■『バスター・キートン』(リブロポート)
飯村隆彦/訳
原題:Keaton, the man who wouldn't lie down(1979) by Thomas A Dardis
※1995.7~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
【内容抜粋メモ】
キネマ旬報の『世界映画人名事典~男優編』でキートンの伝記があると知って探していたら、
池袋東武でやっと見つけて、300ページほどの本作をあれよあれよという間に読んでしまった。
映画に出会ったのは南浦和図書館、スラップスティック・コメディの可笑しさ、
信じがたい人間離れしたスタントなしのアクション、そこはかとない表情、フシギな雰囲気、
きっと伝記も面白いだろうという期待、それ以上の満足を得て、ますます興味が尽きない。
“ザ・スリーキートンズ”ヴォードヴィル時代
よちよち歩きの赤ん坊が舞台に出て、拍手喝采を浴びてから、
父親の厳しい特訓であのstone faceを身につける。
しかし、成長するにつれ、父とのアクロバット的芸のやりとりが難しくなり、
動く絵「moving picture」(映画)の登場でヴォードヴィルは衰退。
太っちょコメディアン、ロスコー・アーバックルに誘われて映画界入り
その後もずっと温かく見守り続けてくれたジョゼフ・M・スケンクのもと、
自分のアイデアで限りない製作費を投資して、自らの体で演じるサイレント黄金時代、
ノーマ、コンスタンス、ナタリー・タルマッジ姉妹との出会いでナタリーと結婚、
2人の息子をもうけたが、夫婦間は冷めてゆく。
7~8度の結婚でも一人も子をもうけなかった2人の姉が、バスターの2人の男の子に寄せ続けた愛情と
ナタリーとバスターの仲を引き裂いたことの間には微妙な心情が感じられる。
家族のために建てた豪邸イタリア荘からも遠ざかり、若い女優らと付き合い始める。
アーバックルの女友だちが引き起こした暴行殺人事件疑惑
人気スターがいとも簡単に転落させられてしまうという事実、そしてサウンド映画の幕開け。
次々と失敗した作品(大衆の支持を得られず、興行収入が赤字となった)、
すでに現れ始めたアルコール依存症状とで、バスターはスケンクのもとから離れてMGMに雇われる。
長い長い低迷期
最初の『カメラマン』『結婚狂』は成功したものの、ただの雇われ人であり、
製作者として扱われなくなったバスターは、もどかしい日々を送る。
私生活ではナタリーと離婚、すべてを失い、記憶を失うほどのアルコール依存症の中、再婚したメイ。
MGMスタジオ内の彼専用のバンガロー「犬小屋」も撤去され、仕事を休みがちだったことからついに解雇される。
エデュケーショナル社に雇われる
かつては週給3000ドルの収入が200ドルになっても未払いの請求書、
自分の家族、タルマッジ家、弟ハリーの家族の分までの生活費のために、
あらゆる映画への共演、脚本、テレビ出演する中、3度目の妻エレノア(20歳年下)と
やっと落ち着いた結婚生活に入る。
パリでの舞台の成功と、彼の才能と、過去の作品の価値の再発見により復活。
そして肺がんによる穏やかな死。
悲劇的な人生は、時に人を惹きつけるけれど、バスターは
「いろいろな事があって、おもしろい人生だった」と語った言葉には安心した。
(私もそう言える人生のほうがいいな
生まれながらの芸人、人生そのものがそっくりそのまま芸能生活で、
私生活まですべてがいわゆる“ON(仕事中)”の状態だったバスターにとっては、
自分の人生そのものも舞台劇のように映っていたのかもしれない。
映画の歴史とともに歩んだ映画人そのものの人で、伝記を読むと、
“動く絵”がどのように開花し、模索し、この先どうすればいいのか、
映画という人の心をつかんで離さないメディアの本質は一体何なのか、
今、現在も分からずにいることが見えてくる。
本作を読み終えた後、ぜひもう一度、彼がその人生を歩き始めた輝ける第一歩のところに戻りたいと強く感じた。
彼が70歳過ぎても、昨日のように思い描いた“ザ・スリーキートンズ”時代、サイレント黄金期。
それらの情報の少ない今日からは想像もつかないくらい素晴らしい時代だったに違いない。
他にも本書のラストにあるバスターに関する訳書、本文の中にあった自身口述による自伝、
まだまだたくさんある未鑑賞作品(これらは日本で鑑賞可能だろうか???)、
その他、ロイド、チャーリー、そしてキートンとは残念ながら肌が合わなかったという
マルクス・ブラザースの伝記も含めて、できる限り喜劇王らの知識を深めたい。
飯村隆彦/訳
原題:Keaton, the man who wouldn't lie down(1979) by Thomas A Dardis
※1995.7~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
【内容抜粋メモ】
キネマ旬報の『世界映画人名事典~男優編』でキートンの伝記があると知って探していたら、
池袋東武でやっと見つけて、300ページほどの本作をあれよあれよという間に読んでしまった。
映画に出会ったのは南浦和図書館、スラップスティック・コメディの可笑しさ、
信じがたい人間離れしたスタントなしのアクション、そこはかとない表情、フシギな雰囲気、
きっと伝記も面白いだろうという期待、それ以上の満足を得て、ますます興味が尽きない。
“ザ・スリーキートンズ”ヴォードヴィル時代
よちよち歩きの赤ん坊が舞台に出て、拍手喝采を浴びてから、
父親の厳しい特訓であのstone faceを身につける。
しかし、成長するにつれ、父とのアクロバット的芸のやりとりが難しくなり、
動く絵「moving picture」(映画)の登場でヴォードヴィルは衰退。
太っちょコメディアン、ロスコー・アーバックルに誘われて映画界入り
その後もずっと温かく見守り続けてくれたジョゼフ・M・スケンクのもと、
自分のアイデアで限りない製作費を投資して、自らの体で演じるサイレント黄金時代、
ノーマ、コンスタンス、ナタリー・タルマッジ姉妹との出会いでナタリーと結婚、
2人の息子をもうけたが、夫婦間は冷めてゆく。
7~8度の結婚でも一人も子をもうけなかった2人の姉が、バスターの2人の男の子に寄せ続けた愛情と
ナタリーとバスターの仲を引き裂いたことの間には微妙な心情が感じられる。
家族のために建てた豪邸イタリア荘からも遠ざかり、若い女優らと付き合い始める。
アーバックルの女友だちが引き起こした暴行殺人事件疑惑
人気スターがいとも簡単に転落させられてしまうという事実、そしてサウンド映画の幕開け。
次々と失敗した作品(大衆の支持を得られず、興行収入が赤字となった)、
すでに現れ始めたアルコール依存症状とで、バスターはスケンクのもとから離れてMGMに雇われる。
長い長い低迷期
最初の『カメラマン』『結婚狂』は成功したものの、ただの雇われ人であり、
製作者として扱われなくなったバスターは、もどかしい日々を送る。
私生活ではナタリーと離婚、すべてを失い、記憶を失うほどのアルコール依存症の中、再婚したメイ。
MGMスタジオ内の彼専用のバンガロー「犬小屋」も撤去され、仕事を休みがちだったことからついに解雇される。
エデュケーショナル社に雇われる
かつては週給3000ドルの収入が200ドルになっても未払いの請求書、
自分の家族、タルマッジ家、弟ハリーの家族の分までの生活費のために、
あらゆる映画への共演、脚本、テレビ出演する中、3度目の妻エレノア(20歳年下)と
やっと落ち着いた結婚生活に入る。
パリでの舞台の成功と、彼の才能と、過去の作品の価値の再発見により復活。
そして肺がんによる穏やかな死。
悲劇的な人生は、時に人を惹きつけるけれど、バスターは
「いろいろな事があって、おもしろい人生だった」と語った言葉には安心した。
(私もそう言える人生のほうがいいな
生まれながらの芸人、人生そのものがそっくりそのまま芸能生活で、
私生活まですべてがいわゆる“ON(仕事中)”の状態だったバスターにとっては、
自分の人生そのものも舞台劇のように映っていたのかもしれない。
映画の歴史とともに歩んだ映画人そのものの人で、伝記を読むと、
“動く絵”がどのように開花し、模索し、この先どうすればいいのか、
映画という人の心をつかんで離さないメディアの本質は一体何なのか、
今、現在も分からずにいることが見えてくる。
本作を読み終えた後、ぜひもう一度、彼がその人生を歩き始めた輝ける第一歩のところに戻りたいと強く感じた。
彼が70歳過ぎても、昨日のように思い描いた“ザ・スリーキートンズ”時代、サイレント黄金期。
それらの情報の少ない今日からは想像もつかないくらい素晴らしい時代だったに違いない。
他にも本書のラストにあるバスターに関する訳書、本文の中にあった自身口述による自伝、
まだまだたくさんある未鑑賞作品(これらは日本で鑑賞可能だろうか???)、
その他、ロイド、チャーリー、そしてキートンとは残念ながら肌が合わなかったという
マルクス・ブラザースの伝記も含めて、できる限り喜劇王らの知識を深めたい。