■『ナージャの村』(平凡社)
本橋成一/写真・文
『アレクセイと泉のはなし』(アリス館)
本橋さんは、この写真集をなぜモノクロで発行したのだろうか?
きっと、そこにはさまざまな季節の色があったはずなのに。
まだ村に人々が暮らしていた時期を撮ったからか、それとも一時帰宅なのか、明るい笑顔も写っている。
小さな村での楽しみは、結婚式やお祭りで集まり、食事をして、踊ること。
村の人々の詩が、とても素朴で、正直で、こころを打つ。
▼あらすじ(ネタバレ注意
悲しみの大地、と人は呼ぶが、
ここで暮らしている人々のことは知らない。
問題は放射能ではなく、いのちのことなのに。
そんなことは誰も言わない。
ただ、危険だから逃げろ、という。
チェルノブイリ、ベラルーシ、ドゥヂチ村。
ここが、わたしのふるさとなのに・・・。
【あとがき 本橋成一~内容抜粋メモ】
僕が初めてチェルノブイリをテーマに写真を撮り始めたのは、大事故から5年後の1991年のこと。
“核”でくくろうとするとあまりにも手がつけられず、“いのち”でくくったらなんと分かりやすかったことか。
病に苦しむ子どもではなく、汚染地域で大地とともに生き続けている人間や生き物の営みを見つけた。
3年後、『チェルノブイリからの風』『無限抱擁』にまとめることができた。
汚染されたベトカ地区パーブジェ村で移住を拒否して一人で住んでいた83歳のアルカジイさんに出会った。
事故前2頭だった牛は、買い手がつかず増え続け、今や27頭になり、世話が大変だが、
事故前と何も変わらない暮らしに引きつけられた。
「どうして移住しないのか」と聞くと、どうしてそんなことを聞くのかという顔をして
「どこへ行けというのか。人間が汚した土地だろう」と答えた。
地球にやさしくとか傲慢な言葉を平気で言っている自分が恥ずかしかった。
アルカジイさんは、僕を家に招き、50年も弾き続けているアコーディオンを聴かせてくれた。
あえて汚染地域に住み続け、自分が生きていることは、汚された大地への無言の抗議でもあった。
アルカジイさんは、翌年、牛泥棒に撲殺されるという不慮の死に遭う。
僕は、この『ナージャの村』に彼からもらったメッセージを託した。(1998年)
*
かつてドゥヂチ村には300家族が住んでいた。強制移住により、今は6家族15人になった。
もう、お祭りも、結婚式もない。コーリャの得意なアコーデオンの出番もなくなった。
「ソ連時代はポルカ祭りも規制されたから、若者は祭りを知らないんだよ」(ポレーシェ村)
この地方はポルカ発祥の地。民族衣装を着飾った村人たちが歌い踊る。
第二次世界大戦では、この地で十数万の人たちがナチスの手で殺された。
チャイコ:
かれらはここへやってきて、わたしの土地を占領した。
ドイツの射撃手。
ドイツが殺した、森に逃げた人すべてを。
わたしは戦争のことをよく覚えている。
しかし、放射能は、まったくすべてを占領し尽くす。
まったくひどい話だ。
すべてを奪った。すべてを。
結婚式で、電柱に取り付けられたスピーカーから、音のかすれたダンス音楽が流れ続ける(ボロソビッチ村)
村一番のアコーデオン弾きもひと休み
ニコライ:
人々はパンを食べる。
わたしたちは放射能を食べる。
もしロシアを捨て、天国に生きよ、といわれたら、わたしはいう。
天国はいらない、故郷を与えよ、と。
一人者のニコライは、エセーニンの詩句「天国はいらない、故郷を与えよ」が大好きだ。
彼は、コルホーズ閉鎖のために捨てられた、目が悪い馬を拾ってきた。
隣り村のセブローヴィチ村(強制移住地区)の森が野火で焼けた
チャイコバーバはヤギのシロをとても可愛がっている。
シロは毎日コップ1杯のミルクをくれる。
シロはいつもチャイコバーバのそばにいる。
チャイコバーバと2匹の猫。冬ごもりの仲間(歳をとったら、チャイコバーバのようになりたいなあ
タイーシャ:
国はいう。
たくさんの家を与えたのに、拒否すると。
わたしはここからでたくない。でたくない。
ボクサーは廃屋の中から目ぼしいものをみつけ、ヤミで町に持ち出して「ビジネス」をする。
ペチカのそばはナージャのお気に入り。母さんはいるし、暖かい。
学校
黒板には「さようなら私の村の学校」と書いてあった。
ナージャにとっては、放射能より、友だちがいなくなったことのほうが悲しい。
畑
ナージャは畑仕事の手伝いが大好きだ。町に引っ越すことが決まったから、今年は少しでも多く収穫したい。
町で仕事が見つからなかった父ボーブカを残して、ナージャ家族は引っ越した。
このゲートを出ると、チェチェルスクでの生活がはじまる。
家財道具がなくなった部屋に家族の写真を飾ってもやはり寂しい。
妻タイーシャは、町で夫の仕事を探しているが、なかなか見つからない。
タイーシャは、夫が心配で、たびたび村に戻る。
町の家にはまだバーニャ(サウナ風呂)がないため、週末には村に帰る。
冬にはボーブカも家族のもとに行き、ドゥヂチ村の住人は5家族8人になってしまった。
村の数箇所に「放射能危険」「立入禁止」と標示されている。
ニコライ:
「皇帝には帝国、そして神には予言」
ふるさとに何が残ったかって。わたしのふるさとに?
何も。
本橋成一/写真・文
『アレクセイと泉のはなし』(アリス館)
本橋さんは、この写真集をなぜモノクロで発行したのだろうか?
きっと、そこにはさまざまな季節の色があったはずなのに。
まだ村に人々が暮らしていた時期を撮ったからか、それとも一時帰宅なのか、明るい笑顔も写っている。
小さな村での楽しみは、結婚式やお祭りで集まり、食事をして、踊ること。
村の人々の詩が、とても素朴で、正直で、こころを打つ。
▼あらすじ(ネタバレ注意
悲しみの大地、と人は呼ぶが、
ここで暮らしている人々のことは知らない。
問題は放射能ではなく、いのちのことなのに。
そんなことは誰も言わない。
ただ、危険だから逃げろ、という。
チェルノブイリ、ベラルーシ、ドゥヂチ村。
ここが、わたしのふるさとなのに・・・。
【あとがき 本橋成一~内容抜粋メモ】
僕が初めてチェルノブイリをテーマに写真を撮り始めたのは、大事故から5年後の1991年のこと。
“核”でくくろうとするとあまりにも手がつけられず、“いのち”でくくったらなんと分かりやすかったことか。
病に苦しむ子どもではなく、汚染地域で大地とともに生き続けている人間や生き物の営みを見つけた。
3年後、『チェルノブイリからの風』『無限抱擁』にまとめることができた。
汚染されたベトカ地区パーブジェ村で移住を拒否して一人で住んでいた83歳のアルカジイさんに出会った。
事故前2頭だった牛は、買い手がつかず増え続け、今や27頭になり、世話が大変だが、
事故前と何も変わらない暮らしに引きつけられた。
「どうして移住しないのか」と聞くと、どうしてそんなことを聞くのかという顔をして
「どこへ行けというのか。人間が汚した土地だろう」と答えた。
地球にやさしくとか傲慢な言葉を平気で言っている自分が恥ずかしかった。
アルカジイさんは、僕を家に招き、50年も弾き続けているアコーディオンを聴かせてくれた。
あえて汚染地域に住み続け、自分が生きていることは、汚された大地への無言の抗議でもあった。
アルカジイさんは、翌年、牛泥棒に撲殺されるという不慮の死に遭う。
僕は、この『ナージャの村』に彼からもらったメッセージを託した。(1998年)
*
かつてドゥヂチ村には300家族が住んでいた。強制移住により、今は6家族15人になった。
もう、お祭りも、結婚式もない。コーリャの得意なアコーデオンの出番もなくなった。
「ソ連時代はポルカ祭りも規制されたから、若者は祭りを知らないんだよ」(ポレーシェ村)
この地方はポルカ発祥の地。民族衣装を着飾った村人たちが歌い踊る。
第二次世界大戦では、この地で十数万の人たちがナチスの手で殺された。
チャイコ:
かれらはここへやってきて、わたしの土地を占領した。
ドイツの射撃手。
ドイツが殺した、森に逃げた人すべてを。
わたしは戦争のことをよく覚えている。
しかし、放射能は、まったくすべてを占領し尽くす。
まったくひどい話だ。
すべてを奪った。すべてを。
結婚式で、電柱に取り付けられたスピーカーから、音のかすれたダンス音楽が流れ続ける(ボロソビッチ村)
村一番のアコーデオン弾きもひと休み
ニコライ:
人々はパンを食べる。
わたしたちは放射能を食べる。
もしロシアを捨て、天国に生きよ、といわれたら、わたしはいう。
天国はいらない、故郷を与えよ、と。
一人者のニコライは、エセーニンの詩句「天国はいらない、故郷を与えよ」が大好きだ。
彼は、コルホーズ閉鎖のために捨てられた、目が悪い馬を拾ってきた。
隣り村のセブローヴィチ村(強制移住地区)の森が野火で焼けた
チャイコバーバはヤギのシロをとても可愛がっている。
シロは毎日コップ1杯のミルクをくれる。
シロはいつもチャイコバーバのそばにいる。
チャイコバーバと2匹の猫。冬ごもりの仲間(歳をとったら、チャイコバーバのようになりたいなあ
タイーシャ:
国はいう。
たくさんの家を与えたのに、拒否すると。
わたしはここからでたくない。でたくない。
ボクサーは廃屋の中から目ぼしいものをみつけ、ヤミで町に持ち出して「ビジネス」をする。
ペチカのそばはナージャのお気に入り。母さんはいるし、暖かい。
学校
黒板には「さようなら私の村の学校」と書いてあった。
ナージャにとっては、放射能より、友だちがいなくなったことのほうが悲しい。
畑
ナージャは畑仕事の手伝いが大好きだ。町に引っ越すことが決まったから、今年は少しでも多く収穫したい。
町で仕事が見つからなかった父ボーブカを残して、ナージャ家族は引っ越した。
このゲートを出ると、チェチェルスクでの生活がはじまる。
家財道具がなくなった部屋に家族の写真を飾ってもやはり寂しい。
妻タイーシャは、町で夫の仕事を探しているが、なかなか見つからない。
タイーシャは、夫が心配で、たびたび村に戻る。
町の家にはまだバーニャ(サウナ風呂)がないため、週末には村に帰る。
冬にはボーブカも家族のもとに行き、ドゥヂチ村の住人は5家族8人になってしまった。
村の数箇所に「放射能危険」「立入禁止」と標示されている。
ニコライ:
「皇帝には帝国、そして神には予言」
ふるさとに何が残ったかって。わたしのふるさとに?
何も。