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『神との対話 宇宙をみつける自分をみつける』(サンマーク出版)(その2

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『神との対話 宇宙をみつける自分をみつける』(サンマーク出版)
ニール・ドナルド・ウォルシュ/著 吉田利子/訳

第1章 人生は、自分が何者であるかを思い出すため。すでに知っていることを体験する機会だ。


【内容抜粋メモ】
(質問文はなるべく省略して、返答の一部をメモしているので、飛んでいるとか矛盾していると感じるかも

■第2章 自分の信念をもち、自分の価値観に従うこと

A:
あなたは、神が姿を現す方法はひとつしかないと思っている。すると、あらゆるところに神を見ることはできない。

すべては相対的である。すべては、あるものの一部である。

自身の価値観があなたの人生の骨組みになっている。価値観を1つずつ検討して、見直しなさい。
壊れていて、構造を支えられなくなっているものは取り替えなさい。

思考を変える理由は1つ。あなたがたが「そう考えている自分」では幸福ではない時だけ。
あなたが真実だと思う価値判断の中で体験に基づいたものはごくわずかしかない。
他人の体験から自分を創りあげてしまっている。
親、学校、宗教、伝統、聖書を間違っていると考えたがらない。

それ自体が悪であること、本質的に「間違っている」ことは何もない。

わたしは「正しい」礼拝方法、従い方を求めていない。
そうしたことは昔から支配者が人民に求めてきた態度だ。

「欲求」とは、すべての創造のはじまりだ。魂の偉大な感覚だ。次に何を創造するかの選択だ。
わたしは生命のプロセスのすべて、一瞬一瞬が充分に満たされることを願った
あなたがたと、わたしのたったひとつの違いは、それを知っているかどうかだ。
それを知った時、大きな喜びと、愛、受容、祝福、感謝を感じるだろう。

価値観を1つずつ検討し、外の光に当ててみなさい。
世界に向かって、自分が何者か、何を信じているかを、ためらわず、ハッキリ言い切れるなら、あなたは幸せだ。


新約聖書の執筆者のほとんどは生きているキリストを見たことも、会ったこともない。
聖書の執筆者たちは偉大な信者、歴史化だった。彼らは自分や友に伝えられた物語を書きとめたのだ
イエスのどの部分を、どう語るか決めた人々がいた。
この取捨選択、編集のプロセスは、出版するまで続いた。
どの教義が「不健康」「時期尚早」で、大衆に知らせてはならないかも決定していた。

ここでの言葉があまりに口語的だというのが問題なのだ。
人々は、たとえ神が直接語るとしても、隣人のような話し方はしないと思っている。

わたしは、聞いて理解することができる人も、聞くだけで何も分からない人がいることも知っている。


■第3章 宇宙には「良い」も「悪い」もないと理解すること

ものごとはその法則にしたがって動く。法則を回避することもできないし、法則に反する動き方もできない。
あなたがたの役割は尋ねることだ。尋ねて答えを得るというプロセスを理解することだ。

あなたがたの3つの要素は、3つのエネルギーだ。思考、言葉、行為など。
それはかつて経験したすべての感情の総和だ。
その一部で、意識に浮かび上がったものを記憶と呼ぶ。それが思い出す(re-member)ということ。
思い出すとは、かつて経験した感情を再びメンバーにする。
自分の部分を集めて、並べ替えると、真の自分が思い出される。

「思考」が創造の最初の段階。これは宇宙でも同じこと。
つぎに「言葉」がくる。言葉は思考よりダイナミックな波動だ。
つぎに「行為」がくる。行為は動いている言葉。体験された神だ。

あなたがた、神の最大の欲求は、神の一部としての自分を体験すること。
あなたの人生が「上向く」のは、あなたがそう選択した時だ。
あなたは、ずるずると先に延ばし、抵抗してきた。

神である自分らしく考え、話し、行動しなさい。
遅かれ早かれほかの人々はあなたの真実にひきつけられる。
そこで、迫害する人々が現れる。
その真実が採用されるということは、彼らの憎しみ、不安、偏狭、戦いの終わりを意味するからだ。
ほんとうの自分を実現した瞬間から、あなたは中傷され、罵られ、捨てられ、責められるだろう。


Q:具体的にどうすればいいのか?
A:
最も気高い、こうありたいと思う自分を考えなさい。
意識的に「選択」を続けなければならない。
人生の半分を無意識のまま過ごしてきたことに気づくだろう(そうだね
無意識の生き方はやめなさい。

だが、いつかは第二の天性になるだろう。
無条件に愛するのが第一の天性
その最初の天性を意識的に表現する、そう選択するのが第二の天性だ。
最善の意図にそぐわないことをしたら、これを最後にしようと決意しなさい。できれば関係者たちに訂正して周りなさい。

「一文無しだ」というあなたの言葉によって、破産している期間が決まる。
自分を憐れんだり、「どうせ、だめなんだ」と思って、脱出の道を探そうとしないことが、破産という現実を長引かせる。

もうあとは「試してみるか、否定するか」だけが残されていると気づく。


あなたがたは死にたくないから、どんな環境や状況でも、死ぬことを望んでいる者がいるなんて想像できない。
「わたしはもう死にたい」と言ったら、家族や友は「本気じゃないでしょ?」「頑張って!」「私を置いていかないで」などと言うだろう。
医療専門家にとって、死は失敗だ。家族や友にとって、死は災いだ。ただ、魂にとってだけ死は救い、解放だ。
死にゆく者への最大の贈り物は、安らかに死なせてやることだ。「頑張れ」とか、周りのことを心配しろだのと要求しないほうがいい。

人間にとって一番難しいのは、自分の魂の言うことを聞くことだ。
魂はしばしば、身体から去るべきだと決意する。身体と精神はこれを聞き入れて、脱出のプロセスが始まる。
ところが、精神(自我)が嫌がることがある。死は自我の終わりだから。
この時、魂がどれほど立ち去りたがっているかで、すべては決まる。

それほど急いでいない場合はもう少し留まるだろう。だが、留まることはもっと高い目的に役立たない。
この身体を通じてはもう発達できないと見極めている時には、何者も引き留めることはできない。
身体を去ることは、魂にとってはべつに悲劇ではない。
いろいろな意味で、身体に留まるほうが悲劇だ。


人々は、喜び、愛を求める自分を批判している。まず自身を批判するのをやめなさい。
魂が追求しているのは、想像しうるかぎりの最高の愛の感情だ
多くの人は、「白」は色がないことだと考えているが、あらゆる色を含んでいるのが白だ。
愛とは、憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など、感情がないことではなく、あらゆる感情の総和だ。
だから、魂が完璧な愛を経験するには「人間のあらゆる感情」を経験しなければならない。

人間の魂の目的は、すべてを経験すること。
選択肢がなければ魂は何も選べない。
だから、魂は偉大でないものを決して非難しない。
あなたがたはすぐに批判しようとして、「間違っている」「悪い」「充分ではない」と決めつけたがる。

「癒す」というのは、すべてを受容し、それから最善を選ぶというプロセスだ。

あなたがたは一生、自分が悪で、欲するものも悪だと考える。しかし、
あなたがたは、善、慈悲、同情、理解、平和、喜び、光だ。
あなたがたは、赦し、忍耐、力、勇気、苦しい時の援助者、悲しい時の慰め手、迷った時の教師だ。
あなたがたは、最も深い智慧、真実、偉大な平和、愛だと理解していなさい。


■第4章 やり直したいと思えば、人生は何度でもある

医療専門家が治療を遅らせているのは「癒し」の職業構造そのものが脅かされるからだ。
西洋の医師は、東洋医学の効能を認めない。築き上げた制度そのもののが揺らぐからだ。

世界の政府は飢餓を終わらせたくない。
そんな態度をとるのは、悪人だからじゃない。怖いからだ。すべての攻撃は、助けを呼ぶ悲鳴なのだ。

あなたが考え、語り、行動すると、具体的な現実になる。
ほんとうは信じていないことを考えたり、語ったり、行動したりすることはできない。

そこまで分かっていれば、強い「感謝」の気持ちが生まれる。感謝せずにはいられない。それが創造の最大の鍵だ。

あなたの創造の一部としてどんなものが現れようと、祝福し、感謝し、非難しないよう努めなさい。
自分創造した中で、楽しめず、祝福できないものがあったら、選び直しなさい。

あなたがたの一部は目覚めて歩いているし、一部は眠りながら歩いている
どうなりたいのか、何をしたいか、何が欲しいのか、ハッキリするまで、よく考えなさい。

「これがわたしである」と宣言しなさい。
「これがわたしである」というのは、宇宙で最も力強い宣言だ。これをキッカケにものごとが動き、体験できる。


■第5章 何かから離れることはできない。相手は地獄までもついてくる

A:
ほんとうに神を知るためには、精神から脱する必要がある。まずは「十戒」などというものはない。
神の言葉は戒律ではなく、約束だ。「言質」だ。(=のちの証拠となる言葉。

あなたがたはもはや人間の愛も、成功、金、力、いかなるシンボルも崇拝しない。
子どもが玩具をわきへ押しやるように、それらを押しのける。価値がないからではなく、成長して、「卒業した」からだ。

あなたは母と父を敬愛する。あなたは生命をもらったのだから。そしてすべてのひとを敬愛するようになる。
あなたは、理由もなく、意図的に殺生をしない。

神は、神が創り出したものに対して命令をすることはない。語りかけるだけだ。
ほとんどのヒトは、行きたいところへ行くためには、自分がいるところを離れなければならないと考えている。
悟りとは、行くべきところも、すべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解すること。

知らないことは経験できない。
そして、あなたは、いま、ここで「天国」を経験していないから、それを知らない。悪循環だ
悟りとは、経験していないことを知ること、それによって経験するということだ。逆もまた真。

そうとは知らずに経験してるのは、ぜんぜん経験していないのと同じだ。


真のマスターは、何かを「諦め」たりしない。無用なものを遠ざけるだけだ。
現世的な情熱を理解し、受け入れるだけで充分だ。抵抗すれば、相手はかえって強くなる。

精神的な道を歩んでいるヒトは、現世的な情熱、人間的な欲望を捨てているように見える。
悟りとは、情熱を否定することではない。結果への執着を否定することだ。

「期待」なしに人生を生きること。

悟るとは行為を否定しようと決意することではなく、行為の結果には意味がないと理解することだ。この2つには大きな違いがある。

何かをしたいという衝動は情熱と呼ばれる。愛であることと、愛することとはまったく別のことがらだ。
人間は投資には「見返り」が必要だと感じる。これは「情熱」ではなく「期待」だ。これが人間の最大の不幸の原因で、神との違いだ。

悟りとは、東洋の神秘主義者がサマディ(三昧)と呼ぶ体験を通じて、この違いを克服しようとすることである。
マスターは直感的に、情熱こそ神への道であることを知っている。
情熱は自己実現への道である。


Q:抵抗すれば、相手はかえって強くなるの意味は?
A:
抵抗すればするほど、相手は実体をもつ。目を開いて見つめれば、相手は消える。相手は幻想という実体をさらけだす。


Q:欲望や自我を拒否するのは間違っているのですか?
A:
拒否しても、実際には何も捨てられない。真の悟りとは捨てることではなく、違う選択をすることだ。
わたしに似ていないすべてのものから顔をそむけなさい。

人生の意味とは、どこに行きつくことではなく、
自分がすでに、そこにいること、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気づくことだ。


■第6章 信じるようになれば、地球を救える。だが、急がなければならない

Q:苦行は神への道ではないんですか?
A:
苦しみは、人間経験に不必要な要素だ。賢明でないし、心地よくないし、身体にも悪い。
出来事はただ起こっているだけだ。それをどう感じるかは、またべつの問題だ。

「運命」(fate)ですら「偏在するすべての考えから」(from all thoughts everywhere)という頭文字でできている。


Q:「集合的意識」ですか?
A:
そのとおり。
世界を救うためには、非常に大きな姿勢の転換が必要だろう。

わたしたちは、関心を向けることで、対象を実在させる。マスターは何を実在させるかを選ぼうとする。

あなたがたは、女性が性的に奔放であることを好まない。
戦場で男がめそめそしながら死ぬのを見るほうがましだと考えているのだろう。
こうしたすべてがあいまって、病(dis-ease)になる。つまり安らか(ease)でなくなり、そこから苦しみが始まる。


つづく・・・


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