■カント『永遠平和のために』(4)@100分de名著
初見の番組。4回あったのか。その最終回しか見れなかった
【内容抜粋メモ】
前回は、ヒトの「悪」が逆に平和をもたらすということを学んだそう
カントは「そもそもヒトは自分勝手だが、長い目で見れば、より得だという考え方を持ち込めば、平和や秩序につながる」と説いた
今回のキーワードは「道徳と政治」
教授:
ヒトは昔から争いを避けるため、「国家」をつくり「法律」を定めたが、国家同士の争いは絶えない
18Cに活躍したドイツの哲学者カントは、「国家と国家の間にも平和のための法律が必要だ」と説いた
さらに、そこには「道徳」が必要と主張したが、その「道徳」の概念は私たちの考えるものとは違っていた
カントは、「道徳と政治の一致」について著書の半分ほどをさいているが、
政治が道徳的に営まれれば、永遠平和につながるということではない
各国が法を尊重して、法に基づいて紛争を解決する状態を実現すること
「公法の状態」=道徳と政治の一致
あらゆる国家が共通の法に従っていること
そのためには、法律が誰にでも例外なく公平であることが必要
公平にするためには、ベースとなる道徳自体が、
誰がどんな場合でも無条件に従うべきものでなければならない
著書:
公平の状態を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある
これが実現されるのが、たとえ無限に遠い将来のことであり、
その実現に向けてたえず進んでいくだけとしてもである
だから永遠平和は、単なる空虚な理念でもなく、実現すべき課題である
●カントのいう道徳とは?「例:うそをついてはいけない」
ある女性が何年間も夫からDVを受けていたとする
彼女は耐えられず、あなたの家に逃げてきたので、あなたは友人をかくまう
夫から「私の妻はいないか?」と聞いてきた
道徳に沿えば、友人を正直に出さなければならないが、
カントは道徳を、「内容」ではなく、「形式」で考える
著書:
汝の主観的な原則が普遍的な法則となることを求める意志に従って行動せよ
「形式」で考えると、道徳は誰もが行ってもいいと思えることを、
どんな場合でも行わなくてはならない、という普遍的な法則となる
→友人をかくまうことが道徳の形式となる
教授:
「内容」で考えていると、いろんな矛盾が出てくる
カントは「我々が“道徳的”と考えることって一体何?」ということ
(なんか、陪審員裁判にも使える?
私がやろうとしていることが、誰もが行ってもいいと思えるような意志に従って行動することなんだ
ひと言で言えば、誰もがやってもいいと思えることだけをやってください、ということ
(ケースバイケースで、それも集団心理だと危なくないか?
●形式に注目=「公平性」を確保する
“自分だけはいい”という例外は認めない
その公平さを法の次元にも導入する
法を守ってもらうためには、法があらゆる国にとって「公平」でなければならない
ある国が守らないとか、例外を認めたりすると、みんな守るのがバカらしくなってしまう
●法律を公平にするには?
カント:
邪悪な悪魔でも、知性さえ備えていれば、法律を作り、国家を作ることができる(政治屋のこと?
欲深い悪魔がどうすれば公平な法律をつくることができるのか?
例:美味しそうなケーキが悪魔たちの前にある→欲深いので取り合いになる
ルールのポイント
均等に切り分ければ、自分にとって一番得になる、という結論に至る→公平性が担保されている状態
教授:
利己心を認めた上で平和がもたらされる(なんだか低次元な平和だな
その都度ルールを決めていたらキリがないので、1回で済むルールを考えるとカタがつく=形式
2つ目のポイントは、誰がやっても同じようになること
「この人に任せれば大丈夫」と言うとウソをつく場合も出てくる
なので、誰がやっても同じようになる形式を定める=公平性の実現の可能性
アナ「私たちの法律も公平性が保たれている?」
カント「公平性を実現する過程には終わりがない。その中で少しずつ公平性を高めていくべき」
教授:
現在の法律も終わりがない 公平性を少しでも実現していくことが
法に対する尊敬、守ろうとする気持ちを高める
●法律の公平性を保つために必要なものとは?「公開性」
著書:
国家における国民と、国家間の関係に関して、経験によって与えられているさまざまな関係から
法学者がふつう想定するような公法のすべての内容を捨象してみよう
すると、残るのは公開性という形式である
いかなる法的な要求でも、公開しうるという可能性を含んでいる
公開性なしには、いかなる正義もありえないし、いかなる法もなくなるからだ
公開されないと、誰もその内容を知ることができず、従うこともできない
密室で行うと、ルールを破り、自分のケーキを大きく切って、他を均等に切って配り騙そうとする
ここで公開すると、ウソがバレて、奪い合いが始まる
みんなが見ていれば、不正に歯止めが効く
著書:
人間愛と人間の法にたいする尊敬は、どちらも義務として求められるものである
しかし、人間愛は、条件つきの義務にすぎないが、法に対する尊敬は無条件的な義務であり、端的に命令する義務である
(人間愛を完全否定? あんまりルール、義務っていうと窮屈だな
カント:
法にたいする尊敬の義務を決して踏みにじらないことを心から確信している人だけが
人間愛の営みにおいて慈善の甘美な環境に身をゆだねることが許されるのである
永遠平和の実現には、人間愛より法に対する尊厳が大切
人間の本質を善ととらえる「理想論」は、平和を構築するためには無力だった
平和のためには、理想を超えた哲学が不可欠
教授:
公開性=すべての人の眼差しに耐えうる
最終的には、他人にも同じことを認めざるをえない。みんなの検証に耐えうること
国家と国家の関係で一番重要なのは、法律を強制する機関がない中で
各国に法律を守ってもらうことが一番大事
そのためには、法律を各国が尊重しなければいけない
(いろんな価値観、お国柄の事情があるから、1つにまとめるのは大変だ
でも、国際的な関係では、貿易や交渉でも、強国が自分の都合のいいように国際ルールを定めることが多い
だからこそ、公平性の実現性にカントは考えをめぐらせた
「核拡散防止条約」も核保有国を認めている上で、他の国は持ってはいけないと言っているので「強国の論理」
最終的には核を減らすことを目的にしているから、あらゆる国が核をなくすことが公平だということになる
カントは、公平性の実現には時間がかかるかもしれないけれども、方向性は明確でしょ、といっている
●永遠平和は、努力目標みたいなもの
欲望や利己心を抑えてではなく、それを活用する方法を考えて、実現しようという努力目標
(悪魔も知性の高さで騙しちゃおうみたいな?
人間が利己心に満ちて行動している中にも、平和に向かっていく要素が実は隠れている
それを上手く活用すれば、少しでもいい世界に進める
(相当時間がかかりそうだなあ
「悪魔」だって、もともとは神さまだったっていうのも聞いたことがあるし
戦争を起こしているヒトたちは、それぞれの自分の哲学をもって意識的にやっているからタチが悪いのでは?
初見の番組。4回あったのか。その最終回しか見れなかった
【内容抜粋メモ】
前回は、ヒトの「悪」が逆に平和をもたらすということを学んだそう
カントは「そもそもヒトは自分勝手だが、長い目で見れば、より得だという考え方を持ち込めば、平和や秩序につながる」と説いた
今回のキーワードは「道徳と政治」
教授:
ヒトは昔から争いを避けるため、「国家」をつくり「法律」を定めたが、国家同士の争いは絶えない
18Cに活躍したドイツの哲学者カントは、「国家と国家の間にも平和のための法律が必要だ」と説いた
さらに、そこには「道徳」が必要と主張したが、その「道徳」の概念は私たちの考えるものとは違っていた
カントは、「道徳と政治の一致」について著書の半分ほどをさいているが、
政治が道徳的に営まれれば、永遠平和につながるということではない
各国が法を尊重して、法に基づいて紛争を解決する状態を実現すること
「公法の状態」=道徳と政治の一致
あらゆる国家が共通の法に従っていること
そのためには、法律が誰にでも例外なく公平であることが必要
公平にするためには、ベースとなる道徳自体が、
誰がどんな場合でも無条件に従うべきものでなければならない
著書:
公平の状態を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある
これが実現されるのが、たとえ無限に遠い将来のことであり、
その実現に向けてたえず進んでいくだけとしてもである
だから永遠平和は、単なる空虚な理念でもなく、実現すべき課題である
●カントのいう道徳とは?「例:うそをついてはいけない」
ある女性が何年間も夫からDVを受けていたとする
彼女は耐えられず、あなたの家に逃げてきたので、あなたは友人をかくまう
夫から「私の妻はいないか?」と聞いてきた
道徳に沿えば、友人を正直に出さなければならないが、
カントは道徳を、「内容」ではなく、「形式」で考える
著書:
汝の主観的な原則が普遍的な法則となることを求める意志に従って行動せよ
「形式」で考えると、道徳は誰もが行ってもいいと思えることを、
どんな場合でも行わなくてはならない、という普遍的な法則となる
→友人をかくまうことが道徳の形式となる
教授:
「内容」で考えていると、いろんな矛盾が出てくる
カントは「我々が“道徳的”と考えることって一体何?」ということ
(なんか、陪審員裁判にも使える?
私がやろうとしていることが、誰もが行ってもいいと思えるような意志に従って行動することなんだ
ひと言で言えば、誰もがやってもいいと思えることだけをやってください、ということ
(ケースバイケースで、それも集団心理だと危なくないか?
●形式に注目=「公平性」を確保する
“自分だけはいい”という例外は認めない
その公平さを法の次元にも導入する
法を守ってもらうためには、法があらゆる国にとって「公平」でなければならない
ある国が守らないとか、例外を認めたりすると、みんな守るのがバカらしくなってしまう
●法律を公平にするには?
カント:
邪悪な悪魔でも、知性さえ備えていれば、法律を作り、国家を作ることができる(政治屋のこと?
欲深い悪魔がどうすれば公平な法律をつくることができるのか?
例:美味しそうなケーキが悪魔たちの前にある→欲深いので取り合いになる
ルールのポイント
均等に切り分ければ、自分にとって一番得になる、という結論に至る→公平性が担保されている状態
教授:
利己心を認めた上で平和がもたらされる(なんだか低次元な平和だな
その都度ルールを決めていたらキリがないので、1回で済むルールを考えるとカタがつく=形式
2つ目のポイントは、誰がやっても同じようになること
「この人に任せれば大丈夫」と言うとウソをつく場合も出てくる
なので、誰がやっても同じようになる形式を定める=公平性の実現の可能性
アナ「私たちの法律も公平性が保たれている?」
カント「公平性を実現する過程には終わりがない。その中で少しずつ公平性を高めていくべき」
教授:
現在の法律も終わりがない 公平性を少しでも実現していくことが
法に対する尊敬、守ろうとする気持ちを高める
●法律の公平性を保つために必要なものとは?「公開性」
著書:
国家における国民と、国家間の関係に関して、経験によって与えられているさまざまな関係から
法学者がふつう想定するような公法のすべての内容を捨象してみよう
すると、残るのは公開性という形式である
いかなる法的な要求でも、公開しうるという可能性を含んでいる
公開性なしには、いかなる正義もありえないし、いかなる法もなくなるからだ
公開されないと、誰もその内容を知ることができず、従うこともできない
密室で行うと、ルールを破り、自分のケーキを大きく切って、他を均等に切って配り騙そうとする
ここで公開すると、ウソがバレて、奪い合いが始まる
みんなが見ていれば、不正に歯止めが効く
著書:
人間愛と人間の法にたいする尊敬は、どちらも義務として求められるものである
しかし、人間愛は、条件つきの義務にすぎないが、法に対する尊敬は無条件的な義務であり、端的に命令する義務である
(人間愛を完全否定? あんまりルール、義務っていうと窮屈だな
カント:
法にたいする尊敬の義務を決して踏みにじらないことを心から確信している人だけが
人間愛の営みにおいて慈善の甘美な環境に身をゆだねることが許されるのである
永遠平和の実現には、人間愛より法に対する尊厳が大切
人間の本質を善ととらえる「理想論」は、平和を構築するためには無力だった
平和のためには、理想を超えた哲学が不可欠
教授:
公開性=すべての人の眼差しに耐えうる
最終的には、他人にも同じことを認めざるをえない。みんなの検証に耐えうること
国家と国家の関係で一番重要なのは、法律を強制する機関がない中で
各国に法律を守ってもらうことが一番大事
そのためには、法律を各国が尊重しなければいけない
(いろんな価値観、お国柄の事情があるから、1つにまとめるのは大変だ
でも、国際的な関係では、貿易や交渉でも、強国が自分の都合のいいように国際ルールを定めることが多い
だからこそ、公平性の実現性にカントは考えをめぐらせた
「核拡散防止条約」も核保有国を認めている上で、他の国は持ってはいけないと言っているので「強国の論理」
最終的には核を減らすことを目的にしているから、あらゆる国が核をなくすことが公平だということになる
カントは、公平性の実現には時間がかかるかもしれないけれども、方向性は明確でしょ、といっている
●永遠平和は、努力目標みたいなもの
欲望や利己心を抑えてではなく、それを活用する方法を考えて、実現しようという努力目標
(悪魔も知性の高さで騙しちゃおうみたいな?
人間が利己心に満ちて行動している中にも、平和に向かっていく要素が実は隠れている
それを上手く活用すれば、少しでもいい世界に進める
(相当時間がかかりそうだなあ
「悪魔」だって、もともとは神さまだったっていうのも聞いたことがあるし
戦争を起こしているヒトたちは、それぞれの自分の哲学をもって意識的にやっているからタチが悪いのでは?