■「実家がまだまだ片づかない」(後編)@きわめびと
5日後に専門家が再び訪ねると、台所はだいぶ片付いたが、まだ課題は多い。
この片づけの勢いを止めることなく、さらに秘訣を教えてくれた。
安全性、使いやすさを重視する
●毎日、今使っているモノだけをピックアップする
「やっぱり使わないねって思ったら、また減らしてください。減らせば減らすほど使いやすくなります」
●安易に収納を買わない
「収納を買ったがために、それに合わせてモノを増やしちゃう」
(そーなんだよ! 片づけの苦手な人は、まず、百均のカゴとか買って余計増やしちゃうw
棚をどけたことで、動線が改善された
●若い世代と高齢者とでは片づけ術がまったく違う
「暮らしている本人は、暮らしにくさに気づかない。
たまに帰省する子どもさんは、実家の暮らしにくさを客観視できる」
(それは自分も感じた。自分の部屋を時々、冷静に客観視すると、
使わないモノが見えたり、逆にコレは工夫次第で使えると気づいたり。
一度見直しただけじゃ、死角、無自覚になっているモノがたくさんある。
ちょっとした時間の空いた時にボンヤリと見て、考えるクセがついたら、動線が改善してきたv
「子どもは親が歳をとっていることを実感できない」
(それもあるな。いつまでも親は親。自分が歳をとって動くのがだんだん面倒になってきて初めて実感できる
[高齢者の体の動きを体験してみる]
「だるい、痛い!」
「急に全部やろうとしないで、小さいところから始めるとよい」
●大きな難所~思い出の品々
「自分の思い出の品で捨てられないモノは、自宅へ持ち帰る」
(これは反省。それでこないだ眉村さんの小説を戻してもらったんだけどw
●保留箱の置き場所がなくなったので、子ども部屋を一時倉庫にした
父「頭の中がスッキリしてきたました」
保留箱には何が入っているかメモれば一目瞭然
●リサイクルショップに服を持っていくと・・・
「汚れがあったりとかで、1点1円で買い取りさせてもらいますが、よろしいでしょうか?」
(こう言われるとガックリくるよね。実家の近所のショップは重さで精算されちゃう。
リサイクルショップって、環境のためというより、儲けが必要な商売なんだ。
複雑な表情を隠せない2人だが、仕方ないよねってことに
●孫たちも手伝いに来てくれた
祖母は孫からの手紙を大事にとっておいてくれていた/プロの料理人の息子さんが台所で手料理を作る
「昔のモノを整理していると、子どもの思い出を大切にしてくれている親の愛に気づくことができる」
ひさびさの居間での一家団欒。お父さんも嬉しそう
「実家の片づけは、親を知るチャンス」
「家族でやれば片づけも楽しい」
「普段は一面しか見えていない、親のほかの部分を知る機会にもなる」
「片づける前だと、家内も亡くしたし、やる気が出なかった。
でも、今度キレイになったら、また自然と1日1日いろいろやってみたいなと思います」
(自分で美味しそうなお味噌汁作っている姿も印象的だった
最初は、親子間の「ズレ」から始まって、最後は「絆」の確認でまとまった。
私の実家もスーパーマーケット規模で、帰省するたびに一緒に片づけて、
それはそれで楽しいんだけど、例えばストッキングだけでも山盛り出て来て、
どうしてこんなことが起きるんだろう???と本当に理解不能になる。
一度片づけても、空いたスペースにまたモノを埋めて、リバウンドするから、もう諦めた。
本人が自分の金で買いたいモノを買い、モノに囲まれているのが居心地いいなら、それもよしと考え直した。
番組冒頭で、「子どもが独立して家を出てからモノをためるようになった」ってゆってたけど、
いきなり育児から解放されて、ポッカリ空いた孤独感から、物欲で代わりに埋めてる心理的なものじゃないかと思ったから。
人によって“居心地の良い空間”の意味は違って当然だし。
逆に、自分は、パニ障になってから、改めて自分の部屋を見直して、
“自分が買ったモノでない違う趣味のモノ”“居心地の悪いモノ”を排除して、
当時“森化計画”と名付けて、緑色を基調にしたのも、心理的な意味が大きかった。
片づけるうちに、自分はほんとうは何が好きで、何が必要か不要かが見えたり、
わざわざよけて動いていたことに気づいたりして、新鮮な発見もたくさんあったし。
ココロが充足していれば、モノへの執着はだんだん薄れていく気がするんだ。
5日後に専門家が再び訪ねると、台所はだいぶ片付いたが、まだ課題は多い。
この片づけの勢いを止めることなく、さらに秘訣を教えてくれた。
安全性、使いやすさを重視する
●毎日、今使っているモノだけをピックアップする
「やっぱり使わないねって思ったら、また減らしてください。減らせば減らすほど使いやすくなります」
●安易に収納を買わない
「収納を買ったがために、それに合わせてモノを増やしちゃう」
(そーなんだよ! 片づけの苦手な人は、まず、百均のカゴとか買って余計増やしちゃうw
棚をどけたことで、動線が改善された
●若い世代と高齢者とでは片づけ術がまったく違う
「暮らしている本人は、暮らしにくさに気づかない。
たまに帰省する子どもさんは、実家の暮らしにくさを客観視できる」
(それは自分も感じた。自分の部屋を時々、冷静に客観視すると、
使わないモノが見えたり、逆にコレは工夫次第で使えると気づいたり。
一度見直しただけじゃ、死角、無自覚になっているモノがたくさんある。
ちょっとした時間の空いた時にボンヤリと見て、考えるクセがついたら、動線が改善してきたv
「子どもは親が歳をとっていることを実感できない」
(それもあるな。いつまでも親は親。自分が歳をとって動くのがだんだん面倒になってきて初めて実感できる
[高齢者の体の動きを体験してみる]
「だるい、痛い!」
「急に全部やろうとしないで、小さいところから始めるとよい」
●大きな難所~思い出の品々
「自分の思い出の品で捨てられないモノは、自宅へ持ち帰る」
(これは反省。それでこないだ眉村さんの小説を戻してもらったんだけどw
●保留箱の置き場所がなくなったので、子ども部屋を一時倉庫にした
父「頭の中がスッキリしてきたました」
保留箱には何が入っているかメモれば一目瞭然
●リサイクルショップに服を持っていくと・・・
「汚れがあったりとかで、1点1円で買い取りさせてもらいますが、よろしいでしょうか?」
(こう言われるとガックリくるよね。実家の近所のショップは重さで精算されちゃう。
リサイクルショップって、環境のためというより、儲けが必要な商売なんだ。
複雑な表情を隠せない2人だが、仕方ないよねってことに
●孫たちも手伝いに来てくれた
祖母は孫からの手紙を大事にとっておいてくれていた/プロの料理人の息子さんが台所で手料理を作る
「昔のモノを整理していると、子どもの思い出を大切にしてくれている親の愛に気づくことができる」
ひさびさの居間での一家団欒。お父さんも嬉しそう
「実家の片づけは、親を知るチャンス」
「家族でやれば片づけも楽しい」
「普段は一面しか見えていない、親のほかの部分を知る機会にもなる」
「片づける前だと、家内も亡くしたし、やる気が出なかった。
でも、今度キレイになったら、また自然と1日1日いろいろやってみたいなと思います」
(自分で美味しそうなお味噌汁作っている姿も印象的だった
最初は、親子間の「ズレ」から始まって、最後は「絆」の確認でまとまった。
私の実家もスーパーマーケット規模で、帰省するたびに一緒に片づけて、
それはそれで楽しいんだけど、例えばストッキングだけでも山盛り出て来て、
どうしてこんなことが起きるんだろう???と本当に理解不能になる。
一度片づけても、空いたスペースにまたモノを埋めて、リバウンドするから、もう諦めた。
本人が自分の金で買いたいモノを買い、モノに囲まれているのが居心地いいなら、それもよしと考え直した。
番組冒頭で、「子どもが独立して家を出てからモノをためるようになった」ってゆってたけど、
いきなり育児から解放されて、ポッカリ空いた孤独感から、物欲で代わりに埋めてる心理的なものじゃないかと思ったから。
人によって“居心地の良い空間”の意味は違って当然だし。
逆に、自分は、パニ障になってから、改めて自分の部屋を見直して、
“自分が買ったモノでない違う趣味のモノ”“居心地の悪いモノ”を排除して、
当時“森化計画”と名付けて、緑色を基調にしたのも、心理的な意味が大きかった。
片づけるうちに、自分はほんとうは何が好きで、何が必要か不要かが見えたり、
わざわざよけて動いていたことに気づいたりして、新鮮な発見もたくさんあったし。
ココロが充足していれば、モノへの執着はだんだん薄れていく気がするんだ。