■『わたしが子どもだったころ』エーリッヒ・ケストナー著(岩波書店)
1957年初版 1985年第22刷(1962年第1刷)
高橋健二/訳 H.レムケ/絵
素晴らしい本に出逢った! 素晴らしい作家とも出逢った!
D.J.サリンジャー、宮沢賢治、J.ヴェルヌ、そしてE.ケストナー!
まさに選りすぐりの思い出が極上の言葉で綴られている。
そして本人が言う通り「重すぎない本」だ。
本作をキッカケにして「1960年 国際アンデルセン賞」を全作品に贈られたのも至極当然。
聡明で、運動もバツグン、この相反する二大特性を持ち合わせ、陰にも陽にも確固たる意識で立ち向かえる主人公、
著者から語られる一言一句は、円熟をもって、私たちの人生に灯りの道しるべを示してくれる。
本書について何をメモるべきか?
1冊買って、何度も読み返したほうがずっと効率的だ。
他の代表作も時間をかけて読破したい。
人には、それぞれ、その人だけの、かけがえのない事件と思い出があるはずで、
貴重な体験、月日の積み重ねなしに今の自分はありえないはずなのに、
ほとんど忘れてしまうほうがなんと多いことか?!
幼児期の記憶が多い(それだけ早く意識が目覚めていたってことかな)人ほど知能が高いって聞いたことがあるけど、
やっぱり本人も認めるように賢い子どもだったんだろうね。
ここまで断言する自信は国民性も関係しているのかも。
確かに南北分裂、ナチスといったドイツの特別な政情は、人の一生に多大な影響を与えた。
より深く本書と著者を理解するのに、私の政治知識はあまりに乏しすぎる。
1章ごとにそれぞれ壮大なドラマ、重いメッセージ、ユーモアが温かい愛情物語とともに詰まっている。
活劇のごとく展開され、イキイキとよみがえるエーリヒの少年時代。
彼はムリヤリペンを置いたようだけど、どんな他愛の無いことでも、彼のペンにかかったものなら
読者を惹きつけずにはおれないだろう。
▼あらすじ(ネタバレ注意
目次、章見出しが参照となる。
まず丁寧な「前がき」のない本はない。「前がき」は家の前庭。
「時間にはふた通りある。1つは物差しではかることができ、もう1つは物差しは価値、はかれない。忘れられないことは忘れるな!」
●1
祖父ら祖先の話。
旅嫌いで、パンを小さめに焼いて、歴史に記録された!
「私が親しく知らなきゃならないほど、どんな山も高くありえないし、どんな港も珍しくありえない」
●2
母の幼年期。
3人の商売上手な兄がウサギ商を始めて儲けて、父が小さな妹イーダにワケを強要して言わされたため、
後々まで告げ口したと云われ、心の傷となる。
真面目さゆえに傷つく不条理を強調して訴えている。
●3
イーダは年頃となり、苦労した姉らのなかば強制で皮職人ユーミールと結婚。
「愛など日曜の帽子程度。なくても十分生きてゆける!」
作者は生を得たことを感謝し、この偶然に驚く。
「生まれなきゃ腹の立つことも、何もないなら、腹の立つこともあるほうがいい」
●4
ドレースデンという街に引越した。
「そうだ、挿絵画家にこの章のために美しいスケッチを描いてもらうよう頼まなきゃ」
第一次世界大戦ですべて廃墟になったなんて!
「政府を罰せよ。人民でなく。単純に聞こえるが、実際、単純なことだ」
途中で「仕立て屋に行くのを忘れた」と中座するのが面白い。
作者が生まれる。
●5
切っても切れない国王橋通りとの縁。
「記憶とは、引き出しみたい。何も入ってなかったり、間違って入っていたり、思い出は宙に漂っている。
あらゆる所に、突然、目覚めてよみがえる」
●6
借金がかさんだことで部屋を貸すことに。来たのは先生ばかり。
叔父の娘に求婚した先生は、豪勢な馬商人となったフランツ叔父に「あんたはウサギという名でも同じことだ」と断られる
先生に憧れて目指すエーリヒ少年が、後にあと一歩でやめてしまう。教えるより学ぶほうをとったのだ。
何度も時が飛ぶ描き方を読者に謝る。「これは、まだここに関係がない」が何度も出てくる。
●7
後に素晴らしい体操選手となるエーリヒの最初。
大車輪だけは、落下して入院した友を見てから出来なくなった。
入学式の日、デカい三角お菓子袋を自慢げに持って階段でバラまいて泣いた日。
1人で登校する息子をつける母。読書の虫になった。
「大人もすべて分かるわけじゃない。もし大人が分かるものだけ読むのなら、印刷屋は操業短縮しなければならないだろう」
●8
学校を1日も休まない。
「ママ!」と、口をまだあけたままミカゲ石の階段で転んで、舌の両端を噛み切った時も! 笑えると同時に怖い
「その傷を見せろなんて言わないで! 読者に舌を出すワケにはいかないのだから」
近所のヒルデは女優志望で1人何役もこなすのに有名になれなかった。
エーリヒは、劇にも詳しい。「見物人として私に勝る者はいない」
●9
母は息子の学費のために美容師となり店を開く。
●10
最も華やかな仕事場は結婚式
奇妙な1つ目はオールドミスが予約をしてカラ約束と知り、大損失に母は泣き、
偶然町で彼女を見たエーリヒは、売り子の上司に話して弁償してもらう。
「金のかかる空しい夢だった。夢を分割で支払い、月賦ごとに1つ歳をとった。
私たちは不当でもあり、正しくもあったが、私のほうが具合がよかった。私は小さい男の子だったから」と厳しい意見。
もう1つは、寒さと疲れで、母が倒れてしまったこと。
●11
この本のクライマックスにして、意外な母親の一面に私たちもショックを受けずにいられない。
xmas前夜にだけ兄弟が欲しかったのは、両親のプレゼント合戦をまったく均等に喜ばなければならない努力をする少年!
「完全な人間になろうとせず、天使をめざす。それは役に立たない。母は完全な母親になろうとした」
「私を探さないで」と書き置きをして、いつも橋の上で放心していた。
「もう大丈夫よ」といつも囁く。医者は多忙が原因だと言う。
「たとえ自分のことは忘れても、母の心は君を想っている。君は母の守り神だ」
後に母を見舞い、エーリヒに「エーリヒはどこ?」と聞く母。
「忘れたのは目だけで、母の心は忘れていなかった」
こういう家族への正直な気持ちを書く勇気がすごい。
●12
ここの2ページも重要。
私は二度と笑えないと思うほど泣き、泣いたことなんかないかのように笑えた。
「もう大丈夫」と母は言った。その通り、大体またよくなった。
フランツ叔父が富豪となり、別荘を建て、エーリヒもよく遊びに行く。
「12人の子が1人の父を養うより、1人の父が12人の子を養うほうが易しい」という諺どおり、祖父は貧困と孤独の中で亡くなった。
●13
「残るべきものは時が選り分ける。大抵、時の判断は正しい」
親戚なのに台所に隠れたりして! 大金の運び屋の少年。一度、金が紛失し、エーリヒも疑われ、プライドを傷つけられる。
後に叔父はインフレからも這い上がって、再び富豪となり、木のごとくバッタリ倒れて死んだ。
夫の小間使いだった妻、娘は出産と同時に死に、孫も戦争で死んだ。
ひ孫も「永久に閉じてしまった二対の青い目をしのばせ」、叔母も死んだ。
1人1人にそれぞれ歴史があるんだな。
●14
ムチをふるう暴力教師は、優等生のエーリヒをロッククライミングに誘う。
子どもを命綱もない危険な目に遭わせるなんて!
「僕は孤独な旅人なんだ」
「3、4人の家庭教師なら立派にやり遂げただろうが、30人の生徒では25人だけ多すぎる」
●15
突然、徒歩旅行にハマる母子。母は行池の水をたらふく飲んでから水を見向きもしなくなる。
自転車は乗りこなすが、ブレーキをいつも忘れて、何度も命を危険にさらす。
これに対する息子の仮心理分析が興味深い。
「坂をのぼる人生の母に下りは存在しない。あらゆる危険をおかしても疑ったのだ」と。
●16
「人類の進歩は長さにより行われる。長い寿命、一番長い映画・・・それらは、時とともに一番長い根気もしのぐようになる」!
叔母は母子と娘をバルト海への休暇に送り、そのまっただ中に戦争が勃発
「世界戦争が始まり、私の子ども時代は終わった」
あまりに急で悲劇的な結末だ。
が、やはり丁寧でほのぼのとした「あとがき」で締めくくられる。
「縁起銭のようにいつも持ち歩く思い出もある。得意気に人に見せても“それっぽっち?”と言うかもしれない」
飼い猫に批評されるシーンも面白い。
今まさに作者が書いている季節や、周囲の風景が伝わってくる、こんな作品が今まであったかしら?
「おわり、点、吸い取り砂」
今、未練を感じながら、同時に満足してペンを置く姿が見えるようだ。
1997.2.7
1957年初版 1985年第22刷(1962年第1刷)
高橋健二/訳 H.レムケ/絵
素晴らしい本に出逢った! 素晴らしい作家とも出逢った!
D.J.サリンジャー、宮沢賢治、J.ヴェルヌ、そしてE.ケストナー!
まさに選りすぐりの思い出が極上の言葉で綴られている。
そして本人が言う通り「重すぎない本」だ。
本作をキッカケにして「1960年 国際アンデルセン賞」を全作品に贈られたのも至極当然。
聡明で、運動もバツグン、この相反する二大特性を持ち合わせ、陰にも陽にも確固たる意識で立ち向かえる主人公、
著者から語られる一言一句は、円熟をもって、私たちの人生に灯りの道しるべを示してくれる。
本書について何をメモるべきか?
1冊買って、何度も読み返したほうがずっと効率的だ。
他の代表作も時間をかけて読破したい。
人には、それぞれ、その人だけの、かけがえのない事件と思い出があるはずで、
貴重な体験、月日の積み重ねなしに今の自分はありえないはずなのに、
ほとんど忘れてしまうほうがなんと多いことか?!
幼児期の記憶が多い(それだけ早く意識が目覚めていたってことかな)人ほど知能が高いって聞いたことがあるけど、
やっぱり本人も認めるように賢い子どもだったんだろうね。
ここまで断言する自信は国民性も関係しているのかも。
確かに南北分裂、ナチスといったドイツの特別な政情は、人の一生に多大な影響を与えた。
より深く本書と著者を理解するのに、私の政治知識はあまりに乏しすぎる。
1章ごとにそれぞれ壮大なドラマ、重いメッセージ、ユーモアが温かい愛情物語とともに詰まっている。
活劇のごとく展開され、イキイキとよみがえるエーリヒの少年時代。
彼はムリヤリペンを置いたようだけど、どんな他愛の無いことでも、彼のペンにかかったものなら
読者を惹きつけずにはおれないだろう。
▼あらすじ(ネタバレ注意
目次、章見出しが参照となる。
まず丁寧な「前がき」のない本はない。「前がき」は家の前庭。
「時間にはふた通りある。1つは物差しではかることができ、もう1つは物差しは価値、はかれない。忘れられないことは忘れるな!」
●1
祖父ら祖先の話。
旅嫌いで、パンを小さめに焼いて、歴史に記録された!
「私が親しく知らなきゃならないほど、どんな山も高くありえないし、どんな港も珍しくありえない」
●2
母の幼年期。
3人の商売上手な兄がウサギ商を始めて儲けて、父が小さな妹イーダにワケを強要して言わされたため、
後々まで告げ口したと云われ、心の傷となる。
真面目さゆえに傷つく不条理を強調して訴えている。
●3
イーダは年頃となり、苦労した姉らのなかば強制で皮職人ユーミールと結婚。
「愛など日曜の帽子程度。なくても十分生きてゆける!」
作者は生を得たことを感謝し、この偶然に驚く。
「生まれなきゃ腹の立つことも、何もないなら、腹の立つこともあるほうがいい」
●4
ドレースデンという街に引越した。
「そうだ、挿絵画家にこの章のために美しいスケッチを描いてもらうよう頼まなきゃ」
第一次世界大戦ですべて廃墟になったなんて!
「政府を罰せよ。人民でなく。単純に聞こえるが、実際、単純なことだ」
途中で「仕立て屋に行くのを忘れた」と中座するのが面白い。
作者が生まれる。
●5
切っても切れない国王橋通りとの縁。
「記憶とは、引き出しみたい。何も入ってなかったり、間違って入っていたり、思い出は宙に漂っている。
あらゆる所に、突然、目覚めてよみがえる」
●6
借金がかさんだことで部屋を貸すことに。来たのは先生ばかり。
叔父の娘に求婚した先生は、豪勢な馬商人となったフランツ叔父に「あんたはウサギという名でも同じことだ」と断られる
先生に憧れて目指すエーリヒ少年が、後にあと一歩でやめてしまう。教えるより学ぶほうをとったのだ。
何度も時が飛ぶ描き方を読者に謝る。「これは、まだここに関係がない」が何度も出てくる。
●7
後に素晴らしい体操選手となるエーリヒの最初。
大車輪だけは、落下して入院した友を見てから出来なくなった。
入学式の日、デカい三角お菓子袋を自慢げに持って階段でバラまいて泣いた日。
1人で登校する息子をつける母。読書の虫になった。
「大人もすべて分かるわけじゃない。もし大人が分かるものだけ読むのなら、印刷屋は操業短縮しなければならないだろう」
●8
学校を1日も休まない。
「ママ!」と、口をまだあけたままミカゲ石の階段で転んで、舌の両端を噛み切った時も! 笑えると同時に怖い
「その傷を見せろなんて言わないで! 読者に舌を出すワケにはいかないのだから」
近所のヒルデは女優志望で1人何役もこなすのに有名になれなかった。
エーリヒは、劇にも詳しい。「見物人として私に勝る者はいない」
●9
母は息子の学費のために美容師となり店を開く。
●10
最も華やかな仕事場は結婚式
奇妙な1つ目はオールドミスが予約をしてカラ約束と知り、大損失に母は泣き、
偶然町で彼女を見たエーリヒは、売り子の上司に話して弁償してもらう。
「金のかかる空しい夢だった。夢を分割で支払い、月賦ごとに1つ歳をとった。
私たちは不当でもあり、正しくもあったが、私のほうが具合がよかった。私は小さい男の子だったから」と厳しい意見。
もう1つは、寒さと疲れで、母が倒れてしまったこと。
●11
この本のクライマックスにして、意外な母親の一面に私たちもショックを受けずにいられない。
xmas前夜にだけ兄弟が欲しかったのは、両親のプレゼント合戦をまったく均等に喜ばなければならない努力をする少年!
「完全な人間になろうとせず、天使をめざす。それは役に立たない。母は完全な母親になろうとした」
「私を探さないで」と書き置きをして、いつも橋の上で放心していた。
「もう大丈夫よ」といつも囁く。医者は多忙が原因だと言う。
「たとえ自分のことは忘れても、母の心は君を想っている。君は母の守り神だ」
後に母を見舞い、エーリヒに「エーリヒはどこ?」と聞く母。
「忘れたのは目だけで、母の心は忘れていなかった」
こういう家族への正直な気持ちを書く勇気がすごい。
●12
ここの2ページも重要。
私は二度と笑えないと思うほど泣き、泣いたことなんかないかのように笑えた。
「もう大丈夫」と母は言った。その通り、大体またよくなった。
フランツ叔父が富豪となり、別荘を建て、エーリヒもよく遊びに行く。
「12人の子が1人の父を養うより、1人の父が12人の子を養うほうが易しい」という諺どおり、祖父は貧困と孤独の中で亡くなった。
●13
「残るべきものは時が選り分ける。大抵、時の判断は正しい」
親戚なのに台所に隠れたりして! 大金の運び屋の少年。一度、金が紛失し、エーリヒも疑われ、プライドを傷つけられる。
後に叔父はインフレからも這い上がって、再び富豪となり、木のごとくバッタリ倒れて死んだ。
夫の小間使いだった妻、娘は出産と同時に死に、孫も戦争で死んだ。
ひ孫も「永久に閉じてしまった二対の青い目をしのばせ」、叔母も死んだ。
1人1人にそれぞれ歴史があるんだな。
●14
ムチをふるう暴力教師は、優等生のエーリヒをロッククライミングに誘う。
子どもを命綱もない危険な目に遭わせるなんて!
「僕は孤独な旅人なんだ」
「3、4人の家庭教師なら立派にやり遂げただろうが、30人の生徒では25人だけ多すぎる」
●15
突然、徒歩旅行にハマる母子。母は行池の水をたらふく飲んでから水を見向きもしなくなる。
自転車は乗りこなすが、ブレーキをいつも忘れて、何度も命を危険にさらす。
これに対する息子の仮心理分析が興味深い。
「坂をのぼる人生の母に下りは存在しない。あらゆる危険をおかしても疑ったのだ」と。
●16
「人類の進歩は長さにより行われる。長い寿命、一番長い映画・・・それらは、時とともに一番長い根気もしのぐようになる」!
叔母は母子と娘をバルト海への休暇に送り、そのまっただ中に戦争が勃発
「世界戦争が始まり、私の子ども時代は終わった」
あまりに急で悲劇的な結末だ。
が、やはり丁寧でほのぼのとした「あとがき」で締めくくられる。
「縁起銭のようにいつも持ち歩く思い出もある。得意気に人に見せても“それっぽっち?”と言うかもしれない」
飼い猫に批評されるシーンも面白い。
今まさに作者が書いている季節や、周囲の風景が伝わってくる、こんな作品が今まであったかしら?
「おわり、点、吸い取り砂」
今、未練を感じながら、同時に満足してペンを置く姿が見えるようだ。
1997.2.7