ここのところずっとまたCDの取り込み中に何度も吐き出されてしまう。
以前、パソを買い換えたのも、CDが取り込めなくなったのが理由の1つだった。
「一体型は壊れやすいのか?」とビックの店員さんに聞いたら、そんなこともないみたいだったけど。
3枚聴いて、昭和初期の曲は、戦後を引きずり陰鬱な唄が多い中、
やっぱり笠置シヅ子さんのブギウギはダントツに秀でていることが分かる。
●大東京ジャズ Jazz in The GREAT TOKYO
「ヂャズ」の時代だよね。
Disc2の1.村のしやれ男 “A Gay Caballero” は、ハッチさんが歌ってなかった?
こうしていろんな音楽を掘り下げるうち、ハッチさんは、昔の名曲を今に伝える貴重な伝道師に思えてならない
2.カフェーから見た男の味 は、ジャズどころか、女性2人の対談で、テーマは男がどんだけ意味なく威張っているかw
もうこの頃から、そんなの古いわよ、て感覚だったんだね。
4.ブルースの踊り方 は文字通り、ダンスを教えてるし
なにせ、言葉だけで説明するから「右足をこっち、左足はあっち」と早口で言われても、これで伝わるものかどうかw
選曲が面白いのは、ライナーも書いている毛利眞人さんが1972年生まれで若いこと/驚
戦前・戦後のジャズに詳しいおじいちゃんが書いているのかと思った。
【ライナー抜粋メモ~毛利眞人】
<Disc1>
3. ティティナ “Titina”
チャップリンのトーキー第1作『モダンタイムス』で初めて発声した声が、国籍不明の声で歌われた“Titina”だった。
ここでは市販されなかった別テイクを収録。
テンポに乗れなかったり、出トチしたりはするが、
昭和初期のジャズバンドの生々しさが如実に伝わる録音。
10. リオリータ “Rio Rita”
カーボンマイク収録なので、音は割れるが、人気絶頂にあったスターのオーラに包まれた傑作。
18. 渋谷行進曲
「航空ポスト」とは、昭和4年から施工された航空郵便制度、エアメールの専用ポストのこと
19. 新宿小夜曲
新宿は、映画館とダンスホールが入っている「帝都座」、インテリ志向の軽演劇「ムーランルージュ」など
銀座に次いでハイソで、浅草に次いで娯楽に富んだ街だった。
20. ほっときなさい(いゝじゃありませんか)(新宿)
「ジャズ漫謡」。「いゝじゃありませんか」というフレーズも流行し、「いやじゃありませんか」という派生語も生み出した。
<Disc2>
2.カフェーから見た男の味
銀座裏で「ジュンバー」を経営していた渡瀬淳子と、カフェ「丹頂」を経営していた丹いね子の座談という珍品。
丹いね子は、大正年間に「新しい女」「問題の女」と騒がれた女性。
3. 君恋し
銀座のカフェ「タイガー」の本物の女給、よう子が歌った。
4. ブルースの踊り方(St.Louis Blues)
戦前、日本で最も権威のあったダンス教師・玉置眞吉によるダンス教則レコード。
5. あの子 “Sweet Jennie Lee”
赤坂溜池のダンスホール「フロリダ」は、チャップリンらが訪れたり、東京のダンスシーンの象徴だった。
9. 左様なら! “Se va la vida”
(さようならってこんな漢字で書くんだって、初めて知った/驚
『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか?』
11. みんなあなたに
マデレイヌ藤田は、画家・藤田嗣治の4番目の妻。
昭和11年、自宅で就寝中、脳溢血で急逝。26歳の若さだった。
12. 手拍子そろへて “I’m Gonna Clap My Hands”
この演奏からは、当時の日本で大金をかけた、その音がジャラジャラと聴こえるようなベップ(元気さ)が伝わる。
16. ダイナ “Dinah”
荒唐無稽なヴォーカル芸。これは浅草の舞台で受けたままの一発芸をレコーディングしたのではないだろうか。
17. Without a Word of Warning
昭和10年代の東京の大ステージにタップショーは付きものだった。
21. セントルイスブルーズ “St.Louis Blues”
服部良一は、日本のガーシュインを目指した作曲家。
●流行歌謡年鑑1 昭和初期編(昭和9年~昭和30年)~テイチク名曲遺産
やたらディック・ミネさんが多いけど、16.星の流れに/菊池章子が聴きたかったので借りてみた。
●青春歌年鑑 戦後編1 昭和21年~23年 青春歌年鑑
これは陰鬱な曲調が多かったかな。女性の声が異様に高かったりもするよね、昭和って。映画もそうだけど。
いまだに、日本のアナウンサーはなぜあんなに声が高いんだろうってフシギに思う。お国柄?
以前、パソを買い換えたのも、CDが取り込めなくなったのが理由の1つだった。
「一体型は壊れやすいのか?」とビックの店員さんに聞いたら、そんなこともないみたいだったけど。
3枚聴いて、昭和初期の曲は、戦後を引きずり陰鬱な唄が多い中、
やっぱり笠置シヅ子さんのブギウギはダントツに秀でていることが分かる。
●大東京ジャズ Jazz in The GREAT TOKYO
「ヂャズ」の時代だよね。
Disc2の1.村のしやれ男 “A Gay Caballero” は、ハッチさんが歌ってなかった?
こうしていろんな音楽を掘り下げるうち、ハッチさんは、昔の名曲を今に伝える貴重な伝道師に思えてならない
2.カフェーから見た男の味 は、ジャズどころか、女性2人の対談で、テーマは男がどんだけ意味なく威張っているかw
もうこの頃から、そんなの古いわよ、て感覚だったんだね。
4.ブルースの踊り方 は文字通り、ダンスを教えてるし
なにせ、言葉だけで説明するから「右足をこっち、左足はあっち」と早口で言われても、これで伝わるものかどうかw
選曲が面白いのは、ライナーも書いている毛利眞人さんが1972年生まれで若いこと/驚
戦前・戦後のジャズに詳しいおじいちゃんが書いているのかと思った。
【ライナー抜粋メモ~毛利眞人】
<Disc1>
3. ティティナ “Titina”
チャップリンのトーキー第1作『モダンタイムス』で初めて発声した声が、国籍不明の声で歌われた“Titina”だった。
ここでは市販されなかった別テイクを収録。
テンポに乗れなかったり、出トチしたりはするが、
昭和初期のジャズバンドの生々しさが如実に伝わる録音。
10. リオリータ “Rio Rita”
カーボンマイク収録なので、音は割れるが、人気絶頂にあったスターのオーラに包まれた傑作。
18. 渋谷行進曲
「航空ポスト」とは、昭和4年から施工された航空郵便制度、エアメールの専用ポストのこと
19. 新宿小夜曲
新宿は、映画館とダンスホールが入っている「帝都座」、インテリ志向の軽演劇「ムーランルージュ」など
銀座に次いでハイソで、浅草に次いで娯楽に富んだ街だった。
20. ほっときなさい(いゝじゃありませんか)(新宿)
「ジャズ漫謡」。「いゝじゃありませんか」というフレーズも流行し、「いやじゃありませんか」という派生語も生み出した。
<Disc2>
2.カフェーから見た男の味
銀座裏で「ジュンバー」を経営していた渡瀬淳子と、カフェ「丹頂」を経営していた丹いね子の座談という珍品。
丹いね子は、大正年間に「新しい女」「問題の女」と騒がれた女性。
3. 君恋し
銀座のカフェ「タイガー」の本物の女給、よう子が歌った。
4. ブルースの踊り方(St.Louis Blues)
戦前、日本で最も権威のあったダンス教師・玉置眞吉によるダンス教則レコード。
5. あの子 “Sweet Jennie Lee”
赤坂溜池のダンスホール「フロリダ」は、チャップリンらが訪れたり、東京のダンスシーンの象徴だった。
9. 左様なら! “Se va la vida”
(さようならってこんな漢字で書くんだって、初めて知った/驚
『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか?』
11. みんなあなたに
マデレイヌ藤田は、画家・藤田嗣治の4番目の妻。
昭和11年、自宅で就寝中、脳溢血で急逝。26歳の若さだった。
12. 手拍子そろへて “I’m Gonna Clap My Hands”
この演奏からは、当時の日本で大金をかけた、その音がジャラジャラと聴こえるようなベップ(元気さ)が伝わる。
16. ダイナ “Dinah”
荒唐無稽なヴォーカル芸。これは浅草の舞台で受けたままの一発芸をレコーディングしたのではないだろうか。
17. Without a Word of Warning
昭和10年代の東京の大ステージにタップショーは付きものだった。
21. セントルイスブルーズ “St.Louis Blues”
服部良一は、日本のガーシュインを目指した作曲家。
●流行歌謡年鑑1 昭和初期編(昭和9年~昭和30年)~テイチク名曲遺産
やたらディック・ミネさんが多いけど、16.星の流れに/菊池章子が聴きたかったので借りてみた。
●青春歌年鑑 戦後編1 昭和21年~23年 青春歌年鑑
これは陰鬱な曲調が多かったかな。女性の声が異様に高かったりもするよね、昭和って。映画もそうだけど。
いまだに、日本のアナウンサーはなぜあんなに声が高いんだろうってフシギに思う。お国柄?