図書館で借りたCDシリーズ。
▼たけしとブルーノート(2枚組)
前回書いた『たけしとジャズ』のほかにも、こんなのも発見/驚
【ライナーノーツ抜粋メモ】
「ノラ・ジョーンズってさ、あのシタール奏者の第一人者ラヴィ・シャンカールの娘なんだってね。
そんな子がブルーノートからジャズ・シンガーとして出てきたってだけでもビックリしたけど、
やってる曲も果たしてこれはジャズなのか!?って、ちょっとショックを受けたなぁ」
(いやいや、むしろ、たけしさんがノラまで聴いてることにビックリ/驚
「ブルーノートのすごさって、昔からそうだけど、常にこういう新しいものを生み出しているところにあるっていうか、
そういう貪欲さが独特の世界観を生んできたんだろうなぁって」
ちなみに、たけしが新宿のジャズ喫茶でボーイのアルバイトを始めた1967年まで、
ブルーノートは日本でのプレスを認めていなかったため、輸入版でしか手に入らなかった。
その値段は、平均1枚3000円。新卒サラリーンの初任給が24000円の時代だけに、
おのずと当時は、この貴重なブルーノート目当ての客が押しかけたとも聞いている。
「ブルーノートっていったら、まずジャケットに衝撃を受けたことを思い出した。
モノトーンの写真に鮮やかな色を大胆に載せていたり、タイトルの文字にも独特のデザインがほどこされてあったりして、
格好いいなぁ、センスいいなぁって感動してた」
モノクロのジャケット写真は、ブルーノートの創設者アルフレッド・ライオンの盟友フランシス・ウルフが撮り下ろし、
グラフィック・デザインは新進気鋭のリード・マイルスが担当。1950年代前半〜60年代前半のほぼ全てを彼ら2人が手がけた。
「ジャズのアルバムってさ、ジャケットもそうなんだけど、タイトルもシンプルで格好いいのが多いんだよね」
今回、あの名曲♪浅草キッド がジャズにアレンジされ、青山テルマが英語で歌い上げた。
「選曲?! 音楽は、ほとんど移動中の車とか飛行機の中で聴いてんの。昼も夜もずっとね。
だから今回に限って言えば、俺の感覚で気持ちいいなぁって思った曲を、どんどん選んでいって、
それを昼と夜に分けてみたっていう。だから“こんなのブルーノートじゃねぇ”って言う人も必ずいるはずで、
そういうリアクションも期待した上で、こんなのいかがでしょう?って。こんなブルーノートを喰らえっ!て感じかな」
▼This Way/Jewel
♪Standing Still が聴きたかった。♪Do You Want to Play もカッコいい曲
【ライナーノーツ抜粋メモ】
9.11の後、アメリカのFMで最も共感を集めたのがジュエルの♪ハンズ だという。
「ただそれを見ているだけで何も行動を起こさなかったら、ただ絶望しているだけだったら、
それは敵側にとっては役に立っていることになってしまう。
自分の悲しみばかりに気を取られていると、他の人を助けることができなくなる」
「だから私は思慮深く、意識的に生きることによって、パワフルに、影響力を及ぼすことができると言いたい」
「どうして私は満たされないんだろうと考えていた時に、自分の悩みを掘り下げるほど、
他の人も同じように苦しんでいるということに気づいたの。
それで他人に対する気持ちと、自分に対する気持ちを同じように考えられるようになったのだと思う」
ジュエルは、自分探しと曲作りに専念するために、オンボロ車に1年近く寝泊りした頃がある。
アン・リー監督の映画『楽園をください』に出演もした。
「私はいろんなライフスタイルを過ごしてきたけれど、シンプル、ナチュラル、スピリチュアル、
この3つを失わないよう生活してきたから、変わらない自分が在る」
「レコード契約をした時に母と話して、音楽業界での仕事が軌道に乗ったら、何か人を助ける仕事をしようと決めていた。
今は“ハイアーグラウンド・フォー・ヒューマニティ”の活動を重視している」
「良いことをしていると同時に、普通人に言えないようなダークサイドに関わっていたりしている人たちが書く文章を読むと、
人間であることとは何か、が理解できるようになってくる。そして情け深くなれる」
「私にとって一番重要なことは、私が真実のままでいること。
そしていつも音楽的好奇心に満ちて、新しい何かにチャレンジしたい」
▼Weld:Live in the Free World/Neil Young & Crazy Horse(2枚組)
N.ヤングを初めて観た&聴いたのが♪Hey Hey, My My のライヴ映像だったと思う。
なんなんだ、この悪魔のような形相のオジサンはと稲妻のごとき衝撃が走ったのを今でも覚えているw
テープが擦り切れて捨ててしまってから、ずぅっと聴きたかったアルバム。
近所の図書館になくて探してたのが他館で借りれてほんとに嬉しい
【ライナーノーツ抜粋メモ】
(主にニールとクレイジー・ホースがこのライヴアルバムにいたるまでの歩みについて書いてある
彼は誰も聴いたことのない曲を、平気でステージで演奏してしまう人で、
これまでに発表されたライヴ盤は、実際にそういうスタイルで録音されている。
だが、このアルバムの2時間は彼らのツアーをほぼ完璧にカバーしていると考えられ、
そこに未発表曲がないということは、つまりこれはニールにとって、
クレイジー・ホースとの集大成的な意味合いを持った作品ではないだろうか。
『HARVEST』は商業的な意味で最高の成功作となった。
1972年、ニールに大きな衝撃を与えたのは、ダニー・ホイットンのドラッグによる死だった。
翌年夏には、親友だったブルース・ベリーも死んだことに触発されて『TONIGHT'S THE NIGHT』を緊急録音した。
30人以上(!)のミュージシャンがセッションに参加した『COMES A TIME』。
ひさびさにクレイジー・ホースと組んだのが87年の『LIFE』。
▼The Game/Queen
♪Save Me は感動の1曲。一番ハマってた頃は、サイトを漁って出力しまくり、
テープの曲タイトル横には作曲したメンバ名を書いていたっけ。
(まだまだ“変身”前だね
【ライナーノーツ抜粋メモ】
本人たちの弁によれば、クイーンはシングルを作らない。彼らが生み出す作品の単位はあくまでアルバムで、
その中からたまたまシングル向きと思われる曲をピックアップして発表している。
クイーンは何をどうやっても英マスコミからとりあえずは叩かれるキマリになっているようで
(どうやらイギリスには、クイーンを大好きな人と大嫌いな人の2種類しかいないらしい)。
「僕たちのコンサートに来たくてもチケットが手に入らない、なんていう話を聞くと胸が痛むんだ」
結果、1979-1980、ヨーロッパ各国、日本の大きな会場でプレイした後、
今度は「観客の顔がはっきり見えるような」会場を渡り歩いて彼ら自身の欲求を満足させることにした。
このアルバムでクイーンは、ついに、とうとう、シンセサイザーに手を出した
♪地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)は、ブラック・チャートでも最高位2位に輝く。
クイーンがブラック・チャート もうこれ以上、ファンは何を聞いても驚かないかもしれない。
・・・と、その時は思ったものだが甘かったのである。
過去のどのアルバムよりもシンプルで聴きやすい。にも関わらず、決して安易な作り方はされていない。
細部にまで気を使って「気軽さ、シンプルさ」を演出するのは、難しいことを難しい顔をしてやるよりむしろ難しい。
特筆すべきは、やはり空前にして(残念ながら)絶後の全米NO.1ヒットアルバムという点だろう。
現在に至るまで、アメリカで発売当初最も評価されたのは本作である。
▼Queen Greatest Hits ?/Queen
えぇっと・・・こないだ借りた『Greatest Hits 1 & 2』とどこが違うんだっけ? 同じか。。ま、いっか
ノリノリの♪Breakthru、♪Headlong、♪Hammer To Fall などなど、何百回聴いても名曲は永遠に変わらない
(こっちが変身後ね
【ライナーノーツ抜粋メモ】
『VOL.1』が発売されたのは1981年だが、本作『VOL.2』が発売されたのは1991年10月で、フレディが亡くなる1ヶ月前だった。
同年1月発売『イニュエンドウ』のフレディの鬼気迫るヴォーカルに接し、ある不安がよぎったのは、おそらく私だけではなかったはずだ。
果たして1991年11月24日、フレディ死す!という衝撃的なニュースが世界を駆け巡ったのだ。
『The Game』が80年代の幕開けと重なっていたことは偶然ではない。時代は急激な変化を遂げようとしていた。
とくに音楽業界はレコーディング技術の発展とともに、MTVの登場、CDの生産と販売開始などが相次ぎ、
消費者の大半を占める若者のライフスタイルが大きく変わった時期だった。
世の中の流れも「アナログからデジタルへ」「重厚長大から軽薄短小へ」と一変した。
クイーン・サウンドの変化もひと言で表せば「デジタル化」だった。
クイーンの歴史を2つに分けるならば、『The Game』以降を後期と考えていいだろう。
1990年代後半にはジョンが音楽ビジネスから引退してしまった。
しかし21世紀に入って、勢いが再び加速したことはご存じの通りだ。
♪Radio Ga Ga がロジャーの息子の言った言葉から作ったのは私も知ってたけど、本当は「Radio Ca Ca」で、
“曲を注意深く聴けば、歌詞が実際には変えられていないことに気づくだろう”って知らなかった
♪It's A Hard Life がオペラ『道化師』の♪衣装をつけろ のメロディで始まるってのも、もう一度聴き直してみなきゃ
PVでは、フレディは「大エビ」の支度をしてるんだって、これも観なきゃ!爆
▼満ち汐のロマンス/Ego-Wrappin'
#2,8,9 が音飛びしてたのが残念すぎ。図書館のも経年で傷んでくるんだよね。それだけ、たくさんの人に聴かれたってことか。
▼OLIVE/松任谷由実
ユーミンもこの際だから?全部聴いてみよう。
♪冷たい雨 しか知らないなあ。ハイ・ファイ・セットver.でよく聴く。
▼悲しいほどお天気/松任谷由実
どれも初聴きかも。大人になってから聴きなおすと、歌詞の捉え方も変わってることに気づくね。
▼チャッピー・ドント・クライ/フィッシュマンズ
♪ひこうき ♪チャンス は大好きでカラオケでもたまに歌う。他は初聴きも多くて貴重v
♪Future
高速回転廻るなら
回転木馬くらいでいいよ
だれにもかぎられない Future
だれにも邪魔されない Future
(欣ちゃん、若すぎっ!
【ライナーノーツ抜粋メモ】
1991年に発売されたデビューアルバム。本作と同時に旧作8枚が復刻リリースされるのだが、
ドラマー茂木氏の要望を受け、全部のライナーを使って、クロノジカルにバンドの歩みを追ってゆく「連続読み物」としたい。
これが茂木氏の要望だった。
96年の『空中キャンプ』以降、フィッシュマンズはその名声を不動のものとする。
“バンドが変身した”“佐藤伸治が、なにかあって、覚醒した”といった言説が流布されたりもした。
だから「それ以前」の作品に対する評価は、相対的に低い。
そんな「すれ違い」が「世間」とフィッシュマンズの間にはあった、と言うしかない。
だが、このスタート地点から芯となっている部分は「何も変わっていない」。
♪ひこうき にも♪ナイトクルージング にも歌詞に一人称が存在しない。「主語」がない。
(言われればそうだけど、2人のうちの1人が自分=佐藤くんだと思って聴いてたな
彼らが彼らであるべき「原形質」のようなものは、すでにこのデビュー作に出揃っていた、と言っていい。
では、なぜ「すれ違い」が起きたのか? 1つの傍証として「レゲエの魂を感じない」という批判があったそうだ。
本作のプロデュースを務めた小玉和文氏によると「ロックステディのアルバムを作ろう」と示唆したそうだ。
後年明らかになるように、フィッシュマンズは日本屈指の「レゲエバンド」である。
個人的には、日本最強のレゲエサウンドを鳴らすことができるバンドだと思う。それは国際的にも高い評価を受けている。
後年と大いに異なる点は、「こわれもの」的な手触りの含有量だろうか。
トルーマン・カポーティの『クリスマスの思い出』のように、胸が締め付けられる叙情だけで織られたタペストリー。
そんなアルバムなのだと思う。
91年は「バンドブーム」世代だったのが、また話をややこしくして「すれ違い」を拡大したとも言える。
僕(カワサキダイスケさん)が初めてライヴで観たのは90年の年末あたり。
「今日は伸治は風邪で来られません」とMCされ、ファンが動揺し、1曲目が終わったところで、ニタニタ笑いながら佐藤が登場する・・・という演出。
当時の彼らのステージには、この「居心地の悪さ」が、まるでキーワードのように、毎回ついてまわっていたような記憶がある。
(面白い読み物だなw
▼たけしとブルーノート(2枚組)
前回書いた『たけしとジャズ』のほかにも、こんなのも発見/驚
【ライナーノーツ抜粋メモ】
「ノラ・ジョーンズってさ、あのシタール奏者の第一人者ラヴィ・シャンカールの娘なんだってね。
そんな子がブルーノートからジャズ・シンガーとして出てきたってだけでもビックリしたけど、
やってる曲も果たしてこれはジャズなのか!?って、ちょっとショックを受けたなぁ」
(いやいや、むしろ、たけしさんがノラまで聴いてることにビックリ/驚
「ブルーノートのすごさって、昔からそうだけど、常にこういう新しいものを生み出しているところにあるっていうか、
そういう貪欲さが独特の世界観を生んできたんだろうなぁって」
ちなみに、たけしが新宿のジャズ喫茶でボーイのアルバイトを始めた1967年まで、
ブルーノートは日本でのプレスを認めていなかったため、輸入版でしか手に入らなかった。
その値段は、平均1枚3000円。新卒サラリーンの初任給が24000円の時代だけに、
おのずと当時は、この貴重なブルーノート目当ての客が押しかけたとも聞いている。
「ブルーノートっていったら、まずジャケットに衝撃を受けたことを思い出した。
モノトーンの写真に鮮やかな色を大胆に載せていたり、タイトルの文字にも独特のデザインがほどこされてあったりして、
格好いいなぁ、センスいいなぁって感動してた」
モノクロのジャケット写真は、ブルーノートの創設者アルフレッド・ライオンの盟友フランシス・ウルフが撮り下ろし、
グラフィック・デザインは新進気鋭のリード・マイルスが担当。1950年代前半〜60年代前半のほぼ全てを彼ら2人が手がけた。
「ジャズのアルバムってさ、ジャケットもそうなんだけど、タイトルもシンプルで格好いいのが多いんだよね」
今回、あの名曲♪浅草キッド がジャズにアレンジされ、青山テルマが英語で歌い上げた。
「選曲?! 音楽は、ほとんど移動中の車とか飛行機の中で聴いてんの。昼も夜もずっとね。
だから今回に限って言えば、俺の感覚で気持ちいいなぁって思った曲を、どんどん選んでいって、
それを昼と夜に分けてみたっていう。だから“こんなのブルーノートじゃねぇ”って言う人も必ずいるはずで、
そういうリアクションも期待した上で、こんなのいかがでしょう?って。こんなブルーノートを喰らえっ!て感じかな」
▼This Way/Jewel
♪Standing Still が聴きたかった。♪Do You Want to Play もカッコいい曲
【ライナーノーツ抜粋メモ】
9.11の後、アメリカのFMで最も共感を集めたのがジュエルの♪ハンズ だという。
「ただそれを見ているだけで何も行動を起こさなかったら、ただ絶望しているだけだったら、
それは敵側にとっては役に立っていることになってしまう。
自分の悲しみばかりに気を取られていると、他の人を助けることができなくなる」
「だから私は思慮深く、意識的に生きることによって、パワフルに、影響力を及ぼすことができると言いたい」
「どうして私は満たされないんだろうと考えていた時に、自分の悩みを掘り下げるほど、
他の人も同じように苦しんでいるということに気づいたの。
それで他人に対する気持ちと、自分に対する気持ちを同じように考えられるようになったのだと思う」
ジュエルは、自分探しと曲作りに専念するために、オンボロ車に1年近く寝泊りした頃がある。
アン・リー監督の映画『楽園をください』に出演もした。
「私はいろんなライフスタイルを過ごしてきたけれど、シンプル、ナチュラル、スピリチュアル、
この3つを失わないよう生活してきたから、変わらない自分が在る」
「レコード契約をした時に母と話して、音楽業界での仕事が軌道に乗ったら、何か人を助ける仕事をしようと決めていた。
今は“ハイアーグラウンド・フォー・ヒューマニティ”の活動を重視している」
「良いことをしていると同時に、普通人に言えないようなダークサイドに関わっていたりしている人たちが書く文章を読むと、
人間であることとは何か、が理解できるようになってくる。そして情け深くなれる」
「私にとって一番重要なことは、私が真実のままでいること。
そしていつも音楽的好奇心に満ちて、新しい何かにチャレンジしたい」
▼Weld:Live in the Free World/Neil Young & Crazy Horse(2枚組)
N.ヤングを初めて観た&聴いたのが♪Hey Hey, My My のライヴ映像だったと思う。
なんなんだ、この悪魔のような形相のオジサンはと稲妻のごとき衝撃が走ったのを今でも覚えているw
テープが擦り切れて捨ててしまってから、ずぅっと聴きたかったアルバム。
近所の図書館になくて探してたのが他館で借りれてほんとに嬉しい
【ライナーノーツ抜粋メモ】
(主にニールとクレイジー・ホースがこのライヴアルバムにいたるまでの歩みについて書いてある
彼は誰も聴いたことのない曲を、平気でステージで演奏してしまう人で、
これまでに発表されたライヴ盤は、実際にそういうスタイルで録音されている。
だが、このアルバムの2時間は彼らのツアーをほぼ完璧にカバーしていると考えられ、
そこに未発表曲がないということは、つまりこれはニールにとって、
クレイジー・ホースとの集大成的な意味合いを持った作品ではないだろうか。
『HARVEST』は商業的な意味で最高の成功作となった。
1972年、ニールに大きな衝撃を与えたのは、ダニー・ホイットンのドラッグによる死だった。
翌年夏には、親友だったブルース・ベリーも死んだことに触発されて『TONIGHT'S THE NIGHT』を緊急録音した。
30人以上(!)のミュージシャンがセッションに参加した『COMES A TIME』。
ひさびさにクレイジー・ホースと組んだのが87年の『LIFE』。
▼The Game/Queen
♪Save Me は感動の1曲。一番ハマってた頃は、サイトを漁って出力しまくり、
テープの曲タイトル横には作曲したメンバ名を書いていたっけ。
(まだまだ“変身”前だね
【ライナーノーツ抜粋メモ】
本人たちの弁によれば、クイーンはシングルを作らない。彼らが生み出す作品の単位はあくまでアルバムで、
その中からたまたまシングル向きと思われる曲をピックアップして発表している。
クイーンは何をどうやっても英マスコミからとりあえずは叩かれるキマリになっているようで
(どうやらイギリスには、クイーンを大好きな人と大嫌いな人の2種類しかいないらしい)。
「僕たちのコンサートに来たくてもチケットが手に入らない、なんていう話を聞くと胸が痛むんだ」
結果、1979-1980、ヨーロッパ各国、日本の大きな会場でプレイした後、
今度は「観客の顔がはっきり見えるような」会場を渡り歩いて彼ら自身の欲求を満足させることにした。
このアルバムでクイーンは、ついに、とうとう、シンセサイザーに手を出した
♪地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)は、ブラック・チャートでも最高位2位に輝く。
クイーンがブラック・チャート もうこれ以上、ファンは何を聞いても驚かないかもしれない。
・・・と、その時は思ったものだが甘かったのである。
過去のどのアルバムよりもシンプルで聴きやすい。にも関わらず、決して安易な作り方はされていない。
細部にまで気を使って「気軽さ、シンプルさ」を演出するのは、難しいことを難しい顔をしてやるよりむしろ難しい。
特筆すべきは、やはり空前にして(残念ながら)絶後の全米NO.1ヒットアルバムという点だろう。
現在に至るまで、アメリカで発売当初最も評価されたのは本作である。
▼Queen Greatest Hits ?/Queen
えぇっと・・・こないだ借りた『Greatest Hits 1 & 2』とどこが違うんだっけ? 同じか。。ま、いっか
ノリノリの♪Breakthru、♪Headlong、♪Hammer To Fall などなど、何百回聴いても名曲は永遠に変わらない
(こっちが変身後ね
【ライナーノーツ抜粋メモ】
『VOL.1』が発売されたのは1981年だが、本作『VOL.2』が発売されたのは1991年10月で、フレディが亡くなる1ヶ月前だった。
同年1月発売『イニュエンドウ』のフレディの鬼気迫るヴォーカルに接し、ある不安がよぎったのは、おそらく私だけではなかったはずだ。
果たして1991年11月24日、フレディ死す!という衝撃的なニュースが世界を駆け巡ったのだ。
『The Game』が80年代の幕開けと重なっていたことは偶然ではない。時代は急激な変化を遂げようとしていた。
とくに音楽業界はレコーディング技術の発展とともに、MTVの登場、CDの生産と販売開始などが相次ぎ、
消費者の大半を占める若者のライフスタイルが大きく変わった時期だった。
世の中の流れも「アナログからデジタルへ」「重厚長大から軽薄短小へ」と一変した。
クイーン・サウンドの変化もひと言で表せば「デジタル化」だった。
クイーンの歴史を2つに分けるならば、『The Game』以降を後期と考えていいだろう。
1990年代後半にはジョンが音楽ビジネスから引退してしまった。
しかし21世紀に入って、勢いが再び加速したことはご存じの通りだ。
♪Radio Ga Ga がロジャーの息子の言った言葉から作ったのは私も知ってたけど、本当は「Radio Ca Ca」で、
“曲を注意深く聴けば、歌詞が実際には変えられていないことに気づくだろう”って知らなかった
♪It's A Hard Life がオペラ『道化師』の♪衣装をつけろ のメロディで始まるってのも、もう一度聴き直してみなきゃ
PVでは、フレディは「大エビ」の支度をしてるんだって、これも観なきゃ!爆
▼満ち汐のロマンス/Ego-Wrappin'
#2,8,9 が音飛びしてたのが残念すぎ。図書館のも経年で傷んでくるんだよね。それだけ、たくさんの人に聴かれたってことか。
▼OLIVE/松任谷由実
ユーミンもこの際だから?全部聴いてみよう。
♪冷たい雨 しか知らないなあ。ハイ・ファイ・セットver.でよく聴く。
▼悲しいほどお天気/松任谷由実
どれも初聴きかも。大人になってから聴きなおすと、歌詞の捉え方も変わってることに気づくね。
▼チャッピー・ドント・クライ/フィッシュマンズ
♪ひこうき ♪チャンス は大好きでカラオケでもたまに歌う。他は初聴きも多くて貴重v
♪Future
高速回転廻るなら
回転木馬くらいでいいよ
だれにもかぎられない Future
だれにも邪魔されない Future
(欣ちゃん、若すぎっ!
【ライナーノーツ抜粋メモ】
1991年に発売されたデビューアルバム。本作と同時に旧作8枚が復刻リリースされるのだが、
ドラマー茂木氏の要望を受け、全部のライナーを使って、クロノジカルにバンドの歩みを追ってゆく「連続読み物」としたい。
これが茂木氏の要望だった。
96年の『空中キャンプ』以降、フィッシュマンズはその名声を不動のものとする。
“バンドが変身した”“佐藤伸治が、なにかあって、覚醒した”といった言説が流布されたりもした。
だから「それ以前」の作品に対する評価は、相対的に低い。
そんな「すれ違い」が「世間」とフィッシュマンズの間にはあった、と言うしかない。
だが、このスタート地点から芯となっている部分は「何も変わっていない」。
♪ひこうき にも♪ナイトクルージング にも歌詞に一人称が存在しない。「主語」がない。
(言われればそうだけど、2人のうちの1人が自分=佐藤くんだと思って聴いてたな
彼らが彼らであるべき「原形質」のようなものは、すでにこのデビュー作に出揃っていた、と言っていい。
では、なぜ「すれ違い」が起きたのか? 1つの傍証として「レゲエの魂を感じない」という批判があったそうだ。
本作のプロデュースを務めた小玉和文氏によると「ロックステディのアルバムを作ろう」と示唆したそうだ。
後年明らかになるように、フィッシュマンズは日本屈指の「レゲエバンド」である。
個人的には、日本最強のレゲエサウンドを鳴らすことができるバンドだと思う。それは国際的にも高い評価を受けている。
後年と大いに異なる点は、「こわれもの」的な手触りの含有量だろうか。
トルーマン・カポーティの『クリスマスの思い出』のように、胸が締め付けられる叙情だけで織られたタペストリー。
そんなアルバムなのだと思う。
91年は「バンドブーム」世代だったのが、また話をややこしくして「すれ違い」を拡大したとも言える。
僕(カワサキダイスケさん)が初めてライヴで観たのは90年の年末あたり。
「今日は伸治は風邪で来られません」とMCされ、ファンが動揺し、1曲目が終わったところで、ニタニタ笑いながら佐藤が登場する・・・という演出。
当時の彼らのステージには、この「居心地の悪さ」が、まるでキーワードのように、毎回ついてまわっていたような記憶がある。
(面白い読み物だなw