いつもは2時間待ちもあるくらいだが、今日は30分ほどで呼ばれたから、たまには私の話もじっくり聞いてもらおうかと思った。
(待たされるのは、他の患者さんの話が徐々に伸びて、遅れるから仕方ないと思っている
「前回、“階層表を作ってみたら?”と言われたけれども、コレのことですよね?」と
随分前に話をされた時に作って見せたのを、もう一度見せたが忘れているらしい。
「いつも話したことを忘れてしまっているのは、たくさんの患者さんを抱えていているからですか?」と指摘したら
「あなたは、認知行動療法は最初、拒否していて、その後は、報告ばかりで、認知行動療法をやってることは一切聞いてない!」
とまた怒らせてしまった
“報告ばかりしている”のは、いつか
「私はカウンセリングはやらないし、ここは患者さんの報告を聞いて、クスリを処方するところだ」と随分前に言われたから。
カウンセリングもしてくれると思っていた私は、「心療内科ではカウンセリングはしない。クスリを出すところなんだ」と認識を改めた。
そして、自分で探してカウンセリングをした。それは有意義だった。
そう言ったことも忘れているらしい。
「あなたがしていることは、報告ばかりで進展がない」というようなことを言われた。
他のヒトがここで何を話すのか私は知らない。
じゃあ、心療内科で患者は一体、何を話したらいいのか?
「“あなたは話を繰り返してる”と言われたけれども、繰り返してるのは医師のほうです」と指摘したら、余計怒らせてしまった
で、延々と、私が最初、認知行動療法を拒否してカウンセリングを選んだことを10回近く繰り返していた。
最初、拒否したのは、勧められた大野さんの著書『こころが晴れるノート』を、すぐ読んで、ピンとこなかったこと、
認知行動療法、心療内科自体、よく理解できていなかったこと(自分の不調で頭が一杯いっぱいだったため)、
体の不調は、ココロからきていると思うから、自分にはカウンセリングが必要だと思っていたこと、が原因。
「1年間のカウンセリングを終えて、その過程はもう終わっている」と何度も伝えたが、
医師はあくまで「認知行動療法をしない限り、治らないぞ」ぐらいの勢い。
「いろいろ試してみるのも、いいけれども」って言ったのは本心じゃないのか?
感情的になってて、もの凄い“詰め寄り顔”だったから、「怖いです」と言ったら、
今度は「あなたのせいで、また話が長くなって、時間をとってしまった」とまた言われた。
患者より、そんなに時間が大切ですか?
「私と医師の間に認識のズレがあったんですね」とまとめたけれども、まだまだ繰り返しは続く、続く・・・
「もっとこうしたほうがいい」と言われる数々のアドバイスは、とっくの前からやっていることばかり。
「それって、私が今までしてきたことと同じじゃないですか?」
「いや、そんなこと一切聞いたことないですよ」
言った、言わないの、一番無意味な方向へ。。。
医師もヒトだから、感情的にもなるし、患者を抱えすぎてて疲れてるだろうし、忘れることもあるだろうけど、
それを患者にぶつけるってどうなんだ? 私が悪いのか?
でも、「感情的になる」「怒る」ってことは、どこかに思い当たるふしがあるからじゃないのかな。
医師の言う言葉が、私にはこう聞こえる。
「お前、本当に治す気あんのか?!」
「私は認知行動療法のことはよく知らないから」
「私はカウンセリングは、ここではしないから」
全体で1つの人間なのだから、体とココロを総合的にみてくれるのが本当の医療のあり方だと思う。
理想論で現実じゃないって声も聞こえそうだが、そういう未来は来る。そっちに生まれたかったなあ。
真っ暗な絶望的な思いで家に帰って、なにもかも投げ出して、ロキソニンを飲んで夕方まで眠ってしまった。
眠っている時が一番、安心だ。
頼りになるのは医師だけなのに、医師と本音で話すたびにどん底に叩き落される。
発作も辛いが、私がもっとも辛いのは「誰にも分かってもらえないこと」。
子どもの頃からずっとだ。こんなに苦しみ続けているのに、うまくヒトに伝えられない。伝わらない。
(待たされるのは、他の患者さんの話が徐々に伸びて、遅れるから仕方ないと思っている
「前回、“階層表を作ってみたら?”と言われたけれども、コレのことですよね?」と
随分前に話をされた時に作って見せたのを、もう一度見せたが忘れているらしい。
「いつも話したことを忘れてしまっているのは、たくさんの患者さんを抱えていているからですか?」と指摘したら
「あなたは、認知行動療法は最初、拒否していて、その後は、報告ばかりで、認知行動療法をやってることは一切聞いてない!」
とまた怒らせてしまった
“報告ばかりしている”のは、いつか
「私はカウンセリングはやらないし、ここは患者さんの報告を聞いて、クスリを処方するところだ」と随分前に言われたから。
カウンセリングもしてくれると思っていた私は、「心療内科ではカウンセリングはしない。クスリを出すところなんだ」と認識を改めた。
そして、自分で探してカウンセリングをした。それは有意義だった。
そう言ったことも忘れているらしい。
「あなたがしていることは、報告ばかりで進展がない」というようなことを言われた。
他のヒトがここで何を話すのか私は知らない。
じゃあ、心療内科で患者は一体、何を話したらいいのか?
「“あなたは話を繰り返してる”と言われたけれども、繰り返してるのは医師のほうです」と指摘したら、余計怒らせてしまった
で、延々と、私が最初、認知行動療法を拒否してカウンセリングを選んだことを10回近く繰り返していた。
最初、拒否したのは、勧められた大野さんの著書『こころが晴れるノート』を、すぐ読んで、ピンとこなかったこと、
認知行動療法、心療内科自体、よく理解できていなかったこと(自分の不調で頭が一杯いっぱいだったため)、
体の不調は、ココロからきていると思うから、自分にはカウンセリングが必要だと思っていたこと、が原因。
「1年間のカウンセリングを終えて、その過程はもう終わっている」と何度も伝えたが、
医師はあくまで「認知行動療法をしない限り、治らないぞ」ぐらいの勢い。
「いろいろ試してみるのも、いいけれども」って言ったのは本心じゃないのか?
感情的になってて、もの凄い“詰め寄り顔”だったから、「怖いです」と言ったら、
今度は「あなたのせいで、また話が長くなって、時間をとってしまった」とまた言われた。
患者より、そんなに時間が大切ですか?
「私と医師の間に認識のズレがあったんですね」とまとめたけれども、まだまだ繰り返しは続く、続く・・・
「もっとこうしたほうがいい」と言われる数々のアドバイスは、とっくの前からやっていることばかり。
「それって、私が今までしてきたことと同じじゃないですか?」
「いや、そんなこと一切聞いたことないですよ」
言った、言わないの、一番無意味な方向へ。。。
医師もヒトだから、感情的にもなるし、患者を抱えすぎてて疲れてるだろうし、忘れることもあるだろうけど、
それを患者にぶつけるってどうなんだ? 私が悪いのか?
でも、「感情的になる」「怒る」ってことは、どこかに思い当たるふしがあるからじゃないのかな。
医師の言う言葉が、私にはこう聞こえる。
「お前、本当に治す気あんのか?!」
「私は認知行動療法のことはよく知らないから」
「私はカウンセリングは、ここではしないから」
全体で1つの人間なのだから、体とココロを総合的にみてくれるのが本当の医療のあり方だと思う。
理想論で現実じゃないって声も聞こえそうだが、そういう未来は来る。そっちに生まれたかったなあ。
真っ暗な絶望的な思いで家に帰って、なにもかも投げ出して、ロキソニンを飲んで夕方まで眠ってしまった。
眠っている時が一番、安心だ。
頼りになるのは医師だけなのに、医師と本音で話すたびにどん底に叩き落される。
発作も辛いが、私がもっとも辛いのは「誰にも分かってもらえないこと」。
子どもの頃からずっとだ。こんなに苦しみ続けているのに、うまくヒトに伝えられない。伝わらない。