図書館で借りたCDシリーズ
●LOVE,PEACE&TRANCE/細野晴臣
ho'ola=ハワイ語で「ヒーリング」
kriya=サンスクリット語で「浄化」
dreamtime=ボリジニの瞑想的「夢時間」
solaris=太陽神
mammal=哺乳類、母なる哺乳類、つまりイルカ類
はしゃマンダラにぱーり=福沢諸が天から授かった呪文
ni pali=明るい光
aina=ハワイ後で「大地」
【ライナー抜粋メモ~中沢新一】
「ひとつの歴史が終わろうとしていて、その時には歴史のアルファとオメガがいっしょになって、
今までの歴史の中では実現されなかったものを生み出すような気がしている。
僕はすべてのものはじまり、すべてのものの発生の時間に向かおうとしている。
だから、僕はアボリジニの思想と音楽と美術に向かっています」(中沢)
「今まで僕たちの世界は、音楽がどこから発生してくるのか、勘違いしていたんじゃないだろうか。
今、僕たちの耳に襲いかかっているたくさんの音楽、そのどれもが、
自分が何者であるかわからないままに、その日暮らしを送っている。
僕は音楽が人間という生きものの、どこから発生してくるものなのか、
それを見極めるためにシャーマンの文化に学ぼうとして、こうして歩いているんだ」(細野)
ぼくは、また同じ道を歩きはじめていることを確認して嬉しくなった。
【ライナー抜粋メモ~細野晴臣 1994】
「プロセスという変化の中でしか音というエネルギーを活かすことはできない」というルールに従った。
これまでも、これからも、良い風を吹かせてくれた人々を尊敬し、感謝する。
それではまたいつか、静寂の場所で会おう。
●アトリエ・ボッサ・コンシャス/秋ボッサ
なぜかパソが受け付けず、DVDプレイヤーだけで聴いた。
このシリーズは、たしか春と夏は持ってるから、あとは冬だけだけど、近所の図書館にはなし。
●アトリエ・ボッサ・コンシャス ウチナカカフェ~リラックスタイムのカフェボッサ~
なんでもボッサにするねえ! ♪スリラー、♪I was born to love you まで! フレディもビックリだよ。
私の大好きな♪CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU も収録 ソットボッセなテイスト。
●The Complete Recordings- The Centennial Collection Disc1,2/Robert Johnson
ブラックミュージックシリーズ。元祖ロバートさんです。豪華2枚組v
歌詞を見ると、「女が逃げた~」って愚痴ばっかりなのね、ブルースってw
歌詞を知らずに、音の渋さだけを鑑賞したほうがイイ感じ
●ジャズの歴史~Riverside History of Classic Jazz/キング・オリバー&クレオール・ジャズ・バンド(8)
こういうジャズのルーツを、当時の音源とともに知ることができるアルバムはとても貴重(閉架なのが惜しい
ジャズは、いつから、格調高い、とっつきづらい音楽になっちゃったんだろうねえ。
【ライナー抜粋メモ~油井正一 1986】
最初は、チャールストンの港町の街頭で1930年代に録音した物売りの声。
イチゴ売りの男と花売りの女性の声。黒人音楽特有の4半音(半音の半音)。
「コール&レスポンス」は、牧師の説教に信者が応答し、大合唱となる、ジャズ形成の重要な要素の1つ。
労働歌、ジャズのリフ・アンサンブルにも使われる。
「ブルース」は大別して3種類ある。
ブルースの皇后と言われたベッシー・スミス(イイねえ!)に代表される「クラシック・ブルース」。
最もプリミティブな形の「フォーク・ブルース」。
カンザス・シティのジャズ・ブルースに発した「リズム&ブルース」。
「ラグタイム」
19C~20Cはじめに全世界を風靡したラグタイム・ピアノ。
「ジャズ」という名前がつくまで「ラグタイム」と呼ばれていた。
アドリブは許されず、譜面通りに弾くのが作法だった。
ラグタイムの父と言われたスコット・ジョプリン。
ジェリー・ロール・モートンは、「ラグタイム」と「ジャズ」をつないだ。
アドリブを加味したジャズ・ピアノへの過渡期を感じさせる。
「ニューオリンズ」
ニューオリンズの街を練り歩いた黒人ブラスバンドには白人にない不思議なスイング感があった。
1920年代、南部の農業北部の工業へと産業構造の変化に伴い、大勢の黒人労働者がシカゴに移住。
ニューオリンズから来たミュージシャンは、「ブラック・ベルト(黒人街)」の中心のクラブで、日夜素晴らしい演奏をしていた。
黒人流入が増えるほど、他区に住むことが許されなかったため、「ブラック・ベルト」の家賃が高騰
家賃支払い日前に会費制の持ち寄り相互扶助パーティ「レント(家賃)パーティ」が催された。
「シカゴ・スタイル」
黒人演奏に惹かれた一群の高校生たちがいた。後に有名になったベニー・グッドマン、エディ・コンドンら。
「シカゴ・スタイル」と呼ばれたが、白人ができる限り黒人の演奏をコピーした「ディキシーランド・ジャズ」と考えたほうが正しい認識だと思われる。
「ニューヨーク・シーン」
セントラルパークの北端からハーレムリバーまでの「ハーレム」は20Cはじめに生まれた最大の黒人コミュニティ。
ここでも「レント・パーティ」が盛んに催され、優れた黒人プロ・ピアニストにより「ハーレム・ピアノ」「ストライド・ピアノ」とも呼ばれる。
天才ルイ・アームストロングは、「ニューヨーク・シーン」の花形として幾多のゲスト録音を残した。
第二次大戦後、白黒混合編成による演奏が一般化した。
ハーレムのボールルームは広くて、アンプもなかったため、編曲を使うビッグバンドが雇われ、
フレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントンら優れたリーダーが現れた。
「ニューオリンズ・リバイバル」
1940年代はじめ、「スイング・ミュージック」により、多くのジャズファンが生まれ、
ジャズ史『ジャズメン』などが出版され、引退していた初期のプレイヤーが続々と発見された。
農夫になっていたバンク・ジョンソン、波止場人足になっていたジョージ・ルイスら。
●LOVE,PEACE&TRANCE/細野晴臣
ho'ola=ハワイ語で「ヒーリング」
kriya=サンスクリット語で「浄化」
dreamtime=ボリジニの瞑想的「夢時間」
solaris=太陽神
mammal=哺乳類、母なる哺乳類、つまりイルカ類
はしゃマンダラにぱーり=福沢諸が天から授かった呪文
ni pali=明るい光
aina=ハワイ後で「大地」
【ライナー抜粋メモ~中沢新一】
「ひとつの歴史が終わろうとしていて、その時には歴史のアルファとオメガがいっしょになって、
今までの歴史の中では実現されなかったものを生み出すような気がしている。
僕はすべてのものはじまり、すべてのものの発生の時間に向かおうとしている。
だから、僕はアボリジニの思想と音楽と美術に向かっています」(中沢)
「今まで僕たちの世界は、音楽がどこから発生してくるのか、勘違いしていたんじゃないだろうか。
今、僕たちの耳に襲いかかっているたくさんの音楽、そのどれもが、
自分が何者であるかわからないままに、その日暮らしを送っている。
僕は音楽が人間という生きものの、どこから発生してくるものなのか、
それを見極めるためにシャーマンの文化に学ぼうとして、こうして歩いているんだ」(細野)
ぼくは、また同じ道を歩きはじめていることを確認して嬉しくなった。
【ライナー抜粋メモ~細野晴臣 1994】
「プロセスという変化の中でしか音というエネルギーを活かすことはできない」というルールに従った。
これまでも、これからも、良い風を吹かせてくれた人々を尊敬し、感謝する。
それではまたいつか、静寂の場所で会おう。
●アトリエ・ボッサ・コンシャス/秋ボッサ
なぜかパソが受け付けず、DVDプレイヤーだけで聴いた。
このシリーズは、たしか春と夏は持ってるから、あとは冬だけだけど、近所の図書館にはなし。
●アトリエ・ボッサ・コンシャス ウチナカカフェ~リラックスタイムのカフェボッサ~
なんでもボッサにするねえ! ♪スリラー、♪I was born to love you まで! フレディもビックリだよ。
私の大好きな♪CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU も収録 ソットボッセなテイスト。
●The Complete Recordings- The Centennial Collection Disc1,2/Robert Johnson
ブラックミュージックシリーズ。元祖ロバートさんです。豪華2枚組v
歌詞を見ると、「女が逃げた~」って愚痴ばっかりなのね、ブルースってw
歌詞を知らずに、音の渋さだけを鑑賞したほうがイイ感じ
●ジャズの歴史~Riverside History of Classic Jazz/キング・オリバー&クレオール・ジャズ・バンド(8)
こういうジャズのルーツを、当時の音源とともに知ることができるアルバムはとても貴重(閉架なのが惜しい
ジャズは、いつから、格調高い、とっつきづらい音楽になっちゃったんだろうねえ。
【ライナー抜粋メモ~油井正一 1986】
最初は、チャールストンの港町の街頭で1930年代に録音した物売りの声。
イチゴ売りの男と花売りの女性の声。黒人音楽特有の4半音(半音の半音)。
「コール&レスポンス」は、牧師の説教に信者が応答し、大合唱となる、ジャズ形成の重要な要素の1つ。
労働歌、ジャズのリフ・アンサンブルにも使われる。
「ブルース」は大別して3種類ある。
ブルースの皇后と言われたベッシー・スミス(イイねえ!)に代表される「クラシック・ブルース」。
最もプリミティブな形の「フォーク・ブルース」。
カンザス・シティのジャズ・ブルースに発した「リズム&ブルース」。
「ラグタイム」
19C~20Cはじめに全世界を風靡したラグタイム・ピアノ。
「ジャズ」という名前がつくまで「ラグタイム」と呼ばれていた。
アドリブは許されず、譜面通りに弾くのが作法だった。
ラグタイムの父と言われたスコット・ジョプリン。
ジェリー・ロール・モートンは、「ラグタイム」と「ジャズ」をつないだ。
アドリブを加味したジャズ・ピアノへの過渡期を感じさせる。
「ニューオリンズ」
ニューオリンズの街を練り歩いた黒人ブラスバンドには白人にない不思議なスイング感があった。
1920年代、南部の農業北部の工業へと産業構造の変化に伴い、大勢の黒人労働者がシカゴに移住。
ニューオリンズから来たミュージシャンは、「ブラック・ベルト(黒人街)」の中心のクラブで、日夜素晴らしい演奏をしていた。
黒人流入が増えるほど、他区に住むことが許されなかったため、「ブラック・ベルト」の家賃が高騰
家賃支払い日前に会費制の持ち寄り相互扶助パーティ「レント(家賃)パーティ」が催された。
「シカゴ・スタイル」
黒人演奏に惹かれた一群の高校生たちがいた。後に有名になったベニー・グッドマン、エディ・コンドンら。
「シカゴ・スタイル」と呼ばれたが、白人ができる限り黒人の演奏をコピーした「ディキシーランド・ジャズ」と考えたほうが正しい認識だと思われる。
「ニューヨーク・シーン」
セントラルパークの北端からハーレムリバーまでの「ハーレム」は20Cはじめに生まれた最大の黒人コミュニティ。
ここでも「レント・パーティ」が盛んに催され、優れた黒人プロ・ピアニストにより「ハーレム・ピアノ」「ストライド・ピアノ」とも呼ばれる。
天才ルイ・アームストロングは、「ニューヨーク・シーン」の花形として幾多のゲスト録音を残した。
第二次大戦後、白黒混合編成による演奏が一般化した。
ハーレムのボールルームは広くて、アンプもなかったため、編曲を使うビッグバンドが雇われ、
フレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントンら優れたリーダーが現れた。
「ニューオリンズ・リバイバル」
1940年代はじめ、「スイング・ミュージック」により、多くのジャズファンが生まれ、
ジャズ史『ジャズメン』などが出版され、引退していた初期のプレイヤーが続々と発見された。
農夫になっていたバンク・ジョンソン、波止場人足になっていたジョージ・ルイスら。