■『神との対話3 宇宙になる自分になる』(その2)
ニール・ドナルド・ウォルシュ/著
その1のつづき。
ニールさんは、なんでもかんでも性の問題にいちいち戻るな。男性だからか?
今度は、死後の世界、超能力、自殺、睡眠などについて取り上げている。
【内容抜粋メモ】
(途中、文がつながっていないように見えるのは、わたしがひっかかったところのみのメモなためです
■5 「みじめ」でいるのが「幸せ」だというヒトは、意外に多い
A:
いつでも好きな時に「存在するすべて」からはなれて、新しい「自己」あるいは以前と同じ自己になれるということだよ。
死から蘇ったのは、イエスだけではないのだからね。
「蘇生」などということは毎日、たったいまもどこかの病院で起こっている。
マハバタール・ババジのことを聞いたことがあるかね?
以前と同じ物質的なかたちに戻りたいと望む魂はごくわずかだ。
身体に戻ることを選ぶにしても、ほとんどは別の身体に戻るね。そうすれば、新しい事業が始められる。
一般に、魂が身体を離れるのは完了したからなんだよ。
その身体でしようと思ったことは完了している。求める経験はすべて経験しつくしているんだ。
宇宙には「たまたま事故で」はありえないし、「偶然」もない。
死者は悼んでほしいなどとは、さらさら思っていないよ。
現在の人生と同じように「あの世」でも3つのいずれかをすることになる。
コントロールのきかない考えに創造をゆだねるか、
選択的・意識的に経験を創造するか、
「存在のすべて」の集合的意識を経験するか。
第三の道が、ニルヴァーナ(涅槃)だ。瞑想の際にほんの束の間、この恍惚感を経験するヒトは多い。
「みじめ」でいるのが「幸せ」だというヒトは、意外に多いのだよ。経験は、もういやだ、選択しないと思うまで続くのだ。
あなたは再び分離、分裂という考えを創造する。こうして、あなたは「宇宙の車輪」の上を旅し、前進し、回転しつづける。
Q:「死後」ではなくて、「幽体離脱」の経験には何が起こっているんでしょうか?
A:
あなたがたの「エッセンス」が物質的な身体から離れているんだよ。
魂はどこでも好きなところに存在できる。
「啓示」を受けたと感じる時、それが幽体離脱でも、夢でも、要するにふいに「思い出した」だけなのだ。
そうした至高の経験をすると、「実生活」に戻り、ほかの人が「現実」と呼ぶものと交じり合うのがとても難しくなる。
時間がたてばつほど、元の振る舞いに戻ってしまう。知ったことを、また忘れてしまうからだ。
Q:思い出しつづける方法はあるんですか?
A:
ひとに思い出させることだ。自分に望むことを、ヒトにしてやることだ。
長く続けるほど、必要性は小さくなる。このメッセージを大勢のヒトに与えれば与えるほど「自己」に与える必要性は小さくなる。
Q:どうしてもゼロ「出発点」に戻って、いつも最初からやり直さないといけないんですか?
A:
何にせよ、しなければならないことはない。
別の次元、現実、太陽系、文明を選んで移ることもできる。
Q:どうして永遠に、どこにも行きつかない旅を続けるんですか?
A:
じつは、旅などないのだよ。あなたがなろうとしているのは、今のあなただ。
あなたが行き着こうとしているのは、今のあなただ。
生命の循環には、気が重くなることは何もない。喜びと、さらに大きな喜びがあるだけだよ。
■6 自分が引き起こした結果は、結局、自分自身が体験する
A:
このメッセージはゼンマイのようなものだ。文字どおり「ぐるぐると輪を描いて」いるように見える。
Q:みんなは、地球は滅亡する運命なのか、知りたがっています。
A:
すべては、すでに起こっている。あらゆる可能性は事実として、完了した出来事として存在する。
宇宙の車輪をCD−ROMゲームだと想像してみればいい。すべてのエンディングはすでに存在している。
宇宙はただ、あなたがたが今度はどの動きを選択するかを待っている。
あなたが勝つか、負けるか、引き分けてゲームが終了したら、宇宙は言うだろう。「もう一度、やりたいかい?」
多くの超能力者が語る地球の変化は真実だ。彼らは「未来」への窓を開いてみたのだ。
問題は、彼らが見たのはどの「未来」かということだな。CD−ROMゲームの結末と同じで、いくつものヴァージョンがあるのだから。
Q:コンピュータの2000年問題はどうなんですか?
A:
内側へ入っていきなさい。内なる智恵を探ってごらん。そして、そのとおりに行動しなさい。
毎日プラスのエネルギーを送って、周りの人たちがパニックを起こしたりしないようにせよと言われたら、実行しなさい。
いちばん大事なのは恐れないことだ。あなたがたは「死ぬ」ことはないから、恐れることは何もない。
なにごとからも「逃れ」ようとしてはいけない。抵抗すると、相手はますます強くなる。
Q:それじゃ、わたしが防ぐことができるとおっしゃるんですか?
A:
そういうことにマイナスの影響を受けることは防げるね。
************************************超能力
全地球的な災厄が起こるという恐ろしい予言に対しても、静かに安らかに、おだやかに落ち着いていなさい、そうすれば、最善の結果になるだろう。
(映画の『メランコリア』みたいだな
ここで語っているのが、ほんとうはただのニールだとしても、どの問題であれ、もっと良いアドバイスはたぶん見つからないだろう。
あなたがたはみんな「超能力」をもっている。じつは「第六感」なんだよ。
超能力の筋肉を増強させるには、鍛えなければいけない。毎日、使いなさい。
何かについて「勘」がはたらいても、あなたがたはそれを無視する。
「超能力」を増強する第一歩は、それをもっていることを知って、使うことだ。あらゆる勘、感情、予感に注意をはらいなさい。
それから「知った」ことをもとに行動する。不安だからと、遠ざけてはいけない。
超能力現象には3つのルールがある。
1.思考はすべて、エネルギーである。
2.ものごとはすべて、動いている。
3.すべての時は、現在である。
超能力者とは、この現象が引き起こす経験、つまり振動に自分を開いているヒトだ。
このエネルギーは非常に軽く、移ろいやすく、かすかだから。
すぐれた超能力者は、決して疑問を抱かない。答えが消えてしまうから。
直感は精神には存在しない。超能力者になるには、精神から離れ、常軌を逸していなければならない。
あなたがたには、5つではなく6つの感覚がある。嗅覚、味覚、触覚、視覚、聴覚、そして知覚だ。
思考はエネルギーなのだ。超能力者の魂は、そのエネルギーを感じとる。
超能力者は激しい集中力によって自分の超微粒子を放出しているのだろう。「思考」といってもいい。
それが身体を離れ、彼方まで飛び、向きを変えて、遠くからまだ経験されていない「いま」を見る。
超能力者は「未来を予言」しているのではなく、ただ「永遠のいま」の中に垣間見た「可能性」の1つを話しているにすぎない。
何を見るかは、リーディングをする超能力者が選択する。要するに見方の問題なのだよ。
あなたの信念をもった選択で決まる。
真の超能力者は、必ずそうなるわけではない、と言うはずだ。あなたは選び直すことができるし、そうすれば結果も変わる。
Q:真の超能力者を見分けるには?
A:
彼らの目的は何かということだ。あなたを助けようと思っているのか、それとも自分が豊かになりたいのか。
いわゆる「プロの超能力者」は、超能力で何かをしてあげると約束することが多い。「恋人をとり戻してあげる」「富と名声をあげる」など。
真の超能力者は、決して他人の自由意思を踏みにじってはならないこと、他人の考えに侵入してはならないことを知っている。
物質的宇宙に組み込まれた自然の法則はある。そのひとつが、因果関係の法則だ。
自分が引き起こした結果は、結局、自分自身が体験する。
(神さまが『スタートレック』の半分を書いたw
真の超能力者は、他人の個人的、私的な情報を教えることはない。
彼らが避けているのは、他者に自分の意思を押しつけることだ。彼らはヒトのためになろうとしている。
Q:死者と話したいと頼むのは構わないんですか?
A:
「向こう側」にいる誰かが知らせたいと考えれば、必ず方法を見つける。だから心配しなくていい。
だから「徴(しるし)」に気をつけて、受け止めなさい。気のせい、「希望的観測」、偶然だと切り捨てたりしないこと。
Q:降霊会に参加したりしないほうがいいんですか?
A:
「逝った」ヒトについて、何かを思ったり考えたりすれば、そのひとのエッセンスは必ず気づく。
霊媒を使う必要などない。愛こそがコミュニケーションの最高の「霊媒(メディア)」だよ。
何だって、何かを恐れれば、恐怖の対象を創造してしまう。しかし恐れねばならないことなど何もない。
愛する者は決して一瞬の考えより遠くへは行かない。
あなたが必要な時はつねにそばにいて、相談にのったり、慰めたり、助言したりしてくれる
強いストレスを感じていれば、徴(しるし)、合図、ちょっとした「メッセージ」を送って、
すべてうまくいってるよ、と知らせてくれる。
愛する者の香水の匂いを嗅いだりすることもある。あるいは、故人の持ち物がいきなり現れる。
いわゆる「霊媒」や「チャネリング」が必要か? いや、必要はない。
そういうヒトは、自分の仕事を続けるのに必要なもの以外はいっさい要求しない。
相手の法外な寛容さにつけこんで、充分にこたえられるのが分かっているのに、何も提供しないというのはいけない。
■7 輪廻転生について
A:
人間には「不安」をよりどころにした宗教がたくさんあって、崇拝され恐れられる神を中心にした教義が説かれている。
ある教会などは、毎週日曜日に教会へ通わなければ神の罰を受けるとさえ主張した。
輪廻転生という考えかたをすると、その教義がめちゃくちゃになるからね。
「このあとにも、さらにそのあとにもチャンスはまだまだあるから心配しなくていい。今度はもっとがんばろう」
という考えに教会が耳を貸すはずがない。
まず、輪廻転生は異端だと否定し、それから「告解の秘蹟」を編み出した。輪廻転生と同じことを約束してくれた。つまり、もう一度チャンスをくれたのだよ。
だが、罪の赦しは、直接に神から来るのではなく、教会を通じて与えられた。
まもなく「告解」をしないのは罪だと宣言した。
教会は次々にルールをこしらえた。過ちを「懺悔」すれば神に赦され、罪はまぬかれた。
「懺悔」さえすれば何をしてもいいのだろう、と人々が考え、教会は困った。
そこで「煉獄」が考え出された。この新しい教義は、たとえ懺悔しても神はあなたの罪を罰するのだと宣言した。
教会に通うヒト、集まる「献金」も増えた
莫大な献金をすると「全免償」というものをもらえる。天国への直通切符だ。これが得られるのは王族、超がつく金持ちだ。
貧しい農民は司教から免償をもらえない。教会に通うヒトはまた減りそうになった。
今度は「九日間の祈り」のロウソクを考え出した。
教会に行って「煉獄にいる哀れな魂」のためにロウソクを1本灯し、祈りを捧げると、亡くなった愛する者の「刑期」を何年か減らせる。
たくさんのコインが献金箱に落とされた。
あなたがたは創造にこだわり、少しずつ修正しながら、完成に近づけていく。
パラマハンサ・ヨガナンダ、ベイブ・ルースも同じだよ。意識のレベルがまったく違っていたが。
転生、つまり別の物質的な身体に戻ることだけが選択肢だと考えたら、間違いだろうね。
「死」と呼ばれる出来事のあと、彼らは何でも好きなものになれる。
ほんとうの自分を経験するには行動化し、自分になればいいとやさしく示されて、思い出す。
Q:動物には魂があるんですか?
A:
ある。魂は動物として戻れるが、実際問題として戻らないだろうな。
わたしたちが話しているプロセスは進化だよ。進化は上にとにかく進む(動物の魂はヒトより劣るのか?
人間という存在の進化のレベルは実にさまざまだ。
だが、低位の生命の形に戻ったのでは達成できない。だから、そこへ戻ることはありえない。
一生とは、宇宙の時計ではかれば、一瞬のそのまた10億分の1よりも短いのだよ(そうだろうな
Q:宇宙の時空のつながりの、何百万ものポイントに何百万人ものわたしのヴァージョンがいることになりますよ。
あなたが神で、あなたがわたしなら、わたしは神じゃないですか!
A:汝は神なり。そのとおり。
Q:わたし以外は誰も、何も存在しないってことですか? でも、誰かと一緒にいる時、わたしと彼らは別人だと感じます。
A:
わたしたちはみな一体だ。
意識とは素晴らしいものだ。何千にも何百万にも分割することができる。
Q:それを、どうして今、教えてくださるんですか?
A:
人生がもう楽しみではなくなりはじめているから。あなたはプロセスに足をとられ、それがプロセスに過ぎないことを忘れかけている。
傷ついた者を癒し、不安におののく者をなだめ、貧しい者のニーズを満たし、成就した者の素晴らしさを祝い、あなたの人生は変わるだろうか?
■8 楽しむとは、相手に喜びを与える「en-joy」ということ
A:
望めばいつでも、死すべき形に戻れる。「戻るか」「いつ戻るか」、それは自分で決める。
どんな魂でも、意思に反した経験が訪れることはない。
魂は、あなたの中で決して眠らず、決して忘れない部分だ。
魂が身体を離れることはある。その形にとどまる目的はもうないと悟った瞬間に。
あなたは「移ろいゆく形」だ。
魂は自然な本来の形に戻る。信じられないほど軽くなる。全的な自由。「融通無碍」だ。その変化を魂が悲しむことはありえない。
「融通無碍」
考え方や行動にとらわれるところがなく、自由であること。また、そのさま。
どんな交流も「はじまりが始まった」瞬間に「終わりが始まる」。
そのことを深く理解して初めて、すべての瞬間、人生そのものの貴重さが充分に分かるだろう。
これが最後だと思えば、誰かと一緒のひとときが輝くだろう
幻想が消え、真の姿が見えてくる。その時初めて、ほんとうに楽しむことができる。
楽しむとは、相手に喜びを与える「en-joy」ということだ。
死とは決して終わりではなく、つねに始まりだ。
移ろいゆく、それだけが真実。不変なものは何もない。これがブッダのダルマ(法)だ。
生命とはそれ自身のメタファー(暗喩)であることが分かるだろう。
************************************自殺
Q:どうして自分の生命を終わらせることにはタブーがつきまとうんでしょうか?
A:
第一の間違いは「正邪」があるという考え。第二の間違いは殺害が可能だということだ。
「正邪」というのは、人間の価値システムの哲学的両極であって、究極の真実とは何の関係もない。
だから、あなたがたの社会は、パラドックスの上に築かれている。
価値観はつねに変化しているのに、変化しない価値観にこそ価値があると主張しているのだから!
現在のあなたの栄光をたたえなさい。だが、昨日のあなたを非難しないこと。明日のあなたを排除しないこと。
誰かが銃で自殺すれば、家族には保険金が支払われないが、タバコで死ねば支払われる。
長い時間がかかるから、この自殺は罰されない。
あなたは発がん物質を吸入して自分のシステムを毒し、化学物質で処理された食べ物を口にして自分のシステムを毒し、
呼吸する大気を汚染しつづけてシステムを毒している。
迅速に自分を殺すことが、ゆっくりと自分を殺すよりも倫理に反するわけではないのだよ。
緩慢な死の原因の大半は、楽しいことの結果だ。それは身体を満足させることだ。あなたがたの社会が原始的だというしるしだよ。
いろいろな社会の違いは、何を楽しみと考えるかということだ。
ほとんどのヒトは、観察したままを言われるとムッとする。自分が持っていたくはないものを観察された場合にはね。
悟りは「ありのまま」を批判せずに受け入れることから始まる。
否定するのは、宣言すること、創造することだ。
否定したものは、コントロールできない。だから、あなたは否定した相手にコントロールされる。
自分で自分に逆らい、自分と闘っているのだよ。そのために、進化が遅々としている。
もっと迅速に進化する道は、ないものではなく、あるものを認めることから始まる。
Q:ヒトから聞かされてもムッとしなくなれば「ありのまま」を受け入れたということですね。
A:
そのとおりだ。あなたという存在は、ミクロの宇宙(コスモス)の中の万有(ユニバース)だ。
「チャクラ」について勉強してごらん。
この対話のテーマは、人間らしい人間とは何か、それが唯一のテーマなのだから。
誰もがそれをして、その結果が人類にとって究極的な恵みをもたらすなら、それは「高度に進化した」ことだ。
災厄がもたらされるなら、それはあまり「高度」なことではない。
Q:種の存続のための行為に駆り立てるのは、遺伝子のシグナルですね。
A:
生物学的な指令は、もっと生命を生み出せということではなく、もっと生命を経験せよということだ。
つまり「ひとつであるもの」として経験せよということだ。
身体的衝動は「動物的なふるまい」ではない。複雑な対応が交じり合った関係の1つの要素にすぎない。
何をするにしても、あなた全体として、総体として行いなさいということだ。
「霊性の物理学」についてもっと知りたければ、ディーパック・チョプラの本を読んでごらん。彼は霊性の謎も科学も理解している。
■9 魂が身体から離れるために眠りがある
Q:魂は毎日、身体から離れているんですか? いつですか?
A:
一生を通じて何度でも。だから、「眠り」というものを編み出した
身体に宿ることが、魂にとって楽なことだと思うかな?とんでもない!(だと思った
魂は軽くて、自由だ。安らかで喜びに満ちている。何の制約も苦痛もない。完璧な智恵、愛だ。
Q:眠るのは、身体が休息を必要としているからだと思っていました。
A:
魂は身体の制約、重さ、自由のなさにウンザリすると、文字どおり身体から抜け出す。
真実でないこと、偽りの現実、想像上の危険に飽き飽きし、
つながりと確信、休息、精神の目覚めをもう一度味わいたいと思った時、魂は身体から抜け出す。
とくに新しく身体を擁した魂は、とても疲れる。だから赤ん坊はしょっちゅう眠っている(
「わたしはどこにいるのだろう? ここで何を創造しているのだろう?」
この疑問のために、ユメは断続的で行き当たりばったりの旅になる。
魂は身体に宿って何をしようとしているのかを思い出すと、そう頻繁に身体から抜け出さなくなる。
大いなる智恵をもっている者は、あまり眠る必要がない
時には、身体とともにいる忘却の状態と魂の一体感を、同時に経験しようとするヒトたちもいる。
全的な認識は行動ではなく「状態」だ。そうする、のではなく、そうあるものなのだ。
毎日の「瞑想」は、最良の道具の1つだ。生命エネルギーを最高のチャクラに引き上げることができる。
真の目覚めを経験するには、座って瞑想しなければならないとは限らない。
ほんの一瞬でも立ち止まることは、祝福に値する。
周りをゆっくり見回せば、通り過ぎるだけでは分からなかったことに気づく
この状態を経験するのに、身体から離れる必要はない。これが、真の目覚めの状態だ。
智恵は「美」が形づくられるところにある。探す必要はない。向こうからやってくる。
ただ微笑む。何かに向かってではなく、ただ、良い気分だから微笑む。その「微笑み」が、どんな痛みも癒してくれる。
長く、深く、ゆっくり、おだやかに「呼吸」しなさい。これも道具だ。
何年も瞑想しても、この状態を経験できないヒトもいる。どれほど開かれているか、どのくらいの意思をもっているかが大事だ。
どんな期待ももたずにいられるか、ということも大事だね。
使う言葉はどうでもいい。言葉は、いちばんあてにならないコミュニケーションだから。
努力し、献身しなければならない。外的な報酬ではなく、内的経験を求めようという決意が必要だ。
「沈黙」は秘密を蔵している。もっとも美しいのは、沈黙の音だ。それが魂の歌だ。
悟りに達すれば、世間のただなかにいても騒音は聞こえなくなり、気も散らなくなる。人生のすべてが瞑想になる。
闘いも苦しみも不安もなくなる。ただ経験があるだけだ。
■10
N:わたしはあなたを愛しています。ご存じですか?
A:知っている。そして、わたしもあなたを愛している。知っているかな?
N:分かりはじめました。ほんとうに、分かりはじめましたよ。
A:けっこう。
つづく・・・
ニール・ドナルド・ウォルシュ/著
その1のつづき。
ニールさんは、なんでもかんでも性の問題にいちいち戻るな。男性だからか?
今度は、死後の世界、超能力、自殺、睡眠などについて取り上げている。
【内容抜粋メモ】
(途中、文がつながっていないように見えるのは、わたしがひっかかったところのみのメモなためです
■5 「みじめ」でいるのが「幸せ」だというヒトは、意外に多い
A:
いつでも好きな時に「存在するすべて」からはなれて、新しい「自己」あるいは以前と同じ自己になれるということだよ。
死から蘇ったのは、イエスだけではないのだからね。
「蘇生」などということは毎日、たったいまもどこかの病院で起こっている。
マハバタール・ババジのことを聞いたことがあるかね?
以前と同じ物質的なかたちに戻りたいと望む魂はごくわずかだ。
身体に戻ることを選ぶにしても、ほとんどは別の身体に戻るね。そうすれば、新しい事業が始められる。
一般に、魂が身体を離れるのは完了したからなんだよ。
その身体でしようと思ったことは完了している。求める経験はすべて経験しつくしているんだ。
宇宙には「たまたま事故で」はありえないし、「偶然」もない。
死者は悼んでほしいなどとは、さらさら思っていないよ。
現在の人生と同じように「あの世」でも3つのいずれかをすることになる。
コントロールのきかない考えに創造をゆだねるか、
選択的・意識的に経験を創造するか、
「存在のすべて」の集合的意識を経験するか。
第三の道が、ニルヴァーナ(涅槃)だ。瞑想の際にほんの束の間、この恍惚感を経験するヒトは多い。
「みじめ」でいるのが「幸せ」だというヒトは、意外に多いのだよ。経験は、もういやだ、選択しないと思うまで続くのだ。
あなたは再び分離、分裂という考えを創造する。こうして、あなたは「宇宙の車輪」の上を旅し、前進し、回転しつづける。
Q:「死後」ではなくて、「幽体離脱」の経験には何が起こっているんでしょうか?
A:
あなたがたの「エッセンス」が物質的な身体から離れているんだよ。
魂はどこでも好きなところに存在できる。
「啓示」を受けたと感じる時、それが幽体離脱でも、夢でも、要するにふいに「思い出した」だけなのだ。
そうした至高の経験をすると、「実生活」に戻り、ほかの人が「現実」と呼ぶものと交じり合うのがとても難しくなる。
時間がたてばつほど、元の振る舞いに戻ってしまう。知ったことを、また忘れてしまうからだ。
Q:思い出しつづける方法はあるんですか?
A:
ひとに思い出させることだ。自分に望むことを、ヒトにしてやることだ。
長く続けるほど、必要性は小さくなる。このメッセージを大勢のヒトに与えれば与えるほど「自己」に与える必要性は小さくなる。
Q:どうしてもゼロ「出発点」に戻って、いつも最初からやり直さないといけないんですか?
A:
何にせよ、しなければならないことはない。
別の次元、現実、太陽系、文明を選んで移ることもできる。
Q:どうして永遠に、どこにも行きつかない旅を続けるんですか?
A:
じつは、旅などないのだよ。あなたがなろうとしているのは、今のあなただ。
あなたが行き着こうとしているのは、今のあなただ。
生命の循環には、気が重くなることは何もない。喜びと、さらに大きな喜びがあるだけだよ。
■6 自分が引き起こした結果は、結局、自分自身が体験する
A:
このメッセージはゼンマイのようなものだ。文字どおり「ぐるぐると輪を描いて」いるように見える。
Q:みんなは、地球は滅亡する運命なのか、知りたがっています。
A:
すべては、すでに起こっている。あらゆる可能性は事実として、完了した出来事として存在する。
宇宙の車輪をCD−ROMゲームだと想像してみればいい。すべてのエンディングはすでに存在している。
宇宙はただ、あなたがたが今度はどの動きを選択するかを待っている。
あなたが勝つか、負けるか、引き分けてゲームが終了したら、宇宙は言うだろう。「もう一度、やりたいかい?」
多くの超能力者が語る地球の変化は真実だ。彼らは「未来」への窓を開いてみたのだ。
問題は、彼らが見たのはどの「未来」かということだな。CD−ROMゲームの結末と同じで、いくつものヴァージョンがあるのだから。
Q:コンピュータの2000年問題はどうなんですか?
A:
内側へ入っていきなさい。内なる智恵を探ってごらん。そして、そのとおりに行動しなさい。
毎日プラスのエネルギーを送って、周りの人たちがパニックを起こしたりしないようにせよと言われたら、実行しなさい。
いちばん大事なのは恐れないことだ。あなたがたは「死ぬ」ことはないから、恐れることは何もない。
なにごとからも「逃れ」ようとしてはいけない。抵抗すると、相手はますます強くなる。
Q:それじゃ、わたしが防ぐことができるとおっしゃるんですか?
A:
そういうことにマイナスの影響を受けることは防げるね。
************************************超能力
全地球的な災厄が起こるという恐ろしい予言に対しても、静かに安らかに、おだやかに落ち着いていなさい、そうすれば、最善の結果になるだろう。
(映画の『メランコリア』みたいだな
ここで語っているのが、ほんとうはただのニールだとしても、どの問題であれ、もっと良いアドバイスはたぶん見つからないだろう。
あなたがたはみんな「超能力」をもっている。じつは「第六感」なんだよ。
超能力の筋肉を増強させるには、鍛えなければいけない。毎日、使いなさい。
何かについて「勘」がはたらいても、あなたがたはそれを無視する。
「超能力」を増強する第一歩は、それをもっていることを知って、使うことだ。あらゆる勘、感情、予感に注意をはらいなさい。
それから「知った」ことをもとに行動する。不安だからと、遠ざけてはいけない。
超能力現象には3つのルールがある。
1.思考はすべて、エネルギーである。
2.ものごとはすべて、動いている。
3.すべての時は、現在である。
超能力者とは、この現象が引き起こす経験、つまり振動に自分を開いているヒトだ。
このエネルギーは非常に軽く、移ろいやすく、かすかだから。
すぐれた超能力者は、決して疑問を抱かない。答えが消えてしまうから。
直感は精神には存在しない。超能力者になるには、精神から離れ、常軌を逸していなければならない。
あなたがたには、5つではなく6つの感覚がある。嗅覚、味覚、触覚、視覚、聴覚、そして知覚だ。
思考はエネルギーなのだ。超能力者の魂は、そのエネルギーを感じとる。
超能力者は激しい集中力によって自分の超微粒子を放出しているのだろう。「思考」といってもいい。
それが身体を離れ、彼方まで飛び、向きを変えて、遠くからまだ経験されていない「いま」を見る。
超能力者は「未来を予言」しているのではなく、ただ「永遠のいま」の中に垣間見た「可能性」の1つを話しているにすぎない。
何を見るかは、リーディングをする超能力者が選択する。要するに見方の問題なのだよ。
あなたの信念をもった選択で決まる。
真の超能力者は、必ずそうなるわけではない、と言うはずだ。あなたは選び直すことができるし、そうすれば結果も変わる。
Q:真の超能力者を見分けるには?
A:
彼らの目的は何かということだ。あなたを助けようと思っているのか、それとも自分が豊かになりたいのか。
いわゆる「プロの超能力者」は、超能力で何かをしてあげると約束することが多い。「恋人をとり戻してあげる」「富と名声をあげる」など。
真の超能力者は、決して他人の自由意思を踏みにじってはならないこと、他人の考えに侵入してはならないことを知っている。
物質的宇宙に組み込まれた自然の法則はある。そのひとつが、因果関係の法則だ。
自分が引き起こした結果は、結局、自分自身が体験する。
(神さまが『スタートレック』の半分を書いたw
真の超能力者は、他人の個人的、私的な情報を教えることはない。
彼らが避けているのは、他者に自分の意思を押しつけることだ。彼らはヒトのためになろうとしている。
Q:死者と話したいと頼むのは構わないんですか?
A:
「向こう側」にいる誰かが知らせたいと考えれば、必ず方法を見つける。だから心配しなくていい。
だから「徴(しるし)」に気をつけて、受け止めなさい。気のせい、「希望的観測」、偶然だと切り捨てたりしないこと。
Q:降霊会に参加したりしないほうがいいんですか?
A:
「逝った」ヒトについて、何かを思ったり考えたりすれば、そのひとのエッセンスは必ず気づく。
霊媒を使う必要などない。愛こそがコミュニケーションの最高の「霊媒(メディア)」だよ。
何だって、何かを恐れれば、恐怖の対象を創造してしまう。しかし恐れねばならないことなど何もない。
愛する者は決して一瞬の考えより遠くへは行かない。
あなたが必要な時はつねにそばにいて、相談にのったり、慰めたり、助言したりしてくれる
強いストレスを感じていれば、徴(しるし)、合図、ちょっとした「メッセージ」を送って、
すべてうまくいってるよ、と知らせてくれる。
愛する者の香水の匂いを嗅いだりすることもある。あるいは、故人の持ち物がいきなり現れる。
いわゆる「霊媒」や「チャネリング」が必要か? いや、必要はない。
そういうヒトは、自分の仕事を続けるのに必要なもの以外はいっさい要求しない。
相手の法外な寛容さにつけこんで、充分にこたえられるのが分かっているのに、何も提供しないというのはいけない。
■7 輪廻転生について
A:
人間には「不安」をよりどころにした宗教がたくさんあって、崇拝され恐れられる神を中心にした教義が説かれている。
ある教会などは、毎週日曜日に教会へ通わなければ神の罰を受けるとさえ主張した。
輪廻転生という考えかたをすると、その教義がめちゃくちゃになるからね。
「このあとにも、さらにそのあとにもチャンスはまだまだあるから心配しなくていい。今度はもっとがんばろう」
という考えに教会が耳を貸すはずがない。
まず、輪廻転生は異端だと否定し、それから「告解の秘蹟」を編み出した。輪廻転生と同じことを約束してくれた。つまり、もう一度チャンスをくれたのだよ。
だが、罪の赦しは、直接に神から来るのではなく、教会を通じて与えられた。
まもなく「告解」をしないのは罪だと宣言した。
教会は次々にルールをこしらえた。過ちを「懺悔」すれば神に赦され、罪はまぬかれた。
「懺悔」さえすれば何をしてもいいのだろう、と人々が考え、教会は困った。
そこで「煉獄」が考え出された。この新しい教義は、たとえ懺悔しても神はあなたの罪を罰するのだと宣言した。
教会に通うヒト、集まる「献金」も増えた
莫大な献金をすると「全免償」というものをもらえる。天国への直通切符だ。これが得られるのは王族、超がつく金持ちだ。
貧しい農民は司教から免償をもらえない。教会に通うヒトはまた減りそうになった。
今度は「九日間の祈り」のロウソクを考え出した。
教会に行って「煉獄にいる哀れな魂」のためにロウソクを1本灯し、祈りを捧げると、亡くなった愛する者の「刑期」を何年か減らせる。
たくさんのコインが献金箱に落とされた。
あなたがたは創造にこだわり、少しずつ修正しながら、完成に近づけていく。
パラマハンサ・ヨガナンダ、ベイブ・ルースも同じだよ。意識のレベルがまったく違っていたが。
転生、つまり別の物質的な身体に戻ることだけが選択肢だと考えたら、間違いだろうね。
「死」と呼ばれる出来事のあと、彼らは何でも好きなものになれる。
ほんとうの自分を経験するには行動化し、自分になればいいとやさしく示されて、思い出す。
Q:動物には魂があるんですか?
A:
ある。魂は動物として戻れるが、実際問題として戻らないだろうな。
わたしたちが話しているプロセスは進化だよ。進化は上にとにかく進む(動物の魂はヒトより劣るのか?
人間という存在の進化のレベルは実にさまざまだ。
だが、低位の生命の形に戻ったのでは達成できない。だから、そこへ戻ることはありえない。
一生とは、宇宙の時計ではかれば、一瞬のそのまた10億分の1よりも短いのだよ(そうだろうな
Q:宇宙の時空のつながりの、何百万ものポイントに何百万人ものわたしのヴァージョンがいることになりますよ。
あなたが神で、あなたがわたしなら、わたしは神じゃないですか!
A:汝は神なり。そのとおり。
Q:わたし以外は誰も、何も存在しないってことですか? でも、誰かと一緒にいる時、わたしと彼らは別人だと感じます。
A:
わたしたちはみな一体だ。
意識とは素晴らしいものだ。何千にも何百万にも分割することができる。
Q:それを、どうして今、教えてくださるんですか?
A:
人生がもう楽しみではなくなりはじめているから。あなたはプロセスに足をとられ、それがプロセスに過ぎないことを忘れかけている。
傷ついた者を癒し、不安におののく者をなだめ、貧しい者のニーズを満たし、成就した者の素晴らしさを祝い、あなたの人生は変わるだろうか?
■8 楽しむとは、相手に喜びを与える「en-joy」ということ
A:
望めばいつでも、死すべき形に戻れる。「戻るか」「いつ戻るか」、それは自分で決める。
どんな魂でも、意思に反した経験が訪れることはない。
魂は、あなたの中で決して眠らず、決して忘れない部分だ。
魂が身体を離れることはある。その形にとどまる目的はもうないと悟った瞬間に。
あなたは「移ろいゆく形」だ。
魂は自然な本来の形に戻る。信じられないほど軽くなる。全的な自由。「融通無碍」だ。その変化を魂が悲しむことはありえない。
「融通無碍」
考え方や行動にとらわれるところがなく、自由であること。また、そのさま。
どんな交流も「はじまりが始まった」瞬間に「終わりが始まる」。
そのことを深く理解して初めて、すべての瞬間、人生そのものの貴重さが充分に分かるだろう。
これが最後だと思えば、誰かと一緒のひとときが輝くだろう
幻想が消え、真の姿が見えてくる。その時初めて、ほんとうに楽しむことができる。
楽しむとは、相手に喜びを与える「en-joy」ということだ。
死とは決して終わりではなく、つねに始まりだ。
移ろいゆく、それだけが真実。不変なものは何もない。これがブッダのダルマ(法)だ。
生命とはそれ自身のメタファー(暗喩)であることが分かるだろう。
************************************自殺
Q:どうして自分の生命を終わらせることにはタブーがつきまとうんでしょうか?
A:
第一の間違いは「正邪」があるという考え。第二の間違いは殺害が可能だということだ。
「正邪」というのは、人間の価値システムの哲学的両極であって、究極の真実とは何の関係もない。
だから、あなたがたの社会は、パラドックスの上に築かれている。
価値観はつねに変化しているのに、変化しない価値観にこそ価値があると主張しているのだから!
現在のあなたの栄光をたたえなさい。だが、昨日のあなたを非難しないこと。明日のあなたを排除しないこと。
誰かが銃で自殺すれば、家族には保険金が支払われないが、タバコで死ねば支払われる。
長い時間がかかるから、この自殺は罰されない。
あなたは発がん物質を吸入して自分のシステムを毒し、化学物質で処理された食べ物を口にして自分のシステムを毒し、
呼吸する大気を汚染しつづけてシステムを毒している。
迅速に自分を殺すことが、ゆっくりと自分を殺すよりも倫理に反するわけではないのだよ。
緩慢な死の原因の大半は、楽しいことの結果だ。それは身体を満足させることだ。あなたがたの社会が原始的だというしるしだよ。
いろいろな社会の違いは、何を楽しみと考えるかということだ。
ほとんどのヒトは、観察したままを言われるとムッとする。自分が持っていたくはないものを観察された場合にはね。
悟りは「ありのまま」を批判せずに受け入れることから始まる。
否定するのは、宣言すること、創造することだ。
否定したものは、コントロールできない。だから、あなたは否定した相手にコントロールされる。
自分で自分に逆らい、自分と闘っているのだよ。そのために、進化が遅々としている。
もっと迅速に進化する道は、ないものではなく、あるものを認めることから始まる。
Q:ヒトから聞かされてもムッとしなくなれば「ありのまま」を受け入れたということですね。
A:
そのとおりだ。あなたという存在は、ミクロの宇宙(コスモス)の中の万有(ユニバース)だ。
「チャクラ」について勉強してごらん。
この対話のテーマは、人間らしい人間とは何か、それが唯一のテーマなのだから。
誰もがそれをして、その結果が人類にとって究極的な恵みをもたらすなら、それは「高度に進化した」ことだ。
災厄がもたらされるなら、それはあまり「高度」なことではない。
Q:種の存続のための行為に駆り立てるのは、遺伝子のシグナルですね。
A:
生物学的な指令は、もっと生命を生み出せということではなく、もっと生命を経験せよということだ。
つまり「ひとつであるもの」として経験せよということだ。
身体的衝動は「動物的なふるまい」ではない。複雑な対応が交じり合った関係の1つの要素にすぎない。
何をするにしても、あなた全体として、総体として行いなさいということだ。
「霊性の物理学」についてもっと知りたければ、ディーパック・チョプラの本を読んでごらん。彼は霊性の謎も科学も理解している。
■9 魂が身体から離れるために眠りがある
Q:魂は毎日、身体から離れているんですか? いつですか?
A:
一生を通じて何度でも。だから、「眠り」というものを編み出した
身体に宿ることが、魂にとって楽なことだと思うかな?とんでもない!(だと思った
魂は軽くて、自由だ。安らかで喜びに満ちている。何の制約も苦痛もない。完璧な智恵、愛だ。
Q:眠るのは、身体が休息を必要としているからだと思っていました。
A:
魂は身体の制約、重さ、自由のなさにウンザリすると、文字どおり身体から抜け出す。
真実でないこと、偽りの現実、想像上の危険に飽き飽きし、
つながりと確信、休息、精神の目覚めをもう一度味わいたいと思った時、魂は身体から抜け出す。
とくに新しく身体を擁した魂は、とても疲れる。だから赤ん坊はしょっちゅう眠っている(
「わたしはどこにいるのだろう? ここで何を創造しているのだろう?」
この疑問のために、ユメは断続的で行き当たりばったりの旅になる。
魂は身体に宿って何をしようとしているのかを思い出すと、そう頻繁に身体から抜け出さなくなる。
大いなる智恵をもっている者は、あまり眠る必要がない
時には、身体とともにいる忘却の状態と魂の一体感を、同時に経験しようとするヒトたちもいる。
全的な認識は行動ではなく「状態」だ。そうする、のではなく、そうあるものなのだ。
毎日の「瞑想」は、最良の道具の1つだ。生命エネルギーを最高のチャクラに引き上げることができる。
真の目覚めを経験するには、座って瞑想しなければならないとは限らない。
ほんの一瞬でも立ち止まることは、祝福に値する。
周りをゆっくり見回せば、通り過ぎるだけでは分からなかったことに気づく
この状態を経験するのに、身体から離れる必要はない。これが、真の目覚めの状態だ。
智恵は「美」が形づくられるところにある。探す必要はない。向こうからやってくる。
ただ微笑む。何かに向かってではなく、ただ、良い気分だから微笑む。その「微笑み」が、どんな痛みも癒してくれる。
長く、深く、ゆっくり、おだやかに「呼吸」しなさい。これも道具だ。
何年も瞑想しても、この状態を経験できないヒトもいる。どれほど開かれているか、どのくらいの意思をもっているかが大事だ。
どんな期待ももたずにいられるか、ということも大事だね。
使う言葉はどうでもいい。言葉は、いちばんあてにならないコミュニケーションだから。
努力し、献身しなければならない。外的な報酬ではなく、内的経験を求めようという決意が必要だ。
「沈黙」は秘密を蔵している。もっとも美しいのは、沈黙の音だ。それが魂の歌だ。
悟りに達すれば、世間のただなかにいても騒音は聞こえなくなり、気も散らなくなる。人生のすべてが瞑想になる。
闘いも苦しみも不安もなくなる。ただ経験があるだけだ。
■10
N:わたしはあなたを愛しています。ご存じですか?
A:知っている。そして、わたしもあなたを愛している。知っているかな?
N:分かりはじめました。ほんとうに、分かりはじめましたよ。
A:けっこう。
つづく・・・