■『紫紺染について』(未知谷)
宮沢賢治/著 たなかよしかず/版画
「ふだん山で食する野菜は?」
「さよう、みづ、ほうな、しどけ、うど、しめじ、きんたけなど」
「してそれはあなたごじしんがおつくりになるのですか?」
「野菜はお日さまがおつくりになるのです」
山男で『遠野物語』とリンクしたv
山男さんは、とても気のいい妖怪なんだね。
急に歌いだしたりする場面には大笑いしてしまった
1ページ?飛んでいるところには何が書いてあったのかなあ?
アスパラガスとか、バターとか、現代と変わらない食事に驚いた。
未知谷さんは本当に素晴らしい本をたくさん世に出しているなあ!
まだまだ、全集にしか入っていない短編を、1冊ずつ絵本化して欲しい/切願
【あらすじ抜粋メモ】
盛岡の紫紺染は、紫紺という桔梗によく似た草の根を、灰で煮出して染める。
明治になると、西洋から安い「アニリン色素」がどんどん入ってきて、廃れてしまった。
それがまた流行り出したが、製法も染め方も一向分からなかった。
県工業会の役員や、工芸学校の先生は色々と調べて、
ようやく昔のようなものが出来て、「東京大博覧会」に出て、二等賞をとった。
それは新聞にも出て、有名だが、その裏ではとても苦心した、今回はその研究中のひとつの話。
図書館で古い文献を見つけ、「山男が生薬屋に紫紺を売って、酒を買った」という。
工芸学校の先生は「紫紺の職人も生薬屋もみな死んでしまった。一つ山男を呼び出して、聞いてみよう」
先生は、町の紫紺染研究会の人たちと相談して、内丸西洋軒で山男の招待会をすることに決め、手紙を出す。
当日、紫紺染に熱心な人たちが集まり、テーブルの上には、極上等のパンやバターも置かれた。
そこに、人力車がとまって、黄金色目玉あかつらの西根山の山男がやって来た。
「くるまちんはいくら。」と聞くと、ボロボロになった俥屋は
「旦那さん。百八十両やって下さい。俥はもうみしみし云っていますし、私はこれから病院へはいります」
山男のふるまいがとても紳士風で立派なので皆驚くが、本屋の主人は思わずにやりとする。
昨日の夕方、蓑を着た大きな男が来て「知って置くべき日常の作法」という本を買って行ったのが山男にそっくりだったから
(以下原稿一枚?なし)
皆は様子を伺いながら、世間話をする。
「野菜はあなたがおつくりになるのですか」
「お日さまがおつくりになるのです」
「しかしどうしてもアスパラガスには叶かないませんな。
アスパラガスやちしゃのようなものが山野に自生するようにならないと産業もほんとうではありませんな」
「へえ。ずいぶんなご卓見です。しかしあなたは紫紺のことはよくごぞんじでしょうな」
いよいよ本題に入るが、
「しこん、しこんと。はてな聞いたようなことだがどうもよくわかりません。やはり知らないのですな」
みんなはがっかりして、あとは懇親会だと、めいめい勝手にのんで勝手にたべた。
山男にはそれが大へんうれしかったようで、しきりにかぶりかぶりとお酒をのんだ。
そして眼をまっかにして
「へろれって、へろれって、けろれって、へろれって」なんて途方もない声で咆ほえはじめたww
すっかり妖怪じみてきて、みんなはだんだん気味悪くなる。
でも、研究会の会長さんは元来お侍だったため、山男にあてこすりを言う。
「まだ世界は野蛮からぬけない。けしからん。くそっ。ちょっ」ww
すると山男は、どうしてこんなにもてなしてくれるのかずっと考えていたが、紫紺について聞きたいのだなと察する。
「私は子どものとき、母が乳がなくて濁り酒で育ててもらったために、ひどいアルコール中毒なのであります。
お酒を呑まないと物を忘れるのです。お蔭でやっとおもいだしました。
あれは現今、西根山にはたくさんございます。それからあれを染めるには、
何でも黒いしめった土をつかうというはなしもぼんやりおぼえています。
紫紺についてわたくしの知っているのはこれだけであります」
工芸学校の先生は「黒いしめった土を使つかうこと」と手帳へ書いてポケットにしまいました。
紫紺染が東京大博覧会で二等賞をとるまでには、こんな苦心もあったというだけのおはなしであります。
宮沢賢治/著 たなかよしかず/版画
「ふだん山で食する野菜は?」
「さよう、みづ、ほうな、しどけ、うど、しめじ、きんたけなど」
「してそれはあなたごじしんがおつくりになるのですか?」
「野菜はお日さまがおつくりになるのです」
山男で『遠野物語』とリンクしたv
山男さんは、とても気のいい妖怪なんだね。
急に歌いだしたりする場面には大笑いしてしまった
1ページ?飛んでいるところには何が書いてあったのかなあ?
アスパラガスとか、バターとか、現代と変わらない食事に驚いた。
未知谷さんは本当に素晴らしい本をたくさん世に出しているなあ!
まだまだ、全集にしか入っていない短編を、1冊ずつ絵本化して欲しい/切願
【あらすじ抜粋メモ】
盛岡の紫紺染は、紫紺という桔梗によく似た草の根を、灰で煮出して染める。
明治になると、西洋から安い「アニリン色素」がどんどん入ってきて、廃れてしまった。
それがまた流行り出したが、製法も染め方も一向分からなかった。
県工業会の役員や、工芸学校の先生は色々と調べて、
ようやく昔のようなものが出来て、「東京大博覧会」に出て、二等賞をとった。
それは新聞にも出て、有名だが、その裏ではとても苦心した、今回はその研究中のひとつの話。
図書館で古い文献を見つけ、「山男が生薬屋に紫紺を売って、酒を買った」という。
工芸学校の先生は「紫紺の職人も生薬屋もみな死んでしまった。一つ山男を呼び出して、聞いてみよう」
先生は、町の紫紺染研究会の人たちと相談して、内丸西洋軒で山男の招待会をすることに決め、手紙を出す。
当日、紫紺染に熱心な人たちが集まり、テーブルの上には、極上等のパンやバターも置かれた。
そこに、人力車がとまって、黄金色目玉あかつらの西根山の山男がやって来た。
「くるまちんはいくら。」と聞くと、ボロボロになった俥屋は
「旦那さん。百八十両やって下さい。俥はもうみしみし云っていますし、私はこれから病院へはいります」
山男のふるまいがとても紳士風で立派なので皆驚くが、本屋の主人は思わずにやりとする。
昨日の夕方、蓑を着た大きな男が来て「知って置くべき日常の作法」という本を買って行ったのが山男にそっくりだったから
(以下原稿一枚?なし)
皆は様子を伺いながら、世間話をする。
「野菜はあなたがおつくりになるのですか」
「お日さまがおつくりになるのです」
「しかしどうしてもアスパラガスには叶かないませんな。
アスパラガスやちしゃのようなものが山野に自生するようにならないと産業もほんとうではありませんな」
「へえ。ずいぶんなご卓見です。しかしあなたは紫紺のことはよくごぞんじでしょうな」
いよいよ本題に入るが、
「しこん、しこんと。はてな聞いたようなことだがどうもよくわかりません。やはり知らないのですな」
みんなはがっかりして、あとは懇親会だと、めいめい勝手にのんで勝手にたべた。
山男にはそれが大へんうれしかったようで、しきりにかぶりかぶりとお酒をのんだ。
そして眼をまっかにして
「へろれって、へろれって、けろれって、へろれって」なんて途方もない声で咆ほえはじめたww
すっかり妖怪じみてきて、みんなはだんだん気味悪くなる。
でも、研究会の会長さんは元来お侍だったため、山男にあてこすりを言う。
「まだ世界は野蛮からぬけない。けしからん。くそっ。ちょっ」ww
すると山男は、どうしてこんなにもてなしてくれるのかずっと考えていたが、紫紺について聞きたいのだなと察する。
「私は子どものとき、母が乳がなくて濁り酒で育ててもらったために、ひどいアルコール中毒なのであります。
お酒を呑まないと物を忘れるのです。お蔭でやっとおもいだしました。
あれは現今、西根山にはたくさんございます。それからあれを染めるには、
何でも黒いしめった土をつかうというはなしもぼんやりおぼえています。
紫紺についてわたくしの知っているのはこれだけであります」
工芸学校の先生は「黒いしめった土を使つかうこと」と手帳へ書いてポケットにしまいました。
紫紺染が東京大博覧会で二等賞をとるまでには、こんな苦心もあったというだけのおはなしであります。