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『インド夜想曲』(白水社)

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『インド夜想曲』(白水社)
原題:Notturno indiano by Antonio Tabucchi
アントニオ・タブッキ/著 須賀敦子/訳

※1994.10~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。

これもルドネ同様、“雰囲気シリーズ”。




「夜、熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。
 彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ」(モリス・ブランショ


私も、上の部類の人間だろう(今はどちらかというと朝型です
これを書いているのも、明日、小旅行を控えて、6時に起きなきゃならないのに、朝の1時12分。

この作品は、ジャン・ユーグ・アングラードが出ている同名の映画が観たかったのだが、
書店で偶然、原作本があると気づき、このなんともいえない装幀、本の手ごろな重さと手触り、値段、
すべてが私の感性を誘惑して、先に原作を読むことになった。

思った通り、私にとっては、『ローズ・マリー・ローズ』に次ぐ、不思議な吸引力をもつ作品で、
本棚に並べて、いつまで眺めていても気分のいい部類の本。

そしてぜひ、映画化されたものはどんなか観ずにはいられない気持ちになった。

作者がイタリア人であることに、読み始めてすぐ違和感があった。
この繊細な叙情性は、映画での主人公をフランス人のジャンが演じたように、
フランス人作家が書いたというほうが自然。

と言えるほど、イタリア人作家の本に接する機会はこれまでなかったけれど、
陽気で、楽観的、溌剌としたタフさより、
内向的、陰、きめ細かな感情表現が全体にあふれている。

主人公がイギリス人なのも不思議だ。


「インドは人を変える」

ビデオのコピーの引用だが、この言葉、以前もどこかで聞いた覚えがある。いつ、どこだったか?


▼あらすじ(ネタバレ注意

1ページ目をめくった時、あるいは恐らく本に出会った時から、
私たちは作者が巧妙に構成した不可思議なインド旅行に無意識のうちに同行し、
主人公の男、つまり作者と同化してしまう。

つかみどころがなく、時間も、特定の場所、価値観もないインド。

聞き慣れていながら、実のところ何も知らない異国への旅は、
結局、作者のイタズラ心によって、訳者の言うとおり、
まったく突然に元の場所へと返されてしまうのだが、それも悪くない。

私は今、精神の休暇中で、どこでもいいから、どこか遠くへの旅を望んでいる。
1500円で済む、こんなステキな旅があるなら、いつでもお供したいところだ。

他の作品集にも興味津々。
しかし、今日探した結果、買ったのは、マリー・ルドネの2作目『シルシー』だというのは、単に偶然の連続か。必然か?

今作品の主要テーマの二重性のトリック、私が分かった範囲で記すストーリー概要と印象的なセリフの数々を以下にメモる。



主人公の男は、失踪した親友を探しにインドへ行く。

まず助けを求めてきた幼い売春婦のいる貧民街へ。
カジュラーホ・ホテルで一泊。

彼が病気で入院しているらしいと聞いて、翌日プリーチ・キャンディ病院へ。
衛生状態が最悪のこの病院で、医師とともに患者をみて回るが手がかりなし。

タージマハルホテルで一泊。
鉄道の待合室で死ぬための巡礼に出る男と会う。

「人の体はカバンみたいなものだ。自分で自分を運んでいるという」

意味のない“Practiculy”(実質的には)という副詞についての会話がイイ。

マイソールホテルで婦人と会う。
彼は泥棒と思うが、忘れ物を取りに来てベッドを貸してあげる。

親友が文通をしていたと思われる神智学協会を訪ねるが、そこの会長にうまくかわされる。
しかし、ようやく友が最近までゴアにいたと教えられる。

バスに乗って、しばらくすると、“連絡”のため、何時間も待たされることになる。
その停留所で、美しい少年と、彼が背負う猿と見間違えるほど奇体な“兄”と出会うショッキングなシーン。

その兄は占い師で、占ってもらうと、カルマと魂アマトン、仮の姿マーヤーの話を聞く。

「君のアマトンンは舟の上にいる」

図書館でもうひとつの目的だった資料を探すが、眠りこけて、なんとも奇怪な夢を見る。

ホテル・スアリに泊まり、近くの砂浜で、昔、フィラデルフィアで郵便配達をしていたという男に会う。
汚い通りに突然、海の絵を観て、

「海が自分のもとにこないなら、自分が海のある所へ行けばいい。
 そして今度は自分が金持ちの旦那宛に手紙を出す番だ。
 人のいない海辺の絵ハガキには“郵便配達のトミーより、お元気で”と書く。電話帳を使って」

なんて素敵なアイデアだろう。
私も突然そんな手紙を受け取りたいものだ。

マンドウホテルで、友が見つからないのは彼がナイチンゲールという偽名を使っていたからだとふいに思い当たる。
しかしそれは、彼自身のあだなルウの元だと読者はすでに知っている。

この章で、どうやら主人公が探し求めてきたのは、自分であることに気づかされる。

超豪奢なオベロイホテルがこの旅の最終地点。

そこで出会う若く美しい外国人女性が、この作品に出てくるたった2人の女性のうちの1人。

写真家で好奇心旺盛、彼女が聞きだす彼が書くつもりの本は、そのまま本書のことで、
どうやら主人公はタブツキ自身であるという謎解きにもなる。

女が知らない間にラストを締めくくるチャンスを与える。


この旅がこれだけデラックスで、金に糸目がなかったのもうなづける。
旅行者はすでに訳書などで高い評価を受けている小説家なのだから!

登場人物が出会う自分自身の姿。
この不思議なトリックは、ミヒャエル・エンデの『鏡の中の鏡』や『はてしない物語』の世界を思わせた。




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