■山田洋次×美輪明宏×二宮和也 未来のために
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今年は、太平洋戦争から71年目。
去年録りためた録画を1つ1つ観て、その都度アップしていこうと思う。
【ブログ内関連記事】
美輪明宏 ~戦後70年 今届けたい歌~@SONGS
【内容抜粋メモ】
ナレーションは映画に出演した黒木華さん。
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「私たちにとって、戦争は遠い昔の話。学校で習った教科書だけの世界」
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「自分たちの(判断の)良し悪しがつく前に、戦争はいけないものです、二度と起こしてはいけない悲劇だと言われても。
知ろうともしないし、手立て、気力もないんだよね」
●2014年12月『母と暮らせば』制作発表
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映画を撮り続けて半生記、これが83本目の作品となる山田監督
美輪さんの戦争体験の話が映画作りに大きな影響を与えた。
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*
二宮「映画作りは大変ですか、楽しいですか?」
山田
結果として楽しいからやってるんでしょうね。どんな仕事でも嫌だったり、辛かったりするじゃないの。
でも、それを経て何か出来上がった時に、ああ、やったなという充足感が手に入れば、また次作ろうっていうことにつながる。
美輪「山登りと同じ。登っている時は苦しくても、降りるとまた恋しくなって、楽しさばかり思い出す。なかば中毒になる、こういう商売は」
『男はつらいよ』の舞台、葛飾生まれのニノくん。
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わっ! 超可愛い柴さんが!!
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●20世紀は日本人が忘れてはいけない時代
美輪さんの芸歴は昭和26年から64年目!
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「それがプロとしての最初の仕事」
[進駐軍]
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当時はアメリカ兵相手に歌っていた。当時は進駐軍のジャズが流行っていた。
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山田「進駐軍キャンプがひとつの文化だった」
二宮「この年にこの映画を撮った理由は?」
山田「根元のところに母と息子の話を作ろうと思った。情愛を丁寧に描きたかった。その背景に戦争がある」
二宮「僕の中では、これは監督の小さな頃なんだろうなと思った」
山田「(笑)たしかに、僕もよく笑う、人を笑わせるのが好きな少年だったかもしれない」
●山田監督の戦争
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旧満州で少年時代を過ごした
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[飢えの体験]
卵を1つ割ったら、子どもたちみんなで分け合って食べるくらい飢えていた。
ぽんと割って、お醤油をタラタラってかけたら夢みたいな。僕は死ぬ前に食べたいのがそれだもん。
(この話は、「あさイチ」プレミアムトークの時もされてたな
●戦時中は色が禁止されていた
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美輪:
私たちは戦時中色が禁止されていた。着るもので明るい、キレイな色はダメ。男は国民服、女はどぶねずみ色のもんぺ。
母は上海の服装学院で学んだから、洋服を着て、車に乗ってたら警察に呼ばれて“なんだそれは、戦時中において不謹慎である”
と言われて、みんなの目の前で着替えさせられた。
音楽も流行歌を聴いていると密告される。♪アラビアの唄(昭和初期に大ヒット)、♪小さな喫茶店
山田「退廃的だった」
美輪「美は軟弱。国策に反する。一切、文化はダメだった」
二宮「娯楽がその都度止められてたんだ」
山田「楽しむことは悪いこととされていた」
美輪「敵性用語も使ってはいけない」
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「そういう歌ばっかり」
二宮「ダメっていうのはすごいなあ・・・考えられないですよ。考えようがない。いろんな文化が入ってきた時代に生まれたから」
●日常が戦争に蝕まれていく
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映画の浩二にはモデルになった人物がいた。映画監督になりたいという夢もあった
若く健康な男性は次々と戦地に送られていった(こんな雨の中行進して・・・
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山田:
この子は人を笑わせるのが大好きで、軍服を着ても、なんとなくユーモラスな雰囲気がある、こういう兵隊ってあまりいない。
軍服を着ても、彼の個性は奪えない。
●長崎の特別な思い
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美輪:
原爆の後、小学校の校庭すべてが焼け死んだ方たちの死体置き場だった。
親子の死体は引き離せないくらい、母が子に覆いかぶさってしっかり抱き込んで、
あれを見た人が、“ああ、親子っていうのはこうありたいねえ”なんておっしゃっててね。
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長崎ではその年、7万4000人が亡くなった。負傷者は7万5000人以上。
[美輪さんの子ども時代]
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繁華街で両親がカフェを営んでいた。美輪さんは10歳の時に自宅で被爆
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美輪:
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夏休みの宿題で描いた絵を2階で観ていた。窓は全部ガラス張りだった。とってもいい天気で。
いきなりマグネシウムを100万個ぐらいたいたようなピカッと光った。
あれ、雷?と思うか思わないかの一瞬、世界中の“音”が全部止まった。しーんとなった途端、
今度は世界中の“音”を全部集めたような“ドン、ワアアア”あんな大きな音はこの世にない。
目の前のガラスがなくなる。割れるんじゃなくて、ピンッと飛ぶ(溶けるとも違う)爆風で炸裂したみたいな。
表がもう地獄。馬車引きの馬が倒れている。
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それをひいていたおじさんは、フライパンで豆を炒ってはねるみたいにはねて痙攣している。
人に見えない。真っ赤でボロボロになってるから。何も見ないようにして逃げて。。。
●日本は唯一、原爆を落とされた国
山田:
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一人の市民にとっての原爆を考えてほしい
この脚本を書くにあたって、被爆者の書き残したものを読んだし、
いろんな話も聞いたけれども、美輪さんから正確に、力強く伝わるのは、表現者だから。
もっと怖い経験をされた方がいらっしゃるだろうけれども、それを的確に伝えられるかどうかはまた別。
いろんな角度から伝えるってことは、僕たち表現者の大きな役割だろうと思った。
黒木さんは、8月9日のことを話すシーンで苦労した。
黒木「想像するのがとても難しくて、でも一番伝えなければいけないことでした」
山田「どんなに苦しかったことか。火に焼かれて死んじゃったんだから。“8月9日”、ちゃんと言ってね」
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戦争当時、監督は中学1年だった。
美輪:
向こうは原爆作ってるのに、私たちは竹やり作ってたの。
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ある日、なぎなた捨てて、「おいちに、さんし」て変なことをやってるんですよ。何をしているのか聞いたら、
敵兵が来た時に操を守るために敵兵の金玉の握り潰し方の練習ですって、野蛮でしょう? 知性の欠片もないんです。
いかに、発展途上国だったかということだったかということですよ、日本が。
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[戦時中に見た、ある母子の姿が目に焼きついて離れない]
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ボーイ(サンちゃん)の話は、こないだも聞いたけど、何度聞いても涙が出る
♪露営の歌(勝って来るぞと勇ましく)とみんな歌ってホームで見送った。
動き始めた列車に乗ってる息子の足にしがみつく母。
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憲兵が来て、母親の襟首つかんでバーンと投げ飛ばして「非国民!」と言った。
ホームの鉄柱に頭をぶつけてしまい、頭から血が流れていた。
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一番最後に見たのが母親のそんな姿で、その後戦死した。その後、兄が白木の箱を持って報告に来た。
山田「その1つだって戦争は許せないですよね。それが戦争」
美輪「そうした悲劇が何百万もあった。私はいっぱい目撃してきましたから」
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●日本は戦争に負けない国と言われていた
山田:
最後は必ず神風が吹いて、神さまが助けてくれるということを信じていた。
ところが負けたということになっちゃった。この国って負けるのかって、非常にワケの分からない気持ちだった。
いずれ軍人の学校に入ってお国のために戦死するんだと僕も思っていて、怖いという気持ちもあった。
敗戦で戦争がないと聞いたら、ほっとした。あの感じは何だろうと思う。
戦後の生活も辛かったけれども、これからはずっと良くなる一方じゃないかと思っていた。
配給も少しずつ回復して、新しい憲法が出来て、当時の日本人はみんな“わあ、すごい!”と思った。
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空襲でビルがみんな崩れてしまっているから、空も広いし、まだ公害もないから空も青い。
よく分からないけれども“民主主義”ていうアメリカ、敵国の新しいシステムを学んで国が変わっていくんだと。
食べ物も求めたけれども、同時にいい音楽を聴きたいとか、いい映画を観たいという気持ちも強かった。
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美輪:
アメリカのモノがどっと入ってきた。エルビス・プレスリーあたりからアメリカ文化になってきた。すべてが。
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山田:
山口県の田舎に大きなホールが残っていた。そこでオペラ『椿姫』が上演されて、中学生の時だったけど、
町をあげての大騒ぎで、高い切符なんかお金ないからもちろん買えない、自転車に乗って、非常口に耳をつけて聴いた。
喉が渇くように文化というものが欲しかった。
もっと自由な国になるんじゃないかっていうかすかな希望みたいなものがあった。着るものがなくて寒くても。
これ以上は悪くならない。
今は不安が多いでしょ? どこつついても先行きが不透明。そういう意味では辛い時代ですよね。
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●70年前の人々の気持ちを想像すること
二宮「僕は体験もないので、作品でしか触れる機会がない。そんな僕たちにお2人は今何を感じてもらいたいと思われます?」
山田:
たとえば中近東なんかはしょっちゅう戦争をしている。なぜなくならないのか。
人間は本当に賢くなっているのか。
美輪:
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「昔話じゃない、今の話なのよ。もう足元まで忍び寄ってるの。ひたひたと。足が乗りかけている」
山田「戦争がいかに大きな罪悪かということを、それほど感じていない若者に繰り返し伝えなければならない」
二宮「僕たちは、授業で教科書のページをめくって書いてあることってイメージしかない」
美輪「私からすると70年前は明治。ちょうど幕末の頃。♪トンヤレ節 薩長の時の歌がまだ残っていた時代」
二宮「70年前の感覚がみんな分からないから、これは歴史の話じゃないんだな。昔話であって」
山田:
その時の日本人がどんな暮らしをして、どんな気持ちでいたか、それをちゃんと学びとらないといけない。
想像するってことは、人間にとってどんなに大切なことか。
戦争がどんなに悲劇的なことなのか、ちゃんと想像する筋道みたいなものを持っていなきゃいけない。
想像する能力をみんな持ってなくちゃいけない。
●今の若者へのメッセージ
美輪:
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スポーツ界でも、錦織くんとか、羽生くん(!)とか、浅田真央ちゃんとかが出てきた。
世界的な技術を持っていながら、謙虚で、親孝行で、言葉使いがちゃんとしてて、品がよくて、
仲間ともとても仲が良くて、対戦相手の悪口なんかけして言わない「和をもって貴しとする」。
白井くんだってまだ若いけれども、俳優さん、あなたたちも含めて(山田「二宮くんも含めて」)、正統派の子たちも出てきた。
だから、日本もまんざら捨てたもんじゃないなと思ってる。そういうことで自信持っていいと思うの。
スタッフ「すみません、時間が来てしまいました
」
美輪「あら、明日まで喋るんじゃなかったの?」にニノくん爆笑ww
*
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「あのお2人は戦争を経て、自分の中で消化して、昔の話として語れるというのはすごい貴重だな。
よりリアルに、昔の話に色がつき始めた」
(そんなに昔話ではないと思うけどね。戦争はヒトが誕生した時から今もずっとある
そして、世界戦争的な緊張感が今、まさに漂っていることを美輪さんは指摘している。
次は“気づいたら遅かった”では済まされないほど、軍事力は拡大、進化しているんだ。
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今年は、太平洋戦争から71年目。
去年録りためた録画を1つ1つ観て、その都度アップしていこうと思う。
【ブログ内関連記事】
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【内容抜粋メモ】
ナレーションは映画に出演した黒木華さん。
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「私たちにとって、戦争は遠い昔の話。学校で習った教科書だけの世界」
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「自分たちの(判断の)良し悪しがつく前に、戦争はいけないものです、二度と起こしてはいけない悲劇だと言われても。
知ろうともしないし、手立て、気力もないんだよね」
●2014年12月『母と暮らせば』制作発表
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映画を撮り続けて半生記、これが83本目の作品となる山田監督
美輪さんの戦争体験の話が映画作りに大きな影響を与えた。
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*
二宮「映画作りは大変ですか、楽しいですか?」
山田
結果として楽しいからやってるんでしょうね。どんな仕事でも嫌だったり、辛かったりするじゃないの。
でも、それを経て何か出来上がった時に、ああ、やったなという充足感が手に入れば、また次作ろうっていうことにつながる。
美輪「山登りと同じ。登っている時は苦しくても、降りるとまた恋しくなって、楽しさばかり思い出す。なかば中毒になる、こういう商売は」
『男はつらいよ』の舞台、葛飾生まれのニノくん。
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わっ! 超可愛い柴さんが!!
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●20世紀は日本人が忘れてはいけない時代
美輪さんの芸歴は昭和26年から64年目!
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「それがプロとしての最初の仕事」
[進駐軍]
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当時はアメリカ兵相手に歌っていた。当時は進駐軍のジャズが流行っていた。
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山田「進駐軍キャンプがひとつの文化だった」
二宮「この年にこの映画を撮った理由は?」
山田「根元のところに母と息子の話を作ろうと思った。情愛を丁寧に描きたかった。その背景に戦争がある」
二宮「僕の中では、これは監督の小さな頃なんだろうなと思った」
山田「(笑)たしかに、僕もよく笑う、人を笑わせるのが好きな少年だったかもしれない」
●山田監督の戦争
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旧満州で少年時代を過ごした
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[飢えの体験]
卵を1つ割ったら、子どもたちみんなで分け合って食べるくらい飢えていた。
ぽんと割って、お醤油をタラタラってかけたら夢みたいな。僕は死ぬ前に食べたいのがそれだもん。
(この話は、「あさイチ」プレミアムトークの時もされてたな
●戦時中は色が禁止されていた
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美輪:
私たちは戦時中色が禁止されていた。着るもので明るい、キレイな色はダメ。男は国民服、女はどぶねずみ色のもんぺ。
母は上海の服装学院で学んだから、洋服を着て、車に乗ってたら警察に呼ばれて“なんだそれは、戦時中において不謹慎である”
と言われて、みんなの目の前で着替えさせられた。
音楽も流行歌を聴いていると密告される。♪アラビアの唄(昭和初期に大ヒット)、♪小さな喫茶店
山田「退廃的だった」
美輪「美は軟弱。国策に反する。一切、文化はダメだった」
二宮「娯楽がその都度止められてたんだ」
山田「楽しむことは悪いこととされていた」
美輪「敵性用語も使ってはいけない」
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「そういう歌ばっかり」
二宮「ダメっていうのはすごいなあ・・・考えられないですよ。考えようがない。いろんな文化が入ってきた時代に生まれたから」
●日常が戦争に蝕まれていく
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映画の浩二にはモデルになった人物がいた。映画監督になりたいという夢もあった
若く健康な男性は次々と戦地に送られていった(こんな雨の中行進して・・・
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山田:
この子は人を笑わせるのが大好きで、軍服を着ても、なんとなくユーモラスな雰囲気がある、こういう兵隊ってあまりいない。
軍服を着ても、彼の個性は奪えない。
●長崎の特別な思い
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美輪:
原爆の後、小学校の校庭すべてが焼け死んだ方たちの死体置き場だった。
親子の死体は引き離せないくらい、母が子に覆いかぶさってしっかり抱き込んで、
あれを見た人が、“ああ、親子っていうのはこうありたいねえ”なんておっしゃっててね。
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長崎ではその年、7万4000人が亡くなった。負傷者は7万5000人以上。
[美輪さんの子ども時代]
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繁華街で両親がカフェを営んでいた。美輪さんは10歳の時に自宅で被爆
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美輪:
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夏休みの宿題で描いた絵を2階で観ていた。窓は全部ガラス張りだった。とってもいい天気で。
いきなりマグネシウムを100万個ぐらいたいたようなピカッと光った。
あれ、雷?と思うか思わないかの一瞬、世界中の“音”が全部止まった。しーんとなった途端、
今度は世界中の“音”を全部集めたような“ドン、ワアアア”あんな大きな音はこの世にない。
目の前のガラスがなくなる。割れるんじゃなくて、ピンッと飛ぶ(溶けるとも違う)爆風で炸裂したみたいな。
表がもう地獄。馬車引きの馬が倒れている。
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それをひいていたおじさんは、フライパンで豆を炒ってはねるみたいにはねて痙攣している。
人に見えない。真っ赤でボロボロになってるから。何も見ないようにして逃げて。。。
●日本は唯一、原爆を落とされた国
山田:

一人の市民にとっての原爆を考えてほしい
この脚本を書くにあたって、被爆者の書き残したものを読んだし、
いろんな話も聞いたけれども、美輪さんから正確に、力強く伝わるのは、表現者だから。
もっと怖い経験をされた方がいらっしゃるだろうけれども、それを的確に伝えられるかどうかはまた別。
いろんな角度から伝えるってことは、僕たち表現者の大きな役割だろうと思った。
黒木さんは、8月9日のことを話すシーンで苦労した。
黒木「想像するのがとても難しくて、でも一番伝えなければいけないことでした」
山田「どんなに苦しかったことか。火に焼かれて死んじゃったんだから。“8月9日”、ちゃんと言ってね」
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戦争当時、監督は中学1年だった。
美輪:
向こうは原爆作ってるのに、私たちは竹やり作ってたの。
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ある日、なぎなた捨てて、「おいちに、さんし」て変なことをやってるんですよ。何をしているのか聞いたら、
敵兵が来た時に操を守るために敵兵の金玉の握り潰し方の練習ですって、野蛮でしょう? 知性の欠片もないんです。
いかに、発展途上国だったかということだったかということですよ、日本が。
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[戦時中に見た、ある母子の姿が目に焼きついて離れない]
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ボーイ(サンちゃん)の話は、こないだも聞いたけど、何度聞いても涙が出る
♪露営の歌(勝って来るぞと勇ましく)とみんな歌ってホームで見送った。
動き始めた列車に乗ってる息子の足にしがみつく母。
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憲兵が来て、母親の襟首つかんでバーンと投げ飛ばして「非国民!」と言った。
ホームの鉄柱に頭をぶつけてしまい、頭から血が流れていた。
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一番最後に見たのが母親のそんな姿で、その後戦死した。その後、兄が白木の箱を持って報告に来た。
山田「その1つだって戦争は許せないですよね。それが戦争」
美輪「そうした悲劇が何百万もあった。私はいっぱい目撃してきましたから」
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●日本は戦争に負けない国と言われていた
山田:
最後は必ず神風が吹いて、神さまが助けてくれるということを信じていた。
ところが負けたということになっちゃった。この国って負けるのかって、非常にワケの分からない気持ちだった。
いずれ軍人の学校に入ってお国のために戦死するんだと僕も思っていて、怖いという気持ちもあった。
敗戦で戦争がないと聞いたら、ほっとした。あの感じは何だろうと思う。
戦後の生活も辛かったけれども、これからはずっと良くなる一方じゃないかと思っていた。
配給も少しずつ回復して、新しい憲法が出来て、当時の日本人はみんな“わあ、すごい!”と思った。
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空襲でビルがみんな崩れてしまっているから、空も広いし、まだ公害もないから空も青い。
よく分からないけれども“民主主義”ていうアメリカ、敵国の新しいシステムを学んで国が変わっていくんだと。
食べ物も求めたけれども、同時にいい音楽を聴きたいとか、いい映画を観たいという気持ちも強かった。
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美輪:
アメリカのモノがどっと入ってきた。エルビス・プレスリーあたりからアメリカ文化になってきた。すべてが。
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山田:
山口県の田舎に大きなホールが残っていた。そこでオペラ『椿姫』が上演されて、中学生の時だったけど、
町をあげての大騒ぎで、高い切符なんかお金ないからもちろん買えない、自転車に乗って、非常口に耳をつけて聴いた。
喉が渇くように文化というものが欲しかった。
もっと自由な国になるんじゃないかっていうかすかな希望みたいなものがあった。着るものがなくて寒くても。
これ以上は悪くならない。
今は不安が多いでしょ? どこつついても先行きが不透明。そういう意味では辛い時代ですよね。
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●70年前の人々の気持ちを想像すること
二宮「僕は体験もないので、作品でしか触れる機会がない。そんな僕たちにお2人は今何を感じてもらいたいと思われます?」
山田:
たとえば中近東なんかはしょっちゅう戦争をしている。なぜなくならないのか。
人間は本当に賢くなっているのか。
美輪:
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「昔話じゃない、今の話なのよ。もう足元まで忍び寄ってるの。ひたひたと。足が乗りかけている」
山田「戦争がいかに大きな罪悪かということを、それほど感じていない若者に繰り返し伝えなければならない」
二宮「僕たちは、授業で教科書のページをめくって書いてあることってイメージしかない」
美輪「私からすると70年前は明治。ちょうど幕末の頃。♪トンヤレ節 薩長の時の歌がまだ残っていた時代」
二宮「70年前の感覚がみんな分からないから、これは歴史の話じゃないんだな。昔話であって」
山田:
その時の日本人がどんな暮らしをして、どんな気持ちでいたか、それをちゃんと学びとらないといけない。
想像するってことは、人間にとってどんなに大切なことか。
戦争がどんなに悲劇的なことなのか、ちゃんと想像する筋道みたいなものを持っていなきゃいけない。
想像する能力をみんな持ってなくちゃいけない。
●今の若者へのメッセージ
美輪:
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スポーツ界でも、錦織くんとか、羽生くん(!)とか、浅田真央ちゃんとかが出てきた。
世界的な技術を持っていながら、謙虚で、親孝行で、言葉使いがちゃんとしてて、品がよくて、
仲間ともとても仲が良くて、対戦相手の悪口なんかけして言わない「和をもって貴しとする」。
白井くんだってまだ若いけれども、俳優さん、あなたたちも含めて(山田「二宮くんも含めて」)、正統派の子たちも出てきた。
だから、日本もまんざら捨てたもんじゃないなと思ってる。そういうことで自信持っていいと思うの。
スタッフ「すみません、時間が来てしまいました
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美輪「あら、明日まで喋るんじゃなかったの?」にニノくん爆笑ww
*
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「あのお2人は戦争を経て、自分の中で消化して、昔の話として語れるというのはすごい貴重だな。
よりリアルに、昔の話に色がつき始めた」
(そんなに昔話ではないと思うけどね。戦争はヒトが誕生した時から今もずっとある
そして、世界戦争的な緊張感が今、まさに漂っていることを美輪さんは指摘している。
次は“気づいたら遅かった”では済まされないほど、軍事力は拡大、進化しているんだ。