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震災から5年@あさイチ

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バスで!列車で!アッキーがゆく“復興の地”2016@あさイチ

【女川】

海岸線が狭いため、大規模な防潮堤が造れず、海が見える。
その分、土地をかさあげして商店街を作り、民家は作らないと決めた。

「人口流出」が激しい分「観光」で復興を図っている。
仮設商店街には「仮設住宅」から通う人が多い。

 

 

「仮設住宅」と「災害公営住宅」
 
人気のいない仮設住宅。そのほとんどは公営に移ったが、かつては隣り同士だったのがバラバラの部屋になったため交流が減った



住居者の声:
仮設のほうが隣りが近かったから、ちょっと外に出ると顔をを合わせて話もできたけど、


ITを使った見守り


1人暮らしの高齢者に端末を渡して、操作してもらうとともに、
時折り部屋を見回って、話を聞く活動もしている。


町民自らが「新しい町」をゼロから作る試みは素晴らしいと思った。


追。
鹿児島水族館の「沈黙の海」

ヒトが汚染などで海を汚すと、将来は何もいなくなってしまうよ、という警告のメッセージがこめられた展示




震災5年“被災地の声”から考える

シングルマザーの8割が月収8万円未満@陸前高田市
年老いた母と、娘の3人暮らしのシングルマザーの例を紹介した。

これまでも月20万円と少なかったパートの給料が、仕事を失い、やっと見つけても月8万円に減ってしまった。
頼っていた実家も流され、仮設から公営に移り、月1万円ほどの家賃も発生。
自身もストレス・過労等で毛髪がすべて抜け落ちてしまった。

 

「私がへこたれたり、しょげていたら生きていけない。だから立ち止まれなかった。
 私がここで嫌だとか、仕事を辞めたいと言ったら、困るのは家族だから」

心配なのは、幼なじみを津波で失い、仮設住宅でうつ状態になり、引きこもってしまった娘。
公営に移って、少しずつ回復し、今ではパートに出て、家計を手伝ってくれている。

 

NPO活動をしている寝占理絵さん


学校が津波で流され、仮校舎が遠い。その送り迎えもすごく大変。
パートの時間がより短くなり、収入が減るうちがとても多い。

子どもが成長すると、よりお金がかかるようになる。
ムリが重なって体を壊すシングルマザーが増えている。

仮設から公営に移ると、仮設でせっかくできた付き合いもなくなってしまう。

理絵さんは、パソコンを教えて、自宅でも仕事が出来るような支援もしている。


【今、必要なもの】
募金(震災当時からだんだん減っている。
渋谷にあるNPOで活動しているのは自分1人なので、長期的にサポートしてくれるボランティアの方。
「NPOマザーリンク・ジャパン」は、被災地で母子家庭の支援に取り組んでいる。

「NPO法人マザーリンク・ジャパン」
代表:寝占理絵さん


いいたて雪っ娘かぼちゃ@飯舘村
 


収穫量が増え、商品も豊富



放射線量の高さによって3つの区域に分かれ、「帰還困難区域」を除いて、来年の春までに避難制限を解除する予定。


「計画的避難区域」に住んでいた酪農家の長谷川さん@伊達市
育てている牛たちは、毎日乳を出すが、出荷できないため、牛乳を畑に棄てる日々が2ヶ月続き、
苦渋の決断で乳牛を手放し、仮設で暮らしている。



 

 



妻:


長谷川さんの住む家は、今は「居住制限区域」(日中は立ち入りできるが宿泊はできない)。
長谷川さんは、毎日のように車で40分かけて自宅に通っている。


「誰もいないし、誰も来ないし」

以前は大家族だったが、息子夫婦は福島に移動、父母は別の仮設に移動。
孫も生まれて、一緒に暮らそうという誘いを長谷川さんは断った。

「家族一緒に住みたいのは当然。でもやっぱり、そうはいかない。
 ふるさとが荒廃しないように、雑草だらけにならないようにしていかないとダメだ」


まだまだ高い放射線量
コンクリートの上は低くなったが、近くの茂みを測るとまだまだ高い数値。

 

長谷川さん:
我々は、安心して帰れる環境になるまで「徹底的な除染」と言っているけど、そんなことはお構いなし。
家とこの距離で2マイクロシーベルト以上あるんだから。子どもたちを連れて帰村なんていう話ではないと思う。



田んぼに積み上げられているのは、除染で出た放射線廃棄物が入ったバッグ。
中間貯蔵施設が見つかるめどがたたず仮置き場となっている。

 
空き家/耕作放棄地

長谷川さんは、去年、新しく蕎麦の種を買った。
町を雑草だらけにしないよう、人手が少なくても育てられる蕎麦の種を植えていく予定。

 

「こういう状況になっちゃって後継者もいなくなるのは間違いない。
 地区のどこのうちを見ても、話かけても、若い人は戻らない。
 そういう中で前に進むにはと考えた時、せめて我々が動けるうちはやる。それしかないと思う」


高齢化が進む飯舘村


みんなで集まれる場をつくり、コミュニティをつなげる努力をしているが、
今後、避難解除されると、仮設を離れて暮らしていけるか不安で、自宅にもどるか悩んでいる。

 


「ここに、みんな居たほうがラク。楽しいよ。
 (自宅に戻ったら)たとえば具合悪くなっても1人暮らしのため、助けを求めるところがない」


帰宅に必要なのは?

専門家:
大家族が多かったのがバラバラになったので、1人暮らしになると生活の機能がなくなる。
同じ仮設同士で移動するとか、シャトルバスを走らせる、移動販売するとか地域でも工夫が必要。
被災者の励みになるので、関心を持ってもらうことがすごく大事。


子どもたちの活動
 
センターでは最大2000人が暮らしていた

 

掲示板、質問BOXを作るなど積極的に活動していた当時中学生だった福田さんは、
その後、地元の高校に進学。被害調査に同行して町の証言を集めて地図に記録した。

 

今は大学1年生、津波のメカニズムを学びたいと工学部を選んだ。

サークル活動
 
震災で途絶えた地域の行事の復活を手伝ったり、仮設で暮らす高齢者の声を聞き取る活動をしている

自身の被災体験がきっかけ
亡くなった祖母への気持ちが活動の原動力となっている。



被災地の課題を考えるシンポジウムにも参加

高齢者の孤立問題、今後のボランティアのかかわり方について発表した

「孤独死など、万が一の見守りのために、顔見知りになることが必要。
 5年を迎えて、支援団体が減少しているとともに、ボランティアに頼りすぎて自立できていないのではないかという意見もある」

栞さんは、将来、復興や防災に役立つ職に就きたいと考えている。


「やっぱり復興がまだ全然終わっていない、途中なんだなっていう、せっかく被災地に残ったから出来ることをしたい。
 こういうことを勉強するために大学に来たから、災害や防災になにかしらの形で携われる仕事もいいかなと思っている」

彼女にとって、3.11は静かに過ごしたいと思うが、同級生が遊びに行こうと誘ってきたりすると
自分と思いが違ってきてしまっているのかな、というギャップに胸が痛くなる。




アッキーのコーナーでは相馬市の直売所を訪ねた。
地元野菜も増え、他県のものと並べて、選べるようにしているが、
県外のお客さんは、地元のものを買わない傾向にある。

「“福島は危ない”という記事がイメージとして繰り返し起こるから、一生懸命、検査をしたという事実が耳に入っていかない」

町を車で走ると、、、
 

 
元は田んぼ。今は“仮置き場”を作っている。このそばで暮らせるのか不安がある

「この風景を毎日見ながら住む気になるかどうか」

商店は仮設。復興が進めば取り壊す予定
 



 

お客さんに4月以降家に帰りたいか尋ねると、「お医者さん、その他、売店が開くまで折を見て考えたい」

元の持ち主の方が戻ってくるため3月11日で食堂は閉店になる。
店員さんたちも、自分たちの帰還準備をしなければならない。


 

原発から5km。復興への取り組みが遅れ、2年後の今もほとんど変わっていない。
海が近いため、人は住めない。
戻るために必要な条件は、生活環境が戻ること。







関東大震災後も、太平洋戦争後も、日本はこれまで何度も立ち直ってきたけれども、
今回の復興のネックはやはり原発。放射線の問題がなければもっと早かったはず。

けれども、地震国日本の海岸線沿いにはまだまだたくさんの原発が稼動しつづけている。
今の経済、便利さをとるか、将来の自然、いのちをとるか、また1人1人考えなければならない。


改めて、東日本大震災で亡くなられた方に鎮魂の想いと、
今、復興に向けて努力している方々への想いをあらたにして、
自分でできることを考えつづけよう。



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