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本橋成一写真集『上野駅の幕間』(現代書館)

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本橋成一写真集『上野駅の幕間』(現代書館)
本橋成一/著 

「作家別」カテゴリーに追加しました。

私も修学旅行の時、上野駅で乗り換えただろうか?

構内をマジマジと見たことがなかったが(他の駅もだけど)
なかなかいい造りなんだ。これも建て直した後?
相変わらず、複雑で、天井の低い、古い駅ってイメージがあるけれども

みんなホームにフツーに新聞紙を敷いて、お弁当を広げたり、
電車が来るまで酒を飲んで宴会したりしてたってw
今なら「マナーが悪い」とすぐ叩かれる外国人客みたいなものだろう

茅ヶ崎にいた頃は、上野から長野まで特急「あさま」で4時間かかった
アパートに帰る時は、車窓から見える山々が消え、急に平地になって
街並みに変わっていく様子を見ていたことを思い出す

その後、高速バスのほうが半額で済むと教えてもらって、ずっとバスを使っていたけど

本書も初版ではなく、新版なのが惜しい
その代わり、その後、追加された文章などがある


【内容抜粋メモ】

●本橋成一の記録の世界 土本典昭(記録映画作家)
上野駅は1983年でちょうど百年を迎えるという。

駅を住処とする人たちは、お正月が過ぎると「今年はいつ桜が咲くかねえ」と心待ちにする
ふだん冷ややかな目つきで通り過ぎる人たちも、上野の花見の季節には、
かれら(浮浪者)の呑み歩きを許してくれる

「面白がって撮ったものは絶対に面白い」という話がある
本橋成一の写真は、短いドラマを活写した良い掌編小説を読む心地がする

『炭鉱』を撮った彼なら、行革の矢面にあり、断崖に立たされている国鉄の崩壊をテーマにすることもできたが
彼は、駅と1人ひとりの関係性のみに焦点を絞ってみせた

上野駅のキイワードは“みちのく”だ
本橋は「上野発の夜行列車降りた時から・・・」と口ずさみながら、様々な人に触れていく

『炭鉱』のあとがきに重森弘淹氏は「彼のような愚直な写真家はもういない」と15年前に評している

ただ、師とする人に上野英信氏があったと思う
たとえば、画家・富山妙子さんは氏を訪ねて以来、10年ボタ山と炭住の人々を描いた
私が本橋氏と知り合ったのも妙子さんの「しばられた手の祈り」だった

写真家・宮松宏至氏は、ブラジル流民(元炭鉱夫)の追跡に同行し、
その後、カナダの水銀汚染に病むインディアン居留地に10年近く住みついた

本橋氏は「僕の作品はカメラ雑誌に一度も縁がなかった」と言うのを聞いて首をひねったが
長丁場の彼には“マンスリー”の仕事のサイクルにはまらないと納得した

今回、彼の写真集の構成を頼まれ、編集上の“変化値”にあたるショットのないのに気づいた
映画のような時間芸術での空間表現と象徴化には、必ず
「大ロング・ロング・中景・フルショット・アップ・超アップ」というサイズの常道がある
だが並べてみると、そうしたモンタージュは不必要な質の写真群だった



駅はどこも急速に変わっている
自動化、人減らし、合理化、スト、乗客暴動などで駅舎の防砦化、
管理色のきわだつ東京駅、デパートの一部に組み込まれた新宿駅

上野駅にはまだ広場の趣が残っている。これは、本橋氏の見た広場の記録だ

この取材の終わり近く、上野駅もガラリと変わった
東北・上越新幹線の開通で大宮駅始発となり、駅での旅客の滞留時間が短くなったという

「やっと上野駅の終焉に間に合った」と私は思う

明治39年、私鉄だった日本鉄道会社が国有鉄道となり、
駅舎、清掃、手荷物扱い、案内係、遺失物取り扱いまで駅員からもぎとられるように民間委託となった

出札でのやりとりは安心感の受け渡しだったはずが、ロボット、自動販売機に代わる
札幌-東京間の旅客の95%はすでに航空便に移り、
営業と運転だけの時代はすでに来ている

だが、合理主義をつきつめた直線の空間に人々が疲れ果て、
再び曲線とダブダブの余地を懐かしむ人間本来の性を捉えなおす時があれば、この写真集の人の顔を見てほしい



●あとがき 本橋成一
60近いおじさんは、売店のおねえさんに、
“これから青森まで帰るのに、このワンカップ2本を飲んで寝てしまうのが一番だ”と繰り返し喋っている

「あのひと、月に一度は同じ話して、同じ買い物していくのよねえ」

どこから見ても郷里に帰るという感じではなかった。


職安の出張所前で、恐そうな手配師のおにいさんが、郷里に帰る出稼ぎのおじさんを改札まで見送って
「ご苦労さんだったね、気をつけて、今度来る時は、少し若いの連れておいでよ」

たとえ日給を何割かピンハネされようが、東京で一番安心できる上野駅のおにいさんなのだ。


上野駅には、もう何十年も昔から独特のイメージがつくられてきた
啄木の“故郷の訛なつかし停車場の”を思い浮かべる
この駅の居心地のよさが、たまらなく好きになってしまうのだ

猪熊弦一郎の大壁画があんなに埃だらけになっていても、ちゃんと生きている駅

継ぎ足し、継ぎ足しの建物で実にムダの多い建物だ
それがこの駅舎の利用者にとって、大変な居心地のよさを与えている

そこが同じ時代に建てられた東京駅との違いかもしれない
それ以上に居心地の悪い新宿駅のような、次々に建てられるステーションビル
僕は、ここを行き交う人が、居心地のよさを作りだしているように思える


「指導板」


正面改札の真上に吊り下げられている列車案内板。
各線ごとに色分けされ、行き先、発車時刻などが示され、出発すると取り外される
東京駅、新宿駅ではとっくに廃止され、1977年に上野駅でも電動式の話が出たが
出札業務が案内係に変わるほど混乱することが分かって取りやめたそうだ


東京のあちこちに、いろいろな広場がつくられた
だがその1つでも、居心地よく過ごせる場所があるだろうか
誰かの視線を気にせず、新聞紙を敷いて弁当を広げられるだろうか



●一職員の眼で綴った「わたしの上野駅百年」 中田清(上野駅 元庶務掛)
とても詳しく書いてあって興味深いけれども、読む前に返却期間がきてしまった
他館予約は延長ができなくて、また同じ分厚い本を他館から取り寄せ直してもらうのもご迷惑な気がして・・・


●新装班によせて 本橋成一
故土本典昭の構成で現代書館から刊行され、あれから30年の歳月が経ち、本書は、土本氏の構成案に基づきながら、
伊勢功治氏の手により一部写真を差し替え、再構成、レイアウト、造本を一新し、
中田清氏による年表を補足訂正して掲載した

残念ながら、たった30年で私の想いは裏切られてしまったようです。
いま、上野駅の名標の横には商業施設の看板が設置され、“商業主義”いっぱいの駅舎に変身しています。

長い間、上野駅を拠点としていたヤスさんやユタカさんたちは、もう居ないでしょう




(写真集には、各章ごとに本橋氏の文章が添えられている

「人を待つ駅」
この駅には、もうとっくに通用しないはずの“時間”が残っている
そして、そこから多くの人びとの幕間が生まれる




「連れたちの駅」



「駅、その住処」
上野駅を長い間拠点としているヤスさんは、新宿駅が改装された時、仲間のユタカさんと行ってみたが
その日のうちに上野駅に戻ってきた

「あすこは居心地悪いねぇ。あれじゃあ、すぐ病気になっちまうよ」


「折々の駅」
あるテレビ局のインタビューを受けていたIさん

「孫の土産持っとれば、毎年カメラ向けられるよ。
 米が不作だったこと、病気がちのバアさんのこと、
 早く帰って孫の顔を見たいことを話せば、だいたい喜んでもらえるわ」



 
昔からいたのね


「駅のひと」
上野駅から転勤した主に助役さんたちは、“お礼参り”と称して、盆暮れの多客時期に休暇をとって手伝いにくる
定年を迎える職員さんは、大会議室(今はない)で送別会が催されるのも上野駅だけ

清掃のEさんの話


「昼間と夜行だと、ゴミの中身は全然違う
 あたしら残っているゴミで、そこに坐ってたのが男か女か若いのか年寄りかすぐ分かる
 アベックは意外と始末がいい。一番始末が悪いのは子連れね」


コンコースのはずれにある靴磨きコーナーは、夜7時に閉店する
すると、闇の磨き屋が4、5人営業を始める。全員聾唖者だ
たまに「取り締まれ」との声もあるが、
「磨き代も昼間とほぼ同じだし、常連さんもいるし、たまに注意するけど」と駅職員さんたちは口をにごす



 
手書きなんだ/驚×5000


「駅の記憶」


迷子



「駅、その幕間」
奥羽回り、青森行急行「津軽」は、年配の帰省客に人気がある
急行が特急だった時代は、朝華々しく郷里に到着するため、別名「出世列車」と呼ばれていたという

上野松坂屋の靴売場では、毎年、暮れの帰省シーズンには、買い替えた時に、使い古した靴を何十足も預かる
出稼ぎの人たちが、正月明けに出てきた時、受け取りにくる

駅には靴やカバンが捨てられている
上野駅で新しい靴に履き替え、新しいカバンに詰め替えて乗り込む
列車がもう晴れの郷里なのだ


“若い2人のホームの別れを見ていると、その関係がどうなっているのかすぐ分かる”w







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