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『神々の母に捧げる詩-続 アメリカ・インディアンの詩』(福音館書店)

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『神々の母に捧げる詩-続 アメリカ・インディアンの詩』(福音館書店)
金関寿夫/訳 秋野亥左牟/絵

大好きな写真家・星野道夫さんつながりで金関寿夫さんを知って、
今度は、金関寿夫さんつながりで、秋野亥左牟さんという素晴らしい画家を知った
しかし、2011年に亡くなられて、本書が遺作というのは残念。

秋野亥左牟

「神々の母に捧げる詩」では、両側に開いて、より大きく、大胆な絵が鑑賞できる工夫がされている。



金関寿夫さんが言っていたが、言葉を持たないインディアンは、口承で詩を延々と継いできた。
部族の言語はあまたあり、原詩の英訳を和訳しているため、原詩がどんな音の響きを持っていたのか
遠い想いを馳せると、より深く味わえる。


【ブログ内関連記事】
『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』(思潮社)

【内容抜粋メモ】
※本書は、金関寿夫『魔法としての言葉~アメリカ・インディアンの口承詩』(思潮社)から、一部改変を加えました。

「たれかがどこかで」テトン・スー族


たれかが
どこかで
話している
聖なる石の国の民が
話している
きみは聞くだろう
たれかが
どこかで
話しているのを


「神々の母に捧げる詩」アズラック族
 

彼女が来たのはタモアンチャン
最初の土地

みんなそこからやって来て
みんなはそこで生まれたのだ

彼女の腿は 神々しく
彼女の顔は 黒い仮面

 

ああ、わたしたちは
彼女を見た 九つの平野を
さまよいながら彼女は鹿の心臓を食べていた




おれは恥ずかしい この大地の上で
おれは恥ずかしい この大地の下で

いくつかのコトバがおれをいつも見張っている
そいつらの視線を外(そ)らすことはできない相談
だからおれは真実を語らねばならない
そしておれはおれのコトバをしっかりと胸に抱く



「雷神の歌」チッペワ族
ときどきおれは
じぶんのことが
あわれになる
たとえば
風にさらわれて
空を
横っとびに
すっ飛んで
いくときなど



「恋歌」テューピ族
 

新月よ
新月よ
わたしはここであなたを見ています
わたしだけが
かれの心を占めるように
して ください





「わたしのドレスは古い」


わたしのドレスは古い、でも夜になるとお月様はとても親切です
その時わたしは、月の色した美しいドレスをきるからです



【あとがき抜粋メモ 秋野和子~天を地、大地を母として】
『おれは歌だおれはここを歩く アメリカ・インディアンの詩』が出版されてから
続編となる『神々の母に捧げる詩』が出るまで20年が流れている。

イサムは、沖縄の小浜島で海人(猟師)をしながら絵を絵を描いていた時、
金関寿夫さんの著書『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』に出会い、11点を描いた。

イサムは、カナダに住んでいる時、インディアン家族と1年間生活を共にしていた。
人間も自然の一部として暮らしていた時を「人間の黄金期」と言い、そこに戻りたがっていた。

イサムは地球の上を旅してきた。
高度成長に向かう日本に未来を夢見ることが出来ず、27歳で日本を飛び出してから長い旅の話、
世界観、宇宙観を『イサム・オン・ザ・ロード』(梨の木舎)で伝えている。

私がイサムに初めて会ったのは1976年、カナダのバンクーバーだった。
私たちはインドを1年旅して、沖縄・八重山の島にたどり着く。
のどかで野性味溢れた大地の空気の中、イサムは憧れの海人となった。

2004年の講演会ではこう言っている。

「コロンブスが15Cの終わりにアメリカ大陸にやってきた時、
 大陸には私たちと同じモンゴロイドの先住民(アメリカ・インディアン)が住んでおり、
 その土地にあった狩猟採集の暮らしを営んでいた。
 日本では、いくつかの部族が独立して暮らしていたと考えられる。いわゆる縄文期だ。

 アメリカ・インディアンは、人間も動物も、山も川も草木も、石も等しく命が宿り、
 人間は支配する者でなく、関係し、つながる生命の輪の一部と考える。
 自然とともに生きる文化は、縄文期の文化と同質だが、日本史の中ではその姿は見えてこない。

 20Cの分岐点で、このまま自然支配の文明を続けるのか、
 自然と共に生きる文化を選択するのか、問われ続けている」



島でも16年の歳月は、島人が「果報の島」と呼び、そして急激に変わっていった。
観光客がエメラルドグリーンの海だと感激する同じ海を、
海人は「死に海」と呼び、子どもには継がせられないと言う。

島では子どもは島の宝で、日々の互助で繋がる共同社会は生きていた。
島の民、大陸の民、海の民、山の民、川の民、草原の民、砂漠の民、太陽の民、、、

大人になった我が家の子どもたちは「親に育てられたのでなく島に育てられた」
と言うように、人を形造っているのは、国ではなく、空、大地、海、太陽、星・・・。
ヒトも他の命と同じ円い環の一部、上も下もなく繋がり合って生きている。



2011年、イサムは旅に出た。
本書の出版のため絵を整理していると、原画の間から男が湖に浮かぶ葦舟に座して前を見ているペン画が出てきた。
イサムは前から、逝く時は葦舟に乗っていきたいと言っていた。

乾千恵さんからの手紙には、「イサムさんは以前、
『チチカカ湖に浮かべた小舟に仰向けになって乗り込んで、岸をポーンと蹴って、すーと渡っていくやろ、
 むこうに着いたら、またポーンと蹴って渡っていってな、そんな事をゆっくりやってる間に、あの世に行きたいねん』
と話していた」と書かれていた。

私たちには「ポーンと蹴ってもらって」だったな。
私たち、やさしく葦舟を蹴ってあげられたかな。


【あとがき抜粋メモ 編集部】
金関寿夫さんは、本づくりの打ち合わせのために、秋野さんご家族が住んでいた小浜島を訪れ、
交流・交歓するなど、心からこの仕事を楽しまれたと思います。

1996年に金関寿夫さんが亡くなる直前、続編のための訳し下ろし原稿がもたらされた。
「ワシが天高く飛ぶのを見た」「わたしのドレスは古い」の2篇。

*********『おれは歌だおれはここを歩く』に寄せられた金関さんの解説文の一部

彼らの歌はおもしろい。
このうえなく素朴で、いわゆる文明人の詩につきまといがちな、こみいった飾りや、理屈などこれっぽっちもなく、まことに小気味よい。
動植物や人間に具わる尊厳さを知るものだけが持つ、深い慈しみの心に満ちている。

彼らの口承詩で、特筆すべきは、私たち近代人の詩のように、
個人の魂の叫びだとか、言語美の創造などの動機で作られることは絶対ないということだ。
それを作った人物は誰かは分からないし、誰であろうと、自分が詩人だという意識は、皆無なのだ。

アリス・フレッチャー(人類学者)はこう言っている。
「アメリカ・インディアンの詩は、人間と、宇宙のなかの、眼に見えない存在との間に交わされる伝達の手段だ」と。






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