■『おおきななみ ブルックリン物語』(ほるぷ出版)
バーバラ・クーニー/作 掛川恭子/訳
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
先日読んだ『エマおばあちゃん』(徳間書店)も好きだけど、それを超えた
クーニーの家族の伝記的要素の強い1冊
ドイツ移民で、そうとう裕福な家で育ったんだなあ/驚
しかも、画家や音楽家の家系なら、女性が画家を目指す夢も祝福されて恵まれていた
まさに天職とはこのこと
訳者のあとがきにもあるとおり、アメリカの発展の歴史も分かる
最後におばあちゃんになったクーニーの写真もステキ
裁縫などのいわゆる女の子の役割に向いていないことを母親から言われて傷ついただろうし、
オシャレなどには興味がなく、周囲と違う自分の個性に悩んだ時期もあったことが
本書の端々から伝わってくる
それでもなお、自分の好きなことがあることで、誰かの“夫人”として生きることより
自ら絵画の学校に申し込み、自立する女性の道を選んだところが潔くてステキ
お父さんは、最初から白髪だけど、歳してからの子どもなのかな?
大きな事業を次々と成功させつつ、妻子への細やかな愛情を注ぐ姿も素晴らしい
1枚1枚の絵に思い入れがたっぷり詰まっていて
絵本ながら、1人の女性の半生を描いた小説ほどの重みが伝わる文才も感じる
本書の見返し部分の模様も凝ってる!
▼あらすじ(ネタバレ注意
まえがき
この絵本は、クーニーのお母さんの小さかった頃をもとに
時代や風俗のかおりも高く、描きこまれた作品です
私の母、メイ・ボザート・クーニーの思い出と、その子どもたちのために。
ハティが住んだ中で一番古い家は、ブッシュウィック通りの赤レンガの家
材木商のパパがママのために建てた
パパはママに贈るものはなんでも最高でなければ気が済まなかった
姉のフィフィは「大きくなったら、私もきれいな花嫁さんになる」と言い
弟のヴォリーは「パパの会社で一緒に働いて、うんとお金を儲けるんだ」と言い
小さなハティは「私はペインター(画家)になるの!」と言うと
きょうだいたちは「女の子がペンキ屋になるわけないでしょ ばかみたい!」と笑った
家には料理人のクララ、ちびネズミというあだ名の娘、お手伝いのメアリーらが一緒に住んでいた
日曜日や休日には親戚が集まり、何時間もかけて食事とお喋りをする
叔父たちもブルックリンで材木商や、ビール工場を経営していた
食後は、客間にあるママの宝物の油絵をみんなで観る ママの父が描いた絵
もう1つの宝物は、パパから贈られたシタンのピアノ
ママの家族は音楽家や画家ばかり
パパはママが教会でオルガンを弾いているのを見て結婚しようと思った
ママは女の子たちに針仕事を教えたが、ハティは苦手 フィフィは褒められた
春にはレーマンさんが、夏の服を作るため、じっと立ってガマンしなければならなかった
夏には、海辺の町ファーロッカウェイにある別荘で親戚らと過ごす
NYはどんどん大きくなり、人々はブルックリン郊外のフラットブッシュ、
グリーンポイント、ブッシュウィックに移り住んできた
パパは時々、家族を自分のヨットに乗せて海につれていってくれた
ハティはいつも舳先に立ち、家に帰ると、部屋の壁がたちまち絵でいっぱいになった
冬のある日、パパはファーロッカウェイの家を売り、
ロングアイランドにある“カシの森屋敷”という名前の大きな家を買った
ハティは嬉しいかどうか分からなかった
来年の夏、あの浜辺では波はどんな話をするのだろう?
“カシの森屋敷”では、乗馬をしたり、温室の花に水をやったり、
テニスをしたり、パパがハティにインコをくれたり、そこの暮らしも素敵だった
ちびネズミ「私、学校の先生になるわ」
ハティ「私は画家になるの」
ちびネズミ「分かってたわ」
そのうち、フィフィと結婚したいと思う男の人たちが遊びに来るようになり
ハティは一人でシカのいる森で、中国から連れてきた黒鳥の絵を描いた
フィフィは、材木商をして、自動車を持っている男の人を結婚相手に選んだ
結婚式にはマデイラワイン漬けすい臓()などご馳走がずらりと並んだ
フィフィ「私はこれからジョーゼフ・パトリック・クーニアン夫人よ」
ハティ「私はお嬢様のままがいいわ 夫人と呼ばれるようになったら、一生そのままですもの」
ヴォリーはパパと仕事に通い、パパはブルックリンにホテルを建て、
ブッシュウィックの家を売って、一家はホテルの一番上の階で暮らした
イースト川、NYの町、自由の女神像が見渡せる素晴らしい眺め
火曜日にはパパ、ママと一緒にハティは劇場にオペラを観に行った
若い歌手が、身も心も、自分のすべてを吐き出して歌っているのを観て
ハティにも分かった 自分の身も心も吐き出して絵を描く時が来たのだと
翌日、ハティは美術学校に手続きし、コニーアイランドの遊園地に行った
ろう細工のジプシーの占いに「私には、どんな運命が待っているの?」と聞くと
ピンクの小さなカードには「あなたは素晴らしい絵を描くでしょう」と書いてあった
ハティはそれを握り締めて、浜辺を歩きながら
「そうよ、素晴らしい絵を描くのよ」と言った
次の日、パパとママに「私、画家になると決めたの」と言うと
「おじいさまのようにね」ママが嬉しそうにニコニコした
「ううん、私は私よ」ハティもにっこりして言った
【訳者あとがきメモ】
クーニーはこの頃から人生を深く見据えた話を自ら書き、独特の優しい絵で飾り
これまで以上に素晴らしい作品を発表している
本書は、彼女の母をモデルにしている
おじいさんの代は、ドイツからアメリカに来て、クーニーはドイツ系移民三代目ということになる
ひいおじいさんも、母親も画家だったことが分かり、
クーニーが絵を描くようになったのも当然のことだったのでしょう
クーニー自身も、おじいさんが建てて、母が育ったホテルで生まれたそうで
少女ハティには、自分の姿も重なっているのかもしれません
バーバラ・クーニー/作 掛川恭子/訳
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
先日読んだ『エマおばあちゃん』(徳間書店)も好きだけど、それを超えた
クーニーの家族の伝記的要素の強い1冊
ドイツ移民で、そうとう裕福な家で育ったんだなあ/驚
しかも、画家や音楽家の家系なら、女性が画家を目指す夢も祝福されて恵まれていた
まさに天職とはこのこと
訳者のあとがきにもあるとおり、アメリカの発展の歴史も分かる
最後におばあちゃんになったクーニーの写真もステキ
裁縫などのいわゆる女の子の役割に向いていないことを母親から言われて傷ついただろうし、
オシャレなどには興味がなく、周囲と違う自分の個性に悩んだ時期もあったことが
本書の端々から伝わってくる
それでもなお、自分の好きなことがあることで、誰かの“夫人”として生きることより
自ら絵画の学校に申し込み、自立する女性の道を選んだところが潔くてステキ
お父さんは、最初から白髪だけど、歳してからの子どもなのかな?
大きな事業を次々と成功させつつ、妻子への細やかな愛情を注ぐ姿も素晴らしい
1枚1枚の絵に思い入れがたっぷり詰まっていて
絵本ながら、1人の女性の半生を描いた小説ほどの重みが伝わる文才も感じる
本書の見返し部分の模様も凝ってる!
▼あらすじ(ネタバレ注意
まえがき
この絵本は、クーニーのお母さんの小さかった頃をもとに
時代や風俗のかおりも高く、描きこまれた作品です
私の母、メイ・ボザート・クーニーの思い出と、その子どもたちのために。
ハティが住んだ中で一番古い家は、ブッシュウィック通りの赤レンガの家
材木商のパパがママのために建てた
パパはママに贈るものはなんでも最高でなければ気が済まなかった
姉のフィフィは「大きくなったら、私もきれいな花嫁さんになる」と言い
弟のヴォリーは「パパの会社で一緒に働いて、うんとお金を儲けるんだ」と言い
小さなハティは「私はペインター(画家)になるの!」と言うと
きょうだいたちは「女の子がペンキ屋になるわけないでしょ ばかみたい!」と笑った
家には料理人のクララ、ちびネズミというあだ名の娘、お手伝いのメアリーらが一緒に住んでいた
日曜日や休日には親戚が集まり、何時間もかけて食事とお喋りをする
叔父たちもブルックリンで材木商や、ビール工場を経営していた
食後は、客間にあるママの宝物の油絵をみんなで観る ママの父が描いた絵
もう1つの宝物は、パパから贈られたシタンのピアノ
ママの家族は音楽家や画家ばかり
パパはママが教会でオルガンを弾いているのを見て結婚しようと思った
ママは女の子たちに針仕事を教えたが、ハティは苦手 フィフィは褒められた
春にはレーマンさんが、夏の服を作るため、じっと立ってガマンしなければならなかった
夏には、海辺の町ファーロッカウェイにある別荘で親戚らと過ごす
NYはどんどん大きくなり、人々はブルックリン郊外のフラットブッシュ、
グリーンポイント、ブッシュウィックに移り住んできた
パパは時々、家族を自分のヨットに乗せて海につれていってくれた
ハティはいつも舳先に立ち、家に帰ると、部屋の壁がたちまち絵でいっぱいになった
冬のある日、パパはファーロッカウェイの家を売り、
ロングアイランドにある“カシの森屋敷”という名前の大きな家を買った
ハティは嬉しいかどうか分からなかった
来年の夏、あの浜辺では波はどんな話をするのだろう?
“カシの森屋敷”では、乗馬をしたり、温室の花に水をやったり、
テニスをしたり、パパがハティにインコをくれたり、そこの暮らしも素敵だった
ちびネズミ「私、学校の先生になるわ」
ハティ「私は画家になるの」
ちびネズミ「分かってたわ」
そのうち、フィフィと結婚したいと思う男の人たちが遊びに来るようになり
ハティは一人でシカのいる森で、中国から連れてきた黒鳥の絵を描いた
フィフィは、材木商をして、自動車を持っている男の人を結婚相手に選んだ
結婚式にはマデイラワイン漬けすい臓()などご馳走がずらりと並んだ
フィフィ「私はこれからジョーゼフ・パトリック・クーニアン夫人よ」
ハティ「私はお嬢様のままがいいわ 夫人と呼ばれるようになったら、一生そのままですもの」
ヴォリーはパパと仕事に通い、パパはブルックリンにホテルを建て、
ブッシュウィックの家を売って、一家はホテルの一番上の階で暮らした
イースト川、NYの町、自由の女神像が見渡せる素晴らしい眺め
火曜日にはパパ、ママと一緒にハティは劇場にオペラを観に行った
若い歌手が、身も心も、自分のすべてを吐き出して歌っているのを観て
ハティにも分かった 自分の身も心も吐き出して絵を描く時が来たのだと
翌日、ハティは美術学校に手続きし、コニーアイランドの遊園地に行った
ろう細工のジプシーの占いに「私には、どんな運命が待っているの?」と聞くと
ピンクの小さなカードには「あなたは素晴らしい絵を描くでしょう」と書いてあった
ハティはそれを握り締めて、浜辺を歩きながら
「そうよ、素晴らしい絵を描くのよ」と言った
次の日、パパとママに「私、画家になると決めたの」と言うと
「おじいさまのようにね」ママが嬉しそうにニコニコした
「ううん、私は私よ」ハティもにっこりして言った
【訳者あとがきメモ】
クーニーはこの頃から人生を深く見据えた話を自ら書き、独特の優しい絵で飾り
これまで以上に素晴らしい作品を発表している
本書は、彼女の母をモデルにしている
おじいさんの代は、ドイツからアメリカに来て、クーニーはドイツ系移民三代目ということになる
ひいおじいさんも、母親も画家だったことが分かり、
クーニーが絵を描くようになったのも当然のことだったのでしょう
クーニー自身も、おじいさんが建てて、母が育ったホテルで生まれたそうで
少女ハティには、自分の姿も重なっているのかもしれません