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「細野晴臣~タイタニックの宿命 音楽家の原点~」@ファミリーヒストリー

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「細野晴臣~タイタニックの宿命 音楽家の原点~」@ファミリーヒストリー

細野さんの先祖がタイタニック号の生存者ってことは知っていたけど、
それが一族をこれほど長年苦しめていたとは、知らなかった。

YMO時代の映像も貴重!
 



 

 

「ボクもよく知らないので、周り(親族)からぜひやってくれと言われて」

明治43年の集合写真
 

 


【内容抜粋メモ】

●父方の家系~タイタニックの生存者


曽祖父は、900坪を所有する豪農だった。
四男・正文(祖父)は秀才で、「なにか先駆けになることをしたい」といって、品川に出来たばかりの鉄道職員になる。

ロシアの鉄道事情を知る正文は、ロシア留学。海外を見て驚き「日本人も負けてはならぬ」と決意。
1年半の留学を終え、ロシア→イギリスへ。
知人から完成したばかりで“絶対沈まない豪華客船”と言われたタイタニックに乗ることをすすめられる。

 

出航して4日後、氷山に衝突し、タイタニックは2時間で沈む。助かったのはわずか400人あまり。
奇跡の生還は、記事に載ったが、その後、「女、子どもをさしおいて助かったのは卑怯」と世間から罵られ、
正文は死ぬまでタイタニックのことは一切語らなかった。

 

正文は職を追われ、長男が生まれ、東京→新潟に転校する。四男・日出臣が誕生(父)。
正文は講師となり、教え子たちはその後、各方面で大活躍した。昭和14年、正文死去。

 

遺品から手記が見つかった(今は横浜博物館に保存されている
そこには、生前語らなかった、タイタニック沈没時のことが詳細に書かれていた。
他のボートは満員で諦めていたところ、「あと2人乗れる!」と声が上がった。

そこにいたのは、正文とアルメニア人の2人だけ。
迷わずボートに飛び乗ったアルメニア人を見て、正文も家族のことを考えて、乗り込んだ。
家族は手記を発表して汚名を返上しようとしたが、戦時中で注目されなかった。




●母方の家系~ピアノ調律師


 

曽祖父・卓二は、貧しかった河島家から中谷家への養子となった。
河島家は神主で、田畑を売って家が傾き、苦渋の決断だった。

 

卓二は上京して陸軍に入り、会計事務をし、退官後は浜松に戻った。

 

祖父・孝男の学校にはオルガンがあり、調律していたのは、現在のヤマハの創立者!
山葉さんはオルガン製造にも乗り出す。

 

明治以降、唱歌が歌われ、オルガンの需要がのびる。孝男はそこで働く。
ピアノの生産も開始。その音色に感動する。

 

孝男は調律を独学で学び、会社を辞めて、31歳で独立。

「誰が弾いても美しい音が鳴るピアノはない。ピアニストの弾き方もバラバラ。
 ピアニストの個性に合った音、調律、音質を求めるのがいちばん大事」(孝男さんの教え子

「当時は“調律師”なんて言葉もなくて、よく調理師に間違えられた」

 

 

戦争で仕事は激減したが、戦後、人々は音楽を求めた。

 

レオニードの調律を依頼され、演奏会にも同行。
金沢では、弦がボロボロのピアノを調律して、コンサートは大成功となる。

 

その後、調律師の育成をはじめる。モットーは「黒子に徹すること」。

 


「音楽が本当に好きだったんだなと改めて思った」

 

●晴臣さん誕生
 



晴臣さんは「調律師になりたい」と言ったが、祖父からすぐさま「ダメだ」と言われた。

 

晴臣さんは、大学卒業後、本格的に音楽の道に進む。
孝男さんは83歳で死去。YMOで活躍する姿は見れなかった。

 



「自分も縁の下の力持ちはすごい好き。
 音を地道に塗っていくところがある。漆塗りみたいに。
 いかに自分が地味になりたいのかというルーツが分かる」



●一族の名誉回復となった記事
海外でタイタニックに関する本がベストセラーとなる。
“卑怯な日本人”というイメージは、海外にも広がった。

 

・映画『タイタニック』によって運命が変わる


ボブさん(タイタニック財団理事)が資料を集めていて、孝男さんの手記を調べたいと頼んだ。
当時のアルメニア人の証言などから、事実だと証明される。

 


ボブさん「卑怯な行為は何もない」

12ページにわたる特集によって、事実が広く伝わった。

 

晴臣さんの声かけで一族が祝賀会を開いた。



●現在の調律学校
 


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