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『神との対話3 宇宙になる自分になる』(サンマーク出版)

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『神との対話3 宇宙になる自分になる』(サンマーク出版)
ニール・ドナルド・ウォルシュ/著

10代のための「神との対話」(PHP研究所)
1巻はこちら。
2巻はこちら。

これまでの2冊の総まとめでもあり、ニールさんがもう一度聞きたかったことを聞いていたり、
新しいトピックとしては、死後の世界、子育て、悪魔が生まれた神話の真実について、宇宙など、さらに広大なものになっている。
ニールさんて理解力が高いと思うなあ。わたしの理解力ではまだまだ分からない部分も多い。

【内容抜粋メモ】

■1 自分を批判するのはよしなさい
この本は完成までに4年の歳月がかかった。

A:
ひとをできるだけ傷つけたくないということより、自分がいちばんしたいことは何か、問題はそれだけだ。
自分に優しくなることを学ばなければいけない。自分を批判するのはよしなさい。
他人にどう思われるかを心配しているかぎり、あなたは他人のものだ。
外からの承認を求める必要がなくなった時初めて、あなたはあなた自身のものになる。

人間の唯一の敵は、罪悪感と不安だよ。
罪悪感を抱いても成長はしない。
気づくことと罪悪感は違う。愛と気づき、これが真の友だ。

不安や恐れと、警戒を怠らないことは別物だ。警戒しなさい。意識的でありなさい。
恐れるとすくんで動けなくなる。

自分なりの経験が、ひとから教えられたことと違っていても、罪悪感を抱くことはない。

半年もぼんやりし、最高の善に向かって行動しないどころか遠ざけておいて、
いまになって「悪いのは自分ではない、ほかの誰かだ」と文句を言う。じつに人間らしね。

あなたのために、あなたの望みどおりになるようにと願う。これは、愛の最も確かな物差しだ。

人生そのものが「二分法」だ。一見矛盾する2つの真実が、同じ場所、同じ時に共存するという経験、それが人生だ。
(コインの表も裏も真実。逆もまた真実ってことだよね

何が「最善」かは、あなたが何者で、何者になりたいかによって異なる。
自分が何者か見極めるまでは、何が最善か決められない。

わたしの半分を否定すれば、自分の半分を否定することになる。
それでは決して、ほんとうの自分にはなれない。
選択はすべて自己の創造だ。どの選択も自己規定だ。

わたしでないものは何もない。従って、わたしはわたしであり、わたしでないものだ。これが神聖なる二分法だ。


Q:「知るとはつまり、経験することだ」と言った偉人がいましたね?
A:
彼は間違っていた。経験のあとに知識がくるのではない。逆だよ。世界の半分は勘違いしている。

ほとんどのひとは、何か(もっとたくさんの時間、金、愛など)を「持って」いれば、
何か(本を書く、趣味を楽しむ、旅行、マイホームを買う、人間関係を築くこと)ができる、
そうすれば何かに(幸せに、安らかに、満ち足りた、愛情深い人間に)「なれる」と信じている。
彼らは存在−行為−所有というパラダイムを逆転させている。
宇宙では「所有」が「存在」にはつながらない。逆なのだよ。

この原則を要約すると、こうなる。
人生で、しなければならないことは何もない。問題は、何であるかということだけだ。


Q:「あるべきか、あらざるべきか。それが問題だ」
A:
そう、幸せは、精神の状態だ。それは物理的なかたちで再生産される。
もっているように行動しなさい。そうすれば、それが引き寄せられてくる。そうであるように行動すれば、そうなれる。

身体と精神と霊魂が、思考と言葉と行動のなかで統一されてはじめて、創造のプロセスが始まる。それが自然の法則だ。


自分のために選んだことを、ひとにしてやればいい。
幸せになろうと思うなら、ひとを幸せにしてやりなさい。
豊かであろうとするなら、ひとを豊かにしてやりなさい。
もっと愛が欲しいのなら、ひとを愛しなさい。

それも真剣にすること。自分の利益のためではなく。そうすれば、すべてはあなたに返ってくる。
何かを与えると、自分がもっているものを与えるという経験ができるからだ。
だから、何かが欲しかったら与えることだ。そうすれば「欲して」いなくてもよくなる。

たとえ、あなたがたが自らを死に追いやるようなことをしても、それが、つまり「死」を経験したいというのが深い欲求なら、かなえられる。
自分を「傷つける」ことなどできはしない。傷つくことはありえない。
「傷つく」というのは主観的な反応で、実在する事象ではない。
「傷つく」という経験は選べるが、それはあなたがそう決めるだけだ。

実在する事象はすべて、あなたが意識的に引き寄せている。
すべての出来事は、あなたが自分で創り出していると言ってもいい。
人生で起こることはすべて、何かを癒す、作り出す、経験するための完璧な機会だ。それ以外のことは決して起こらない。


Q:で、わたしは何者なんですか?
A:
それはあなたの選択しだいだ。神性のどの面を選びたいか、それで決まる。そして、いつでも変化できる。
あなたが落ち着いた人生を望むなら、多様多彩に変化する経験はもうたくさんだと思うなら、
自分が何者なのか、どんな自分になりたいかという考えをやたらに変えないことだ。

あなたの身に何かが起こったら、それで完璧なのだと考えればいい。

共同の創造行為は、意識的なプロセスにも無意識的なプロセスにもなりうる。
目を見開いて人生を歩むこともできるし、何も気づかずに生きていくこともできる。

選択はつねに最高だから、霊が選択すれば、思い直したりはしない。
だが、あなたは身体、精神、霊魂の三位一体だ。
あなたは始終3つのレベルで同時に決断し、選択している。それが、必ずしも一致するとは限らない。

あなたの選択が矛盾していて、身体、精神、霊魂の動きが一体でなければ、
全部のレベルでそれぞれ創造のプロセスが進行し、結果はめちゃくちゃになる。

精神は、論理的なレベル、直感的なレベル、感情的なレベルのどれかで決断し、選択できるし、3つすべてでも選択できる。
感情には、さらに5つのレベルがある。悲しみ、怒り、羨望、不安、愛。
最終的な2つのレベルは愛と不安だ。これが偉大な二極性だ。ほかの3つはこの2つから派生する。
すべての思い、理解、決定、行動はこのどちらかに根ざしている。
しかも、究極的にはたったひとつしかない。愛だ。
じつは、愛こそすべてだ。不安さえも愛の派生物であり、効果的に使えば愛の表現になる(ジョンの歌みたいだ

問題が起こるのは、5つの自然な感情が歪められた時だ。
「悲しみ」を表すことができれば、悲しみは処理できる。
「こらこら、泣いてはいけません」と言われた子どもは、大人になって泣きたい時苦しい思いをする。だから、悲しみを抑圧する。
抑圧されつづけた悲しみは、慢性的な「うつ」になる。非常に不自然な感情だ。
人々は、慢性的な「うつ」のために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

「怒り」は「ノー」と断るためのツールだ。決して他者を傷つけるものではない。
怒りを感じることすらいけないと言われて育った子どもは、成人後、怒りをうまく処理するのに苦労する。
抑圧されつづけた怒りは「憤怒」になる。非常に不自然な感情だ。
人々は、憤怒のために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

「羨望」は自然な感情だ。羨望があるから、もう一度やってみたい、もっと頑張ろうと思う。
羨望を表すことを許されて育った子どもは、とても早く羨望から抜け出せる。
羨望はよくないと教えられて育った子どもは、成人後、羨望をうまく処理するのに苦労する。
抑圧されつづけた羨望は「嫉妬」になる。非常に不自然な感情だ。
人々は、嫉妬のために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

「不安」は自然な感情だ。子どもはみな不安を2つだけもって生まれてくる。墜落する不安と、大きな音に対する不安だ。
もって生まれた自然な不安の目的は、もうちょっと注意しなさいと分からせることだ。それは自身への愛だ。
ほかの不安はすべて学習された反応で、環境や親に教えられる。
不安を感じることすらいけないと言われて育った子どもは、成人後、不安をうまく処理するのに苦労する。
抑圧されつづけた不安は「パニック」になる。非常に不自然な感情だ。
人々は、パニックのために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

「愛」は自然な感情だ。子どもが自然に愛を表現し、受け入れることを許されて育つと、それ以上必要としなくなる。
だが、条件や制限をつけられ、規則やしきたり、儀式や制約によって歪められ、管理され、操られ、抑えられた愛は不自然になる。
抑圧されつづけた愛は「所有欲」になる。非常に不自然な感情だ。
人々は、所有欲のために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。

あなたがたは、生まれた時に与えられたその道具を使って、人生をうまく渡っていくべきなのだ。


Q:どうして、ひとは自然な感情を抑圧しているのですか?
A:
親にそう教えられたからだ。親はまた、その親に教えられたから。
つまり、間違った人間が子どもを育てているのさ。


Q:間違った人間って誰のことです?
A:
母親と父親。若い親ほど、子どもを育てるのに不適切な人間はいない。
親はまだ自身を発見していないのに、自分よりさらに傷つきやすい者を導き、発見の手引きをしようとする。

運が良ければ、子どもたちはそう大きな被害を受けずに、克服するだろう。
それでも、一部はさらにその子孫に伝わるだろう。
あなたがたは、子育てが終わってずっとたってから、素晴らしい親になるための智恵、忍耐、理解、愛を身につける。

育児期間が終わっているころに子育ては始まるべきだ。生まれて40、50年はまだ子どもなのだよ。

子どもをつくるのは、よく発達した強い身体をもつ若者の活動だ。
子どもを育てるのは、よく発達した強い精神をもつ年長者の活動だ。

セクシュアリティは9〜14歳で芽生える。
そこで大人たちは、家族、文化、宗教、社会、経済とあらゆる圧力やら制約、制限を編み出して、
子どもたちに対する不自然な要求を正当化してきた。

それであなたがたの社会はどうなるか。紛糾し、少なからぬ混乱に陥る。自然をばかにすると、必ずそういう結果になるんだよ。
あなたがたは性的な気まずさ、抑圧、恥ずかしさを生み出した。それが性的禁忌、機能不全、暴力につながる。


Q:人間の怒りの大きな部分は性に関連している、と言ったフロイトは正しかったわけですね。
A:
そういった精神医学の専門家はひとりだけじゃない。

「子どもをつくったら、育てる責任もひとりで負わなければならない」歪んだ考え方の発端はここにある。


Q:親に責任がないなら、誰にあるのですか?
A:
コミュニティ全体。とくに年長者だ。

進んだ種族の社会では、若い親は押し潰されそうな責任や負担を感じない。
性の抑圧、レイプ、異常性愛、社会的な性的機能不全もない。


Q:そんな社会が地球上にあるんですか?
A:
あるよ。あなたがたが彼らを滅ぼし、同化させようと図ってきた。野蛮だと考えてね。

あなたがたの社会のたくさんの問題の根にあるのは、配偶者も子どもも個人的な所有物で「自分のものだ」という考え方なのだよ。

若い時代は真実を教えるためではなく、採集するためにある。
自分がまだ採集できていない真実を、子どもたちに教えられると思うかね? できはなしない。
だから、自分が知っている真実だけを教えることになる。つまり、他者(父母、文化、宗教など)の真実だ。

最大の真実とは「固定した真実などはない」ということだ。

真実を、人生を知っているのは年長者だ。尊敬する年長者に子育てをゆだねなさい。
子どもが必要とすることは、コミュニティ全体が満たしてやればいい。
(年長者の中にも精神年齢が低い人が多いと思うけどなあ。その年長者だって“7代の罪”で育ってきたならなおさらのこと


あなたがたは互いから遠ざかってきた。家族を分裂させ、小さなコミュニティを解体して大都市をつくった。
だから実質的には、あなたがたには年長者がいない。もっと悪いことに、あなたがたは彼らを押しのけた。


Q:世代間闘争を予言する社会学者もいます。
A:
だが年長者が貢献しないとしたら、それはあなたがたが貢献させないからだ。
良い仕事ができるようになったころに退職させ、彼らの参加によって何らかの意義がもたらされるころに活動から退かせる。

社会が個人化し、若者化したために、あなたがたは豊かさや資源をたくさん失った。

真実は快くないことが多い。真実を無視するまいと思う者だけが、真実に慰められる。
そのとき、真実は快いだけでなく、インスピレーションのもとになる。


■2 男性が悪魔をつくり、神は男性だと決めた

A:
わたしは、「力」について、そして「強さ」について、この2つの違いについて語ろうと思う。
あなたがたが喜んで「神話」を「宇宙論」と換えられるようにしてあげよう。
あなたがたはあまりにも長く、自分が創り出した監獄の中で暮らしてきた。そろそろ自らを解き放つときだろう。

何世紀もの間、地球上の行動のルールは、「感情に浸るな」ということだった。
あなたがたは聖なる自己を閉じ込めてきた。もう、自分を自由にするときだ。
まず、あなたがたの社会が組みかえられた時代に戻ろう。
歴史の初期には、地球は「母系社会」だった。

「邪悪な者」の発明も、すべて母系社会と女性が感情ですべてを支配していた時代への男性の氾濫の一環だ。
男性は自分の存在を正当化しなければならなかった。
なにしろ、女性の卵を受精させる力と、重いものを動かす力以外には、ほとんど重要性がなかったからね。
コミュニティの決定に発言したり、一票を投じたりするまでにさらに数世紀かかった。
男性にはそういうことが理解できるほどの知性はないと、女性たちに思われていたんだよ。

数世紀が過ぎて、つぎに指導的地位を獲得したいと考えるようになった。


Q:いまもたいして変わっちゃいないさ、と言う男性はすごく多いと思いますよ。
  どちらのジェンダーも、自分のほうがわりの合わない仕事をし、相手は面白ろおかしく暮らしていると思ってるんです。
A:
人生でほんとうに大切なのは力ではなく強さだ。
なぜなら、内なる強さは「一体化」の中に存在するから。
別々でいると強さが消え、ひとは無力で弱いと感じる。そこで、権力を求めてあがく。

創造する力は「一体化」のなかにある内なる強さから生じる。

お互いから離れてばらばらでいることこそ、すべての機能不全と苦しみの原因なんだよ。
あなたがたは、ばらばらな個でいることが強さだという顔をしつづけている。
この偽りがすべての戦争の起源であり、戦争につながるすべての階級闘争の起源であり、すべての人種やジェンダー間の憎しみの起源であり、
すべての個人的な艱難辛苦の起源であり、艱難辛苦につながるすべての内なる闘いの起源でもある。
でも、あなたがたはその偽りにしがみついて放さない。

何事からも離れていないつもりで行動しなさい。


Q:男性は、部族の女性指導者から力をもぎとるために「悪魔」を発明したんですか?
A:
そうだ。彼らは「不安」を利用した。それが唯一のツールだったから。

穏やかな暮らし、肉体労働をして役立つところを見せ、セックスする日々は、男性にとってそう悪いものではなかった。
たから、力のない男性たちが、力を獲得しようとほかの男性たちを説得するのは容易ではなかった。不安を発見するまでは。
いちばん不満の大きい男性が撒いた種だ。いちばん「モテない」男性だね。腕力も魅力もなくて、女性たちに相手にされない男性だ。

最初は誰も信じなかった。女性たちは女神の肉体的なレプリカではないか?
社会全体が理解していたことがひとつあった「腐ったリンゴ」という理屈だ
女性でさえ、どうしても「ワル」になる子どもがいるのを経験上、知っていた。
手がつけられないのは、とくに男の子に多いことも。そこで、神話が創り出された。

女神が悪い子どもを産み、母と玉座を争うまでになり、永久追放になった。
不肖の息子は成長して、ときに偉大なる母になりすました。
この神話を聞いた男性たちは「では、女神がほんものとどうして分かるだろう?
この仕掛けで、ほかの男性たちを不安がらせ、反乱を起こさせた。

智恵や洞察、明晰さ、思いやり、計画、思考なら、女性のほうが勝っている。
しかし、荒々しい力が必要なら男性の出番ではないか?
社会は男性配偶者を霊的な神話の中の保護者として見るようになった。
なにしろ、女神を守らなければならない敵がいるというのだから。
男性の神が創造され、女神よりも神の役割のほうが大きくなった。神話の中に巨大な力を持ち、戦う神が出現した

神々の嫉妬が女神だけでなく、生きとし生けるものすべてに拡大した。
神々に反抗し、破れた者たちの物語ができはじめた。神々の怒りが生まれた。
劣る者に容赦なく、いいかげんな者を許さない神だ。
「力は正義」「力ある者が強者だ」という考え方は、男性が創り出した神話で生まれた。
あまり長く想像しつづけたので、実体をもちはじめた。あなたがたの一部はそれが真実だと思っているが、それは究極の真実とは何の関係もない。


もっとも神聖なる霊があなたがただけに与えられていると思ってもいけない。それは傲慢な間違った考え方だ。
わたしは自分の創造の力をあなたがたを通して知る。

それに気づく意識を授けた。こうしてあなたがたは「自意識」をもつようになった。

すでに選択は行われている。これから何になるか、何をするか、何をもつか、すべて済んだことだ。
そして、たったいま起こっていることだ。時などというものはないんだ

過去、現在、未来というのは、あなたがたが造り上げた概念、発明した現実だ。
「トータルな現実」を閉め出すために、あなたがたは視点という殻に閉じこもった。

自分が何者かを忘れることを目的としている。
そうすれば、自分が何者かをもう一度思い出し、創造できるから。

物質的な世界の生命が、あなたがたの目をくらませる。それでいいのだ。なぜなら、それこそとてつもない冒険だから!
より高いレベルでもう一度創り出そうとする。それこそが、神の最高の喜びだ。

あなたがたはそれを「性的なエネルギー」と呼ぶ。
そのエネルギーは身体の中にある円柱に沿って上昇し、やがて第三の眼と呼ぶ場所に達する。両目の間より少し上、額の内側だ。
「チャクラ」と呼ばれる道を通って、「思考によって引き上げる」。

あなたがたは低次元の身体に宿り、つぎに高次の意識へと進化する。すべての生命の神聖なるリズムだ。

「因果の輪」などは存在しない。
あなたがたの言う「因果の輪」は、西欧諸国の神学とそう変わらない。
どちらのパラダイムも、あなたがたは価値のない罪人で、霊的なレベルを上げるために罪を浄めなければならないとされている。

わたしが時々「プロセス」と呼ぶものだ。はじまりも終わりもないもの。
その道を通って、魂は永遠のなかで楽しい旅をする。

Q:ほんとうは、宇宙の車輪の上には「低次」も「高次」もないんだ。ハシゴじゃなくて車輪なんだから。
A:
俗っぽいものと深遠なものを混ぜ合わせ、すべてを一体として経験しなさい。
死の瞬間、あなたがたは生命を手放すのではなく、ただ、もっと高いレベルで楽しんでいるのに気づくだろう。
あなたは救済された。もう「死後」に何が起こるのかと心配する必要はない。


■3 思考をコントロールするには、視点を変えればいい

A:
「死んだ」ひとの多くは、自分が死んだとは信じられない。死を経験しないから。それどころか、自分を非常にいきいきと感じる。
魂は思考と同じスピードでどこにでも行ける。あらゆる場所のあらゆるところに、いっぺんに存在する。

つぎの生命の中で、魂は、この世でも覚えていたほうがよかったことを思い出す。
今と死後の唯一の違いは、結果を経験する速度だ。物質的な生命の世界では、思考と経験の間にズレがある。
それが、ものごとは自分が起こすのではなく、自分の身にふりかかるのだという幻想のもとだ。

時間という幻想の中で動いているからだ。
霊の領域ではそのズレはない。考えた途端に実現する。時間というパラメーターからも離れるためだよ。

思考のコントロールとは、最高のかたちの「祈り」だ。


Q:どうして、身体の中に宿っている時には、時間が存在するんですか?
A:
現在という視点に入り込んで、その視点で見るからだ。そうすると、ひとつの出来事を分解し、徹底的に探究し、検討できる。
あなたは1つ1つを眺めるために、自身をまさにバラバラに分解した。幸せのあまり「バラバラに」なったと言ってもいい。
それ以来、あなたはバラバラになった自分を拾い集めている。

時間という仕掛けを使って、自分を創造しつつ、もっと徹底的に見つめ、経験しようとした。
「ここ」から「あそこ」へと「時間」をかけて移動していたが、スピードがあまり速いので、岩自身は全然動いているように見えない。
だが、近寄って見れば、あなたをつくりあげているすべてが動いているのが分かるよ。

この真実を見つめていけば、神の大きな現実も分かってくるだろうし、全宇宙の秘密の鍵も見つかるだろう。すべては同じだということだ。
あなたがたが戻っていく大きな現実は、さらに大きな現実にとっては小さな現実でしかない。これはいつまでも続く。世界に終わりはない。

あなたも同じ。いつも、今の「あなた」だったのではない。別の何者かだった。
今日「ここ」にあなたが立派に存在しているが、じつは・・・「ふたたび別の何者か」になる。

大宇宙のレベルでは、岩と同時に岩の中の動きが見える。
原因と結果が同時に起こっている。「死」を迎えた時、魂はそのことを悟る。視点が変わるのだ。
死後には、理解に限界がなくなる。岩を見て、同時に岩の中を見られる。

思考をコントロールするには、視点を変えればいい。
経験を創造するには、「思考のコントロール」こそすべてだ。これをつねに祈ることだという人もいる。

だから、自分でイヤだと思う人生を嘆くのはやめなさい。かわりにその人生を変え、そんな人生にしている条件を変えることを考えなさい。
闇を見つめなさい。だが、呪わないこと。それより、闇に射す光になり、闇を変えなさい。

いちばん深い闇にいるヒトにも、その人自身を取り戻してやりなさい。


■4 何かを得られないと信じることは、望まないのと同じだ

A:
この本は奇跡的な方法で、最も必要としている人々に、最も必要な時に届いている。
そして、その人たちを、それぞれの時期に最もふさわしい智恵へと導く。みな、その人たち自身が呼び寄せているのだ。

あなたがたの経験は2つのエネルギーのいずれかによって創られる。コントロールのきかない考えか、集合的な意識か。

生命にはつねに3つの選択肢がある。
1.コントロールのきかない考えに「いま」を創造させる。
2.自分の創造的意識に「いま」を創造させる。
3.集合的な意識に「いま」を創造させる。

じつは、これが皮肉なところなんだよ。いまの人生では個々の認識に基づいて意識的に創造するのは難しいだろう。
だから、集合的な意識に屈服してしまう。
ところが、あなたがたが「来世」と呼ぶ世界に入った途端に集合的な意識に屈服するほうが難しくなる。
そこで、自分の認識にこだわりたくなる。

ほんとうは、低い意識にとりまかれている時に、自分の考えを大事にしたほうが身のためだし、
高い意識にとりまかれている時は、高い意識をもったヒトを探し求めるほうが賢い。

「来世」では、あっというまに高い意識をもった存在に囲まれる。
現実化(make real)するのは、自分のいちばん強い考え、情熱的に抱き続けてきた考えだ。


Q:自分で自分の現実を創りだすなら、地獄の業火も呪いも、それを信じる者には存在するんじゃありませんか?
  友人のバーネット・ベインが、まさに、そのとおりの映画を製作したんですよ。『奇蹟の輝き』(わたしも観て、思い出していた
A:
神が映画をつくるんだよ。『オー!ゴッド!』という映画を観たことがないのかね?(それも観たなw

Q:すると、あの映画は真実なんですか?
A:
神性に関しては、どんな映画も本も説明も、文字通りの真実ではない。

Q:じゃあ、この本はどうなんですか?
A:
あなたは自分というフィルターを通して、これを世に出している。

Q:この本を文字通りの真実だと受け取るヒトもいますからね。そういうのは、やめてもらいたいんです。
A:
「来世」で瞬時に理解できることがひとつある。経験は選べるということだ。来世ではたちまち結果が生じるからだ。

魂は、精神の最も強い示唆に応えて、経験を再創造する。

「唯一の偉大な真実」は存在する。だが、その現実とは関わりなく、いつもあなたがたの選択どおりになる。
身体をもっている今でも、離れた後でも、そうしたいと思った時に「ひとつであるもの」に戻り、個々の自分を捨てるだろう。
量子的飛躍(クオンタム・リーブ)によって視点が拡大される。突然、今は理解できないことがすべて理解できる。
「死」ののち、あなたは過去の問いの答えをすべて知るかもしれない。

宇宙は、あなたの最大の願いをかなえ、最大の欲求を満たしてやることしか知らない。毎日、毎時、宇宙はそれを実行している。


Q:神は遍在する、とわたしは思っています。
A:
そのとおりだ。
あなたがたはみんなそこにいる。だから望みさえすれば、ひとつの部分でも複数の部分でも経験できるし、どんな時でも選べる。

地球上でも、あなたがたはみな同じことを望んでいる。あなたがたは平和を望む、繁栄、喜び、満たされること、
自己を表現できて満足感を味わえる仕事、愛のある暮らし、健康な身体を望む。
これを偶然だと思うかな? そうじゃない。それが生命の働きだ。

さて、地球と霊の世界との違いは、1つしかない。
地球では同じことを望んでいるのに、達成する方法についてはバラバラな考え方をしている。
だから、同じものを求めて、てんでんばらばらな方向へ向かう。考え方が違うので、結果が違ってくる。

「ノー」という理由がない状態、これがわたしがつねにいる状態だ。

何かを得られないと信じることは、望まないのと同じだ。同じ結果を生むのだよ。

この種の信念は、獲得しようとしてできるものではない。それどころか、獲得しようとすれば、かえってできない。
単純に、あるかないかだけだ。

地球には高い考えを実践しているヒトがたくさんいる。
その中には、物質を出現させたり消したり、自身を出現させたり消したり、ひとつの身体で「永遠に生き」たり、
同じ体に戻ってもう一度生きることまで含まれる。

自分が選ぶものを、ヒトに与えなさい。ヒトがそうなるのを助けなさい。
誰かに、あなたはすでにそうなっていると語りなさい。彼らをたたえなさい。敬意を表しなさい。

人生、生命は未来にあるのであって、過去にはない。未来にこそ真実があるのであって、過去にはない。

あなたには価値がある。誰にでも価値があるように。価値がないというのは、人類に浴びせられた最悪の非難だ。
(最近よく言われる「使えない」て、言葉も同じだな。悲しい流行語だと思う

あなたがたはみな、自分が傷つけられ、被害を受け、破壊されることがありうるし、そうされてきたと信じている。
被害を受けたと思うから、復讐しないではいられなくなる。
じつはヒトを傷つけて苦痛を与える者は誰でも、自分は正当だと考えている。

あなたは彼らの価値観を「間違っている」と云う。だが、あなたの価値観が「正しい」と云うのは一体誰だろう? あなただけだ。
あなたの価値観は、あなたが「正しい」と言うから正しい。その言葉を守れば、多少は筋が通るかもしれないが、
あなた自身、何が「正しい」か、「間違っている」か、考え方を始終変えている。個人でも社会でも同じことだ。

何が「間違っている」か考え方が変化することは問題ではない。
変わるべきなのだ。そうでなければ成長しない。変化は進化の産物だからね。
問題は、「誰もがそれに従うべきだ」としつこく考えつづけることだ。

あなたの考え方を押しつけてはいけない。それに、現在の信念や習慣に「しがみつき」、進歩のプロセスを阻んでもいけない。
同じところにとどまるものは何もないし、変わらないものもない。変わらないとは、死ぬことだ。
最も深い真実を変化させなさい。ほんとうの自分について新しい考え方をするから成長する。

だから開かれていなさい。「オープン」でいなさい。古い真実が心地よいからといって、新しい真実の可能性を閉め出してはいけない。
心地よさのゾーンが終わるところから、人生が始まる。

あなたがた全員が進化という経験の中を進んでいる。

つづく・・・


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