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とんぼの本『たけしの大英博物館見聞録』(新潮社)

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とんぼの本『たけしの大英博物館見聞録』(新潮社)
ビートたけし/著

【ブログ内関連記事】
 

NHKスペシャル 知られざる大英博物館 第1集
NHKスペシャル 知られざる大英博物館 第2集
NHKスペシャル 知られざる大英博物館 第3集

大量の美術品、資料が保管されている大英博物館の書庫


LONDON & PARIS '99.10.27-11.2
LONDON & PARIS(5)


図書館のオススメコーナーの棚で何気なく見つけて、へえ!たけしさんのこんな美術本もあるのかと借りてみた。
表紙写真からしてカッコいい。
バイク事故直後って書いてあるけど、少し間をおいてじゃないかなあ?

さすがにプライベートだと日本人観光客に囲まれちゃうから、取材と称して?閉館後に2時間独り占めしたなんてイイなあ!
でも、大英博物館は、たとえ1ヵ月通ってもまだ見切れない気がする
私も時間配分を考えて、真っ先にエジプトコーナーに行って、これで無料
撮影自由なばかりか、べたべた触ってもOKていろいろ驚いたことを思い出した。

私も美術品を観ながらいろいろつっこみを入れたくなる(ストーリーを妄想したり)する性質だけど、
たけしさんのツッコミが自分と似てるところもあって、勝手に親近感を持ったり


【内容抜粋メモ】

“本書は『SINRA』1997.1月号~6月号に掲載された記事を再編集し、増補したものです。
 また情報は、著者訪問(1996.8)、追加取材(2002.4)時点のものです。”

「大英博物館に行けば、おいらが生きてる意味ってのが見つかるかもしれないと思った。
 だって、ここにあるのは、自分がこの世にいたんだってことを後世に伝えたくて作ったものばかりだろう。」

ここに行きたいと言い出したのは、1994年のバイク事故の直後。
何者かによって「辛うじて生かされた」という気がしてならなかったから。

イギリスやフランスは、文化とは作り出すだけのものじゃなくて、奪い取るものでもあるということを知っていたんだね。p.12


【古代エジプト】
最初に訪れたのがエジプト・ギャラリー。名物の「ロゼッタ・ストーン」。
この石には上から順に、ヒエログリフ(神聖文字)、デモティック(民衆文字)、ギリシャ文字が刻まれている。
これをきっかけに誰も読めなかった古代エジプト文字が解読された。
エジプトは「返せ!」って抗議してるけど、イギリス人も「200年近く大切に保管してやったんだぞ。絶対返さぬ」の一点張り。


人類百万年の歴史が詰まってるんだから、それに見合うだけの時間をかけて見るのが義理じゃないか。p.16


日本の工事現場で縄文土器なんかが見つかっても、作業に支障が出るからって、こっそり捨てちゃうこともあるらしいじゃないか
(土器さんっ! まあ、どこ掘っても、なにかしらヒトの暮らしは出てくるだろうね


エジプト・ギャラリーは、どこの部屋も霊魂が浮遊しているような気がする。古代の王様たちの執念かな。

「ヘヌトメフト墓の彩色箱」かあいい!



●ミイラ作り


おいらがどうしても理解できないのは、ミイラなんだな。結局は人様の死体だろ。とどのつまりは、墓泥棒ってことだよ。
日本人なら気味悪がって、絶対にコレクションなんかにしないね(今や上野にあるけどね p.22


今なら、死んですぐにマイナス200度近い液体窒素に沈めて、遺体を冷凍保存するって方法もある。
実際、もうカチンコチンに凍らされた人もいるんだよ。
(治療不可能な病のヒトなら、未来の治療に賭ける気持ちは分かるけど、死体を保存する意味が現代にあるのかな?

サル、ネコ、トリ、ウシ、ワニ、ヘビ、ウナギのミイラまである/驚


【独占取材のわけ】
映画『ソナチネ』の仕事でロンドンに来た時、大英博物館に寄って、激混みだった上、
すぐたけしさんだと観光客にバレて、逃げるように帰ったのが最初

大英博物館は、閉館は17時だが、マスコミの取材は、例外的に閉館後に開放することがある。
今回は、「世界に名の知られた映画監督だ」と申請書に書いたのが効いて、
2日連続、閉館後2時間の独占取材があっさり許可されたとかw



【アッシリア】(なんか『王家の紋章』を思い出した

「人面有翼雄牛像」


は蹄が1つ、牛は2つって、太古の昔から決まってるんだ(へえ!

同行したマネージャーさんのコメントががいちいち面白い。
「これは5本足なんですね。昔はこんな牛がいたんですか」

いるわけないだろ。チェルノブイリから出土したんじゃないんだから
正面からだと両足を揃えているように見えて、横からだと歩いているように見える。
昔の人が知恵絞って考えた、四つ足の動物を表現するための工夫なんだよ。

アッシリア帝国の首都だった「ニネベ」は、実際どこにあったのか分からないままだった。
今のイラクあたりは、日本の戦国時代なんてお話にならないほどのドンパチを繰り返してきたから、
都市は建てても建ててもブチ壊された。p.38


アッシリアの古代都市を掘り出した時、ニネベじゃなく、ニムルドって町だった。
(ニネベより古い時代なら、もっとすごいじゃん!


ライオン狩り
アッシリアの王様はよくライオン狩りをしてたみたいで、「帝室動物園」で飼ってて、
行事の時だけ狩り場に出されて、先に家来が半殺しにしてから、王が最後にとどめを刺すだけ。
江戸時代の日本の「鷹狩り」と同じ(そうそう茶番なんだよね


「瀕死の雌ライオン」

こんなに矢を刺されちゃって・・・/涙 でも、浅く掘ったように見えて、これだけ立派に残っているのがフシギでならない


【ハイド・パークでひと休み】
子どもの頃、破れた凧に婆さんが浮世絵をハサミで切って修復。
凧を見た時のかあちゃんの慌てぶりったら凄かったよ。

「万里の長城」も同じ。肝心の城壁が穴だらけで、地元住民に聞くと、
「家を建てるのにちょうどいいから使った」

芸術や遺跡の本当の価値は、見る人が見なければ分からない。
(生活に美術品が使われるなら本望では? すべては無常なり



【古代ギリシャ・古代ローマ】

おいら、博物館の展示室っていうと、変に薄暗くて、中がゴチャゴチャした部屋を想像してた。
上野あたりの博物館はまさにその典型。
だから、大理石のギャラリーにはビックリさせられたんだ。
こんな展示の仕方は見たことないし、金だって相当かかってる。p.54


●パルテノン神殿
20年前からやっと修復工事が始まった。建てられたのは、今から2400年以上も前。
人類の文化遺産なんて、要するにみんな奴隷が作ってる。
守護女神アテナの像は、高さ12m。

紀元5Cになって突然ギリシャに押し寄せたキリスト教。
神殿もご神体も、もういらない。
パルテノン神殿はリフォームされて、教会になった。

最悪なのは、オスマン・トルコに征服され、神殿なら攻撃されないだろうと弾薬庫にしたこと。
1687年、ヴェネツィア軍は、大砲を発射し、大爆発
つくづく気の毒な神殿だと思うよ。p.57
(それでも、これだけ残ってるのは逆にスゴイ・・・

イギリスの外交官トマス・エルギンは、現状視察と彫刻の記録のため、画家と調査チームを連れてやってきた。
オスマン・トルコ皇帝は「碑文や像が彫られた石を持ち帰ってもよろしい」なんてOKが出て、
彫刻を次々に剥がしたのが「エルギンの掠奪」。p.60


「ポートランドの壷」


1845年、閉館直前、保護のガラスケースごと壷は200以上の破片に砕け散った。
犯人は、ウィリアム・ロイド。酩酊状態で入り込み、ひと際目立ってた壷を、側にあった「古代の瓦」で壊したという。
男は、3ポンドの罰金だけで釈放された/驚

3度目の修復では、接着剤が劣化したため、いったん分解して、最新技術で組み立て直した。
(写真で見るかぎり、つなぎ目なんかどこにあるのか全然分からない!




朝から他の博物館や美術館を見て回り、あと40室も残ってるのにぐったり。
(そうそう、美術館とかってデパートとかと同じでちょこちょこ夢中で歩くから意外と疲れるんだよね
 ほとんどが入場料がタダってスゴイ/驚



【東洋】
大英博物館の東洋部門は意外にすごいとは聞いていた。
もっとも有名なのは、オーレル・スタインがかき集めた中国・敦煌の絵画類。「スタイン・コレクション」
敦煌は、古代の国際都市、人種と宗教のツルボだった。p.72


“壁画で有名な千仏洞の中から、何年か前、古文書がどっさり出てきて、今もそのまま保管されてるんだって”

て話を聞いて、スタインは道士にかけあうが、お金にも冒険談にもなびかない。
そこで何気なく話した「三蔵法師」の話に突然食いついた道士さん。
スタインは「三蔵法師フリーク」の道士の信頼を得て、金を握らせ、書庫から出すことに成功。
その後も何人かの探検隊がやってきて、やがて石窟は、スッカラカンに近い状態になった。p.75


「飯綱権現像」は南方熊楠が寄贈。南方は、大英博物館が所蔵する日本の美術品の整理&分類を手伝った。

【ブログ内関連記事】


『猫楠 南方熊楠の生涯』水木しげる
『小学館版 学習まんが人物館 南方熊楠』


たけしさん曰く、自分の描いた絵も寄託すれば、千年後には価値が上がるかもってw



つくづく人間は自分の記録を残したがる生き物だって実感した。
生き物なんて、もともと自分の遺伝子を残すようにできてるんだから、それで十分じゃないか。
「自分の記録」なんて、9割がクズだと思ったほうがいい(自分で撮った映画や、描いた絵、著書も?!


【その他】
メソポタミア文明を生んだシュメール人は、紀元前3000年ごろ、ティグリス・ユーフラテス河あたりに突然現れ、
いくつもの都市国家をたてた、人類最古の種族の1つで、楔形文字も発明した。

「オクソス遺宝」

グリフィン:鷲(あるいは鷹)の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物。

ケルト美術:ローマ帝国征服前のヨーロッパ美術を初期ケルト美術、民族大移動後の展示も見逃せない。



【ミュージアム・ショップでお土産】
「何かブランド品買ってきてね」と言われたのに、疲れたから、大英で全部まとめ買いしたのはいいけど、
選んだものが、パズルとか、ミイラ棺のマウスパッドとか、よくある“行ってない人には、ちょっと・・・”ていうものばかりで可笑しいw

中でも、これは可愛い! 15ポンドなら買ったかも?!




【大英図書館】
 

マルクス、レーニン、孫文、ディケンズも通ったという、1800万冊以上の蔵書数を誇る図書館も名物。
(直筆の楽譜まであるなんて、この図書館自体知らなかった・・・

今は図書館の機能が他に移って、閲覧室の本は少ない。おいらが行った当時も、本の一部はハリボテだったから、もともと少なかったりして。p.97


ホントは、大英博物館の中庭に建っている。ドーム型の屋根がついた閲覧室。
日本の国立国会図書館がだいたい650万冊だから、その3倍近い/驚
今じゃ誰でも自由に入って見学できるらしいけど、おいらが行った時は、特別なパスがない限り手続きがややこしくて、おいそれと許してくれない。
事前によーく頼み込んで、やっと入れてもらった。


2000年の改装で、閲覧室に延びる通路はないけど、デヴィッド・ロッジが書いたとおり、確かに「膣」っぽかった。
だとしたら、卵巣に引き寄せられるのはみんな「精子」じゃないのか。
性欲と同じくらい知的欲求のある奴が入って、膨大な量の本と受精し、やがて生まれるのは、
あらゆる情報を貪った知識の塊みたいな人間。


マルクスは、毎日、図書館の閲覧室に10年以上通って、朝9時~夜19時まで読み漁り、やがて著したのが『資本論』。


1900年には、イギリス留学中の夏目漱石(当時は金之助)が見物に来た。
漱石がロンドンでノイローゼになった話は有名だけど、この膨大な本を見てショックを受けたんじゃないかと思うね。p.102


南方熊楠
18、19カ国語を自在に操ってたって話だから、閲覧室の本を片っ端から読んだろうね。
面白そうなものを見つけると、ノートに写して、最終的にノートは52冊、約1万3000ページになり『ロンドン抜書』と名付けられた。

当時、日本人を快く思わない奴が嫌がらせをして、もともと癇癪持ちの南方は、事件を起こす。
「午後博物館書籍室に入りざま毛唐一人ぶちのめす。これは積年予に軽侮を加しやつ也(1897の日記)」(かっけえw

話が大事になり、閲覧室への出入り禁止になった南方は、一度は復帰するものの、またトラブルを起こして、追放処分となる。


大英博物館でピストル自殺
ヘンリー・シモンズ(25)は、大英博物館に就職して以来、図書館一筋ウン十年。本のカタログ作りをしていた。
51歳でやっと結婚したら、なぜか式からたった4週間後、図書館の自分の仕事部屋でピストル自殺した。

おいらが気の毒に思ったのは、奴の上司が、自殺を知って言ったひと言「ヘンリーの部屋にあった本は大丈夫だったか?」


ドームの壁に収まってる本は、ほとんどがボロボロ。
一昨年新しい図書館を別の場所に建てて蔵書を移動した。



「なんだか分からないけど、ロンドンって場所は気分が落ち着くよ」

うまく枯れた人が住んでる、うまく枯れた町。
「仕事が生き甲斐」「仕事が趣味」みたいなオヤジがジジイになっても、絶対に何も残らない。
遊び方も知らないまま、年だけをとる人間が、いかに気の毒かってことだよ。
今の日本人を見てると、つくづくそう思うね。


【大英誕生小噺】

だいたい日本の文化施設の入場料が高すぎる(そうなんだよ
理解不能の現代画を数億円で買い付けて、高額な保険を必要とする作品ばかり集めるから、
それが入場料に跳ね返ってくるんだ。

大英博物館は入場無料だけど、よほど懐が心細いとみえて、最近じゃ、本当に入場料を徴収する計画があるらしい。p.105


「ハンス・スローン」
大英博物館の基礎となった8万点のコレクションを集めて、その死後、国に遺贈した医師。
正面玄関から入ってすぐの右手に像がある(あったっけ?
「国にコレクションを全部やるから、娘たちに2万ポンドやってくれ」と遺書を残した。
蒐集に金を使い込んで、遺産がなくなっちゃった

国は買いたいけど、国にもお金がなかったから、考えたのは「宝くじ」!!
その収益金は95000ポンド。


「ロバート・スマーク」
ギリシャ神殿風の大英博物館を設計した建築家。30年かけて1852年に完成。
その後もコレクションは増え続け、建物も老朽化してるから、未だに増改築が行われている。
(そいえば私が行った時もどこか直してた記憶がある

「モンタギュー・ハウス」
1852年以前は、公爵の邸宅を買って、展示物を押しこんでた。場所は今の正面入り口あたり(へえ!


●賭け事大好きなイギリス人
おいらは博打で身を滅ぼした芸人をたくさん見てきたから、賭け事はあんまりやらない。p.110
イギリス人は、本当に博打好きだね。
小林章夫著『賭けとイギリス人』を読むと、闘鶏、競馬、宝くじ、サッカーくじ、首相選挙、
日本の大相撲まで賭けの対象になってる/驚(そいえば、王室の子どもが男の子か女の子かでも賭けてたよね?



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