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女たちの戦争と平和資料館(館内内容メモ)

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館内でメモったことを、大まかな流れに沿ってまとめてみた。

館内には「2014.8.14、日本軍「慰安婦」メモリアル・デーを国連記念日に」とポスターが掲げられていた。


“日本軍の「慰安婦制度」は世界でも前代未聞の大規模な戦争犯罪だった。”


************************慰安婦の施設が作られた発端

きっかけは、1932年、上海における日本兵によるレイプ事件だった。

戦地に送られた日本兵は総勢約80万人。

日中戦争から占領地(中国・アジア)の各地に日本軍兵士専用に慰安婦の施設が作られた。
名目は「性問題解決」「性病予防」「戦意を高めるため」「民間の売春婦だと国家機密が漏れる恐れがあったため」。
日本政府軍が「立案」「設置」「管理」「統制」していた証拠が多数残っている。


【3つのタイプ】
1.軍の直営:一定の規則があった。
2.委託:経営者は陸軍・海軍(主に海軍)に5円支払っていた。
3.民間の売春宿への委託


【実物展示の概要】

星秘膏


「軍隊と薬」

コンドーム「突撃一番」


その他、施設に行列を作る兵士、窓から中を覗く兵士の写真、「慰安所マップ」など。
被害証言者、目撃証言者のマップの中には「松代」もあってショックを受けた!




************************強制連行とその後の性暴力

慰安婦は、朝鮮、台湾、日本国内からも送り、その後足りなくなると、地元の女性が捕われたり、
村長自らが日本軍に引き渡していたため、逃げ出しても村で暮らすことはできなかった/驚

【主な強制連行法】
・植民地の女性を拉致。
・貧しい農村の未成年女性に対し、「工場や看護婦として働いて収入が得られる」と騙した。
・拘留所にいたオランダ人女性も連行された。
・対日派女性は、みせしめとして輪姦し、性的拷問、集団レイプされた。

・日本人は「21歳以上の売春婦に限る」としたが、夫や父を亡くして経済的に苦しくなった女性も狙われた。
・挺身隊として、お国のために尽くせると騙された女性もいた。

外国人の慰安婦たちには、日本女性の名前がつけられ、着物をきせられ、髪型も日本風に変えられた。

慰安婦たちは、逃亡・自殺しないよう厳重に見張られ、「逃げたら家族を殺す」と脅され、毎日、性暴力が行われていた。

食事は飢え死にしない程度に与えられ、昼は炊事・洗濯などをし、夜は強かんされた。
1日に14〜15人もの相手をさせられ、外では「早く、早く」と兵士が大声を上げていた。
「1日中、疲れ、放心状態で、裸のままベッドにいたこともある」

兵士からは「笑顔で明るく振るまうよう」強要されていた。

それぞれ狭い個室に閉じ込められ、外から鍵をかけられていた。
軍刀で脅され、体を切られたり、刺青を彫られたり、全裸で体罰を受けた。


タバコの火を体に押し付けられた後遺症

軍靴で蹴られる等で骨折したり、鼓膜が破れて、今も聴こえない、
軍刀で体の一部をえぐられたりした暴力の後遺症で今も苦しんでいる。
釘のついた板で頭を殴られ、裸のまま川に投げられ、川下の現地民に救われた女性もいる。

週に1度の「性病検査」は屈辱的だった。強かんは生理中も断れなかった。


妊娠させられ、戦場を逃げ回った女性

14才で妊娠し、麻酔もなく中絶手術を受け、取り出した子どもはまだ生きていたという。
出産した子どもを取り上げられたり、産んだ子を亡くした女性もいる。

1人1回ごとに切符をもらい換金されるはずが、お金は一度ももらっていない。敗戦後はただの紙切れになった。


************************戦後も続いた苦しみ「人生被害」

●敗戦後の帰国措置はなかった
・連合軍により帰国
・自力で帰国
・現地に留まらざるを得ない者
・日本兵の自決の巻き添えにされた者

日本兵は敗戦を知ると即座に逃げ去り、慰安婦らは置き去りにされた。
なんとかして日本に帰りたいと思う者が多い中、植民地や現地の女性は帰るあてもなく、仕方なく現地に残った者もいた。

日本に戻ると「日本の売春婦」「日本の残り物」と投石を受け、仕事にも就けなかった。
多くは不妊症、性病の後遺症、内臓疾患が発症、自殺した者も多い。


************************被害者のPTSD(外傷後ストレス障害)証言

「戦後、夫にも話せず、いまだに悪夢にうなされる」

「夫にバレて、他の女性のもとに逃げられた」

「4回流産した。夫とも性的な喜びはなかった」

「父が目の前で殺され、輪姦された。戦後、結婚話はすべて断った。セックスに暴力の記憶が消えないから」


************************元日本兵の回想証言

「当時は、中国蔑視を叩き込まれていたため、強かん、殺戮の何が悪い、と思っていた」

「強かんは3年兵以上なら日常茶飯事。“いつ死ぬか分からない、生きているうちにいい思いをしよう”と思っていた」

「慰安婦は1回1円50銭、強かんはタダ。兵士の楽しみはセックスと甘味だけ」

「帰国した際、良心の呵責から妻にも話したら、“隠しておいて欲しかった”と言われた」

「村の少女が強かんされ、村長が日本兵を罰した際、
“土民の女”に手をつけたぐらいで、お国の大事な兵隊さんに罰を下すとは何事だ!と軍曹は怒った」


************************訴訟

●すべては、1991年、金学順さんが初めて名乗り出たことから始まった

敗戦後、「東京裁判」に証拠が提出されたが、連合軍8カ国がいくつか裁いたほかは、ほとんど裁かれなかった。
罰も軽く、業者に対して2〜20年の禁固刑。

1990 本岡昭次議員が初めて慰安婦問題を質問。政府は「民間業者が連れ歩いたもの」と答弁した。

1991 金学順さんが初めて名乗り出た。

1992 防衛図書館で関連する文書が見つかり、当時の宮澤喜一首相が初めて謝罪したが「法的責任はない」とした。

1995 「女性のためのアジア平和国民基金」を設立。(国民からの募金て!


被害者は受け取りを拒否。反対したデモは700回を超えた。

1998 慰謝料を請求。訴訟は最高裁で上告が棄却された。



************************女性国際戦犯法廷

女性国際戦犯法廷
ここで初めて慰安婦問題が耳を傾けてもらえた。

首席検事:パトリシア・ビサー・セラーズさんは、次のことを求めた。
1.東京裁判の法を適用すること。
2.人道に対する罪で訴追すること。なぜなら「戦争犯罪」は、植民地の人々には適用されないため。



************************教科書から削除された「慰安婦」の記述



1993 「慰安婦」問題が社会的に認められた。
1997 「慰安婦」問題が中学校の歴史教科書を扱う全7社の出版社で記載された。
2001 その後、政治家、「新しい歴史教科書を作る会」などから、執筆者などに強迫の手紙が届いたり、
   国会議員が出版者に話を聞く事態に発展するなど激しい攻撃を受け、記述する出版社が減った。
2005 記載は完全に消えた。


【教科書が作られるまで】
1.「学習指導要領」に準拠していなければならないという決まりがある。
2.それに基づいて出版社が作成
3.文科省に検定申請する。
4.「合格」「合格留保」「不合格」が決められる。
この制度は「検閲」と同じだと、これまでも裁判で争ってきた。


●政府による教科書内容への介入

1950〜1960 合格した教科書から選ぶ「採択」。
1964    学校ごとの採択(実際は同じものを使う)「広域採択」に移行〜現在に至る。
2012    「教育再生」により「教科用図書検定基準」を改定(2016年から適用)

「家永教科書裁判」
家永教科書検定訴訟が起こった。

『歴史教科書への疑問 若手国会議員による歴史教科問題の総括』

実際に教育する教員らによる採択がもっともふさわしいと思われる。
 検定制度を廃止し、現代のニーズに合わせて自由に選べることが望ましい。



************************政治家の発言

中曽根康弘氏「“慰安所”は、兵士が碁など打つ休憩所だった」

石原慎太郎氏「金儲けのために、昔からあった」

安倍晋三氏「慰安婦に強制連行の証拠はない」



************************特別展示「日本政府×NHKの癒着」

2000 「女性国際戦犯法廷」をとりあげたNHK番組に安倍晋三氏が介入。

番組改編時には、慰安婦問題の存在を消した。

「ETV2001 戦争をどう裁くか 問われる戦時性暴力」は支離滅裂に編集された。
→抗議・提訴
→一審では責任不問
→高裁に控訴

2005 長井暁氏「番組に政治家の圧力があった」と告発。
2007 高裁は、NHKに200万円の賠償金の支払いを命じた。
2008 最高裁は「表現の自由」として原告敗訴となる。

2013 安倍晋三氏は、自分に近い人物4人(百田尚樹氏、籾井勝人氏ら)をNHK経営委員に送り込んだ。
第21代NHK会長・籾井勝人氏は「慰安婦問題は、どの国にもあった」「すでに解決済み」と発言した。

NHK職員にも自主規制させ、相互監視の閉塞感の声があがっている。



************************慰安婦たちによる証言(パネル展示の抜粋)



17才少女
「父の借金で芸者として売られた。客から淋病を伝染され、ヨコハマの遊郭に移された。
 その後、台湾に連れて行かれ慰安婦にされた。戦後はヒロポン中毒になり、心中を図って失敗した」

「多い日は、1日30人も来た。戦後、結婚したが夫にも“不潔な女”と言われていた」

「暴力が怖くて日本語を必死に覚えた」

「毎日ビンタの連続で鼓膜が破れた」

「腕に“金子”と刺青をされた」


「戦後、軍曹から“結婚して日本に行こう”と言われてついていくと、日本に着くなり放り出された」

「元軍人は恩給をもらっているが、私たちは何も補償されていない」

「強制労働で兵舎も建てた」

「私たちは狂っていくように感じた」





************************特別展示「現代も繰り返される紛争下の女性に対する暴力」

韓国人女性×アメリカ兵
「兵士の士気向上」のため、売春を認めたアメリカ政府と韓国政府。
被害者女性は、その後、子宮にコーラ瓶、肛門に傘の柄が刺さったまま遺体となって発見された。

1994 チベット 26歳女性×中国政府
デモ中に連行され、拘留、拷問、性暴力を受けた。

女性の政治囚には、電気棒を用いた性的拷問等で、その後精神異常をきたし、衰弱死した女性も多い。

1994 ソマリア 13才の少年を強かん後に殺害×国連平和維持軍人
遺体は、ゴミ捨て場に捨てられていた。犯人はイタリア人将校で、事件は闇に葬られた。

ブルンジ 19才女性×反政府軍、政府軍による集団レイプ、薬物投与
のちに妊娠し、中絶。母親に相談したところ「過ちを犯したのはお前だ」と責められて居場所がなくなった。

グアテマラ アメリカ政府当局による集団レイプ
拷問の場合、政府が検事・被告のため信じてもらえない。

グアテマラ 15才少女×国家警察
学生運動を理由に連行、拷問、集団レイプ。少女は一時的に視力を失った。
「何も見たくない。聞きたくない。思い出したくないために、体が失明を必要とした」

1984 沖縄、被害者当時高校2年生×アメリカ兵による集団レイプ



************************関連図書

千田夏光著『従軍慰安婦』はベストセラー
城田すず子著『マリヤの賛歌』
石坂啓著『正しい戦争』 (ヤングジャンプコミックス 集英社 1991)
『まんが「慰安婦」レポート1』(明石書店)




ソウル日本大使館前の少女像



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