なピアノマンってジャケ写もイイ。演奏や歌唱にもその陽気さ加減が出てて、とっても気に入ったv

【ライナー抜粋メモ~岩浪洋三(2000)もっともハーレムらしいピアニスト、作曲家、歌手、エンタテイナー】
ユーモアの感覚はバツグン、ジャズと黒人芸能を融合した点では、同じハーレムのデュークやキャブ・キャロウェイの先駆的存在だった。
モダンジャズはたしかに進歩したかもしれないが、歌や芸能の部分を置き去りにした点では、ジャズの真の面白さを半減させた罪もある。

ウォーラーは1904年NY生まれ、1943年カンザスシティでわずか39年の短い生涯だったが、この間に膨大なレコーディングを残している。
彼はなによりピアノの名手。彼ほどピアニスティックで、華麗で、芸能性の高いピアノマンが何人いるだろうか。

映画では道化的な表現も見せて、白人への媚と受け取るのは簡単だが、奴隷時代という歴史を持つ黒人は、白人と利害関係が真逆だった。
働いても一銭にもならない黒人奴隷にとって「働くことはイヤなこと、さぼることこそよし」とされた(共感するなあ・・・
ジャズスラング、黒人英語にも名残りがあり、普通の英語の「Good」は「Bad」、黒人英語の「Bad」は「Good」の意。

遊び、踊り狂い、さぼりの精神は最大の喜びであり、このバカバカしいまでの狂態こそ、何より自由の謳歌であり、白人への反抗精神だった。
それは、ユダヤ系のコメディアン(チャプリン、マルクス兄弟、ウディ・アレン)(あら、リンクした!)の笑いや皮肉が
自分たちを差別してきた人たちへの鋭い一撃なのとよく似ている。だから、ある点で黒人ジャズメンとユダヤ人は共闘してきた。

ファッツは5歳からハーモニューム(教育用オルガン)を習い、ピアノの才能を見出した父はクラシックを学ばせた。
ピアノは、「ハーレムの巨人」ジェイム・P・ジョンソン、レポルド・ゴトフスキーに習った。

彼は、映画『フーレイ・フォー・ラヴ』(1935)、『キング・オブ・バーレスク』(1935)、『ストーミー・ウェザー』に出演。
伝記『エイント・ミスベヘイヴン』は、1978年ブロードウェイで上演され、1600回以上続演された。

父はジャズを「悪魔の音楽」と言って嫌った。
ファッツは大酒飲みで、一晩の酒代のために、曲の版権を譲ったこともあったという。
1943年、仕事後、インフルエンザに罹り、xmasは家族と過ごすために汽車に乗ったが、
気管支肺炎を起こしてカンザス市に停まった時、車室で亡くなった。

デュークを最初にハーレムに呼んだのもファッツ。

収録曲について
♪浮気はやめた(ピアノ・ソロ)
ショウ『ホットチョコレート』挿入歌でサッチモが歌った

♪浮気はやめた(ヴォーカル入り)
亡くなる年の録音だが、なんという進歩、成熟ぶりだろう。

♪ハニーサックル・ローズ
ファッツ作曲の代表曲。彼はセレスタも弾く。

♪捧ぐるは愛のみ
ファッツが見出した女性歌手ウナ・メエ・カーライルと歌う。

(この他の「ジャズ・マスターズ 名曲・名演シリーズ~20世紀に誕生した音楽(ジャズ)の前半生記を網羅」が気になる


Vanguard Mainstream Jazz Showcase(2枚組)

【ライナー抜粋メモ~油井正一 1992】
当時の他のジャズレコードと比べて、音質も演奏もバツグンのこのレコードでジャズの楽しさを知った人、プレイヤーを志した人は随分多い。
ジャズ史上最も偉大なプロデューサーで、タレント・スカウトだったジョン・ハモンドが、クラシックのマイナーレーベル「ヴァンガード」から
ハイ・フィデリティの新技術を使ったシリーズ制作を委嘱されたのは1953年。

当時のジャズ界は、ハモンドが信奉する「スイング」から「ビバップ」一色となり、メインストリームジャズのシリーズの制作を開始。
「ヴァンガード」は、「コンサートホールと同じ音響効果をもつスタジオで録音するべき」として、フリーメイソン寺院の講堂を使っていた。

「オーナーのソロモン兄弟は、テープから作られたテスト盤をラボに持ち込み、最高の装置で再生し、オリジナルの質と同じか確かめた。
 5000枚プレスすると、スタンパーは破棄され、オリジナルマスターから、また新しいスタンパーがつくられる。
 この厳格さがヴァンガードを比類ないものにしていた」(ハモンド)

この良心的な会社が失敗した理由を、ハモンドはこう語る。
「このシリーズは25cmLPで発売された。だが、大会社は30cmに変えたので、
 私はオーナーに25cmは時代遅れだと警告したが聞かなかった。
 やっと30cmに切り換えた時は手遅れで、25cm盤はレコード屋の棚で埃をかぶっていた」

「中間派」
バップ以降の正統派ジャズと「モダンジャズ」を区別するために「mainstream jazz」と呼ぶ。
当時、若手ジャズ評論家だった大橋巨泉は、ヴァンガードジャズに「中間派ジャズ」と名付けた。

収録曲について
♪Keeping out of Mischief now
ファッツ・ウォーラーの作(お、リンクした

♪Old Fashioned Love
「ハーレムピアノの父」と言われるジェームス・P・ジョンソンが作った小唄。

♪Shoe Shine Boy
カウント・ベイシーがやって来て、ナット・ピアースはうやうやしくピアノの席を譲った。
そして、昔、レスター・ヤングとシカゴで初めて吹き込んだこれをやろうということになった。
素晴らしい演奏だったので、終わった瞬間の愉快な笑い声までレコードに残しておいた。

♪Sweet Georgia Brown 
サー・チャールズ・トンプソンは数年前から日本の松戸に定住して活躍している(渋いなあ!
本来はモダンタッチのピアニストだが、ヴァンガードではハモンドのリクエストで、ベイシーのソックリさんをやらされたとのことw

♪Reddie for Freddie
前世紀の半ばに発明され、クラシックでは持て余されていたサックスから、最初に素晴らしい可能性を引き出した巨人がコールマン・ホーキンス。

ハモンドの回想は『ジャズ・プロデューサーの半生記』森沢麻里/著を参考



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