■『愛とは、怖れを手ばなすこと』(サンマーク文庫)
ジェラルド・G・ジャンポルスキー/著 本田健/翻訳
ツイッターでいつもいい言葉が載っている「あいのことば @_love_bot」で時々本書からの言葉が載っていて、
とてもいい言葉ばかりなので、安価だし買ってみた。
自己啓発もの、スピリチュアル本を読むのは久々。
単行本で軽いから、クリニックの待合室でいつも1時間以上は待たされる間に数ページずつ読んでいたら、
買ってから読み終わるまでに数ヶ月もかかってしまった(放置してた期間を足せば1年近いかも
1言1言に重みがあって、納得できることばかり。
私が去年読んでもっとも感銘を受けた『神との対話 宇宙をみつける自分をみつける』(サンマーク出版)とも共通する。
これまでの復習でもあり、再確認でもあり、新発見もあり、
どのページからまた何度か読み返してもいい1冊。
ちなみに、本書も『神との対話』同様、特定の宗教をすすめる本ではありません
本書に出てくる「アティテューディナル・ヒーリング・センター」が気になった。
アティテューディナル・ヒーリング=心のあり方を選ぶことによる癒やし
【内容抜粋メモ】
※「本書の12のレッスンのタイトルは『奇跡のコース』からの引用
●著者からの言葉
人は自分が学びたいと思うことを教えるものです。そして私が学びたいのは、内なるやすらぎを得ることです。
(著者は成功した精神科医だったが、空虚で偽善に満ちていた。20年間の結婚生活が破綻し、お酒に溺れていた時、
『奇跡についてのコース』という本に出合う。
感情には2種類しかない、それは「愛」と「怖れ」だと『奇跡についてのコース』に書かれていた。
真実と幻想のどちらを受け入れるかという選択もこのコースで気づいた。
うまくいかないと、こんな目に遭うのは世間のせい、人のせいと考えて、自分の怒りを正当化していた
私たちはみな、互いの教師。
愛だけを教えなさい。なぜなら、あなたは愛そのものだからです。
●はじめに
自分の内側に目を向けるのは、的確な道を示し、確かな情報をもたらしてくれる「内なる直感の声」です。
この静けさの中では、人格の対立などはどうでもよくなります。
私たちは過去をコントロールしようとし、未来を予測しようとしているため、孤立し、愛される魅力もないと感じるのです。
自分以外の誰かから何かを手に入れる必要を感じ、それが満たされた時は相手を愛し、満たされなかった時には相手を憎む関係です。
多くの人は、仕事、家庭、金銭など欲しかったものを手に入れた後でも、ココロが空っぽなのに気づいています。
マザー・テレサはこれを「スピリチュアル欠乏症」と呼びました。
そのストレスが欲求不満、うつ、肉体的な痛み、病気、死という形で表れます。
みな病気などをなくしたいと真剣に望みながら、自分に対するこれまでの見方を変えたくないのです。
自らの考え方を変え、過去を捨て、「今」をもっと強く感じ、怖れを消滅しなければなりません。
ひと言で言うなら「与える行為を通して、なるべき自分になる」のが本書のテーマです。
ココロの安らぎという1つの「目標」と、「許し」を実践するという1つの「手段」を持つだけでいいのです。
【Part1 すべての怖れは過去のもの。ここにあるのは愛だけである】
「現実」とはなにか?
ほとんどの人は、何が現実なのか判断できないでいる。
始まりもなく終わりもないものを現実として見れば、人生はより意義深いものになる。
この永遠という定義に当てはまるのは「愛」だけ。他のものはすべてうつろい、意味のないものです。
愛は、何かを比較している状態ではなく、豊かさを増しながらあふれ出している状態です。
その中で私たちは、すべての人のココロはつながっている、共通の「自己」を分かち合っていることを悟ります。
繰り返される過去
私たちの心の中には、自分の過去をテーマにした映画のフィルムがあり、私たちはそのレンズを通して現実を経験している。
つまり、現在をありのままに見たり聞いたりしていない。歪んだ古い記憶で現在を覆って、断片的に見ているだけです。
やすらぎを奪うのは不幸の予測
私たちは、物事を予測し、コントロールすることに価値を置いている。「病的な自己防衛」
過去の怖れのせいで、未来の怖れを予期してしまいます。
現実はいつでも選択できる
私たちは、社会からの借り物である「現実」によって制限を受けることを、どの瞬間にも拒否しなければなりません。
この「瞬間」を唯一の時として経験し、「今」という現実に生きることを選択できるのです。
「できない」「不可能だ」と言う時、怖れに満ちた過去の限界を自身に課したことになります。
唯一の目標
私たちは目標を1つに絞らず、あれもこれもとしがちです。すると焦点がぼやけ、葛藤が大きくなるだけ。
ゆるしを通してやすらぎを得る
「ココロのやすらぎ」をただ1つの目標にすると、ただ1つの手段は「ゆるし」です。
簡単に言えば「ゆるすことは手放すこと」。
自身を考える時、「自分が得するには」ではなく、「自分の内を満たすには」と考えること。
第2のステップは、他者を「愛を差し出している人」「怖れに苛まれていて、愛という助けを求めている人」として見ることを選択すること。
私たちが経験することの正体は「世界」というスクリーンに映された自分のココロの状態です。
「エゴ」という名の偽の映画監督は、「怖れ」の別名でしかありません。
愛は、人をつなぐ映画だけを創るのです。
Part1のまとめ
・ココロのやすらぎが、私たちの唯一の目標である。
・私たちがココロのやすらぎを得るために、他人に変化してもらう必要はない。
・内なる声は、人生の方向性を示し、必要なことを達成する手段を与えてくれる。
***************
【Part2 私はすべてのものを、こうあってほしいと思う姿で見ます】
人は自分が信じるものでつくられる
何を信じるかは、過去の経験に左右されている。
自分が誰なのか改めて見直すことにより、本来の自分をより深く感じられる。
いつでも自由を選べる
肉体的な感覚によって、制限されている「現実」の中に閉じこめられないこと。
怖れと愛を同時に経験することはできません。どちらを望むかは、常に私たちが選ぶのです。
愛を選びつづけることで、人との関わりの本質を変えることができます。
攻撃とは防御のこと
攻撃はつねに、「怖れ」と「罪悪感」から生じています。
多くの人は、他人の間違いを正そうとするが、建設的な批判をしているつもりでも、その実、
相手が間違っていて、自分が正しいと相手を攻撃しているのです
ものの見方、感じ方を決める権利は自分にあるのだと、自覚することが必要。
やすらぎとは、相手をありのままに受け入れることから生まれる。その時、人は決して「要求」も「期待」もしないもの。
ゆるしとは、過去を手放すこと
これは、誤ったものの見方を修正する手段にもなる。
自らの選択で「忘れる」プロセスを通して、過去を再現する必要はなくなり、現在を受け止めることができる。
「人はみなバラバラの存在」という考えがなくなれば、まわりに癒やしの愛を注ぐことができる
癒やしは、「私たちは一体だ」という思いから生まれるものなのです。
得ることと、与えること
私たちはよく「条件つきの愛」を取引する。この「何かを得る」という動機は「苦悩と葛藤」となる。
それは「過去・現在・未来」という直線的な時間の概念とだけ結びついている。
一方、「与える」というのは、何も期待せず、境界線を設けず、無条件に自分の愛を差し出すこと
ココロを再訓練する質問
Q:愛を見つける人、欠点を見つける人、私はどちらを選ぶのか?
Q:愛を与える人、愛を求める人、私はどちらを選ぶのか?
ココロのやすらぎを望むなら、相手との一体感をもたらす気持ちの伝え方が大切。
自分の思い、言葉、行動を一致させましょう(これがバラバラだったから、私は壊れたんだな
使ってはいけない言葉はゴミ袋へ
不可能
できない
とりあえず、やってみる
限界
~さえ~だったら
でも
そうはいっても
むずかしい
~すべきだ
~かどうか疑わしい
架空のゴミ袋を持ち歩き、これらの言葉を使ってしまったら、袋に放りこみ、地面に埋めるところを思い描きましょう。
どんな時も、自分に優しくするのを忘れないことが大切。
これらの言葉を使ってしまったら、「失敗しただけ。これから気をつければいい」と考えて、罪の意識を持たない選択をしましょう。
Part2のまとめ
・自身を含めたすべての人を、「非難されることなど何もない人」として見る。
・誤った目標を選んだら、「怖れに反応している」と考える。
・時間が存在する大きな意義の1つは、「私たちが何を体験したいのか」選べるということ。
・すべての人のココロはつながっていて、1つである。
・変えられるのは、自分が世界をどう見るか、他人をどう見るか、自分自身をどう見るか。
・「怖れ」は私たちの心がつくり出すもの。したがって「実在しない」もの。
・私たちが経験することは、外界に投影された自分のココロの状態である。
***************
【Part3 愛だけを教えなさい。なぜなら、あなたは愛そのものだからです】
本書の指針は、日々の生活の中で実践して初めて意義がある。
レッスンから最大限の効果を引き出すために
毎日、目覚めると同時にリラックスし、想像力を使いましょう
自分にとって居心地がよく、落ち着ける場所にいるところを想像してください
・眠りにつく前、その日のレッスン内容をおさらいしてください。そして、それを夢の中に取り入れたいかどうか、自分に質問しましょう
●レッスン1 私が与えるものはすべて、私自身に与えている
「与えることは、受け取ること」
愛の法則の土台になっているのは「あふれるほどの豊かさ」という概念です。
一方、外界の法則は「与えることは、失うこと」とされています。
世界の法則は「欠乏」という概念に基づいていて、私たちが満たされることはない、と考えます。
自分の望みを他人に満たしてもらおうと考え、相手がその期待に応えてくれない時、苦悩を感じる
その苦悩は、焦燥感、失望、怒り、抑うつ状態、病気などで表れる。
相手は自分を変える必要もなく、私たちに何かを与える必要もありません。
『A World Beyond』ルース・モンゴメリー著
葛藤を起こさせるような疑問はためになりません。
自分の身に起こっていることにうまく対処するには、自分が力になれる相手を見つけること。
マザー・テレサから学んだこと
マザーから放たれる、愛、気品、平静さのあふれるオーラの力強さは、言葉では説明できません。
私がマザーから学んだ教訓は、「やるべきことを知るために、自分の外に道案内を求める必要はない」ということです。
与える時は、「そのうち」ではなく、つねに「今」であり、
見返りを期待したり、限界を設けたりせずに与えれば、すぐに内なるやすらぎが訪れるということ。
今日、私は、自分が受け取りたいと思うものだけを人に贈ります。
●レッスン2 ゆるしは幸せにいたる鍵である
ゆるしは、ものの見方を変え、怖れや、人を裁くココロ、不平などを手放す手段です。
忘れるべきことは忘れ、怖れに満ちた過去を現在に重ねているサングラスを外せば、愛は永遠に存在するということが経験できます
ゆるしは上に立って行うことでもなく、気に入らない相手の行動をガマンしたり、大目に見たりすることではありません。
「相手が自分を傷つけた」という誤った解釈を正すことです。
ゆるさない心は、「自分が他者を見る解釈には間違いがない」と思っています。
自分の怒りは正当で、人を有罪にする判断は正しいと自信を持っています。
過去と未来は同じだとかたくなに考えて、変化に抵抗します。
なにもかもがバラバラに存在すると考えます。
すすんで他人をゆるせなければ、自分をゆるすことはできません。
過去に誰かから何をされたとか、自分が何をしたとかは問題ではありません。
過去、金銭に対する執着を手放し、ゆるしを実践し、相手との関係を癒やすのです。
責められるべき人と、そうでない人がいるという過去の思い込みを手放すこと。
●レッスン3 私の心の動揺は、私が考える理由によるものではない
私たちは自分が信じるものだけを見ている
ほとんどの人は、過去の経験、五感に基づいて、何を信じるかを判断しています。
すると、外界が「原因」で、自分は「結果」だとみなすようになります。
ここでもう一度、心は「映写機」のようだと考えてみましょう
私たちは苦しい時、世界と人々を、自分の心を乱す存在といて見ています。
一方、心が穏やかな時は、世界と人々を、穏やかな存在として見ます。
そうではなく、「心にどんな思いを持ちたいか」を選ぶことで、自分の内側の世界をコントロールできるのです。
動揺、怒り、嫉妬、恨み、落ちこみ、それらはすべて、私が感じている「怖れ」を表しています。
ゆるしで長年の腰痛が消えた
私は自分の心が穏やかでないのは、肉体的な痛み、その不安のせいだと思っていた。
ある日、たしかに腰の症状はあるけれど、痛みを引き起こしているのは自分自身だと分かった。
「心が体をコントロールしている」ことに気づかず「肉体が心をコントロールしている」と自分に思いこませようとしていた。
ゆるしを通して不満を手放すことを学んでから、腰の痛みは消えてしまった。
「あなたがが見るものが、あなたが手にするものである」(フリップ・ワトソン)
●レッスン4 私はものごとをちがった目で見ると心に決めている
私たちの目に映る納得できないことだらけの世界は、自分の考え方の結末なのかもしれない。
恐ろしい過去は、そのまま恐ろしい未来につながり、「過去と未来は1つ」だという考え方です。
私は、家族中がつねに「怖れ」を抱いて生活しているような家庭で育ちました。
家族全員が同じ前提で物事を見ていたので、予測はかならず現実になりました。
自分が過去から大事に抱えてきた前提、価値観を、1つ残らず見直さなければなりません。
私は人生を、まるでロボットのように振る舞い、他の人が言うこと、することに反応してきました。
でも、今は、自分自身を解放します。
与えることに集中すると怖れは消える
与えることで頭がいっぱいの時は「怖れ」は感じません。
どんな心の状態でいるかは、自分の責任です。私たちの見方次第。
ロボットのように振る舞い、愛と怖れ、どちらを体験するかの決定権を、他人に委ねるのは止めましょう。
内なる道案内に従う
ものの見方を変えれば、今とは正反対の考え方ができるようになります。
ほとんどの人は、「手段」を見つけるのにエネルギーを使い果たして、「目標」を見失ってしまいます。
私はロボットではありません。私は自由です。私は、今とは違うものの見方をすることを決心します。
●レッスン5 攻撃の思いを手ばなせば、私の見る世界から脱出することができる
世界についての自分の思いを変えることで、世界を変えるのです。(オノ・ヨーコさんの「イマジン・ピース」だな
思いを変えることで、「原因」を変えることができます。
自分の目に映る世界という「結果」も自動的に変わります。
この新しい概念は受け入れがたいものです。
未来を容易に予測できたこれまでの考え方を放棄し、自分の思い、感情、反応に対する責任を引き受けることに抵抗を感じるからです。
人から攻撃されていると感じる時、実は自分の心の中で生まれたものだということに、なんとか気づかないようにしています。
でもそれが分かると、自分が抱く攻撃的な思いは、自身を傷つけていると気づきます。
自分の怒りを正当化しても、自分を守ることにはなりません。
人を攻撃すれば何かが得られると思った時は、誰よりも自分を攻撃することになるのだと思いだしましょう。
今日、私は、自分をまた傷つけることは望みません。
怒りを手放すことの大切さ
「アティテューディナル・ヒーリング・センター」では、世界中の子どもたちが、互いに助け合うことで平和を見出しています。
●レッスン6 私は自分の目に映る世界の犠牲者ではない
内なるやすらぎを確実なものにするためには、誰もが罪のない存在である世界を見なければなりません。
今までに感じた愛以外の過去の出来事は、すべて意味がないと考えることから始めましょう。
私が外界に見るものは、その前に自身の心の内にあらかじめ見ていたものの反映です。
「自分が見たいもの」について考えを変えることで、世界に対する見方を変えられます。
セールスマンも顧客も幸せになる(急に金の話になった
私は、これまで、これから車を買おうという時、猜疑心のかたまりになって臨むのは世間の常識だと思っていました。
セールスマンなんて信頼できな人種です。
その頃、気づいていなかったのは、そういう心構えで臨むと、選択肢がなくなるということです。
自分の過去から特定の要素だけを選んで、現在の相手を判断する材料にしてしまったのです。
●レッスン7 今日、私は何が起こっても裁こうとはしない
ほんの短時間でも、誰かと一緒にいて、その人を批判しないでいることは滅多にありません。
すぐに完璧さを求めず、人を裁こうとしない努力を始めましょう。
ほとんどの人は、心理学で「トンネル・ビジョン」と呼ばれる「視野狭窄」の状態をつくり出します。
他人を全体像としてとらえることができず、一部だけを目にして「欠点」として解釈します。
批判の正体はたいてい「あら探し」なのです。
無条件の愛を経験するには「評価したがる自分」を捨て去ることが必要です。
大切なのは、自分を含めたすべての人に、今日のレッスンを応用することです。
他人を無条件に受け入れ、相手を変えようと臨まないことを学んだ時、同時に、自分自身を受け入れることを学ぶのです。
私たちが考えること、言うこと、することは、すべてブーメランのように自分にはねかえってきます。
会う人すべてを、愛を差し出している人、あるいは怖れに苛まれて助けを求めている、愛を求めている人だとみなしましょう。
●レッスン8 今という瞬間が、存在する唯一のときである
子どもは、世界を「バラバラのものでできている」とは見ていない気がします。
だから、真の純粋さ、愛、知恵、ゆるしといったものの象徴なのです。
けれど、歳を重ねるにつれて、大人の価値観を受け入れるようになります。
過去に学んだことをもとに現在を過ごし、未来を予測することが重要とされます。
過去の苦悩に固執していると「きっと未来もこんな風になるのだろう」と考えてしまいます。
すると、私たちの心は脆くなり、「過去はまた繰り返されるだろう」と予測します。
私たちは、自分が予測するものを見て、予測するものを招き寄せているのです。
すると、過去の罪悪感と怖れは絶えず繰り返されることになります。
「今、この瞬間が、存在する唯一のときである」と考えると、永遠のときが始まり、
未来は途絶えることのない平和な現在の続きになるのです。
やすらぎは過去や未来ではなく、今、この瞬間にだけ見出されるものです。
著者の友人からの手紙の抜粋
その人は私自身であり、私はその人でした。私たちは一体となったことを喜び合いました。
ほんとうに愛すること、尊重すること、ゆるすことは、こういう気持ちなのだと分かりました。
●レッスン9 過去は過ぎ去ったことであり、私に触れることはできない
過去に傷つけられたという思いがある時、将来また傷つけられないために、私たちは「防御」をかためていきます。
こうして、怖れに満ちた過去から、怖れに満ちた未来が生まれて、過去と未来は1つになります。
私たちは、過去の経験を基準にして現在を判断することを「自然」ととらえています。
けれど、それは歪んだサングラスをかけて現在を見ることになります。
相手のほんとうの姿を見ようと思うなら、彼らの過去も、私たち自身の過去も、
現在には何の影響力もないことに気づかなければなりません。
罪の意識を生み出す、辛い過去の経験に縛り付けているのは、
過去や未来をコントロールし、予測したいという、自分自身の強い思いです。
「罪の意識」と「怖れ」は互いに結びついて、過去はそのまま未来へ続くのだと、私たちに信じさせようとします。
私は今、過去の歪んだ見方から解放され、現在の中で自由に生きる可能性をこの手に戻します。
例:
風船に「私は自分の誤ったものの見方をゆるします」と書いて、空に消えていくイメージをする。
●レッスン10 私は、これを見る代わりに、やすらぎを見ることができる
ほとんどの人は「幸せになるかどうかは、まわりで起こることと、他人が自分にどう反応するかで決まる」と思って人生を送ります。
「運の良さ・悪さ」で決まると感じたりもします。
怒り、落ちこみという反応は、外部からの刺激に対する私たちの「解釈」が原因です。
それは不完全なものの見方から生まれています。
私が日々体験する様々なことは、私が自分の内面に見ている混乱を反映しています。
今日、私は自分と世界に対する新しい見方を喜んで受け入れます。
母と自分の間に愛を見ること(出た!
私には88歳になる母がいます。54歳になった今でも、私は母を喜ばせたいと思い、悲しませたくないと思います。
でも、それを母が喜んでくれない時、動揺し、ワガママな人間だという見方をしそうになります。
そんな時、「私たちの前にある選択肢は、やすらぎか葛藤かだ」というレッスンを思い出させてくれます。
母を変えたいと思わず、受け入れることを選べるようになり、母はいつも大事なことを教えてくれる存在だと気づきます。
(黙って相手の要求を受け入れてばかりだと、先日の「アサーティヴトレーニング」と矛盾しないかなあ・・・
他者を助ければ、自分が幸せになる
人は病気になると、愚痴を言い、自分を憐れみ、肉体にばかり意識を集中させます。
センターで子どもを相手に活動していると、「他者を助ければ、自分が幸せになる」のだと気づきます。
●レッスン11 私は、傷つける思いのすべてを変えることを選択できる
「人の心は本来、自由な意思を持ち、自由に選択するようにできている」という事実を大抵の人は忘れてしまいます。
そんな時、想像力をはたらかせて、出口を見つけるのです。
過去の問題を解決しようとするあがきから解放された感覚とともに、現実に戻ってください。
ものごとを「問題」としてでなく「学びの機会」と見れば、1つ1つの教えを学んで、喜びと幸福を感じることができます。
私たちに学ぶ用意ができるまでは、学ぶべきことが現れることはありません。
相手も怖れていることを知る
ある日、精神科の隔離病棟で患者が突然暴れだしました。
身長190cm、体重130kgほどの男性が、釘が何本も出た木片を手に叫びながら部屋中を走り回っています
私は医師という立場で相手を操る作戦を選ばず、
「部屋に入って君の力になりたいが、怪我をさせられるのではないかと思うと怖いし、君が怪我をするのではと思うのも怖いんだ」と言うと、
彼は「オレも怖いんだ」と言い、話し続けるうちに怖れは消え、男性は私を部屋に招き入れてくれました。
この患者を敵ではなく、教師として見たからこそ、彼は私に気づかせてくれたのです。
私たちはみな、病んでいるという点では変わらず、違うのは、どんな形で病んでいるかだけではないか、と。
●レッスン12 私は私に何が見えるかに対して責任がある
私の身に起こるように見えるものはすべて、私が求め、求めたとおりの形で受け取るものである。
*********************************************
●おわりに
いくつもの目標を掲げて葛藤に陥るのではなく、「やすらぎ」という、ただ1つの目標を選びつづけましょう。
ゆるしを実践し、互い、そして自分を、非のない存在とみなしましょう。
「現在」というときを、愛情をこめて見つめましょう。
得ることではなく、与えることだけを考えましょう。
私たちはみな1つの自我としてつながっていることに気づきましょう。
●2004年版によせて
私(著者)は子どもの頃から「失読症」だったため、1943年、バークレー校を悪戦苦闘の末に英語のコースを終えて、成績はギリギリのD。
最後の授業で、担当教授はこう言いました。
「これからの進路は知らないが、何があっても本を書こうだなんてことだけは考えないでくれよ」
自分の能力の限界を判断する権利を、他人に譲り渡すのはもうやめよう。
ずっと他人から「お前にはできない」と言われてきたことをやろうと決めたのは50歳の時でした。
私は本を書き、このささやかな本が400万部以上売れ、29ヶ国語以上に翻訳されていることに、今も畏怖を感じています。
失読症
視覚または発声器官に異常がないのに、文字を理解することができない、または読むことのできない病的状態。
1979年の出版以来、本書は読むべき人のもとに、人生の中でまさに今、読むべきときに届けられています。
本は、そこに書かれているメッセージを受け取る準備ができた時、その人のもとにやってくるものです。しかも、信じられないような形で。
イランを訪れた時も、ペルシャ語に翻訳され、国内で広く流通していると知り、驚くと同時にとても嬉しく思いました。
明らかに海賊版でしたが、それには目をつぶることにしました
私たちにとっては、このメッセージが、それを必要とする人に届くことのほうが大切だったからです。
私が「アティテューディナル・ヒーリング・センター」の創設に関わったのは1975年のことでした。
「アティテューディナル・ヒーリング」は、「私たちに苦悩をもたらすものは、他人や状況ではない」という原則に基づいています。
苦悩の元は、私たち自身の考えや姿勢であり、その結果、私たちがとる行動が自分を傷つけるのです。
私たちが目指すのは、人生で困難に直面するたびに、自分を癒やすことなのです。
センターの最初の活動は、重病に苦しむ子どもたちと、その家族に対する支援でした。
センターが支援を必要とする方々に対して直接行う活動は無償です。
※一般向けに公開されているトレーニング、ワークショップは有料。
ゆるしとは、ひどい行いを大目に見たり、認めたりすることではありません。
「私はもう、自分を痛めつけることはしない」と決心することにほかなりません。
ゆるしとは、「苦しまない」という決意をすること。
幸せになるという決意、裁きの心を捨てる決意、他人と自分を傷つけるのをやめる決意、
怒りと怖れの循環を断ち切る決意をすることです。
「アティテューディナル・ヒーリング」は、世界中に広まり、5大陸、28カ国に130を超えるセンターとグループができています。
●解説/「アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン」代表 水島広子(精神科医、前衆議院議員)
(こないだのクリニックで水島さんのことを話したら有名な方だそうな
「怖れ」をどうするかは、ずっと私のテーマでした。
「社会制度が整えば人の怖れはなくなるのではないか」と考えて、国会議員になったほどです。
しかし、ある時から「社会制度が整えば・・・」という考え方そのものが「怖れ」をつくり出しているのではないか、と考えるようになりました。
そして、ちょうどその頃に本書に出合ったのです。
「アティテューディナル・ヒーリング」のワークショップを訪れた方には、
「今日の午後から体験されるでしょう」とだけ申し上げて、そのままにします。
午後には、グループでお互いの話を聴くだけです。でも、聴き方が特別です。
いつも私たちが、人の話を聞く時は、同時に「自分の考え」も聞いています。
過去から自分がつくり上げたデータベースの雑音を聞いていることがほとんどです。
それを手放して、相手の話に集中するのです。
相手の話を[解決すべき問題」として聴くのもやめてもらいます。
このワークショップは、「聴き方のトレーニング」であり、話し手も「無条件の愛を感じる」という素晴らしい経験をされるようです。
愛とは、自分の中にある「ポカポカとした温かいもの」であり、怖れを手放すと自然に感じられます。
怖れを手放すためには、ただ現在に集中すればいのです。
「アティテューディナル・ヒーリング」が言う
「私たちの本質は愛であり、その上に怖れが垢のようにこびりついて見えなくなっていても、愛は変わらずそこにある」
ということが真実だと改めて感じさせられます。
「アティテューディナル・ヒーリング」の原則の1つである「与えることは、受け取ること」そのものです。
「アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン」は、完全にボランティアで行われている活動ですが、
トレーニングを終えた「ファシリテーター」の方たちが、各地でサポートグループをはじめています。
ファシリテーター(facilitator)
1 物事を容易にできるようにする人や物。また、世話人。
2 集会・会議などで、テーマ・議題に沿って発言内容を整理し、発言者が偏らないよう、順調に進行するように口添えする役。議長と違い、決定権を持たない。
「人のため」と思うと、そこには、執着心、被害者意識、完璧主義などの「怖れ」が生じます。
でも、すべては「自分の心の平和のためにやっているのだ」と心の姿勢に責任を持つことが基本になっています。
差別、災害など「被害者意識」が起こりがちな場面でも大きな力を発揮しています。
アメリカで、唯一成功している人種差別対策と言えるかもしれません。
問題を解決しようとすると、私たちは「怖れの綱引き」状態になってしまいます。
「私のほうが正しい」「いや、私のほうが」という具合にです。
相手の怖れにエネルギーを供給するのは自分の怖れなので、お互いの怖れは強まるばかり。
まずは自分が怖れを手放すことで、相手も手放しやすい環境ができるのです。
社会はこうしてしか変わらないだろう、というのが私の現時点での考えです。
これを書いている現在、著者のジェリー(ジェラルド)は、83歳。
毎朝散歩をし、週3回はスポーツジムに通い、とても健康です。
毎朝、目を覚ますと「今日の唯一の目標は、心の平和。今日の唯一の役割は、ゆるすこと」と
自分が納得するまで布団から出ないそうです。
ジェラルド・G・ジャンポルスキー/著 本田健/翻訳
ツイッターでいつもいい言葉が載っている「あいのことば @_love_bot」で時々本書からの言葉が載っていて、
とてもいい言葉ばかりなので、安価だし買ってみた。
自己啓発もの、スピリチュアル本を読むのは久々。
単行本で軽いから、クリニックの待合室でいつも1時間以上は待たされる間に数ページずつ読んでいたら、
買ってから読み終わるまでに数ヶ月もかかってしまった(放置してた期間を足せば1年近いかも
1言1言に重みがあって、納得できることばかり。
私が去年読んでもっとも感銘を受けた『神との対話 宇宙をみつける自分をみつける』(サンマーク出版)とも共通する。
これまでの復習でもあり、再確認でもあり、新発見もあり、
どのページからまた何度か読み返してもいい1冊。
ちなみに、本書も『神との対話』同様、特定の宗教をすすめる本ではありません
本書に出てくる「アティテューディナル・ヒーリング・センター」が気になった。
アティテューディナル・ヒーリング=心のあり方を選ぶことによる癒やし
【内容抜粋メモ】
※「本書の12のレッスンのタイトルは『奇跡のコース』からの引用
●著者からの言葉
人は自分が学びたいと思うことを教えるものです。そして私が学びたいのは、内なるやすらぎを得ることです。
(著者は成功した精神科医だったが、空虚で偽善に満ちていた。20年間の結婚生活が破綻し、お酒に溺れていた時、
『奇跡についてのコース』という本に出合う。
感情には2種類しかない、それは「愛」と「怖れ」だと『奇跡についてのコース』に書かれていた。
真実と幻想のどちらを受け入れるかという選択もこのコースで気づいた。
うまくいかないと、こんな目に遭うのは世間のせい、人のせいと考えて、自分の怒りを正当化していた
私たちはみな、互いの教師。
愛だけを教えなさい。なぜなら、あなたは愛そのものだからです。
●はじめに
自分の内側に目を向けるのは、的確な道を示し、確かな情報をもたらしてくれる「内なる直感の声」です。
この静けさの中では、人格の対立などはどうでもよくなります。
私たちは過去をコントロールしようとし、未来を予測しようとしているため、孤立し、愛される魅力もないと感じるのです。
自分以外の誰かから何かを手に入れる必要を感じ、それが満たされた時は相手を愛し、満たされなかった時には相手を憎む関係です。
多くの人は、仕事、家庭、金銭など欲しかったものを手に入れた後でも、ココロが空っぽなのに気づいています。
マザー・テレサはこれを「スピリチュアル欠乏症」と呼びました。
そのストレスが欲求不満、うつ、肉体的な痛み、病気、死という形で表れます。
みな病気などをなくしたいと真剣に望みながら、自分に対するこれまでの見方を変えたくないのです。
自らの考え方を変え、過去を捨て、「今」をもっと強く感じ、怖れを消滅しなければなりません。
ひと言で言うなら「与える行為を通して、なるべき自分になる」のが本書のテーマです。
ココロの安らぎという1つの「目標」と、「許し」を実践するという1つの「手段」を持つだけでいいのです。
【Part1 すべての怖れは過去のもの。ここにあるのは愛だけである】
「現実」とはなにか?
ほとんどの人は、何が現実なのか判断できないでいる。
始まりもなく終わりもないものを現実として見れば、人生はより意義深いものになる。
この永遠という定義に当てはまるのは「愛」だけ。他のものはすべてうつろい、意味のないものです。
愛は、何かを比較している状態ではなく、豊かさを増しながらあふれ出している状態です。
その中で私たちは、すべての人のココロはつながっている、共通の「自己」を分かち合っていることを悟ります。
繰り返される過去
私たちの心の中には、自分の過去をテーマにした映画のフィルムがあり、私たちはそのレンズを通して現実を経験している。
つまり、現在をありのままに見たり聞いたりしていない。歪んだ古い記憶で現在を覆って、断片的に見ているだけです。
やすらぎを奪うのは不幸の予測
私たちは、物事を予測し、コントロールすることに価値を置いている。「病的な自己防衛」
過去の怖れのせいで、未来の怖れを予期してしまいます。
現実はいつでも選択できる
私たちは、社会からの借り物である「現実」によって制限を受けることを、どの瞬間にも拒否しなければなりません。
この「瞬間」を唯一の時として経験し、「今」という現実に生きることを選択できるのです。
「できない」「不可能だ」と言う時、怖れに満ちた過去の限界を自身に課したことになります。
唯一の目標
私たちは目標を1つに絞らず、あれもこれもとしがちです。すると焦点がぼやけ、葛藤が大きくなるだけ。
ゆるしを通してやすらぎを得る
「ココロのやすらぎ」をただ1つの目標にすると、ただ1つの手段は「ゆるし」です。
簡単に言えば「ゆるすことは手放すこと」。
自身を考える時、「自分が得するには」ではなく、「自分の内を満たすには」と考えること。
第2のステップは、他者を「愛を差し出している人」「怖れに苛まれていて、愛という助けを求めている人」として見ることを選択すること。
私たちが経験することの正体は「世界」というスクリーンに映された自分のココロの状態です。
「エゴ」という名の偽の映画監督は、「怖れ」の別名でしかありません。
愛は、人をつなぐ映画だけを創るのです。
Part1のまとめ
・ココロのやすらぎが、私たちの唯一の目標である。
・私たちがココロのやすらぎを得るために、他人に変化してもらう必要はない。
・内なる声は、人生の方向性を示し、必要なことを達成する手段を与えてくれる。
***************
【Part2 私はすべてのものを、こうあってほしいと思う姿で見ます】
人は自分が信じるものでつくられる
何を信じるかは、過去の経験に左右されている。
自分が誰なのか改めて見直すことにより、本来の自分をより深く感じられる。
いつでも自由を選べる
肉体的な感覚によって、制限されている「現実」の中に閉じこめられないこと。
怖れと愛を同時に経験することはできません。どちらを望むかは、常に私たちが選ぶのです。
愛を選びつづけることで、人との関わりの本質を変えることができます。
攻撃とは防御のこと
攻撃はつねに、「怖れ」と「罪悪感」から生じています。
多くの人は、他人の間違いを正そうとするが、建設的な批判をしているつもりでも、その実、
相手が間違っていて、自分が正しいと相手を攻撃しているのです
ものの見方、感じ方を決める権利は自分にあるのだと、自覚することが必要。
やすらぎとは、相手をありのままに受け入れることから生まれる。その時、人は決して「要求」も「期待」もしないもの。
ゆるしとは、過去を手放すこと
これは、誤ったものの見方を修正する手段にもなる。
自らの選択で「忘れる」プロセスを通して、過去を再現する必要はなくなり、現在を受け止めることができる。
「人はみなバラバラの存在」という考えがなくなれば、まわりに癒やしの愛を注ぐことができる
癒やしは、「私たちは一体だ」という思いから生まれるものなのです。
得ることと、与えること
私たちはよく「条件つきの愛」を取引する。この「何かを得る」という動機は「苦悩と葛藤」となる。
それは「過去・現在・未来」という直線的な時間の概念とだけ結びついている。
一方、「与える」というのは、何も期待せず、境界線を設けず、無条件に自分の愛を差し出すこと
ココロを再訓練する質問
Q:愛を見つける人、欠点を見つける人、私はどちらを選ぶのか?
Q:愛を与える人、愛を求める人、私はどちらを選ぶのか?
ココロのやすらぎを望むなら、相手との一体感をもたらす気持ちの伝え方が大切。
自分の思い、言葉、行動を一致させましょう(これがバラバラだったから、私は壊れたんだな
使ってはいけない言葉はゴミ袋へ
不可能
できない
とりあえず、やってみる
限界
~さえ~だったら
でも
そうはいっても
むずかしい
~すべきだ
~かどうか疑わしい
架空のゴミ袋を持ち歩き、これらの言葉を使ってしまったら、袋に放りこみ、地面に埋めるところを思い描きましょう。
どんな時も、自分に優しくするのを忘れないことが大切。
これらの言葉を使ってしまったら、「失敗しただけ。これから気をつければいい」と考えて、罪の意識を持たない選択をしましょう。
Part2のまとめ
・自身を含めたすべての人を、「非難されることなど何もない人」として見る。
・誤った目標を選んだら、「怖れに反応している」と考える。
・時間が存在する大きな意義の1つは、「私たちが何を体験したいのか」選べるということ。
・すべての人のココロはつながっていて、1つである。
・変えられるのは、自分が世界をどう見るか、他人をどう見るか、自分自身をどう見るか。
・「怖れ」は私たちの心がつくり出すもの。したがって「実在しない」もの。
・私たちが経験することは、外界に投影された自分のココロの状態である。
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【Part3 愛だけを教えなさい。なぜなら、あなたは愛そのものだからです】
本書の指針は、日々の生活の中で実践して初めて意義がある。
レッスンから最大限の効果を引き出すために
毎日、目覚めると同時にリラックスし、想像力を使いましょう
自分にとって居心地がよく、落ち着ける場所にいるところを想像してください
・眠りにつく前、その日のレッスン内容をおさらいしてください。そして、それを夢の中に取り入れたいかどうか、自分に質問しましょう
●レッスン1 私が与えるものはすべて、私自身に与えている
「与えることは、受け取ること」
愛の法則の土台になっているのは「あふれるほどの豊かさ」という概念です。
一方、外界の法則は「与えることは、失うこと」とされています。
世界の法則は「欠乏」という概念に基づいていて、私たちが満たされることはない、と考えます。
自分の望みを他人に満たしてもらおうと考え、相手がその期待に応えてくれない時、苦悩を感じる
その苦悩は、焦燥感、失望、怒り、抑うつ状態、病気などで表れる。
相手は自分を変える必要もなく、私たちに何かを与える必要もありません。
『A World Beyond』ルース・モンゴメリー著
葛藤を起こさせるような疑問はためになりません。
自分の身に起こっていることにうまく対処するには、自分が力になれる相手を見つけること。
マザー・テレサから学んだこと
マザーから放たれる、愛、気品、平静さのあふれるオーラの力強さは、言葉では説明できません。
私がマザーから学んだ教訓は、「やるべきことを知るために、自分の外に道案内を求める必要はない」ということです。
与える時は、「そのうち」ではなく、つねに「今」であり、
見返りを期待したり、限界を設けたりせずに与えれば、すぐに内なるやすらぎが訪れるということ。
今日、私は、自分が受け取りたいと思うものだけを人に贈ります。
●レッスン2 ゆるしは幸せにいたる鍵である
ゆるしは、ものの見方を変え、怖れや、人を裁くココロ、不平などを手放す手段です。
忘れるべきことは忘れ、怖れに満ちた過去を現在に重ねているサングラスを外せば、愛は永遠に存在するということが経験できます
ゆるしは上に立って行うことでもなく、気に入らない相手の行動をガマンしたり、大目に見たりすることではありません。
「相手が自分を傷つけた」という誤った解釈を正すことです。
ゆるさない心は、「自分が他者を見る解釈には間違いがない」と思っています。
自分の怒りは正当で、人を有罪にする判断は正しいと自信を持っています。
過去と未来は同じだとかたくなに考えて、変化に抵抗します。
なにもかもがバラバラに存在すると考えます。
すすんで他人をゆるせなければ、自分をゆるすことはできません。
過去に誰かから何をされたとか、自分が何をしたとかは問題ではありません。
過去、金銭に対する執着を手放し、ゆるしを実践し、相手との関係を癒やすのです。
責められるべき人と、そうでない人がいるという過去の思い込みを手放すこと。
●レッスン3 私の心の動揺は、私が考える理由によるものではない
私たちは自分が信じるものだけを見ている
ほとんどの人は、過去の経験、五感に基づいて、何を信じるかを判断しています。
すると、外界が「原因」で、自分は「結果」だとみなすようになります。
ここでもう一度、心は「映写機」のようだと考えてみましょう
私たちは苦しい時、世界と人々を、自分の心を乱す存在といて見ています。
一方、心が穏やかな時は、世界と人々を、穏やかな存在として見ます。
そうではなく、「心にどんな思いを持ちたいか」を選ぶことで、自分の内側の世界をコントロールできるのです。
動揺、怒り、嫉妬、恨み、落ちこみ、それらはすべて、私が感じている「怖れ」を表しています。
ゆるしで長年の腰痛が消えた
私は自分の心が穏やかでないのは、肉体的な痛み、その不安のせいだと思っていた。
ある日、たしかに腰の症状はあるけれど、痛みを引き起こしているのは自分自身だと分かった。
「心が体をコントロールしている」ことに気づかず「肉体が心をコントロールしている」と自分に思いこませようとしていた。
ゆるしを通して不満を手放すことを学んでから、腰の痛みは消えてしまった。
「あなたがが見るものが、あなたが手にするものである」(フリップ・ワトソン)
●レッスン4 私はものごとをちがった目で見ると心に決めている
私たちの目に映る納得できないことだらけの世界は、自分の考え方の結末なのかもしれない。
恐ろしい過去は、そのまま恐ろしい未来につながり、「過去と未来は1つ」だという考え方です。
私は、家族中がつねに「怖れ」を抱いて生活しているような家庭で育ちました。
家族全員が同じ前提で物事を見ていたので、予測はかならず現実になりました。
自分が過去から大事に抱えてきた前提、価値観を、1つ残らず見直さなければなりません。
私は人生を、まるでロボットのように振る舞い、他の人が言うこと、することに反応してきました。
でも、今は、自分自身を解放します。
与えることに集中すると怖れは消える
与えることで頭がいっぱいの時は「怖れ」は感じません。
どんな心の状態でいるかは、自分の責任です。私たちの見方次第。
ロボットのように振る舞い、愛と怖れ、どちらを体験するかの決定権を、他人に委ねるのは止めましょう。
内なる道案内に従う
ものの見方を変えれば、今とは正反対の考え方ができるようになります。
ほとんどの人は、「手段」を見つけるのにエネルギーを使い果たして、「目標」を見失ってしまいます。
私はロボットではありません。私は自由です。私は、今とは違うものの見方をすることを決心します。
●レッスン5 攻撃の思いを手ばなせば、私の見る世界から脱出することができる
世界についての自分の思いを変えることで、世界を変えるのです。(オノ・ヨーコさんの「イマジン・ピース」だな
思いを変えることで、「原因」を変えることができます。
自分の目に映る世界という「結果」も自動的に変わります。
この新しい概念は受け入れがたいものです。
未来を容易に予測できたこれまでの考え方を放棄し、自分の思い、感情、反応に対する責任を引き受けることに抵抗を感じるからです。
人から攻撃されていると感じる時、実は自分の心の中で生まれたものだということに、なんとか気づかないようにしています。
でもそれが分かると、自分が抱く攻撃的な思いは、自身を傷つけていると気づきます。
自分の怒りを正当化しても、自分を守ることにはなりません。
人を攻撃すれば何かが得られると思った時は、誰よりも自分を攻撃することになるのだと思いだしましょう。
今日、私は、自分をまた傷つけることは望みません。
怒りを手放すことの大切さ
「アティテューディナル・ヒーリング・センター」では、世界中の子どもたちが、互いに助け合うことで平和を見出しています。
●レッスン6 私は自分の目に映る世界の犠牲者ではない
内なるやすらぎを確実なものにするためには、誰もが罪のない存在である世界を見なければなりません。
今までに感じた愛以外の過去の出来事は、すべて意味がないと考えることから始めましょう。
私が外界に見るものは、その前に自身の心の内にあらかじめ見ていたものの反映です。
「自分が見たいもの」について考えを変えることで、世界に対する見方を変えられます。
セールスマンも顧客も幸せになる(急に金の話になった
私は、これまで、これから車を買おうという時、猜疑心のかたまりになって臨むのは世間の常識だと思っていました。
セールスマンなんて信頼できな人種です。
その頃、気づいていなかったのは、そういう心構えで臨むと、選択肢がなくなるということです。
自分の過去から特定の要素だけを選んで、現在の相手を判断する材料にしてしまったのです。
●レッスン7 今日、私は何が起こっても裁こうとはしない
ほんの短時間でも、誰かと一緒にいて、その人を批判しないでいることは滅多にありません。
すぐに完璧さを求めず、人を裁こうとしない努力を始めましょう。
ほとんどの人は、心理学で「トンネル・ビジョン」と呼ばれる「視野狭窄」の状態をつくり出します。
他人を全体像としてとらえることができず、一部だけを目にして「欠点」として解釈します。
批判の正体はたいてい「あら探し」なのです。
無条件の愛を経験するには「評価したがる自分」を捨て去ることが必要です。
大切なのは、自分を含めたすべての人に、今日のレッスンを応用することです。
他人を無条件に受け入れ、相手を変えようと臨まないことを学んだ時、同時に、自分自身を受け入れることを学ぶのです。
私たちが考えること、言うこと、することは、すべてブーメランのように自分にはねかえってきます。
会う人すべてを、愛を差し出している人、あるいは怖れに苛まれて助けを求めている、愛を求めている人だとみなしましょう。
●レッスン8 今という瞬間が、存在する唯一のときである
子どもは、世界を「バラバラのものでできている」とは見ていない気がします。
だから、真の純粋さ、愛、知恵、ゆるしといったものの象徴なのです。
けれど、歳を重ねるにつれて、大人の価値観を受け入れるようになります。
過去に学んだことをもとに現在を過ごし、未来を予測することが重要とされます。
過去の苦悩に固執していると「きっと未来もこんな風になるのだろう」と考えてしまいます。
すると、私たちの心は脆くなり、「過去はまた繰り返されるだろう」と予測します。
私たちは、自分が予測するものを見て、予測するものを招き寄せているのです。
すると、過去の罪悪感と怖れは絶えず繰り返されることになります。
「今、この瞬間が、存在する唯一のときである」と考えると、永遠のときが始まり、
未来は途絶えることのない平和な現在の続きになるのです。
やすらぎは過去や未来ではなく、今、この瞬間にだけ見出されるものです。
著者の友人からの手紙の抜粋
その人は私自身であり、私はその人でした。私たちは一体となったことを喜び合いました。
ほんとうに愛すること、尊重すること、ゆるすことは、こういう気持ちなのだと分かりました。
●レッスン9 過去は過ぎ去ったことであり、私に触れることはできない
過去に傷つけられたという思いがある時、将来また傷つけられないために、私たちは「防御」をかためていきます。
こうして、怖れに満ちた過去から、怖れに満ちた未来が生まれて、過去と未来は1つになります。
私たちは、過去の経験を基準にして現在を判断することを「自然」ととらえています。
けれど、それは歪んだサングラスをかけて現在を見ることになります。
相手のほんとうの姿を見ようと思うなら、彼らの過去も、私たち自身の過去も、
現在には何の影響力もないことに気づかなければなりません。
罪の意識を生み出す、辛い過去の経験に縛り付けているのは、
過去や未来をコントロールし、予測したいという、自分自身の強い思いです。
「罪の意識」と「怖れ」は互いに結びついて、過去はそのまま未来へ続くのだと、私たちに信じさせようとします。
私は今、過去の歪んだ見方から解放され、現在の中で自由に生きる可能性をこの手に戻します。
例:
風船に「私は自分の誤ったものの見方をゆるします」と書いて、空に消えていくイメージをする。
●レッスン10 私は、これを見る代わりに、やすらぎを見ることができる
ほとんどの人は「幸せになるかどうかは、まわりで起こることと、他人が自分にどう反応するかで決まる」と思って人生を送ります。
「運の良さ・悪さ」で決まると感じたりもします。
怒り、落ちこみという反応は、外部からの刺激に対する私たちの「解釈」が原因です。
それは不完全なものの見方から生まれています。
私が日々体験する様々なことは、私が自分の内面に見ている混乱を反映しています。
今日、私は自分と世界に対する新しい見方を喜んで受け入れます。
母と自分の間に愛を見ること(出た!
私には88歳になる母がいます。54歳になった今でも、私は母を喜ばせたいと思い、悲しませたくないと思います。
でも、それを母が喜んでくれない時、動揺し、ワガママな人間だという見方をしそうになります。
そんな時、「私たちの前にある選択肢は、やすらぎか葛藤かだ」というレッスンを思い出させてくれます。
母を変えたいと思わず、受け入れることを選べるようになり、母はいつも大事なことを教えてくれる存在だと気づきます。
(黙って相手の要求を受け入れてばかりだと、先日の「アサーティヴトレーニング」と矛盾しないかなあ・・・
他者を助ければ、自分が幸せになる
人は病気になると、愚痴を言い、自分を憐れみ、肉体にばかり意識を集中させます。
センターで子どもを相手に活動していると、「他者を助ければ、自分が幸せになる」のだと気づきます。
●レッスン11 私は、傷つける思いのすべてを変えることを選択できる
「人の心は本来、自由な意思を持ち、自由に選択するようにできている」という事実を大抵の人は忘れてしまいます。
そんな時、想像力をはたらかせて、出口を見つけるのです。
過去の問題を解決しようとするあがきから解放された感覚とともに、現実に戻ってください。
ものごとを「問題」としてでなく「学びの機会」と見れば、1つ1つの教えを学んで、喜びと幸福を感じることができます。
私たちに学ぶ用意ができるまでは、学ぶべきことが現れることはありません。
相手も怖れていることを知る
ある日、精神科の隔離病棟で患者が突然暴れだしました。
身長190cm、体重130kgほどの男性が、釘が何本も出た木片を手に叫びながら部屋中を走り回っています
私は医師という立場で相手を操る作戦を選ばず、
「部屋に入って君の力になりたいが、怪我をさせられるのではないかと思うと怖いし、君が怪我をするのではと思うのも怖いんだ」と言うと、
彼は「オレも怖いんだ」と言い、話し続けるうちに怖れは消え、男性は私を部屋に招き入れてくれました。
この患者を敵ではなく、教師として見たからこそ、彼は私に気づかせてくれたのです。
私たちはみな、病んでいるという点では変わらず、違うのは、どんな形で病んでいるかだけではないか、と。
●レッスン12 私は私に何が見えるかに対して責任がある
私の身に起こるように見えるものはすべて、私が求め、求めたとおりの形で受け取るものである。
*********************************************
●おわりに
いくつもの目標を掲げて葛藤に陥るのではなく、「やすらぎ」という、ただ1つの目標を選びつづけましょう。
ゆるしを実践し、互い、そして自分を、非のない存在とみなしましょう。
「現在」というときを、愛情をこめて見つめましょう。
得ることではなく、与えることだけを考えましょう。
私たちはみな1つの自我としてつながっていることに気づきましょう。
●2004年版によせて
私(著者)は子どもの頃から「失読症」だったため、1943年、バークレー校を悪戦苦闘の末に英語のコースを終えて、成績はギリギリのD。
最後の授業で、担当教授はこう言いました。
「これからの進路は知らないが、何があっても本を書こうだなんてことだけは考えないでくれよ」
自分の能力の限界を判断する権利を、他人に譲り渡すのはもうやめよう。
ずっと他人から「お前にはできない」と言われてきたことをやろうと決めたのは50歳の時でした。
私は本を書き、このささやかな本が400万部以上売れ、29ヶ国語以上に翻訳されていることに、今も畏怖を感じています。
失読症
視覚または発声器官に異常がないのに、文字を理解することができない、または読むことのできない病的状態。
1979年の出版以来、本書は読むべき人のもとに、人生の中でまさに今、読むべきときに届けられています。
本は、そこに書かれているメッセージを受け取る準備ができた時、その人のもとにやってくるものです。しかも、信じられないような形で。
イランを訪れた時も、ペルシャ語に翻訳され、国内で広く流通していると知り、驚くと同時にとても嬉しく思いました。
明らかに海賊版でしたが、それには目をつぶることにしました
私たちにとっては、このメッセージが、それを必要とする人に届くことのほうが大切だったからです。
私が「アティテューディナル・ヒーリング・センター」の創設に関わったのは1975年のことでした。
「アティテューディナル・ヒーリング」は、「私たちに苦悩をもたらすものは、他人や状況ではない」という原則に基づいています。
苦悩の元は、私たち自身の考えや姿勢であり、その結果、私たちがとる行動が自分を傷つけるのです。
私たちが目指すのは、人生で困難に直面するたびに、自分を癒やすことなのです。
センターの最初の活動は、重病に苦しむ子どもたちと、その家族に対する支援でした。
センターが支援を必要とする方々に対して直接行う活動は無償です。
※一般向けに公開されているトレーニング、ワークショップは有料。
ゆるしとは、ひどい行いを大目に見たり、認めたりすることではありません。
「私はもう、自分を痛めつけることはしない」と決心することにほかなりません。
ゆるしとは、「苦しまない」という決意をすること。
幸せになるという決意、裁きの心を捨てる決意、他人と自分を傷つけるのをやめる決意、
怒りと怖れの循環を断ち切る決意をすることです。
「アティテューディナル・ヒーリング」は、世界中に広まり、5大陸、28カ国に130を超えるセンターとグループができています。
●解説/「アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン」代表 水島広子(精神科医、前衆議院議員)
(こないだのクリニックで水島さんのことを話したら有名な方だそうな
「怖れ」をどうするかは、ずっと私のテーマでした。
「社会制度が整えば人の怖れはなくなるのではないか」と考えて、国会議員になったほどです。
しかし、ある時から「社会制度が整えば・・・」という考え方そのものが「怖れ」をつくり出しているのではないか、と考えるようになりました。
そして、ちょうどその頃に本書に出合ったのです。
「アティテューディナル・ヒーリング」のワークショップを訪れた方には、
「今日の午後から体験されるでしょう」とだけ申し上げて、そのままにします。
午後には、グループでお互いの話を聴くだけです。でも、聴き方が特別です。
いつも私たちが、人の話を聞く時は、同時に「自分の考え」も聞いています。
過去から自分がつくり上げたデータベースの雑音を聞いていることがほとんどです。
それを手放して、相手の話に集中するのです。
相手の話を[解決すべき問題」として聴くのもやめてもらいます。
このワークショップは、「聴き方のトレーニング」であり、話し手も「無条件の愛を感じる」という素晴らしい経験をされるようです。
愛とは、自分の中にある「ポカポカとした温かいもの」であり、怖れを手放すと自然に感じられます。
怖れを手放すためには、ただ現在に集中すればいのです。
「アティテューディナル・ヒーリング」が言う
「私たちの本質は愛であり、その上に怖れが垢のようにこびりついて見えなくなっていても、愛は変わらずそこにある」
ということが真実だと改めて感じさせられます。
「アティテューディナル・ヒーリング」の原則の1つである「与えることは、受け取ること」そのものです。
「アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン」は、完全にボランティアで行われている活動ですが、
トレーニングを終えた「ファシリテーター」の方たちが、各地でサポートグループをはじめています。
ファシリテーター(facilitator)
1 物事を容易にできるようにする人や物。また、世話人。
2 集会・会議などで、テーマ・議題に沿って発言内容を整理し、発言者が偏らないよう、順調に進行するように口添えする役。議長と違い、決定権を持たない。
「人のため」と思うと、そこには、執着心、被害者意識、完璧主義などの「怖れ」が生じます。
でも、すべては「自分の心の平和のためにやっているのだ」と心の姿勢に責任を持つことが基本になっています。
差別、災害など「被害者意識」が起こりがちな場面でも大きな力を発揮しています。
アメリカで、唯一成功している人種差別対策と言えるかもしれません。
問題を解決しようとすると、私たちは「怖れの綱引き」状態になってしまいます。
「私のほうが正しい」「いや、私のほうが」という具合にです。
相手の怖れにエネルギーを供給するのは自分の怖れなので、お互いの怖れは強まるばかり。
まずは自分が怖れを手放すことで、相手も手放しやすい環境ができるのです。
社会はこうしてしか変わらないだろう、というのが私の現時点での考えです。
これを書いている現在、著者のジェリー(ジェラルド)は、83歳。
毎朝散歩をし、週3回はスポーツジムに通い、とても健康です。
毎朝、目を覚ますと「今日の唯一の目標は、心の平和。今日の唯一の役割は、ゆるすこと」と
自分が納得するまで布団から出ないそうです。