■『国境を越えて 戦禍を生きのびたユダヤ人家族の物語』(BL出版)
ウィリアム・カプラン、シェリー・タナカ/文 シュテファン・テイラー/絵 千葉茂樹/訳
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ナチス・ドイツの迫害を逃れて、地球の4/3にもおよぶ距離を1年半にわたって旅しつづけた家族を描いた。
後に分かったのは、彼らはソ連から日本を経由してヨーロッパを脱出した最後のユダヤ人の一部だった。
カナダに祖父母がいたこと、比較的裕福だったことなども好条件だったのかもしれない。
読者も家族とともに命がけの旅をともにしている極度の緊迫感があり、胸が苦しくなった。
書いたのは、本書に出てくる長男のイーゴルくんの後の息子であるウィリアム氏。
家族は、父母、長男、長女ノーミの4人。
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先日、蝋人形館にも展示されていた杉原千畝さんも出てくる。
こうして大勢の命をつないだ日本人もいれば、命を奪った日本人もいたことが分かった。
【内容抜粋メモ】
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第二次世界大戦は、さまざまな事情が絡み合った複雑な戦争だったが、ドイツの領土拡張の野望は大きな原因だったと言える。
1939年春。カプラン家の4人は、ほとんど家に残して逃げ出した。
長男イーゴルはシナゴーグ(ユダヤ教の教会)に行く時に着る服を着ていた。
カプラン家が脱出した2日後には、ドイツ軍はメーメルを侵略。すべての財産を奪っていった。
リトアニアの首都カウナスに到着。
秋にはドイツ軍はリトアニアの南に国境を接しているポーランドへの侵攻を開始。
リトアニアはソ連に征服されていて、ソ連はナチスと同様、ユダヤ人を嫌い、学校も教会も閉鎖した。
大勢が祖国リトアニアを離れた。
リトアニア語は、ヨーロッパ言語の中でももっとも古いものだと言われる。
多くの国が戦争に参加し、ヨーロッパ中の国境は厳しく閉ざされた。家族はビザを手に入れられず待ち続けた。
カウナスにスギハラという領事がいると聞いて、日本領事館に行くと同じくビザを求める何百人があふれていた。
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国からビザ発行を止められた杉原は、ちょうど領事館を閉鎖して家族で離れるところだったが、父は車を呼び止めた。
幼い2人の子どもの姿を見た杉原は、その場で書類を書いてスタンプを押してくれた。「お元気で」
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日本入国を認めたビザ
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杉原千畝さん一家
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杉原千畝がカウナス領事に任命されたのは、何千人というユダヤ人がソ連経由で日本への入国をもとめはじめた時期だった。
彼らは太平洋を渡って北アメリカ、オーストラリアへの移住を望んでいた。
杉原は日本政府の命令にさからって、1日に300通ものビザを手書きで発行しつづけた。
その後、領事館を閉鎖するよう命じられ、その名誉は回復されないまま1986年に亡くなったが、
「諸国民の中の正義の人賞」を授けられた。
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ソ連人の母には別に出国許可書が必要だった。ギリギリで汽車に乗り込み、家族は出発する。
母のビザはソ連への入国だけ。車内で取り上げられたスーツケースは戻らなかった。
ドイツ軍が勢力をのばすほど各国は国境を固く閉ざした。
カプラン家がリトアニアを出国した数日後、リトアニア国境は永遠に閉ざされた。
戦争終結までにリトアニアにいたユダヤ人の90%にあたる約13万人がナチスに殺された。
家族はソ連の首都モスクワを見て回った。母は日本大使館に行ったが日本政府が一切ビザを出さないよう命令したため手に入らなかった。
「行けるところまで行こう」と出発する。
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モスクワを出発するシベリア横断鉄道
世界で最も長く、9600kmにもおよぶ線路の建設には26年もかかった。山を削り、大河を渡り、永久凍土を横切る。
1940年当時、全旅程には10日かかった。
家族は専用の客室だった。隣りのフォーゲルマン家と親しくなり、イーゴルには友だちが出来る。
彼らは上海からオーストラリアに向かう予定だったが、バイカル湖にあるイルクーツクで書類を点検され、
フォーゲルマン家はホームに連れ出されてしまう。
母「これからは部屋から出ないでね。もうだれとも話しちゃだめよ」
イーゴルは窓の外に「シベリアトラ」Image may be NSFW.
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の姿を見る。
世界最大のトラで、水辺を好む。10万頭いたのが、今では300頭足らずに減った。
ウラジオストクの日本領事館でふたたびビザを断られた母に父はカナダでの新しい生活用にとっておいたお金を渡す。
それを賄賂にして、ようやくビザが手に入った。
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日本は自国の利益のためにも領土拡大には関心をもっていたが、ドイツの反ユダヤ主義を共有することはなかった。
ドイツの圧力にも関わらず、ユダヤ人難民を受け入れ、他国への橋渡しをした。
だがその役割も日本が参戦する直前の1941年半ばには終わってしまう。
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日本に着いた家族は、神戸の小さな旅館に泊まって、カナダ行きの船を待った。
しけの航海で予定より長引き、イーゴルはひどい船酔いで、出された生魚やご飯も喉を通らない。
そこに仲居さんから「お子さんたちに」とオレンジ、リンゴImage may be NSFW.
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、パンImage may be NSFW.
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が入ったバスケットが差し入れられた/涙
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「ロシア女帝号」は軍艦のように見えた。カナダまでは7日間かかる予定。
カナダは、ドイツ軍がポーランドに侵攻した直後の1939年9月に、ドイツに対して宣戦布告した。
カナダ本土は攻撃されなかったが、ヨーロッパや北アフリカなどに軍隊を送った。
「ロシア女帝号」のような客船もいつでも戦えるよう戦艦としての装備がされた。
船上でもサイレンが鳴り、救命ボートに乗客が集まる騒ぎがあった。
バンクーバーには10月に到着。祖父母のいるオンタリオ州に向かい汽車に乗る。
イーゴルは食堂で雇ってもらい、給料は1日1個のチーズサンドイッチ。ウエイターは英語を教えてくれた。
カナダへの移民を許可されるには、最低1年間、そこで働くことが条件だった。
家族はコーンウォール郊外の空き農場に落ち着いたが、農業は初めて。
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コーンウォールの農場
1年後、ウインザーに引越し、母は写真スタジオを開くImage may be NSFW.
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カプラン一家は、自分たちが、ソ連から日本を経由してヨーロッパを脱出した最後のユダヤ人の一部だったと知る。
1945年第二次世界大戦終戦時、虐殺されたユダヤ人は600万人にものぼっていた。
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【訳者あとがき抜粋メモ】
神戸や横浜には、ユダヤ人難民を受け入れる団体があり、多くの人々がさまざまな国に渡っていった。
神戸には、ユダヤ人たちを積極的に受け入れ、手厚く世話をしたキリスト教系の団体があった。
のちに政府による弾圧を受け、代表者らは逮捕され、解散に追い込まれた。
杉原さんのビザによって命を救われたユダヤ人は、最終的には6000人。
1991年。外務省が正式に遺族に謝罪。
2000年。外務省の施設「外交資料館」に「勇気ある人道的行為を行った外交官杉原千畝氏を讃えて」と記されたプレートが掲げられた。
ウィリアム・カプラン、シェリー・タナカ/文 シュテファン・テイラー/絵 千葉茂樹/訳
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ナチス・ドイツの迫害を逃れて、地球の4/3にもおよぶ距離を1年半にわたって旅しつづけた家族を描いた。
後に分かったのは、彼らはソ連から日本を経由してヨーロッパを脱出した最後のユダヤ人の一部だった。
カナダに祖父母がいたこと、比較的裕福だったことなども好条件だったのかもしれない。
読者も家族とともに命がけの旅をともにしている極度の緊迫感があり、胸が苦しくなった。
書いたのは、本書に出てくる長男のイーゴルくんの後の息子であるウィリアム氏。
家族は、父母、長男、長女ノーミの4人。
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先日、蝋人形館にも展示されていた杉原千畝さんも出てくる。
こうして大勢の命をつないだ日本人もいれば、命を奪った日本人もいたことが分かった。
【内容抜粋メモ】
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第二次世界大戦は、さまざまな事情が絡み合った複雑な戦争だったが、ドイツの領土拡張の野望は大きな原因だったと言える。
1939年春。カプラン家の4人は、ほとんど家に残して逃げ出した。
長男イーゴルはシナゴーグ(ユダヤ教の教会)に行く時に着る服を着ていた。
カプラン家が脱出した2日後には、ドイツ軍はメーメルを侵略。すべての財産を奪っていった。
リトアニアの首都カウナスに到着。
秋にはドイツ軍はリトアニアの南に国境を接しているポーランドへの侵攻を開始。
リトアニアはソ連に征服されていて、ソ連はナチスと同様、ユダヤ人を嫌い、学校も教会も閉鎖した。
大勢が祖国リトアニアを離れた。
リトアニア語は、ヨーロッパ言語の中でももっとも古いものだと言われる。
多くの国が戦争に参加し、ヨーロッパ中の国境は厳しく閉ざされた。家族はビザを手に入れられず待ち続けた。
カウナスにスギハラという領事がいると聞いて、日本領事館に行くと同じくビザを求める何百人があふれていた。
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国からビザ発行を止められた杉原は、ちょうど領事館を閉鎖して家族で離れるところだったが、父は車を呼び止めた。
幼い2人の子どもの姿を見た杉原は、その場で書類を書いてスタンプを押してくれた。「お元気で」
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日本入国を認めたビザ
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杉原千畝がカウナス領事に任命されたのは、何千人というユダヤ人がソ連経由で日本への入国をもとめはじめた時期だった。
彼らは太平洋を渡って北アメリカ、オーストラリアへの移住を望んでいた。
杉原は日本政府の命令にさからって、1日に300通ものビザを手書きで発行しつづけた。
その後、領事館を閉鎖するよう命じられ、その名誉は回復されないまま1986年に亡くなったが、
「諸国民の中の正義の人賞」を授けられた。
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ソ連人の母には別に出国許可書が必要だった。ギリギリで汽車に乗り込み、家族は出発する。
母のビザはソ連への入国だけ。車内で取り上げられたスーツケースは戻らなかった。
ドイツ軍が勢力をのばすほど各国は国境を固く閉ざした。
カプラン家がリトアニアを出国した数日後、リトアニア国境は永遠に閉ざされた。
戦争終結までにリトアニアにいたユダヤ人の90%にあたる約13万人がナチスに殺された。
家族はソ連の首都モスクワを見て回った。母は日本大使館に行ったが日本政府が一切ビザを出さないよう命令したため手に入らなかった。
「行けるところまで行こう」と出発する。
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モスクワを出発するシベリア横断鉄道
世界で最も長く、9600kmにもおよぶ線路の建設には26年もかかった。山を削り、大河を渡り、永久凍土を横切る。
1940年当時、全旅程には10日かかった。
家族は専用の客室だった。隣りのフォーゲルマン家と親しくなり、イーゴルには友だちが出来る。
彼らは上海からオーストラリアに向かう予定だったが、バイカル湖にあるイルクーツクで書類を点検され、
フォーゲルマン家はホームに連れ出されてしまう。
母「これからは部屋から出ないでね。もうだれとも話しちゃだめよ」
イーゴルは窓の外に「シベリアトラ」Image may be NSFW.
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世界最大のトラで、水辺を好む。10万頭いたのが、今では300頭足らずに減った。
ウラジオストクの日本領事館でふたたびビザを断られた母に父はカナダでの新しい生活用にとっておいたお金を渡す。
それを賄賂にして、ようやくビザが手に入った。
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ドイツの圧力にも関わらず、ユダヤ人難民を受け入れ、他国への橋渡しをした。
だがその役割も日本が参戦する直前の1941年半ばには終わってしまう。
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日本に着いた家族は、神戸の小さな旅館に泊まって、カナダ行きの船を待った。
しけの航海で予定より長引き、イーゴルはひどい船酔いで、出された生魚やご飯も喉を通らない。
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「ロシア女帝号」は軍艦のように見えた。カナダまでは7日間かかる予定。
カナダは、ドイツ軍がポーランドに侵攻した直後の1939年9月に、ドイツに対して宣戦布告した。
カナダ本土は攻撃されなかったが、ヨーロッパや北アフリカなどに軍隊を送った。
「ロシア女帝号」のような客船もいつでも戦えるよう戦艦としての装備がされた。
船上でもサイレンが鳴り、救命ボートに乗客が集まる騒ぎがあった。
バンクーバーには10月に到着。祖父母のいるオンタリオ州に向かい汽車に乗る。
イーゴルは食堂で雇ってもらい、給料は1日1個のチーズサンドイッチ。ウエイターは英語を教えてくれた。
カナダへの移民を許可されるには、最低1年間、そこで働くことが条件だった。
家族はコーンウォール郊外の空き農場に落ち着いたが、農業は初めて。
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コーンウォールの農場
1年後、ウインザーに引越し、母は写真スタジオを開くImage may be NSFW.
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カプラン一家は、自分たちが、ソ連から日本を経由してヨーロッパを脱出した最後のユダヤ人の一部だったと知る。
1945年第二次世界大戦終戦時、虐殺されたユダヤ人は600万人にものぼっていた。
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【訳者あとがき抜粋メモ】
神戸や横浜には、ユダヤ人難民を受け入れる団体があり、多くの人々がさまざまな国に渡っていった。
神戸には、ユダヤ人たちを積極的に受け入れ、手厚く世話をしたキリスト教系の団体があった。
のちに政府による弾圧を受け、代表者らは逮捕され、解散に追い込まれた。
杉原さんのビザによって命を救われたユダヤ人は、最終的には6000人。
1991年。外務省が正式に遺族に謝罪。
2000年。外務省の施設「外交資料館」に「勇気ある人道的行為を行った外交官杉原千畝氏を讃えて」と記されたプレートが掲げられた。