ネットで♪カスバの女 の藤圭子ver.を聴いたら、ハスキー声が大好きな私はノックアウトされて、
ベスト盤と、2枚ばかり借りてみたv
●新宿の女/藤圭子
ジャケもライナーも、広げると圭子さんの全身が見れるつくりになってるのが何気に斬新
♪星の流れに も好きな昭和曲
♪生命ぎりぎり とか、タイトルもいちいち命賭けてる感じが出てる
【ライナー抜粋メモ~浅井英雄】
9歳の頃から浪曲師の父母とともにドサ廻りをして生活した(“芸能”と言ってほしいねえ
母は苦難の生活が災いして盲目になり、中学を出た圭子は、母と上京し、“流し”をするようになった
たぶん日本で唯一の“少女流し”(今じゃストリートか
そこから彼女は、歌心、演歌の心を掴んだ
人から“演歌の星”“宿命の少女”と呼ばれ、“稀にみる大型歌手”となった
彼女には苦難の半生の暗さはない。明るく、のびのびとした、純粋な母思いの17才
デビュー曲♪新宿の女 は大ヒット、スター街道を驀進する
華奢な体を黒のベルベットに包み、白いギターを抱え、夜の東京の盛り場を25時間ぶっ通しに“流し”た小柄な少女
少し前までは、阿部純子という巷の歌手だった
盲目の母の手をひいて、店先、路地から路地へ、酔客相手に歌っていた
●ゴールデン☆ベスト 藤圭子ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌/藤圭子(2枚組)
Disc1がピンク色で、Disc2が紫色って、もう夜の女の雰囲気出てる感じ
私は演歌は嫌いだけれども、“艶歌と縁歌”だもんね
作詞作曲者名も錚々たる顔ぶれ
♪女のブルース て曲名で分かるとおり、全曲が女のブルースって凄まじい
ライナーには曲解説が書いてある。以下抜粋メモ:
デビュー曲♪新宿の女 は、スポーツ紙→有線→ラジオと火がついた
いわゆる音楽プロモーションの基本の流れ
♪女のブルース でスターへの階段を駆け上がった
♪圭子の夢は夜ひらく
安保闘争の時代に幅広く受け入れられた、1970年を象徴する大ヒット曲
ブームの裏づけとして、1970年だけで映画に4回出演した。
Disc2はカバー集だった。
♪アカシヤの雨がやむ時 は戸川純ちゃんもカバーしてるけれども、ここには西田佐和子とある
元ネタの歌手陣も錚々たる顔ぶれ
♪網走番外地 は、健さんが歌っていたの!?驚
ジャケ写は、『明星』(1970年7月号)別冊歌本『Young Song』(第1号)の表紙に使われたもの
【ライナー抜粋メモ~「今も変わらない、圧倒的な存在感と輝き」元RCAレコード 担当ディレクター 榎本襄】
「子どもが麻雀をやってる」
最初に圭子に会ったのは、石坂まさをさんの自宅で、デビュー1年前くらい
ショートパンツであぐらをかいて麻雀をやってるのを見て驚いた
“流しをやっている”と言われて歌ったのが♪カスバの女、♪東京流れもの
これはすごいと直感。ディレクターになったばかりの僕はどうしても担当させてほしいと熱い思いをぶつけた
すでにコロムビアからデビューが決まっていて難しい状況の中、
業界でカポネと言われていた永野恒夫さんがボスだったことも幸いし、
周りを説得行脚、土下座までして、RCAからデビューさせた
「ブラック&シルバー」
“演歌の星を背負った宿命の少女”というキャッチコピーを作り、
黒のベルベット、シルバーのギターというファッションで売り出そうと決めた
“ブラック&シルバー”は親会社ビクターのAV機器のイメージカラーだった
でも実際はシルバーのギターはなく、白いギターに銀色の塗料を塗ったから、衣装について大変だった
「この子はすごい」
デビュー時にレコード店200の店頭に等身大パネルが立ったのは新人としては異例
人前で歌うといつの間にはみんな彼女の歌に聴き入っていた
ポリープができて、手術してから声質が変わり、ドスから美声に変化した(大体ポリープやるのね
内沼映二という有名なレコーディングエンジニアが「この子はすごい」と言った
ダイナミックレンジが普通の歌手より広いという
「新宿の女」
デビュー前にある程度曲ができていたが、どう売り出すか?
選んだのは一番地味な♪新宿の女
これは五木寛之さんの小説『艶歌』ほかのモデルになるような人だった有名なディレクター馬渕玄三さんが提唱した考え
曲が売れて20万枚を超えると出荷を停止する戦略もした人
消費者を渇望させ、次の曲の初動の売り上げにつながるというもの
1曲目が大きく売れると、2曲目が売り難いという論法から
「新宿25時間キャンペーン」
圭子は詳しいことは分からなくても、楽器ができるから違和感があると、レコーディング途中でやめちゃうこともある
当初ほとんど売れずに、新宿の裏街を、スナック、映画館、キャバレーなどの了解をとって、時間刻みで歌を聴いてもらった
おしまいにはマスコミ、応援する客で100人くらいになっていた
小西良太郎さんがスポニチで協力してくれ、翌日の一面に大きく載せてくれた
写真が印象的だった 都電の残る新宿の明け方、とぼとぼ帰る彼女の後ろ姿
11月には1日万単位のオーダーが入って、会社も「これは化けるゾ」と盛り上がった
「京都から博多まで」
♪圭子の夢は夜ひらく で100万枚以上いき、この辺りが最大ピークとなり、
ポリープ手術、スタッフの未熟さもあり不満足の時間が流れた
阿久悠さんが書いた♪京都から博多まで は、等身大の可愛い圭子を表現した
「42週間連続でトップに」
シングルだけでなく、アルバムも売れた
「新宿の女」「女のブルース」で42週間連続でトップになったのは誰も予想していなかった
デビューしたてでオリジナルが少ないから、流し時代に歌っていた中から選んだりして♪星の流れに などで埋めた
当時の彼女の好みはGSで、「オリーブ」の追っかけのようなことをしていた
「よくもと思うほど泣きました」
圭子は明るく、頭がよかったが、相当な人見知りだった
石坂まさをさんとの出会いは大きかった
作家とプロダクション社長では仕事内容も適性も全然違う
プロダクションの力が弱いと、同じ歌手仲間から甘く見られることもあり、
楽屋で歌手から嫌なことを言われたとも聞いていた
新レーベルは、今思うと彼女にしてみれば不幸な話だった
1976年を最後に、翌年の紅白に落選したことも相当ショックだった
よくもと思うほど泣きました。我慢強ければ強いほど爆発すると大変だった
「彼女と歌った作品の存在感」
とてもナイーブな感性だったから、人気が下がったのを実感し、アメリカに行ったんでしょう
人気のあるなしで人の態度も変わる
娘さんを日本でデビューさせた背景には、自身の悔しさを晴らしたい気持ちもあったのでは
後には、時代背景と結びつけた考察もあったけど、彼女には時代を代弁する意識はまったくなかった
その後もいろんなアーティストを担当した中でも、藤圭子という存在の圧倒的な大きさと輝きは今でも変わりません。
(新人スタッフ、新レーベルだからこそ、自由な発想でいろいろできた喜びもあったのでは?
女性のブルースシンガーってことで、ジャニスの面影も重なった
*
バンバンラジオでタイマーズの♪デイ・ドリーム・ビリーヴァー を流して
キヨシローさんのバンドだったのか、と知って(忘れてただけかも
気になったから、こちらもあるだけ借りてみた
キヨシローさんて、派手なカッコしてロック歌う人のイメージだったけど、
改めて聴くと、社会を痛烈批判していた人なんだな
これほど直接的な言葉で、社会を問うた音楽がかつてあっただろうか?
これは大勢の前で生演奏で歌う歌だ
政治、宗教、麻薬など、あらゆる「タブー」を歌ってこそのロック
●ザ・タイマーズ ザ・タイマーズ
♪タイマーズのテーマ から始まって、♪タイマが大好き~って、そっちか?!
♪税 でコール&レスポンス!
♪争いの河
政治家はただ 選挙で争ってる
宗教の奴らは 神様で争ってる
科学者ときたら 特許で争ってる
企業はひたすら 利益を争ってる
♪LONG TIME AGO
8月6日の朝8時15分
原子爆弾が落ちてきて
何十万人もの人が 死んでいったのさ
人間の歴史で初めてのことさ
この日本の国に 原子爆弾が落ちたのさ
44年たった今
まだ苦しんでいる人がいるのに
どうして原子力が そんなに大事なんだろう?
原子爆弾ブルース
原子爆弾と同じようなものが
おんなじこの国に 次々とできている
●復活!! ザ・タイマーズ
ライヴ音源。1枚目の曲と、新たな曲も入っている
♪覚醒剤音頭
覚醒剤はいけません
麻薬をやってはいけません
それとも 人間やめますか
いえいえ 私はやめません
(廃品回収車の口上みたく、
“覚醒剤をお持ちの方は我々に出してください トイレットペーパー、ガム等と交換いたします”
て痛快だね。ライヴ会場でほんとにやった感じがする
♪宗教ロック
テレビ局の楽屋では
あっちこっちから呪文が聞こえてくる
線香焚いてる奴もいる
バラエティーの本番でうまく笑うために
♪サヨナラはしない
サヨナラはしない 君にだけには
ある日 君が 僕を嫌いでも
サヨナラはしない 別れはしない
ある日 君が 僕を泣かせても
もうすぐ春が来るよ
がれきの街に 花が芽を吹くさ
ベスト盤と、2枚ばかり借りてみたv
●新宿の女/藤圭子
ジャケもライナーも、広げると圭子さんの全身が見れるつくりになってるのが何気に斬新
♪星の流れに も好きな昭和曲
♪生命ぎりぎり とか、タイトルもいちいち命賭けてる感じが出てる
【ライナー抜粋メモ~浅井英雄】
9歳の頃から浪曲師の父母とともにドサ廻りをして生活した(“芸能”と言ってほしいねえ
母は苦難の生活が災いして盲目になり、中学を出た圭子は、母と上京し、“流し”をするようになった
たぶん日本で唯一の“少女流し”(今じゃストリートか
そこから彼女は、歌心、演歌の心を掴んだ
人から“演歌の星”“宿命の少女”と呼ばれ、“稀にみる大型歌手”となった
彼女には苦難の半生の暗さはない。明るく、のびのびとした、純粋な母思いの17才
デビュー曲♪新宿の女 は大ヒット、スター街道を驀進する
華奢な体を黒のベルベットに包み、白いギターを抱え、夜の東京の盛り場を25時間ぶっ通しに“流し”た小柄な少女
少し前までは、阿部純子という巷の歌手だった
盲目の母の手をひいて、店先、路地から路地へ、酔客相手に歌っていた
●ゴールデン☆ベスト 藤圭子ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌/藤圭子(2枚組)
Disc1がピンク色で、Disc2が紫色って、もう夜の女の雰囲気出てる感じ
私は演歌は嫌いだけれども、“艶歌と縁歌”だもんね
作詞作曲者名も錚々たる顔ぶれ
♪女のブルース て曲名で分かるとおり、全曲が女のブルースって凄まじい
ライナーには曲解説が書いてある。以下抜粋メモ:
デビュー曲♪新宿の女 は、スポーツ紙→有線→ラジオと火がついた
いわゆる音楽プロモーションの基本の流れ
♪女のブルース でスターへの階段を駆け上がった
♪圭子の夢は夜ひらく
安保闘争の時代に幅広く受け入れられた、1970年を象徴する大ヒット曲
ブームの裏づけとして、1970年だけで映画に4回出演した。
Disc2はカバー集だった。
♪アカシヤの雨がやむ時 は戸川純ちゃんもカバーしてるけれども、ここには西田佐和子とある
元ネタの歌手陣も錚々たる顔ぶれ
♪網走番外地 は、健さんが歌っていたの!?驚
ジャケ写は、『明星』(1970年7月号)別冊歌本『Young Song』(第1号)の表紙に使われたもの
【ライナー抜粋メモ~「今も変わらない、圧倒的な存在感と輝き」元RCAレコード 担当ディレクター 榎本襄】
「子どもが麻雀をやってる」
最初に圭子に会ったのは、石坂まさをさんの自宅で、デビュー1年前くらい
ショートパンツであぐらをかいて麻雀をやってるのを見て驚いた
“流しをやっている”と言われて歌ったのが♪カスバの女、♪東京流れもの
これはすごいと直感。ディレクターになったばかりの僕はどうしても担当させてほしいと熱い思いをぶつけた
すでにコロムビアからデビューが決まっていて難しい状況の中、
業界でカポネと言われていた永野恒夫さんがボスだったことも幸いし、
周りを説得行脚、土下座までして、RCAからデビューさせた
「ブラック&シルバー」
“演歌の星を背負った宿命の少女”というキャッチコピーを作り、
黒のベルベット、シルバーのギターというファッションで売り出そうと決めた
“ブラック&シルバー”は親会社ビクターのAV機器のイメージカラーだった
でも実際はシルバーのギターはなく、白いギターに銀色の塗料を塗ったから、衣装について大変だった
「この子はすごい」
デビュー時にレコード店200の店頭に等身大パネルが立ったのは新人としては異例
人前で歌うといつの間にはみんな彼女の歌に聴き入っていた
ポリープができて、手術してから声質が変わり、ドスから美声に変化した(大体ポリープやるのね
内沼映二という有名なレコーディングエンジニアが「この子はすごい」と言った
ダイナミックレンジが普通の歌手より広いという
「新宿の女」
デビュー前にある程度曲ができていたが、どう売り出すか?
選んだのは一番地味な♪新宿の女
これは五木寛之さんの小説『艶歌』ほかのモデルになるような人だった有名なディレクター馬渕玄三さんが提唱した考え
曲が売れて20万枚を超えると出荷を停止する戦略もした人
消費者を渇望させ、次の曲の初動の売り上げにつながるというもの
1曲目が大きく売れると、2曲目が売り難いという論法から
「新宿25時間キャンペーン」
圭子は詳しいことは分からなくても、楽器ができるから違和感があると、レコーディング途中でやめちゃうこともある
当初ほとんど売れずに、新宿の裏街を、スナック、映画館、キャバレーなどの了解をとって、時間刻みで歌を聴いてもらった
おしまいにはマスコミ、応援する客で100人くらいになっていた
小西良太郎さんがスポニチで協力してくれ、翌日の一面に大きく載せてくれた
写真が印象的だった 都電の残る新宿の明け方、とぼとぼ帰る彼女の後ろ姿
11月には1日万単位のオーダーが入って、会社も「これは化けるゾ」と盛り上がった
「京都から博多まで」
♪圭子の夢は夜ひらく で100万枚以上いき、この辺りが最大ピークとなり、
ポリープ手術、スタッフの未熟さもあり不満足の時間が流れた
阿久悠さんが書いた♪京都から博多まで は、等身大の可愛い圭子を表現した
「42週間連続でトップに」
シングルだけでなく、アルバムも売れた
「新宿の女」「女のブルース」で42週間連続でトップになったのは誰も予想していなかった
デビューしたてでオリジナルが少ないから、流し時代に歌っていた中から選んだりして♪星の流れに などで埋めた
当時の彼女の好みはGSで、「オリーブ」の追っかけのようなことをしていた
「よくもと思うほど泣きました」
圭子は明るく、頭がよかったが、相当な人見知りだった
石坂まさをさんとの出会いは大きかった
作家とプロダクション社長では仕事内容も適性も全然違う
プロダクションの力が弱いと、同じ歌手仲間から甘く見られることもあり、
楽屋で歌手から嫌なことを言われたとも聞いていた
新レーベルは、今思うと彼女にしてみれば不幸な話だった
1976年を最後に、翌年の紅白に落選したことも相当ショックだった
よくもと思うほど泣きました。我慢強ければ強いほど爆発すると大変だった
「彼女と歌った作品の存在感」
とてもナイーブな感性だったから、人気が下がったのを実感し、アメリカに行ったんでしょう
人気のあるなしで人の態度も変わる
娘さんを日本でデビューさせた背景には、自身の悔しさを晴らしたい気持ちもあったのでは
後には、時代背景と結びつけた考察もあったけど、彼女には時代を代弁する意識はまったくなかった
その後もいろんなアーティストを担当した中でも、藤圭子という存在の圧倒的な大きさと輝きは今でも変わりません。
(新人スタッフ、新レーベルだからこそ、自由な発想でいろいろできた喜びもあったのでは?
女性のブルースシンガーってことで、ジャニスの面影も重なった
*
バンバンラジオでタイマーズの♪デイ・ドリーム・ビリーヴァー を流して
キヨシローさんのバンドだったのか、と知って(忘れてただけかも
気になったから、こちらもあるだけ借りてみた
キヨシローさんて、派手なカッコしてロック歌う人のイメージだったけど、
改めて聴くと、社会を痛烈批判していた人なんだな
これほど直接的な言葉で、社会を問うた音楽がかつてあっただろうか?
これは大勢の前で生演奏で歌う歌だ
政治、宗教、麻薬など、あらゆる「タブー」を歌ってこそのロック
●ザ・タイマーズ ザ・タイマーズ
♪タイマーズのテーマ から始まって、♪タイマが大好き~って、そっちか?!
♪税 でコール&レスポンス!
♪争いの河
政治家はただ 選挙で争ってる
宗教の奴らは 神様で争ってる
科学者ときたら 特許で争ってる
企業はひたすら 利益を争ってる
♪LONG TIME AGO
8月6日の朝8時15分
原子爆弾が落ちてきて
何十万人もの人が 死んでいったのさ
人間の歴史で初めてのことさ
この日本の国に 原子爆弾が落ちたのさ
44年たった今
まだ苦しんでいる人がいるのに
どうして原子力が そんなに大事なんだろう?
原子爆弾ブルース
原子爆弾と同じようなものが
おんなじこの国に 次々とできている
●復活!! ザ・タイマーズ
ライヴ音源。1枚目の曲と、新たな曲も入っている
♪覚醒剤音頭
覚醒剤はいけません
麻薬をやってはいけません
それとも 人間やめますか
いえいえ 私はやめません
(廃品回収車の口上みたく、
“覚醒剤をお持ちの方は我々に出してください トイレットペーパー、ガム等と交換いたします”
て痛快だね。ライヴ会場でほんとにやった感じがする
♪宗教ロック
テレビ局の楽屋では
あっちこっちから呪文が聞こえてくる
線香焚いてる奴もいる
バラエティーの本番でうまく笑うために
♪サヨナラはしない
サヨナラはしない 君にだけには
ある日 君が 僕を嫌いでも
サヨナラはしない 別れはしない
ある日 君が 僕を泣かせても
もうすぐ春が来るよ
がれきの街に 花が芽を吹くさ