■オノ・ヨーコ 私の窓から@東京都現代美術館(2016.2.2)
“オノは独自の詩のあり方を核とする、コンセプチュアル・アートの先駆者として、
社会のシリアスな課題を、ユーモアに溢れたアプローチで多くの人に向けて発信してきました。”
去年からずっと観たいと思って、部屋にチラシを貼ったりしてたんだけど、
14日までの締め切りが迫ってきたのと、朝から水道管工事がうるさい(騒音+震度4くらいの振動)ので
逃げるように家を出て、観に行ってきたv
途中にある「深川江戸資料館」は「資料館・記念館めぐりリスト」を参照
清澄白川駅から徒歩15分とあって、ちょうどランチタイムだったから、途中のオシャレで小さなレストランに入った。
ワンプレートで650円は、ちょうど私サイズ。
奥さま1人で作っていて、美術館に行く人たちなのか、お客さん対応に追われていた。
キッシュ、野菜のトマト煮、スープはちゃんと手づくりのしっかりした味で美味しかったけど、意外と暑くて舌をやけどしそうになった
*
ちょうど展覧会の入り口を入ろうと思った時、70~80代の夫婦の旦那さんのほうが
「何を観ても滑稽だ」と言った言葉が耳にひっかかった。
いい意味でとれば、これまでにないことを体感して面白かったのか、
それとも、日本で人気のモネのような、有名な油絵しか芸術と認めていないからなのか。
そういうのを観たければ上野で毎年やっている。
ヨーコがやり続けている“コンセプチュアル・アート”は、観客とアーティストの境がない、参加型。
そこに流れる時間、空気も含めたアート、言葉のアートでもある。
もっとも強く訴えたいのは“反戦”や“人権問題”。
著書『Grapefruit』には「想像してください」という、ジョン・レノンの♪IMAGINE の基となった言葉の数々が書かれている。
既成概念、体制に疑問を持ち、身近なものを取り上げて、改めて価値観を覆し、見い出す。
その根底には、常に“愛”がある。
*
行く前に『アートシーン』でも紹介していたので、その映像とともにメモした。
入ってすぐ目に入るのは、吊り下げられた虫篭。
その裏には、メモリアルな日付、場所が書かれているそうだが、小さくて見えなかった。
次に目を惹いたのは、ガラスに撃ち込まれた弾丸。
白い文字で「反対側から見てみてください」とある。
撃った人間と、撃たれた人間の姿が想像され、「銃社会」を考えさせられる。
けれども、弾丸が撃ち込まれた何枚ものガラスを観ていると、
雪の結晶のように広がる模様が1つ1つ違って美しいと思えたのがフシギ。
“ヨーコの作品には、常に「音楽」「言葉」「美術」の融合がある”
そして、この展覧会のチラシにもされた「私の窓から」の一連の作品。
昔、魔女狩りが行われたセーラムという町。その絵の前に少女時代のヨーコの写真が重ねられている。
子どもの頃に「魔女狩り」という言葉を聞いてフシギに思ったヨーコ。
しかし、ジョンと東洋人のヨーコが結婚した時、人種差別とともに「彼女がビートルズを解散させるきっかけになった」と
メディアが報道したことで傷ついたこととつながっていく。
その次は、ジョンと結婚生活を過ごしたセントラルパークを背景に見つめ合う幸せそうな2人。
2人の姿は消え、公園の見える窓は閉じられる。
最後は、いつ見ても一番辛いメガネの写真。
どの写真もだんだん暗くなるよう加工されていた。
クリスタルガラスで作られたオブジェの部屋もキレイだった
ガラスはダイヤモンドのように、見る角度でキラキラと輝くし、
部屋全体にはプラネタリウムのように光が反射している。
[略歴]
1930年代、オノは自由学園明日館で音楽教育を受けた。
(そうなんだ/驚 ロイドの建築で一度中を見たいと思っていた
子どもたち自身がさまざまなことを自分たちでやるという教育方針が紹介された雑誌や記事。
ヨーコが7歳の頃に書いた感想文もある。
“ヨウコは自分のことが自分でできる強い子になりたいと思います”
『グレープフルーツ』は、1964年の夏、2年半の東京滞在の集大成として発行された。
「笑う曲」 一週間 休みなく 笑いつづける
日比谷野外音楽堂が会場となった1969年暮の「WAR IS OVER! IF YOU WANTED(戦争は終わる。あなたが望めば)」。
参加者はプラカードなどを持って、東京駅まで行進し、記事となった。
このメッセージは、広告という媒体も利用して世界中に展開していった。
1974年の「One Step Festival」(郡山)への参加。
プラスチック・オノ・バンドとして参加。ほかにも「外道」、かまやつひろし、内田裕也、キャロルらが参加。
それぞれの時代の雑誌記事、写真、ポスターなどの展示とともに、画面にタッチして閲覧できる工夫もあった。
ヨーコの歌も流れていた
ヨーコの対談記事もサラっと読み、興味深いメッセージがたくさん書かれていた。
男社会の「欲(欲求不満)」「チカラ」への復讐ではなく、女性的な社会にすることができる、というようなこと。
“「インストラクチュアル」は、永遠にオブジェ化しない”
当時、これらの活動に参加した人はほかにも、野坂昭如、寺山修司、唐十郎、コシノジュンコ、筒井康隆らもいた。
音楽活動には、ジョン・ケージも参加していた(1962)/驚
[主な活動]
映像化にも興味を持った。映画の台本もあった。
「一人で見る夢は夢でしかない。しかし誰かと見る夢は現実だ」
「フリーダム」
ブラジャーを外そうとする女性の胸のアップ(男性なら、外れたシーンまで見たいと期待しただろうな
「スマイル」
ジョンの笑顔(儚い表情に見えたが)を数分撮影して、51分に伸ばした。
「まばたき」
ヨーコが1回のまばたきをする瞬間を伸ばして撮影。
「マッチ」
マッチが燃え、煙が出ている様子が延々と映されている。
「FLY」
横たわる裸の女性の上を蝿が自在に飛び回る映像。そこに苦しみに喘ぐようなヨーコの声が流れる。
蝿は最後には、窓から飛び去る。
白人男性の美術家だけを中心とする美術館への抵抗でもあった。
このイベントの案内状には「飛ぶ用意をして来る事」とある。
小野洋子さよなら演奏会@草月会館ホール→「Place(場所の記憶)」
《カットピース》(1965)
有名だけど、こうしてじっくり映像を観るのは初めてで終始見入ってしまった。
ステージの上に凛として座るヨーコ。黒いワンピース、網タイツ姿。
観客席から1人1人ステージにあがり、けっこう大きなハサミで、それぞれ好きな部分を、好きなだけ切っていく。
最初の女性2人は、遠慮がちに、腕の裾や首周りなどを切った。
切った部分を持っていく人もいて、日本人男性がそれを大事にとっておいた布が展示してあった。
ヨーコを見ながら一周してから、切る場所を選んだ時には、客席から笑いも起こった。
こうして長年、自由を奪われ、声を奪われ、されるがままに女性は虐待されてきたんだ。
最後は、男性が笑いながら下着を切りはじめ、ブラジャーの肩ヒモの両方を切られて、
ヨーコは胸に両手をあてる。ここで映像は切れている。
その間中、ずっとヨーコは無表情のまま。凛としている。
暴力への批判だけでなく、“「捨身飼虎」のように、他者に何かを与えることを意図した”そう。
「捨身飼虎」
《バッグピース》
《シェルタープラン》@内科画廊
なんだかよく分からなかったけれども、内科医師のような人がいて、
1人ずつ水の入った浴槽に裸で入り、体のいろんな部分を測ったメモを見せて話しているような感じ。
ヨーコはベッドに描かれた線(刑事ドラマの死体の線に似てる)に合わせて横たわるシーンが流れていた。
「We're All Water」(2006)
広い空間には、ヘッドフォンが置いてあって、♪We're All Water/Yoko Ono が流れている。
「聴きながら、展示物をご覧ください」とメモがある。
長くて低い台の上に、茶色い器に水が湛えられていて、そこに手書きで著名人の名前が書かた紙が置かれている。
ブッシュ、B.ホリデー、マイルス、ジミヘン、キング牧師、E.ピアフ、A.ウォホルら。
“私たちは別々の川からきた水であり
広大な海のなかの水なのだから
いつかみんな一緒に蒸発するのでしょう”
(私も同感。てか、このコードも何もないヘッドフォンにビックリ! 「JVC」て書いてあった→これか?
《ソプラノのためのヴォイス・ピース》
「叫ぶ
1.風にむかって
2.壁にむかって
3.空にむかって」
“あなたもやってみてください”て書いてあったけど、あんな静かな空間でやる勇気ありません
ヨーコの両目の写真(かなりぼやけている)に詩がつけられているのも興味深かった。
“アーチ型をした暗い穴があった
私がこの世に生まれた時の穴に似ていた
私はどこにつれていかれるのかと尋ねた
これまで私は人生の何%をこうして横たわって受けとめたのだろう
それが私の最後の問いかけだった”(2001)
「ARISING」
死体が積み上げられたようなオブジェがとてもリアル。全員女性?
焚き木の上にあり、後ろは海、前は鉄格子、その後ろはブキミな家。ホロコーストを思わせる。
ヨーコの死にそうな苦しみの声が流れ続ける。
オブジェは高い炎を上げて燃やされる。炎自体はとても美しい
「HAKO」
狭い部屋の正面に、黒い箱があり、蓋部分から真っ赤な血が流れている。棺か?
ヨーコの詩には、いまだ癒えない傷、忘れられない思い出のようなフレーズがあって、ジョンを思い出す。
♪Your Hands/Yoko Ono が流れて、部屋中に反響している。
「見えない花」
10代の終わりに描いた。最も古い時期の作品の1つ。
とてもシンプルだけど、温かみ、希望があった。
***************
■東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる
YMO+宮沢章夫/ 蜷川実花/ スーパーフレックス/ ホンマタカシ/ サーダン・アフィフ/ 岡田利規
併設展も観た。撮影OKのところが多くてビックリ。
入ってすぐになんとYMO!
兄が昔聴いてた影響で、私も聴いてたけど、こうしてライヴをしているシーンてほとんど観たことないかも!
写真、CMで使われた映像、レコードジャケット、フィギュア!、横尾忠則による衣装etc...
F.アステアや、ジャン=ルイ・トランティニャン『男と女』の1シーンもある。
ライヴ映像も思わず見入った。シンプルな抽象画のようなセット、楽器をわざと隠している。
高橋幸宏さんの真面目なドラム、抑揚のない歌が好きだな。音楽が世界を超えた瞬間。
海外アーティスト作品も面白かった。
いろんな国、町で暮らす、老若男女の人々に町に何を置きたいか聞いて、それを置くというプロジェクト。
若い黒人男性らは、スピーカーがたくさん置ける箱を置いて、ラップミュージックを流して踊る、
タイっぽい国では、高架下にリングを置いて、ボクシングのレッスンを受ける、
ヨーロッパの老女は、丘の上に巨大な黒い牛の看板?を置いた。その前で笑って写真を撮る若い夫婦。
国が造るモノと、実際、人々が欲しているモノは違っていることが分かる。
1つだけ、暗い穴に入るみたいなお化け屋敷的な通路は、発作が出そう系でドキドキしたけど
蜷川実花さんの世界は、いつもながら原色の世界。
その世界に浸って“自撮り”ができるコーナーまであった/驚
性やドラッグなどに囚われる代わりに踊るイベント映像。踊っているのは男ばかり。
ヨーコさんの言う「欲求不満」とも関係してる?
上野公園に謎の礎石が点在している写真はフシギだった。
松江哲明
猫がいれば、少々のケンカや苦労があっても大丈夫、っていう10分弱のドキュメンタリー映像。
在日韓国人として、日本に帰化した時、親から「もう大丈夫」と言われて違和感が残った。
「どうして韓国人じゃいけないのか?」
映画が好きだった父の影響で映画学校に入り、自分の人生のドキュメンタリー映像を撮り始める。
ドイツの映画祭でドイツ人女性と知り合い、付き合いはじめる。
東日本大震災のニュースは韓国で見た。
「日本に帰る時は、1人より2人のほうがいい」と思い、結婚を決意。
数年後、妻は妊娠。出産3日前からカメラを回す。
胎教する笑顔の姿、不安に涙する姿、出産の痛さに顔を歪める姿、
やっと生まれて、看護婦さんがバンザイする姿、初めての赤ちゃんとの対面。
退院後、赤ちゃんにミルクをあげてるそばに愛猫がいる。アイコンタクトの瞬間がステキ
日本語歌詞の歌が流れて、これから君は自分のアイデンティティに悩むことがあるかもしれないけれども、大丈夫というメッセージ。
観ていた女性客は数人泣いていた。
出産経験のある女性が観たら、100%泣くだろうな。
*
常設展も気になったけど、もう夕方になって、ラッシュに巻き込まれたくないのと、
偏頭痛がしてきたから、無理せず帰ることにした。
やたらと座り心地のいいデザインの椅子。最初はオブジェかと思って、座るのを遠慮してしまった
帰る前に好きなミュージアムショップを覗いてみた。
ヨーコさんのコーナーの他にも、いろんなアーティストグッズ、本などが雑貨屋さんみたく置いてあって、オシャレスペース。
図書館も気になったなあ! きっと美術本ほか、地域の図書館にない本もいろいろあるだろう。
最近はジムのほうに時間がとられているけど、やっぱりアートも面白い。また観に来たい。
*
行きに気になってた和菓子屋さんに寄った。
何気ない店構えだけど、いかにも老舗然としてたから。
私は、春めいてくると、なぜか和菓子が食べたくなる。
店の外でボーッとしているおじさんが、このお店の代表で、名刺までもらってしまった。
「御菓子司 双葉」
お目当ての桜餅は売り切れちゃってたけど、ほかにもいろいろオススメをおじさんが教えてくれた。
私「疲れたら甘いものが食べたくなっちゃって」
おじさん「オレは、そういう時は絶対チョコ食べるね」て、あれ?ww
私が買ったのは3個。
杏外郎、くるみ餅、ポテト(包装をはがしたら上が剥がれてしまったので写真から外しました/謝
外郎(ういろう)が読めなくて、「こういう字を書くんですね」
おじさん「まあ、覚えなくてもいいよ、業界用語だから」
ていちいち面白いw
こういう商店街いいなあ!
デカいデパートはやめて、商店街で、カゴを持参して、八百屋やら回る時代に戻ればいいな。
そしたら、原料に何が入ってるのか、どんな環境で作られているのかなどが見える。
こうして対面式で、たあいないお喋りをしながら買う楽しみも増えるだろう。
“オノは独自の詩のあり方を核とする、コンセプチュアル・アートの先駆者として、
社会のシリアスな課題を、ユーモアに溢れたアプローチで多くの人に向けて発信してきました。”
去年からずっと観たいと思って、部屋にチラシを貼ったりしてたんだけど、
14日までの締め切りが迫ってきたのと、朝から水道管工事がうるさい(騒音+震度4くらいの振動)ので
逃げるように家を出て、観に行ってきたv
途中にある「深川江戸資料館」は「資料館・記念館めぐりリスト」を参照
清澄白川駅から徒歩15分とあって、ちょうどランチタイムだったから、途中のオシャレで小さなレストランに入った。
ワンプレートで650円は、ちょうど私サイズ。
奥さま1人で作っていて、美術館に行く人たちなのか、お客さん対応に追われていた。
キッシュ、野菜のトマト煮、スープはちゃんと手づくりのしっかりした味で美味しかったけど、意外と暑くて舌をやけどしそうになった
*
ちょうど展覧会の入り口を入ろうと思った時、70~80代の夫婦の旦那さんのほうが
「何を観ても滑稽だ」と言った言葉が耳にひっかかった。
いい意味でとれば、これまでにないことを体感して面白かったのか、
それとも、日本で人気のモネのような、有名な油絵しか芸術と認めていないからなのか。
そういうのを観たければ上野で毎年やっている。
ヨーコがやり続けている“コンセプチュアル・アート”は、観客とアーティストの境がない、参加型。
そこに流れる時間、空気も含めたアート、言葉のアートでもある。
もっとも強く訴えたいのは“反戦”や“人権問題”。
著書『Grapefruit』には「想像してください」という、ジョン・レノンの♪IMAGINE の基となった言葉の数々が書かれている。
既成概念、体制に疑問を持ち、身近なものを取り上げて、改めて価値観を覆し、見い出す。
その根底には、常に“愛”がある。
*
行く前に『アートシーン』でも紹介していたので、その映像とともにメモした。
入ってすぐ目に入るのは、吊り下げられた虫篭。
その裏には、メモリアルな日付、場所が書かれているそうだが、小さくて見えなかった。
次に目を惹いたのは、ガラスに撃ち込まれた弾丸。
白い文字で「反対側から見てみてください」とある。
撃った人間と、撃たれた人間の姿が想像され、「銃社会」を考えさせられる。
けれども、弾丸が撃ち込まれた何枚ものガラスを観ていると、
雪の結晶のように広がる模様が1つ1つ違って美しいと思えたのがフシギ。
“ヨーコの作品には、常に「音楽」「言葉」「美術」の融合がある”
そして、この展覧会のチラシにもされた「私の窓から」の一連の作品。
昔、魔女狩りが行われたセーラムという町。その絵の前に少女時代のヨーコの写真が重ねられている。
子どもの頃に「魔女狩り」という言葉を聞いてフシギに思ったヨーコ。
しかし、ジョンと東洋人のヨーコが結婚した時、人種差別とともに「彼女がビートルズを解散させるきっかけになった」と
メディアが報道したことで傷ついたこととつながっていく。
その次は、ジョンと結婚生活を過ごしたセントラルパークを背景に見つめ合う幸せそうな2人。
2人の姿は消え、公園の見える窓は閉じられる。
最後は、いつ見ても一番辛いメガネの写真。
どの写真もだんだん暗くなるよう加工されていた。
クリスタルガラスで作られたオブジェの部屋もキレイだった
ガラスはダイヤモンドのように、見る角度でキラキラと輝くし、
部屋全体にはプラネタリウムのように光が反射している。
[略歴]
1930年代、オノは自由学園明日館で音楽教育を受けた。
(そうなんだ/驚 ロイドの建築で一度中を見たいと思っていた
子どもたち自身がさまざまなことを自分たちでやるという教育方針が紹介された雑誌や記事。
ヨーコが7歳の頃に書いた感想文もある。
“ヨウコは自分のことが自分でできる強い子になりたいと思います”
『グレープフルーツ』は、1964年の夏、2年半の東京滞在の集大成として発行された。
「笑う曲」 一週間 休みなく 笑いつづける
日比谷野外音楽堂が会場となった1969年暮の「WAR IS OVER! IF YOU WANTED(戦争は終わる。あなたが望めば)」。
参加者はプラカードなどを持って、東京駅まで行進し、記事となった。
このメッセージは、広告という媒体も利用して世界中に展開していった。
1974年の「One Step Festival」(郡山)への参加。
プラスチック・オノ・バンドとして参加。ほかにも「外道」、かまやつひろし、内田裕也、キャロルらが参加。
それぞれの時代の雑誌記事、写真、ポスターなどの展示とともに、画面にタッチして閲覧できる工夫もあった。
ヨーコの歌も流れていた
ヨーコの対談記事もサラっと読み、興味深いメッセージがたくさん書かれていた。
男社会の「欲(欲求不満)」「チカラ」への復讐ではなく、女性的な社会にすることができる、というようなこと。
“「インストラクチュアル」は、永遠にオブジェ化しない”
当時、これらの活動に参加した人はほかにも、野坂昭如、寺山修司、唐十郎、コシノジュンコ、筒井康隆らもいた。
音楽活動には、ジョン・ケージも参加していた(1962)/驚
[主な活動]
映像化にも興味を持った。映画の台本もあった。
「一人で見る夢は夢でしかない。しかし誰かと見る夢は現実だ」
「フリーダム」
ブラジャーを外そうとする女性の胸のアップ(男性なら、外れたシーンまで見たいと期待しただろうな
「スマイル」
ジョンの笑顔(儚い表情に見えたが)を数分撮影して、51分に伸ばした。
「まばたき」
ヨーコが1回のまばたきをする瞬間を伸ばして撮影。
「マッチ」
マッチが燃え、煙が出ている様子が延々と映されている。
「FLY」
横たわる裸の女性の上を蝿が自在に飛び回る映像。そこに苦しみに喘ぐようなヨーコの声が流れる。
蝿は最後には、窓から飛び去る。
白人男性の美術家だけを中心とする美術館への抵抗でもあった。
このイベントの案内状には「飛ぶ用意をして来る事」とある。
小野洋子さよなら演奏会@草月会館ホール→「Place(場所の記憶)」
《カットピース》(1965)
有名だけど、こうしてじっくり映像を観るのは初めてで終始見入ってしまった。
ステージの上に凛として座るヨーコ。黒いワンピース、網タイツ姿。
観客席から1人1人ステージにあがり、けっこう大きなハサミで、それぞれ好きな部分を、好きなだけ切っていく。
最初の女性2人は、遠慮がちに、腕の裾や首周りなどを切った。
切った部分を持っていく人もいて、日本人男性がそれを大事にとっておいた布が展示してあった。
ヨーコを見ながら一周してから、切る場所を選んだ時には、客席から笑いも起こった。
こうして長年、自由を奪われ、声を奪われ、されるがままに女性は虐待されてきたんだ。
最後は、男性が笑いながら下着を切りはじめ、ブラジャーの肩ヒモの両方を切られて、
ヨーコは胸に両手をあてる。ここで映像は切れている。
その間中、ずっとヨーコは無表情のまま。凛としている。
暴力への批判だけでなく、“「捨身飼虎」のように、他者に何かを与えることを意図した”そう。
「捨身飼虎」
《バッグピース》
《シェルタープラン》@内科画廊
なんだかよく分からなかったけれども、内科医師のような人がいて、
1人ずつ水の入った浴槽に裸で入り、体のいろんな部分を測ったメモを見せて話しているような感じ。
ヨーコはベッドに描かれた線(刑事ドラマの死体の線に似てる)に合わせて横たわるシーンが流れていた。
「We're All Water」(2006)
広い空間には、ヘッドフォンが置いてあって、♪We're All Water/Yoko Ono が流れている。
「聴きながら、展示物をご覧ください」とメモがある。
長くて低い台の上に、茶色い器に水が湛えられていて、そこに手書きで著名人の名前が書かた紙が置かれている。
ブッシュ、B.ホリデー、マイルス、ジミヘン、キング牧師、E.ピアフ、A.ウォホルら。
“私たちは別々の川からきた水であり
広大な海のなかの水なのだから
いつかみんな一緒に蒸発するのでしょう”
(私も同感。てか、このコードも何もないヘッドフォンにビックリ! 「JVC」て書いてあった→これか?
《ソプラノのためのヴォイス・ピース》
「叫ぶ
1.風にむかって
2.壁にむかって
3.空にむかって」
“あなたもやってみてください”て書いてあったけど、あんな静かな空間でやる勇気ありません
ヨーコの両目の写真(かなりぼやけている)に詩がつけられているのも興味深かった。
“アーチ型をした暗い穴があった
私がこの世に生まれた時の穴に似ていた
私はどこにつれていかれるのかと尋ねた
これまで私は人生の何%をこうして横たわって受けとめたのだろう
それが私の最後の問いかけだった”(2001)
「ARISING」
死体が積み上げられたようなオブジェがとてもリアル。全員女性?
焚き木の上にあり、後ろは海、前は鉄格子、その後ろはブキミな家。ホロコーストを思わせる。
ヨーコの死にそうな苦しみの声が流れ続ける。
オブジェは高い炎を上げて燃やされる。炎自体はとても美しい
「HAKO」
狭い部屋の正面に、黒い箱があり、蓋部分から真っ赤な血が流れている。棺か?
ヨーコの詩には、いまだ癒えない傷、忘れられない思い出のようなフレーズがあって、ジョンを思い出す。
♪Your Hands/Yoko Ono が流れて、部屋中に反響している。
「見えない花」
10代の終わりに描いた。最も古い時期の作品の1つ。
とてもシンプルだけど、温かみ、希望があった。
***************
■東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる
YMO+宮沢章夫/ 蜷川実花/ スーパーフレックス/ ホンマタカシ/ サーダン・アフィフ/ 岡田利規
併設展も観た。撮影OKのところが多くてビックリ。
入ってすぐになんとYMO!
兄が昔聴いてた影響で、私も聴いてたけど、こうしてライヴをしているシーンてほとんど観たことないかも!
写真、CMで使われた映像、レコードジャケット、フィギュア!、横尾忠則による衣装etc...
F.アステアや、ジャン=ルイ・トランティニャン『男と女』の1シーンもある。
ライヴ映像も思わず見入った。シンプルな抽象画のようなセット、楽器をわざと隠している。
高橋幸宏さんの真面目なドラム、抑揚のない歌が好きだな。音楽が世界を超えた瞬間。
海外アーティスト作品も面白かった。
いろんな国、町で暮らす、老若男女の人々に町に何を置きたいか聞いて、それを置くというプロジェクト。
若い黒人男性らは、スピーカーがたくさん置ける箱を置いて、ラップミュージックを流して踊る、
タイっぽい国では、高架下にリングを置いて、ボクシングのレッスンを受ける、
ヨーロッパの老女は、丘の上に巨大な黒い牛の看板?を置いた。その前で笑って写真を撮る若い夫婦。
国が造るモノと、実際、人々が欲しているモノは違っていることが分かる。
1つだけ、暗い穴に入るみたいなお化け屋敷的な通路は、発作が出そう系でドキドキしたけど
蜷川実花さんの世界は、いつもながら原色の世界。
その世界に浸って“自撮り”ができるコーナーまであった/驚
性やドラッグなどに囚われる代わりに踊るイベント映像。踊っているのは男ばかり。
ヨーコさんの言う「欲求不満」とも関係してる?
上野公園に謎の礎石が点在している写真はフシギだった。
松江哲明
猫がいれば、少々のケンカや苦労があっても大丈夫、っていう10分弱のドキュメンタリー映像。
在日韓国人として、日本に帰化した時、親から「もう大丈夫」と言われて違和感が残った。
「どうして韓国人じゃいけないのか?」
映画が好きだった父の影響で映画学校に入り、自分の人生のドキュメンタリー映像を撮り始める。
ドイツの映画祭でドイツ人女性と知り合い、付き合いはじめる。
東日本大震災のニュースは韓国で見た。
「日本に帰る時は、1人より2人のほうがいい」と思い、結婚を決意。
数年後、妻は妊娠。出産3日前からカメラを回す。
胎教する笑顔の姿、不安に涙する姿、出産の痛さに顔を歪める姿、
やっと生まれて、看護婦さんがバンザイする姿、初めての赤ちゃんとの対面。
退院後、赤ちゃんにミルクをあげてるそばに愛猫がいる。アイコンタクトの瞬間がステキ
日本語歌詞の歌が流れて、これから君は自分のアイデンティティに悩むことがあるかもしれないけれども、大丈夫というメッセージ。
観ていた女性客は数人泣いていた。
出産経験のある女性が観たら、100%泣くだろうな。
*
常設展も気になったけど、もう夕方になって、ラッシュに巻き込まれたくないのと、
偏頭痛がしてきたから、無理せず帰ることにした。
やたらと座り心地のいいデザインの椅子。最初はオブジェかと思って、座るのを遠慮してしまった
帰る前に好きなミュージアムショップを覗いてみた。
ヨーコさんのコーナーの他にも、いろんなアーティストグッズ、本などが雑貨屋さんみたく置いてあって、オシャレスペース。
図書館も気になったなあ! きっと美術本ほか、地域の図書館にない本もいろいろあるだろう。
最近はジムのほうに時間がとられているけど、やっぱりアートも面白い。また観に来たい。
*
行きに気になってた和菓子屋さんに寄った。
何気ない店構えだけど、いかにも老舗然としてたから。
私は、春めいてくると、なぜか和菓子が食べたくなる。
店の外でボーッとしているおじさんが、このお店の代表で、名刺までもらってしまった。
「御菓子司 双葉」
お目当ての桜餅は売り切れちゃってたけど、ほかにもいろいろオススメをおじさんが教えてくれた。
私「疲れたら甘いものが食べたくなっちゃって」
おじさん「オレは、そういう時は絶対チョコ食べるね」て、あれ?ww
私が買ったのは3個。
杏外郎、くるみ餅、ポテト(包装をはがしたら上が剥がれてしまったので写真から外しました/謝
外郎(ういろう)が読めなくて、「こういう字を書くんですね」
おじさん「まあ、覚えなくてもいいよ、業界用語だから」
ていちいち面白いw
こういう商店街いいなあ!
デカいデパートはやめて、商店街で、カゴを持参して、八百屋やら回る時代に戻ればいいな。
そしたら、原料に何が入ってるのか、どんな環境で作られているのかなどが見える。
こうして対面式で、たあいないお喋りをしながら買う楽しみも増えるだろう。