■『くまのアーネストおじさん セレスティーヌのおいたち』(BL出版)
ガブリエル・バンサン/さく もりひさし/訳
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
“バンサンは、このシリーズで愛の深さ、他人に尽くす喜び、
気取らない素朴な生活などを表現したかったという。”
▼あらすじ(ネタバレ注意
セレスティーヌは、アーネストに自分の生い立ちが聞きたくて、小さな胸を悩ませる
「わたし、知りたいことがあるの・・・」
(アーネストはもうすでに質問が分かっているような表情
もじもじとしてなかなか言い出せないセレスティーヌに、優しく問いかけるアーネスト
「話してごらん、なんでも 僕をよく見て なんでも君の話を聞くよ、僕は」
無理強いを止めて、買い物に誘うアーネスト
(実は、僕、この子から質問されるのが ずっと怖かったんだ
この子は聞きたがっている
僕がずっと前から覚悟してきたことなんだ
話そう すべてを あの子にとって ほんとのことを・・・)
「私はね、知りたいの どんな風に生まれてきたかってこと!」
(やっと言えたわ!)
なかなか言葉にできないアーネストだが、
セレスティーヌに分かるように、彼女を見つけた日のことを細かく話し始める
「何か音が聞こえて、僕が君を見つけた
僕が掃除をしていた時だった 雨が降っていたっけな
僕が君を家に連れて来たんだよ
僕はとっても嬉しかったよ」
「大きなバケツってゴミ入れかなにか?」
「ああ、そうだ」
「なぜかしら?」
「きっと、パパとママは君を世話するゆとりがなかったのかも・・・
そして、僕には君を連れて帰るゆとりがあったんだ」
セレスティーヌが赤ちゃんだった頃の揺りかごや、自分で作ったベッドを見せる
「そういえば、その頃のことを書いたノートはどこにしまってあるのだろう」
「なんて書いてある?」
「3月3日 セレスティーヌが右の目を開ける!」
「ね、このカゴに入ってみましょうか?」
「あ、それより、広場に行ってみましょうよ、2人で」
「いいよ 雨が降ってたよ 今日みたいにね」
「その時、あなたが私を見つけてくれてよかったわ」
それから毎日、私はその時の話をセレスティーヌにしなければならなかった
私はとても疲れる
でも、私もセレスティーヌも幸せだ
【ガブリエル・バンサンを偲んで もりひさし 内容抜粋メモ】
今作をバンサンの遺作として思い深く開いてみる
きっとこれはシリーズのはじめの巻として描かれたものだろう
アーネストの語るセレスティーヌの話は
シリーズの1話1話をたどることになるようだ
2人の立場、齟齬が生まれたりして、それぞれの話が始まっている(そうだったかな?
セレスティーヌの生い立ちは、いささか惨めで厳しいものながら
アーネストに大事にされたことが分かると
悲しみも喜びに変わり、お互いの寄り添う心も一層深いものになる
バンサンの死により、もう新しい作品は望むべくもないのは限りない寂しさであるが、
宝もののような多くの絵本を繙くことで、作品にこめた愛の心を永くいつまでも偲びたいと思う
***
とうとうシリーズラストになってしまった
ずっとアーネストが心に秘めていたことを話す時が来た
相手が子どもであっても、辛いことも正直に真摯に話すことが
セレスティーヌにとってもっとも良いことだと知っているアーネストの姿勢が素晴らしい
そして、最後に「その時、あなたが私を見つけてくれてよかったわ」という言葉となり、
靄が晴れて、愛にかわり、胸がつまるような感動に包まれる
話す間中、アーネストは、セレスティーヌをずっとハグしたり、キスしたり
ボディタッチをしているのもポイント
セレスティーヌの持ち前の好奇心は止まらず、
自分が捨てられたことを細かく再体験することで
心の傷を癒す大事なセラピーになっている
当時のことを逐一記録した愛情あふれた日記
当時のモノを大事にとっておいたことも
すべて愛情としてしっかりとセレスティーヌに伝わっているのが分かる
そして、何度も反復して話し合うことで、ゆっくり時間をかけて
心の底に落として納得させてゆく根気のいる作業でもある
もりさんは、セレスティーヌの生い立ちについて“いささか惨めで厳しいもの”
だと書いているが、本当にそうだろうか
以前、児童施設の方が
「身寄りのない子どもたちを一様に“可哀相だ”と決めつけるのは間違っている」
と言っていたことを思い出した
施設では、のびのびと過ごしていたのに
世間に出た途端「可哀相な子ども」というレッテルを貼られて
なにかのハンデのように思わされることで
本人も無意識のうちにコンプレックスを抱くようになるという
親御さんがいなくても、人生を楽しむ人はたくさんいる
逆に、親御さんがいても苦しんでいる子どももたくさんいる
アーネストが「なんでも聞くよ」という態度は、とても勇気がいるし
真実を問いただすセレスティーヌも、質問するにはとても勇気がいる
けれども、血縁でなくとも、深い縁で結ばれていることは間違いない
2人の間に愛情が通っているかどうかが一番大切なことなんだ
ガブリエル・バンサン/さく もりひさし/訳
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
“バンサンは、このシリーズで愛の深さ、他人に尽くす喜び、
気取らない素朴な生活などを表現したかったという。”
▼あらすじ(ネタバレ注意
セレスティーヌは、アーネストに自分の生い立ちが聞きたくて、小さな胸を悩ませる
「わたし、知りたいことがあるの・・・」
(アーネストはもうすでに質問が分かっているような表情
もじもじとしてなかなか言い出せないセレスティーヌに、優しく問いかけるアーネスト
「話してごらん、なんでも 僕をよく見て なんでも君の話を聞くよ、僕は」
無理強いを止めて、買い物に誘うアーネスト
(実は、僕、この子から質問されるのが ずっと怖かったんだ
この子は聞きたがっている
僕がずっと前から覚悟してきたことなんだ
話そう すべてを あの子にとって ほんとのことを・・・)
「私はね、知りたいの どんな風に生まれてきたかってこと!」
(やっと言えたわ!)
なかなか言葉にできないアーネストだが、
セレスティーヌに分かるように、彼女を見つけた日のことを細かく話し始める
「何か音が聞こえて、僕が君を見つけた
僕が掃除をしていた時だった 雨が降っていたっけな
僕が君を家に連れて来たんだよ
僕はとっても嬉しかったよ」
「大きなバケツってゴミ入れかなにか?」
「ああ、そうだ」
「なぜかしら?」
「きっと、パパとママは君を世話するゆとりがなかったのかも・・・
そして、僕には君を連れて帰るゆとりがあったんだ」
セレスティーヌが赤ちゃんだった頃の揺りかごや、自分で作ったベッドを見せる
「そういえば、その頃のことを書いたノートはどこにしまってあるのだろう」
「なんて書いてある?」
「3月3日 セレスティーヌが右の目を開ける!」
「ね、このカゴに入ってみましょうか?」
「あ、それより、広場に行ってみましょうよ、2人で」
「いいよ 雨が降ってたよ 今日みたいにね」
「その時、あなたが私を見つけてくれてよかったわ」
それから毎日、私はその時の話をセレスティーヌにしなければならなかった
私はとても疲れる
でも、私もセレスティーヌも幸せだ
【ガブリエル・バンサンを偲んで もりひさし 内容抜粋メモ】
今作をバンサンの遺作として思い深く開いてみる
きっとこれはシリーズのはじめの巻として描かれたものだろう
アーネストの語るセレスティーヌの話は
シリーズの1話1話をたどることになるようだ
2人の立場、齟齬が生まれたりして、それぞれの話が始まっている(そうだったかな?
セレスティーヌの生い立ちは、いささか惨めで厳しいものながら
アーネストに大事にされたことが分かると
悲しみも喜びに変わり、お互いの寄り添う心も一層深いものになる
バンサンの死により、もう新しい作品は望むべくもないのは限りない寂しさであるが、
宝もののような多くの絵本を繙くことで、作品にこめた愛の心を永くいつまでも偲びたいと思う
***
とうとうシリーズラストになってしまった
ずっとアーネストが心に秘めていたことを話す時が来た
相手が子どもであっても、辛いことも正直に真摯に話すことが
セレスティーヌにとってもっとも良いことだと知っているアーネストの姿勢が素晴らしい
そして、最後に「その時、あなたが私を見つけてくれてよかったわ」という言葉となり、
靄が晴れて、愛にかわり、胸がつまるような感動に包まれる
話す間中、アーネストは、セレスティーヌをずっとハグしたり、キスしたり
ボディタッチをしているのもポイント
セレスティーヌの持ち前の好奇心は止まらず、
自分が捨てられたことを細かく再体験することで
心の傷を癒す大事なセラピーになっている
当時のことを逐一記録した愛情あふれた日記
当時のモノを大事にとっておいたことも
すべて愛情としてしっかりとセレスティーヌに伝わっているのが分かる
そして、何度も反復して話し合うことで、ゆっくり時間をかけて
心の底に落として納得させてゆく根気のいる作業でもある
もりさんは、セレスティーヌの生い立ちについて“いささか惨めで厳しいもの”
だと書いているが、本当にそうだろうか
以前、児童施設の方が
「身寄りのない子どもたちを一様に“可哀相だ”と決めつけるのは間違っている」
と言っていたことを思い出した
施設では、のびのびと過ごしていたのに
世間に出た途端「可哀相な子ども」というレッテルを貼られて
なにかのハンデのように思わされることで
本人も無意識のうちにコンプレックスを抱くようになるという
親御さんがいなくても、人生を楽しむ人はたくさんいる
逆に、親御さんがいても苦しんでいる子どももたくさんいる
アーネストが「なんでも聞くよ」という態度は、とても勇気がいるし
真実を問いただすセレスティーヌも、質問するにはとても勇気がいる
けれども、血縁でなくとも、深い縁で結ばれていることは間違いない
2人の間に愛情が通っているかどうかが一番大切なことなんだ