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本橋成一写真集『サーカスの時間』(筑摩書房)

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本橋成一写真集『サーカスの時間』(筑摩書房)
本橋成一/著

本橋成一さんの経歴の「自由学園大卒業」というのは、こないだ見たところの移転先(東久留米市)だろうか?
映画『動物家族』(羽仁進監督)なんてのも気になる。

自由学園明日館+池袋南口公園+豊島区役所屋上庭園(2016.7.13)

シルク・ドゥ・ソレイユは観たけど、あれはサーカス?
私は、いわゆる本書でいうところのサーカスを生で観たことがあるだろうか。
今は現存、巡業しているのだろうか。

「サーカス」というと、フェリーニの映画を思い浮かべる。
それから、少年探偵団シリーズにもよく出てきたかな。

江戸川乱歩 少年探偵シリーズ

本書の巻末で、長野県飯田市にしょっちゅう来ていたことを知って驚いた。
都内では世田谷区が多い。それだけドカンとした広い場所があったということか?


【あとがき 内容抜粋メモ】
日本のサーカスとういと、すぐに“人さらい”“酢を飲ませて”(酢って・・・
などのイメージでいっぱいになっている。

この間、元サーカス芸人S老人とその話になり、

「当時、食うものも食えない世の中だったから、子どもをたくさん預かったんだよねえ。
 それを世間さまはそうしてしまったのだよ。
 でも、サーカスのほうだって、あえて否定はしなかった。
 私なんか、団長からもっと恐い顔をしろ、とよく怒られたよ
 “人さらい”などはむしろサーカスのほうで言い出したのではないか」

サーカスの人たちは、実はうんと逞しく生きてきたのだ。
客は恐いもの見たさ、哀愁のイメージを求めて集められてきたのではないか。

<今回、取材したサーカス>
カキヌマサーカス
キグレサーカス
木下サーカス
関根サーカス
サーカス東京
矢野サーカス














 



 






【巻末対談 小沢昭一 内容抜粋メモ】


最近は“いま、またサーカスの時代”などと言われているが、
江戸時代からあった伝統的な軽業芸、曲芸は急速に消えつつある。

もともとサーカスは、超人的な体技を見せるもの。
大工、落語家なども、閉鎖社会の中で磨きぬかれた技芸が、開かれた「合理化社会」になるにつれ、衰退していった。

すべての技芸は、幼少時代から鍛えぬかれていたが、
「児童福祉法」あたりが、そういう修練をさまたげているとよく言われる。
これはサーカスだけの問題ではなく、人類の課題。いえ、大げさでなく。




今年60歳のヘンリー・安松さんは、「大一丁」という芸の名手。
高知市で興行していた矢野サーカスでお訪ねした。(以下はインタビュー記事

サーカスの火事を最初に発見した小沢さん
子どもの頃からサーカスが大好きだった小沢さん。
でも、けっこうお金をとられるから、父は約束しても引き延ばしていたため、
テントの設営から毎日のように見に行っていた。

柴田サーカスの大火事を最初に発見して、「火事だ!」と怒鳴り歩いたが、結局全部丸焼けになる火事だった。
檻にいた猛獣~トラ、ヒョウ、ライオンは、すべてみんなが見ている前で射殺された。
ゾウは5頭いて、火傷跡に薬を塗られて、街のあちこちにつながれていた。


地獄極楽、魔法の国
入り口に馬を並べたり、楽隊が練り歩き、楽屋もわざと下だけちょっと見えるようにしてある。「表楽屋」
それは、昔からの人寄せ興行の知恵で、お客を引っ掛けるための工夫。

安松:
戦前は朝鮮のほうへ行くと、やはり子どもたちが下から覗く。
水を引っ掛けても、しつこく覗く。
ああいうことをやる所は、わりかしお客が入るのですよ。
子どもが寄ってくる所はよう入りますね。


入団したころ

安松:
僕は生まれが岸和田で、子どもの時悪かったので「サーカスにやるぞ」というようなものですね
安松サーカスに入ったのは大体7つ、18歳で養子になった。

今は多少よくなっていますけど、今でもちょっと悪さすると「サーカスの人」と言いますよ。
(いろんな差別があるんだな

「くだけばしご」など全部やらす。ああいうのは10歳か、11歳まで。

外地でもだいぶありました。朝鮮、支那、満州。向こうのほうがお金が取れるからね。

小沢:今やらなくなっちゃのは?

「半切り」「かめ」とかね。「人間ボール」「人玉」。だいたい足芸に差し物がなくなった


飯も食えずに覚えた芸

小沢:普通の道徳とか、可哀相だとかいうことを言っていたのでは、人並み以上のことはできない

安松:
それで覚えた人が長持ちするのです。「僕もやれる」てぱっとやっちゃった人間は、すぐけつ割っちゃうんです

21歳で初めてひと通りの芸を卒業して、兵隊に行くわけです。

16、17になったらどこにでも行ける。映画にも行ける。サーカスの人は映画が好きでね
名詞の裏に書いてもらって、木戸に出すと「おう」と入れてくれる
どこの地方に行っても映画館はほとんど敬礼で入る。

小沢:その代わり映画館のほうもお互いっこでね

安松:
そう。昔はサーカスも映画も兄弟だったし、映画も昔はみんな小屋から出発したものだから


芸人はモテた~「がりまわし」

安松:
家に昔は13、14の子守っ子がいた。わけがわからん女の子がね。
そういうのがよく引っかかってくる。同じ身の上だから

小沢:同じ奉公に出た者として

安松:
こっちのほうが口が上手いから「あの野郎はがりまわし専門だ」とかね
たいてい2場所、付いてきますよ

小沢:女房にしなければないないなんてことは?

安松:
ないですね。向こうも奉公人だからね
花柳界に行っても、1回金を出して揚れば、2回目からは終わりまでほとんど要らない
モテるんですね。楽士だろうが、若い人だろうが。
今は逆なんだよね

小沢:
これは僕は声を大にして言います。
昔は芸人というものは、銭を使うのではなくて、むしろもらってこなければいけないんだ

安松:
向こうから「金、ある」と聞くから「ない」と言うとくれる
そういう楽しさが忘れられなくてサーカスやめちゃう。
すると冬が一番懐かしいのね。つい帰りたくなっちゃう
「天然の美」のクラリネットの音が聞こえるとね


軍隊はよかった

安松:
入った所が騎兵だったから、馬の芸をやれ、というようなものですよ。

小沢:
きっと徴兵前よりは兵隊へ行ったほうが楽だったのでしょうね


石頭は芸の証し

安松:
古い芸は、支那人がやっていたらしい

小沢:
猿回しの人に聞いたら、猿の芸はわりと簡単で、二本足で立つまでが大変だと

安松:
人間もそうです。立つまでがね、腰が。
基礎です。逆立ちだと、バーっと壁に並ぶ

跡継ぎになるよう何でもやらせる。ある芸をする人が病気したらすぐやる

小沢:
オーケストラでもバイオリンのきれいなお姉さんも、あごの下は大だこですよ
安松さんみたいな、人のやれない芸ができる人は、どこか体を痛めている所がないと
(スポーツも似てるなあ

いかにも自然にやっているみたいだけど、芸というのは楽に見せるけれども、
写真を虫眼鏡で見たら、やっぱりすごいと思った

安松:
おっかないから痛いのを忘れてしまうのではないかと思う
1回目落ちた時に軽いねんざをして、2回目は足の骨が折れた。
自分の不注意で落ちたのは1つだけで、あとは「後見」の不注意で

小沢:
下から「おっ、おっ」と声をかけていますね。
夫婦でないと呼吸が合わない芸はありますか?

安松:
いやないですね、サーカスではね
芸が落ちますね、中同士でできちゃうと。絶対いけないとうるさかった


いつやってもおっかない

安松:
空中ブランコのほうがおっかなかった。

休むとおっかない。だから芸人を休ませたら芸が落ちるのです。
休みはせいぜい2日。5日も休ませたらダメになりますね

小沢:
動物に芸を教えるコツは?

安松:
コツはないが、一生懸命やらないとね。
投げ出したら、向こうがなめてきてしまってダメです

今は「投光」、照らしてるでしょう
あんな高い所でやるんだから、何か仕掛けじゃないかと。
サーカスは明るい所でやって、初めてサーカスだと思う。
今みたいなあんな暗い所でいいものできないですよ。
命綱つけてやるのもどうもね


サーカス名人会の実現へ

小沢:
それだけ命を張る技術をやっているにも関わらず、サーカスの芸人さんは報いられていないですよ。

安松:
そうです

小沢:
外国のほうが社会的に認められていますよ。
せめて年に1、2回くらいはサーカス名人会というのを見たいですよ

それぞれの一座が芸を秘密にして、差をつけようと頑張る、競争してきたから、サーカスを伸ばしてきた
けれども、今やオープンにしていいんじゃないかと思う

新しい演出で「ボリジョイ」のようにやるのも大事ですけど、昔からの伝統芸を受け継ぐ。
サーカスの芸は、日本人が外人に教えたのも随分あるのですからね(そーなんだ/驚

安松:
足芸、肩芸もそうです



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