■アッキーがゆく もっと知りたい!沖縄II@あさイチ
NHKオンデマンド
【まとめ】沖縄女性遺体遺棄 元米兵の男逮捕
沖縄で、女性の遺体を遺棄したとして、アメリカ軍の軍属が逮捕されて1か月。
アッキーが沖縄の戦争の記憶をたどり、那覇から南へと向かった。
●71年目の沖縄の歴史と、今の若者の世代間の差
番組冒頭から、FAXでさまざまな意見が届いた。
「毎回、沖縄というとアメリカ軍基地、アメリカ兵に対する批判をするのはやめてほしい。
どこにいても、いい人と、悪いことをする人がいるのは同じ」という若者の意見。
「どれだけ報道しても、基地のある沖縄に暮らす人々の気持ちは分からないと思う。これからも変わらない」
「“沖縄の人は怒っている”と報道されるが、“日本人は怒っている”と報道すべき」
観光地として人気の沖縄。ビーチでは、米兵と楽しくビーチバレーを楽しむ女性もいる。
米兵「あんな事件は起きるべきじゃない」
「何年経とうが、戦争のことは絶対忘れない」という世代との差ばかりでなく、
沖縄で暮らす人とそうでない人との間の温度差もあることが分かった。
これまでの事件の検挙数とその内容
検挙数だけを見れば、他県とあまり変わらない感じを受けるが、
印象的なのは、圧倒的に女性への「性犯罪」(暴行・レイプ)が多いこと。
レイプ事件は、周囲の目などもあり、届出ない場合も多い。
その他、飲酒による轢き逃げで家族を失ったり、庭に酔った米兵が寝ていたり「住居侵入」、
ということが多いというのは、本土にはない。
「学生の頃、1人で歩いていたら“How much?”(いくらだ?)と聞かれたことがある」という女性。
今回の事件では、暴行だけでなく、殺されてしまったということで
現場にはたくさんの花や飲み物などがたむけられていた。
娘を持つ親たちは、
「基地のない地域に住んでいるが、娘の部活が遅くなるので、とても心配」
「もし、自分の娘だったら・・・と思うと、いてもたってもいられず現場にきた」
同じ町に住む20代女性「あの事件以来、怖くてあの道を通れない」
●沖縄の18%が米軍基地
世界的に見ても、沖縄にこれだけ集中しているというのは異常だといわれる。
第二次世界大戦。1945年にアメリカ軍は沖縄に上陸。
地上戦は3ヶ月続き、両軍の兵士の死傷者もさることながら、
県民の4人に1人が巻き込まれた。
●本土決戦を遅らせるための持久戦
国内最大の地上戦となってしまった陰には、本土決戦を遅らせるための“時間稼ぎ”という理由がある。
●「日米地位協定」により罪に問われない犯人
沖縄米兵少女暴行事件(1995年)
事件が起こるたびに「綱紀粛正」「研修の見直し」「飲酒規制」などを行ってきたが、また同じ事件が繰り返される。
「軍法会議」のため本国に送還されてしまうと、日本の法律は及ばない。
綱紀粛正:国家の規律や秩序、また政治のあり方や政治家・役人の態度を正すこと。
●450年間、独自の文化を築いてきた首里城に残る日本軍の司令部壕
全長1km。第二次世界大戦中、米軍の攻撃目標となった。
首里城は全壊、周囲もなにもない焦土と化した。
華やかな首里城の陰に、こんな戦争遺跡があることを知る人は少ない。
シリーズ戦争遺跡2『戦場になった島 沖縄・本土戦』(汐文社)
●71年前の弾痕が残る、南風原(はえばる)町の民家
南風原町は、沖縄戦のとき、首里から南部に逃げる兵士や住民たちの通過点となったため、
いまだに塀などに当時の大きな弾痕が残っている。
土地によっては不発弾も残っている。
沖縄タイムス+プラス
普天間飛行場の米軍機による騒音問題・被害
取材中も民家のすぐ上を飛ぶヘリコプターの騒音に「こんなの日常ですよ」という住民の女性。
●「琉球かすり会館 南風原町」
琉球かすりが有名な町。
戦後は物資のない中、軍の廃品・廃材を利用して織機をつくり、軍船で使っていたロープをほどいて織ったという歴史がある。
憎んではいない
八重瀬町で天ぷら屋さんをを営む上原ヨシコさん(85)は、
戦時中は捕虜となり、16歳の時は米軍基地の食堂で炊事をしていた。
「とにかく仕事が必要だった。いい人もいっぱいいたよ。私は憎んではいない」
と話していたのも心に残った。
●「魂魄(こんぱく)の塔」
各地から来て、沖縄で戦死した35000人の遺骨を拾い集めて建てた慰霊碑。
地元に暮らす大屋さん(81)は、当時11歳。決死の覚悟で壕から出て米兵の捕虜となった。
後になって、壕に残った人々はみんな壕で亡くなったと聞き、自分たちだけが生き残ったことが申し訳ないという。
近くに見える海岸は、沖縄有数のサーフスポットで、サーフィンを楽しむ若者がたくさんいる。
同時に、海岸から見える岬の上から、次々と飛び降りて亡くなったという戦争の歴史がある。
「バンザイクリフ」と同じだね。
サイパン(1998.11.19-22)
柳澤「よく“基地に依存する経済”の問題も出るが、依存は減っている。でも犯罪は減らない
“Yナンバー”のこととか。
観光だけじゃなく、歴史と、そこでの暮らしを想像することも大切」
Yナンバー:米軍関係者の使用車であることを示す
内藤「今でも沖縄の新聞には、必ず戦争に関する記事が載っている。それも私たちの感覚とまったく違うこと。
“無知・知らない”ということは、罪だと思う」
6月23日は“沖縄・慰霊の日”。
また特集を組むとのこと。
内藤剛志さんが出演されたと話していたドラマはこちら。
ドラマ人間模様 太陽の子 てだのふあ(1982)
NHKオンデマンド
【まとめ】沖縄女性遺体遺棄 元米兵の男逮捕
沖縄で、女性の遺体を遺棄したとして、アメリカ軍の軍属が逮捕されて1か月。
アッキーが沖縄の戦争の記憶をたどり、那覇から南へと向かった。
●71年目の沖縄の歴史と、今の若者の世代間の差
番組冒頭から、FAXでさまざまな意見が届いた。
「毎回、沖縄というとアメリカ軍基地、アメリカ兵に対する批判をするのはやめてほしい。
どこにいても、いい人と、悪いことをする人がいるのは同じ」という若者の意見。
「どれだけ報道しても、基地のある沖縄に暮らす人々の気持ちは分からないと思う。これからも変わらない」
「“沖縄の人は怒っている”と報道されるが、“日本人は怒っている”と報道すべき」
観光地として人気の沖縄。ビーチでは、米兵と楽しくビーチバレーを楽しむ女性もいる。
米兵「あんな事件は起きるべきじゃない」
「何年経とうが、戦争のことは絶対忘れない」という世代との差ばかりでなく、
沖縄で暮らす人とそうでない人との間の温度差もあることが分かった。
これまでの事件の検挙数とその内容
検挙数だけを見れば、他県とあまり変わらない感じを受けるが、
印象的なのは、圧倒的に女性への「性犯罪」(暴行・レイプ)が多いこと。
レイプ事件は、周囲の目などもあり、届出ない場合も多い。
その他、飲酒による轢き逃げで家族を失ったり、庭に酔った米兵が寝ていたり「住居侵入」、
ということが多いというのは、本土にはない。
「学生の頃、1人で歩いていたら“How much?”(いくらだ?)と聞かれたことがある」という女性。
今回の事件では、暴行だけでなく、殺されてしまったということで
現場にはたくさんの花や飲み物などがたむけられていた。
娘を持つ親たちは、
「基地のない地域に住んでいるが、娘の部活が遅くなるので、とても心配」
「もし、自分の娘だったら・・・と思うと、いてもたってもいられず現場にきた」
同じ町に住む20代女性「あの事件以来、怖くてあの道を通れない」
●沖縄の18%が米軍基地
世界的に見ても、沖縄にこれだけ集中しているというのは異常だといわれる。
第二次世界大戦。1945年にアメリカ軍は沖縄に上陸。
地上戦は3ヶ月続き、両軍の兵士の死傷者もさることながら、
県民の4人に1人が巻き込まれた。
●本土決戦を遅らせるための持久戦
国内最大の地上戦となってしまった陰には、本土決戦を遅らせるための“時間稼ぎ”という理由がある。
●「日米地位協定」により罪に問われない犯人
沖縄米兵少女暴行事件(1995年)
事件が起こるたびに「綱紀粛正」「研修の見直し」「飲酒規制」などを行ってきたが、また同じ事件が繰り返される。
「軍法会議」のため本国に送還されてしまうと、日本の法律は及ばない。
綱紀粛正:国家の規律や秩序、また政治のあり方や政治家・役人の態度を正すこと。
●450年間、独自の文化を築いてきた首里城に残る日本軍の司令部壕
全長1km。第二次世界大戦中、米軍の攻撃目標となった。
首里城は全壊、周囲もなにもない焦土と化した。
華やかな首里城の陰に、こんな戦争遺跡があることを知る人は少ない。
シリーズ戦争遺跡2『戦場になった島 沖縄・本土戦』(汐文社)
●71年前の弾痕が残る、南風原(はえばる)町の民家
南風原町は、沖縄戦のとき、首里から南部に逃げる兵士や住民たちの通過点となったため、
いまだに塀などに当時の大きな弾痕が残っている。
土地によっては不発弾も残っている。
沖縄タイムス+プラス
普天間飛行場の米軍機による騒音問題・被害
取材中も民家のすぐ上を飛ぶヘリコプターの騒音に「こんなの日常ですよ」という住民の女性。
●「琉球かすり会館 南風原町」
琉球かすりが有名な町。
戦後は物資のない中、軍の廃品・廃材を利用して織機をつくり、軍船で使っていたロープをほどいて織ったという歴史がある。
憎んではいない
八重瀬町で天ぷら屋さんをを営む上原ヨシコさん(85)は、
戦時中は捕虜となり、16歳の時は米軍基地の食堂で炊事をしていた。
「とにかく仕事が必要だった。いい人もいっぱいいたよ。私は憎んではいない」
と話していたのも心に残った。
●「魂魄(こんぱく)の塔」
各地から来て、沖縄で戦死した35000人の遺骨を拾い集めて建てた慰霊碑。
地元に暮らす大屋さん(81)は、当時11歳。決死の覚悟で壕から出て米兵の捕虜となった。
後になって、壕に残った人々はみんな壕で亡くなったと聞き、自分たちだけが生き残ったことが申し訳ないという。
近くに見える海岸は、沖縄有数のサーフスポットで、サーフィンを楽しむ若者がたくさんいる。
同時に、海岸から見える岬の上から、次々と飛び降りて亡くなったという戦争の歴史がある。
「バンザイクリフ」と同じだね。
サイパン(1998.11.19-22)
柳澤「よく“基地に依存する経済”の問題も出るが、依存は減っている。でも犯罪は減らない
“Yナンバー”のこととか。
観光だけじゃなく、歴史と、そこでの暮らしを想像することも大切」
Yナンバー:米軍関係者の使用車であることを示す
内藤「今でも沖縄の新聞には、必ず戦争に関する記事が載っている。それも私たちの感覚とまったく違うこと。
“無知・知らない”ということは、罪だと思う」
6月23日は“沖縄・慰霊の日”。
また特集を組むとのこと。
内藤剛志さんが出演されたと話していたドラマはこちら。
ドラマ人間模様 太陽の子 てだのふあ(1982)