ナショナル・トラストで美しい日本をとりもどす
さかなクン「第35回ナショナル・トラスト全国大会」@池袋ビズ(2017.12.16)
トトロの森を守る@ナショナル・トラスト
東京オリンピックに便乗した中野サンプラザ解体・大規模再開発のもとで破壊される「平和の森公園」
日本ナショナル・トラスト協会
豊島区西池袋2-30-20
facebook 「日本ナショナル・トラスト協会」
小さい頃、歴史好きな父に連れられて家族で「妻籠宿」か「馬籠宿」のどちらかに行ったな
街並みは覚えていないけど、クルマから下りて早々、転んで、ジーンズが破れて血が出たことを思い出した
民宿に泊まったら、テレビも何もない部屋で、
今ならそんな古民家の良さが分かるけれども
子どもにとっては「あり得ない・・・」とショックだった
●「保存という開発」
昭和42年
宿場の保存を進めようとする地元有志の情熱を見た東京大学・太田博太郎教授は、
日本初の集落保存を試みる「妻籠宿保存計画基本構想」を提案した
昭和43年
当初は、地元住民の多くも半信半疑だったが、徐々に理解が深まり
妻籠地区全住民を会員とする「妻籠を愛する会」を結成
住んでいる人を主体に「売らない」「貸さない」「壊さない」の三原則を申し合わせた
長野県の「明治百年記念事業」として、妻籠宿保存事業を3ヵ年実施することを決定
「保存という開発」がはじまり、住民・行政・学者が三位一体となり真剣に取り組んだ
●「妻籠を守る住民憲章」
観光客が予想以上に押し寄せ、外部資本等の働きかけや
過度の観光地化により景観が失われる恐れが出たため
「妻籠を守る住民憲章」が制定し、看板の乱立、いきすぎた商業化を防いだ
昭和50年
文化財保護法が改正され、古い集落が「重要伝統的建造物群」として
法律の定める文化財の中に位置づけられた
●建物だけでなく、広大な自然景観も
昭和51年
「妻籠宿保存地区保存条例」が公布
1,245haが「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された
これは全国の「重要伝統的建造物群保存地区」のうち32%に相当する広大な面積
中山道からの眺望を中心に、周辺の「借景」の概念が折り込まれている
●中山道木曽十一宿の1つとして栄えた「妻籠宿」
「出梁(だしばり)造り」や「卯建(うだつ)」を用いた伝統的建造物が軒を連ねる
「妻籠宿」には、伝統的建造物が214件、田畑・樹木・岩など「環境物件」13件があり
国指定の特定物件として文化財となっている
実際に人が住み、生活することで、テーマパークにはない雰囲気が生まれている
●保存事業には終わりがない
現在まで約200棟の保存工事がつづいている
行政が規制・監視・警告するのではなく、主体はあくまでも住民
「妻籠を愛する会」がやることで、間口からはみだした商品の陳列が
自主的に抑制されて、景観が保持されている
例年何度も行われる環境整備作業は、住民によるボランティア
住民憲章に謳われる座右の銘は「初心忘るべからず」だ
●町並み保存の原点は、ここで語られた
国指定重要文化財 脇本陣奥谷林家住宅の囲炉裏
昭和42年
この囲炉裏端で「町並み保存構想」が話し合われた
その後、奥谷林家は町営の「奥谷郷土館」として開放
現在は「南木曽町博物館脇本陣奥谷」として一般公開している
「妻籠を愛する会」もここから始まった
●お問い合わせ
妻籠観光協会
「妻籠を愛する会」
南木曽町教育委員会 文化財町並係
さかなクン「第35回ナショナル・トラスト全国大会」@池袋ビズ(2017.12.16)
トトロの森を守る@ナショナル・トラスト
東京オリンピックに便乗した中野サンプラザ解体・大規模再開発のもとで破壊される「平和の森公園」
日本ナショナル・トラスト協会
豊島区西池袋2-30-20
facebook 「日本ナショナル・トラスト協会」
小さい頃、歴史好きな父に連れられて家族で「妻籠宿」か「馬籠宿」のどちらかに行ったな
街並みは覚えていないけど、クルマから下りて早々、転んで、ジーンズが破れて血が出たことを思い出した
民宿に泊まったら、テレビも何もない部屋で、
今ならそんな古民家の良さが分かるけれども
子どもにとっては「あり得ない・・・」とショックだった
●「保存という開発」
昭和42年
宿場の保存を進めようとする地元有志の情熱を見た東京大学・太田博太郎教授は、
日本初の集落保存を試みる「妻籠宿保存計画基本構想」を提案した
昭和43年
当初は、地元住民の多くも半信半疑だったが、徐々に理解が深まり
妻籠地区全住民を会員とする「妻籠を愛する会」を結成
住んでいる人を主体に「売らない」「貸さない」「壊さない」の三原則を申し合わせた
長野県の「明治百年記念事業」として、妻籠宿保存事業を3ヵ年実施することを決定
「保存という開発」がはじまり、住民・行政・学者が三位一体となり真剣に取り組んだ
●「妻籠を守る住民憲章」
観光客が予想以上に押し寄せ、外部資本等の働きかけや
過度の観光地化により景観が失われる恐れが出たため
「妻籠を守る住民憲章」が制定し、看板の乱立、いきすぎた商業化を防いだ
昭和50年
文化財保護法が改正され、古い集落が「重要伝統的建造物群」として
法律の定める文化財の中に位置づけられた
●建物だけでなく、広大な自然景観も
昭和51年
「妻籠宿保存地区保存条例」が公布
1,245haが「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された
これは全国の「重要伝統的建造物群保存地区」のうち32%に相当する広大な面積
中山道からの眺望を中心に、周辺の「借景」の概念が折り込まれている
●中山道木曽十一宿の1つとして栄えた「妻籠宿」
「出梁(だしばり)造り」や「卯建(うだつ)」を用いた伝統的建造物が軒を連ねる
「妻籠宿」には、伝統的建造物が214件、田畑・樹木・岩など「環境物件」13件があり
国指定の特定物件として文化財となっている
実際に人が住み、生活することで、テーマパークにはない雰囲気が生まれている
●保存事業には終わりがない
現在まで約200棟の保存工事がつづいている
行政が規制・監視・警告するのではなく、主体はあくまでも住民
「妻籠を愛する会」がやることで、間口からはみだした商品の陳列が
自主的に抑制されて、景観が保持されている
例年何度も行われる環境整備作業は、住民によるボランティア
住民憲章に謳われる座右の銘は「初心忘るべからず」だ
●町並み保存の原点は、ここで語られた
国指定重要文化財 脇本陣奥谷林家住宅の囲炉裏
昭和42年
この囲炉裏端で「町並み保存構想」が話し合われた
その後、奥谷林家は町営の「奥谷郷土館」として開放
現在は「南木曽町博物館脇本陣奥谷」として一般公開している
「妻籠を愛する会」もここから始まった
●お問い合わせ
妻籠観光協会
「妻籠を愛する会」
南木曽町教育委員会 文化財町並係