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『サン=テグジュペリ 大空をかけぬけた「星の王子さま」の作家』(小学館)

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『小学館版学習まんが人物館 サン=テグジュペリ 大空をかけぬけた「星の王子さま」の作家』(小学館)
鈴木一郎/監修

小さい頃から随分とお世話になった「学習まんが人物館」シリーズは今も健在なんだなあ!嬉

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古い型の飛行機がたくさん出てくるから、きっと宮崎駿さんも好きな世界だよなあ


【内容抜粋メモ】

1900.6.29 フランス リヨン 伯爵家の3番目、初めての男児として生まれる。

1903 アメリカのライト兄弟が飛行機を発明

4歳の時、父が急死し、春~秋は大叔母トリコー伯爵夫人の家で過ごした。
 
「サン=モーリス・ド・レマン」と呼ばれた屋敷は大きな城だった/母マリーに甘える子どもだったテグジュペリ

弟らとともに、庭のはずれから雨に濡れずに屋敷まで走りきれたら「アクランの騎士」になれるという遊びをする。


左から姉マドレーヌ、妹ガブリエル、弟フランソワ、テグジュペリ、姉シモーヌ

1909 フランス人のルイ・ブレリオが初めて英仏海峡の横断に成功

1910 ファーブルが水上から飛び立てる飛行機を初めて制作する。


1912 フランス アンベリュー飛行場 12歳のテグジュペリは、ガブリエル・ウロブレウスキー飛行士の操縦で初めて空を飛んだ。
当時、飛行士は、いつ墜落死するか分からないため、「死刑囚」と呼ばれていた。

 
上の段右から2番目がテグジュペリ

13歳で『ある帽子のオデュセイア』という物語を書く。

1914~1918 第一次世界大戦

1917 弟フランンワが夭逝する

テグジュペリは、海軍兵学校受験のためパリに行く。親戚が陸軍より海軍のほうが死ぬ確率が低いだろうと言ったため。

テグジュペリが通う高校の教頭、シュドゥール神父は「従軍僧」(戦死者に祈ったり、戦場でミサを開く)をしていた。


従妹のイヴォンヌ・ド・レトランジェは、テグジュペリの文才を早くから見抜いていた。


1919 テグジュペリの住む城のそばに飛行学校ができ、毎日のように通う。入試試験に失敗し、パリ美術専門学校に入学(!

1921 航空隊に入るが、飛行士資格がないため地上勤務となる
民間航空の飛行士資格をとれば軍用飛行機に乗れるが、大金が必要なため、母に資金を助けてもらう。

テグジュペリは、母にたくさんの手紙を書いていた


1922 パリ・ブールジェの航空隊に入る

飛行連隊では、無茶な操縦をすると有名だった


1923 墜落事故で頭蓋骨骨折の重傷を負う

1924 自動車会社に勤務(恋人のルイーズとモメて、飛行士を辞めたが破局したため

アメリカのダグラス社は、初めて世界一周飛行に成功「ダグラス・ワールド・クルーザー号」


1922 『ジャックベルニスの脱出』(飛行士が主人公)をイヴォンヌが知人の小説家に紹介し、『飛行士』として出版された。
息子が空への夢を諦めていないことを知り、母は神父に相談。
神父は、航空会社「ラテコエール社」(飛行機で手紙などを運ぶ)を紹介する。

アンリ・ギヨメはラテコエール社のもっとも優秀な飛行士のひとり


ギヨメはテグジュペリに飛行技術を教える。
高度を下げると、ヒツジの群れが飛行機を壊してしまうこと、
アラブ人は鉄砲で飛行機を撃ち落し、よくて人質、悪くて殺されることがあること、など。

1927 北アフリカスペイン領 キャップ・ジュピー飛行場長となる


これまでフランスから北アフリカまで1週間かかっていた郵便は、飛行機のおかげで20時間で着くようになる
テグジュペリの主な仕事は、飛行場の管理、不時着した時に助けること。

アラブ人の子どもたちや、フランスを敵視しているスペイン軍兵とも仲良くなる


エンジン不調の時も絵を描いたりしていて、変わり者と思われていた
ここで『南方郵便機』を書く。砂漠で隕石を見つける。

同年、リンドバーグが北大西洋横断飛行に成功する。

1929 フランスに帰国。『南方郵便機』を出版し賛否両論となる。10月にアルゼンチンに赴任

1930 南アメリカ アンデス山脈でギヨメが不時着。雪山で行方不明となる
テグジュペリは密輸業者や軍と交渉するが断られる
7日後、ギヨメが発見される

ギヨメが言った「断言してもいい、オレのやったことは、人間以外のどんな動物にもできない」という言葉は後に作品内に使われる


同年、同僚のメルモーズが南大西洋の無着陸飛行に成功し、フランスから南アメリカへの路線が完成する。

1931 コンスエロと結婚。『夜間飛行』は大評判となるが、夫婦仲はうまくいかなかった
勤めていた郵便飛行会社が破産。
2人の借金がかさみ、税務署に家具を差し押さえられ、雑誌に記事を書いたり、映画のシナリオを書いてしのぐ

1935 パリとサイゴン間を99時間以内に飛べば賞金5万ドルがもらえるという「賞金飛行」の記事を読み挑戦する
相方のプレヴォとともに砂漠に不時着。東に向かってあてもなく歩き、砂漠の真ん中でも生きていけるフェネック(キツネ)に会う。
リビア砂漠を180kmさまよい、ラクダに乗った男性に助けられる。

1936 ドイツでナチスの取材旅行をする

1937 日本の「神風号」が東京→ロンドン間の最短飛行時間記録をつくる

1939 『人間の大地』がアカデミー・フランセーズ大賞を受賞。3ヶ月後、英語版『風と砂と星と』が出版されベストセラーになる。
『人間の大地』でもギヨメ(右)との友情がうかがえる。この時、テグジュペリは妻と別居中。

コンスエロとの仲は悪かったが、「妻になにかあったら、けして自分だけでは生きてゆけないだろう」と語っていた



第二次世界大戦勃発。
テグジュペリはトゥールーズ偵察飛行大隊基地の偵察隊に配属される。
はじめは教官を命じられたが、空を飛びたい、戦争から逃げたくはないが、人殺しはしたくないため。

近代的兵器を揃えたドイツ軍に、フランス軍は後退を重ねる。
テグジュペリは、3週間で23組中、17組のクルーを失う。

1940 フランスはドイツに降伏。
12月、テグジュペリは「動員解除」(軍人でない人が戦争に行き、終戦とともに元の職業に戻されること)を受け、
アメリカに呼ばれ、『戦う操縦士』を書き、1942年に出版し、ベストセラーになる。

ギヨメは、地中海上空を飛行中に行方不明となる。
友人の編集者から童話を書くよう勧められる

1941 ドイツで世界初のジェットエンジン戦闘機が開発される「メッサーシュミットMe262」


1942 ドイツ軍にフランスは全面占領される

1943 『ある人質への手紙』を出版。『星の王子さま』が生まれる。43歳

北アフリカ アルジェ 偵察飛行大隊はアメリカ軍に指揮され、最新の軍用機にテグジュペリは手こずる。
2度目の出撃で着地に失敗し、飛行停止処分を受けるが、説得して、あと5回飛ぶという条件をとりつける。

「P38ライトニング」
時速650km、機銃の代わりに高性能カメラを搭載、1万mの高空から写真偵察を行う、当時の最新鋭機。
操縦の年齢上限は30歳までだが、粘り強く交渉し、搭乗許可を得た。

1944.7.31 約束を超えて7回目の飛行で、コルシカ島から出撃し、テグジュペリは帰らぬ人となる

奇しくもサン・モーリス城のある地域の偵察で、パリがドイツ軍から解放されるわずか1月前のことだった

50フラン紙幣




【解説:空を目指した行動する作家 フランス文学研究家 鈴木一郎 内容抜粋メモ】

『星の王子さま』の、飛行士と王子さまは、2人とも作者の分身だった。

キツネ「かかわりができた相手には、いつまでも責任があるのさ」

この言葉で、王子さまは、バラ(妻)への愛と、彼女を置き去りにしてきた軽率さに気づく。
たった4本のトゲでトラを撃退してみせると言うバラには、当時、ろくな軍備もなしにドイツ軍に向かうフランスのことでもある。



【空を飛ぶことに憧れた人たち 内容抜粋メモ】

モンゴルフィエ兄弟~人類初の空の旅を成功させたフランス人
製紙業者の2人は、煙が空をのぼる様子を見て、気球を思いつき、1783年、人類は初めて空を飛んだ。

リリエンタール~グライダーで飛んだドイツ人技術者
鳥を参考に実験を繰り返し、1893年飛行に成功。実験中、背骨を追って急逝。

二宮忠八~ゴム動力飛行機の発明者
1889年、カラスを見て、模型飛行機を作る。何度も軍にすすめたが無視された。
1903年、ライト兄弟が造った飛行機とまったく同じものだった。

リンドバーグ~大西洋無着陸飛行に成功したアメリカ人飛行士
「翼よ、あれがパリの灯だ!」というセリフで有名。映画のリンクはこちら。
1927年、NY→パリ間の無着陸飛行に成功。その後、フランスでは人工心臓の開発に協力。

ツェッペリン~ドイツの飛行船の発明者
第1号完成は1900年。長さ128m、直径12m、62歳のツェッペリンが自ら乗った。
1910~1914、3万5000人の乗客を乗せた。
1929年に、世界初、世界一周に成功。日本にも寄った。
1937年「ヒンデンブルク号」が着陸に失敗し燃え上がる大事故があってから、水素ガスから燃えにくいヘリウムガスに変わった。

及位ヤエ~日本人女性で、空への道をきりひらいたパイロット
父の大反対を押しきり、結婚資金を使って、船橋の第一航空学校に入学。二等操縦士の資格をとる。
後に、アメリカ大陸横断レースに参加。第一航空学校の教師となり、日本婦人航空協会をつくり、後輩を育てた。
(まだまだいるねえ、朝ドラになりそうな元気な日本人女性!

チャック・イェーガー~世界初、音速の壁を破ったパイロット
第二次世界大戦後、テストパイロット(新しい飛行機を試す)となり、「音の壁」を破る計画に選ばれる。
1947年、人類初、音速(音波の伝わる速さ。空気中では摂氏0度で秒速331m)を超える速度で飛んだ。
映画『ライト・スタッフ』で登場している(あれ!? エド・ハリスが出演してるから観てるはずなのにブログでヒットしない

フォン・ブラウン~「ロケットの父」と呼ばれるアメリカの技術者
V2号ロケットは第二次世界大戦中、兵器として使われた。戦後、アメリカに渡り、NASAに勤務。
1961年「アポロ計画」の中心人物となる。「サターン5型」ロケットを完成、
1969年、人類を初めて月に送った
映画『アポロ13』(1995)






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