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マンガ『日本映画監督列伝1 小津安二郎の謎』(小学館)

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マンガ『日本映画監督列伝1 小津安二郎の謎』(小学館)
園村昌弘/原作 中村真理子/作画 
初版1999年 1600円 Big Spirits Comics Special

※2001.1~のノートよりメモを抜粋しました。
「マンガ感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。

メモの内容が、ほぼウィキ状態だから、これならウィキを見たほうが早いだろうと思われ
でも、所々にウィキにないことも書いてあるようだから一応メモります。


▼あらすじ(ネタバレ注意

1903 深川生まれ。

1923 19歳で松竹キネマ蒲田撮影所に合格 同じくライバル成瀬巳喜男に出会う

9月1日 関東大震災

1927 監督に昇進 第1作『懺悔の刀』

1932 『生れてはみたけれど』キネマ旬報ベストテン第1位。

1933 『出来ごころ』

山中貞雄と出会う。小津を師とし、22歳で『磯の源太 抱寝の長脇差』を発表。他『人情紙風船』
その後、2人は招集され、中国へ。1938年に再会。その後、野戦病院で山中は29歳で病死。墓碑を小津自身が書いた

1934 『浮草物語』

成瀬はP.C.L(後の東宝株式会社)に移る。『妻よ薔薇のやうに』『浮雲』

モノクロカラー サイレントトーキーの時代に

小津の好きだったウィリアム・ワイラーの『北海の漁火』
黒澤明のデビュー作『姿三四郎』を唯一高く評価して合格させた
シンガポールで検閲映写室のアメリカ映画を観まくる

1949 『晩春』戦後初キネマ旬報ベストテン1位~1951『麦秋』1位

1952 北鎌倉に転居

1953 『東京物語』

1955 日本映画監督協会理事長に就任

ワイラーと対面

時代は1:1.33のスタンダード→1:1.85ビスタビジョン→1:2.55シネマスコープへ

1957 コーク映画祭特別賞

1958 ロンドン映画祭第1回サザランド杯受賞。紫綬褒章受章

1959 映画人初芸術院賞

野田高梧(脚本家)は、小津作品の53本中26本に関わる。
『早春』以降、野田の蓼科の別荘“雲呼荘”で共同執筆

溝口健二 『雨月物語』『近松物語』

1957 『東京暮色』(19位)

高橋貞二 将来を期待されながらも交通事故死

1961 『小早川家の秋』(あれ、これまだ観てないのか

1962 妻みどり自殺。ずっと2人暮らしだった母あさえ死去。小津は別荘で執筆中だった。
(あれ?独身者なのに妻って誰だ???

1963 『秋刀魚の味』撮影後、がんで入院。12月12日、60歳の誕生日に死去

1964 通夜の最後に号泣していた佐田啓二は交通事故死


小津の墓碑には「無」=無常とある。
1938年、南京の住職が書いてくれたもの

「俺に一番大切なのは“俺”だ。俺の中の一番上座に据えられているのは“仕事”だ
“仕事”というのは、俺が一生かかって偉い人間になろうと思っている、その勉強のことだ」

「監督として偉くなるのではなく、立派な人間として偉くなりたい」


ウィリアム・ワイラー
1941『偽りの花園』『女相続人』



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