●Brand New Orleans/Ann Sally
大好きなアン・サリーさんのカバーアルバムがあると知って早速借りてみたv
バンバンのアルバムにも入ってる♪Honeysuckle Rose ♪When You're Smilin'
♪Sweet Georgia Brown ♪What A Wonderful World まで歌っているけれども、
まったく違う曲みたい/驚
♪Lazy River は、ルイ・プリマも明るく歌っている
Ann Sallyがカバーしたニール・ヤングの♪Only Love can Break Your Heart も好き
(別のアルバムだけど
彼女が歌うとなんでも癒される
女性のたおやかさと同時に強さも兼ね備えた、温かい人柄も、
写真に写るレコーディング風景や、言葉の端々から伺える。
【ライナー抜粋メモ~Ann Sally's Notes 「音楽とは、いかに生きるかということ」】
ニューオリンズの3年間の思い出。
生まれて初めての海外生活、たった独りで、誰も知る人のいない空港に降り立った
そして3年後の今、音楽という姿で形作られたものが手の中にある
アジアからやって来た私と、ニューオリンズで生まれ育った彼らとの、
音楽という媒体を通した言葉を介さないコミュニケーション
【Guide to Brand New Orleans~Ann Sally 内容抜粋メモ】
♪Honeysuckle Rose
ベースのリチャードさんは、つい最近まで配管工事やさんとミュージシャンの二束のわらじだったそう
ニューオリンズには彼のように昼間は別の仕事、夜はミュージシャンという人はけっこう多いようです
♪When You're Smilin'
「あなたが微笑めば、世界中があなたとともに微笑む」
この曲はニューオリンズに来て知った中で一番好きな曲の1つ
私が最も敬愛する地元歌手Germaine Bazzleもライヴのたびに歌っている
パフォーマーと同時に、音楽教師でもあり、対外的にはあまり知られていないが
地元のミュージシャンは口々にフェイバリットミュージシャンとして名前をあげる
本物の軽やかさというものは、長くて重みのある人生を丁寧に生き抜いた末にやっと手に入るのだと
70年以上人生を重ねた彼女の歌を聴くと思う
♪Sweet Georgia Brown
この曲に限らず、ジャズの歌詞解釈は幅が広く、とある小学校で、この歌詞は怪しくも解釈できるから
演奏ははばかられると却下されたというエピソードを聞いた
♪I Know
メンフィスのサン・スタジオを訪れた時、♪Just walking in the rain の歌声
囚人によるヴォーカルグループ、その名もプリゾネアーズでした
早速買ったCDの中の1曲
♪Way Down Yonder In New Orleans
ニューオリンズの街を歩くと、毎日必ずどこかで演奏されるような曲。
ニューオリンズはこんなにいい場所だから一度はおいでね、という内容
♪胸の振子
服部良一さんは、ジャズを愛し、ニューオリンズに憧憬の念を抱いていたそう
♪What A Wonderful World
初めてニューオリンズに降り立った時、空港に流れるルイのこの曲に出迎えられたのを覚えている
【Engineer's Notes 内容抜粋メモ】
地元ニューオリンズで名の通ったクラブ「Donna's」では、毎週月曜レギュラーのライヴに、
アマからプロまで、毎回多くのミュージシャンが入れ替わりで演奏に参加して盛り上がる。
ウィントン・マルサリス、ジョン・ブッテなども演奏することも珍しくない
大御所に混じってステージに立つのはけっこう勇気がいると思います
ホストのボブ・フレンチの評価は手厳しいが、素晴らしいプレイに触れた時は賛辞を惜しまない
そんな彼が飛び入りで参加したアン・サリーに一目置いていたことはここで書き記しておくべきでしょう
彼女のセッションの中心は、「Donna's」のマンデイナイトでよく聴かれる曲とほぼ同じで
ニューオリンズの音楽シーンでも頻繁に演奏される
私は、アメリカに定住している日本出身のミュージシャンと仕事をする機会が非常に多いが
まず驚くのは、みな英語での会話が堪能なことだ
【Rough Guide to New Orleans Jazz and Culture by Haruhiko Iida 内容抜粋メモ】
「JAZZの始まり」
15Cに始まった「奴隷貿易」によりニューオリンズにやって来た黒人たち。
互いの交流を制限され、独自の文化は徐々に薄れたが、週に1度日曜日に許された「コンゴスクエア」
(現ルイ・アームストロング公園)での集会で踊り、歌い、文化を継承することができた
その奴隷たちは1865年に終わった「南北戦争」の「軍楽隊」の残した楽器を手に取り、
アフリカのリズムと、フランス、スペインなどの旋律を融合させたのがジャズの始まりと言われる
「JAZZ」の語源
当初は「ラグタイム」と呼ばれ、大流行した
JAZZという言葉は、その後、シカゴの新聞紙上で初めて使われたとされている
もとは「JASS」という表記で、下品な意味があるため変えられた
「クレオール」
フランス領時代に、フランス人と黒人の混血「クレオール」という人種が生まれ、
アフリカからの奴隷とは違う扱いを受けていた。
白人同等に教育を受け、楽譜を読み、クレオールだけのバンドを組み、白人のためのパーティで活動していた
その後「人種隔離政策」により、ほかの黒人と同じ地位に落とされ、
仕方なく黒人街のクラブで活躍しているミュージシャンの演奏を見て、躍動感にショックを受け、互いに学び合った
「ジャズを演奏した最初のミュージシャン」
1897年にオープンした「ストーリービル」という歓楽街は、アメリカ歴史上唯一の公に認められた売春街だった
そこで活躍したバディ・ボールデン(tp.)がジャズを演奏した最初のミュージシャン
「ストーリービル」は、第一次世界大戦時に封鎖された
今ではその活気は「Bourbon Street」に奪われ、寂しさが漂う
「ルイ・アームストロング」
その次のスター、キング・オリバー(tp.)に憧れて始めたのがルイ・アームストロング
当時の録音技術では、大きな音を拾うのが難しく、一人だけ遠く後ろに下がって録音したそう
「セカンドライン」
ニューオリンズの音楽を語る上で重要なキーワードの1つ
語源はいろいろあるが、今はそのリズム、ダンス、パレードのことを呼ぶ
かつてアフリカでは、人の生死を音楽とダンスで祝い、それがニューオリンズに受け継がれ、有名な「Jazz Funeral」文化として定着。
「ブラスバンド」
ニューオリンズのもっとも重要な音楽スタイル。Dirty Dozen Brass Bandがおそらく最初だが
100年以上も前から葬式やパレードを賑わせてきた
かつて黒人が加入できる保険がなく、治療費、葬式代に困っていた
そこで自分たちで「Social Aid and Pleasure Clubs」を発足し、互いに助け合い、
そのいくつかあるクラブが週代わりでブラスバンドを雇ってパレードを催した。Youg Men Olympiaら
一時衰退しかけたが、NYでキャブ・キャロウェイのバンドで活躍したDanny Barker(gt.)が
1965年にニューオリンズに戻り、再び活気づく
彼は、子どもたちに音楽をさせることで将来を変えられるならと、教会に集めて指導した。Fairview Baptist Church Band
その子どもらは、今、ニューオリンズの第一線で活躍している。ニコラス・ペイトン(tp)は有名
Rebirth Brass Bandは最近結成20周年を迎えた
そこを巣立ち、ソロとして自身のバンドBBQ Swingersを率いるカーミット・ラフィン(tp)は人気があり、
「モダン・ニューオリンズ」といわれることも
「マルディグラ・インディアン」
ニューオリンズのユニークな文化の1つ。数トライブ(部族)がいて、対立しあうこともあった
今もそのダンス、「チャント」が受け継がれ、街を誇らしげに闊歩する
昔は、相手の部族が近づくのをいち早く察知するよう「スパイボーイ」が先導していたが
今では奇妙に見えるダンスでトライブを引っ張る
「音楽ファミリー」
代表的な一家は、マルサリス・ファミリー、バティースト・ファミリー、ネビル・ファミリー、アンドリュース・ファミリーら
*
Disc2には1曲だけが収録されている。
♪Do you know what it means to miss New Orleans
歌詞はシンプルで、ニューオリンズへの想い、そこに残してきた愛する者への想いが伝わってくる
このライナーに出てくるミュージシャン1人1人チェックしてみたい
大好きなアン・サリーさんのカバーアルバムがあると知って早速借りてみたv
バンバンのアルバムにも入ってる♪Honeysuckle Rose ♪When You're Smilin'
♪Sweet Georgia Brown ♪What A Wonderful World まで歌っているけれども、
まったく違う曲みたい/驚
♪Lazy River は、ルイ・プリマも明るく歌っている
Ann Sallyがカバーしたニール・ヤングの♪Only Love can Break Your Heart も好き
(別のアルバムだけど
彼女が歌うとなんでも癒される
女性のたおやかさと同時に強さも兼ね備えた、温かい人柄も、
写真に写るレコーディング風景や、言葉の端々から伺える。
【ライナー抜粋メモ~Ann Sally's Notes 「音楽とは、いかに生きるかということ」】
ニューオリンズの3年間の思い出。
生まれて初めての海外生活、たった独りで、誰も知る人のいない空港に降り立った
そして3年後の今、音楽という姿で形作られたものが手の中にある
アジアからやって来た私と、ニューオリンズで生まれ育った彼らとの、
音楽という媒体を通した言葉を介さないコミュニケーション
【Guide to Brand New Orleans~Ann Sally 内容抜粋メモ】
♪Honeysuckle Rose
ベースのリチャードさんは、つい最近まで配管工事やさんとミュージシャンの二束のわらじだったそう
ニューオリンズには彼のように昼間は別の仕事、夜はミュージシャンという人はけっこう多いようです
♪When You're Smilin'
「あなたが微笑めば、世界中があなたとともに微笑む」
この曲はニューオリンズに来て知った中で一番好きな曲の1つ
私が最も敬愛する地元歌手Germaine Bazzleもライヴのたびに歌っている
パフォーマーと同時に、音楽教師でもあり、対外的にはあまり知られていないが
地元のミュージシャンは口々にフェイバリットミュージシャンとして名前をあげる
本物の軽やかさというものは、長くて重みのある人生を丁寧に生き抜いた末にやっと手に入るのだと
70年以上人生を重ねた彼女の歌を聴くと思う
♪Sweet Georgia Brown
この曲に限らず、ジャズの歌詞解釈は幅が広く、とある小学校で、この歌詞は怪しくも解釈できるから
演奏ははばかられると却下されたというエピソードを聞いた
♪I Know
メンフィスのサン・スタジオを訪れた時、♪Just walking in the rain の歌声
囚人によるヴォーカルグループ、その名もプリゾネアーズでした
早速買ったCDの中の1曲
♪Way Down Yonder In New Orleans
ニューオリンズの街を歩くと、毎日必ずどこかで演奏されるような曲。
ニューオリンズはこんなにいい場所だから一度はおいでね、という内容
♪胸の振子
服部良一さんは、ジャズを愛し、ニューオリンズに憧憬の念を抱いていたそう
♪What A Wonderful World
初めてニューオリンズに降り立った時、空港に流れるルイのこの曲に出迎えられたのを覚えている
【Engineer's Notes 内容抜粋メモ】
地元ニューオリンズで名の通ったクラブ「Donna's」では、毎週月曜レギュラーのライヴに、
アマからプロまで、毎回多くのミュージシャンが入れ替わりで演奏に参加して盛り上がる。
ウィントン・マルサリス、ジョン・ブッテなども演奏することも珍しくない
大御所に混じってステージに立つのはけっこう勇気がいると思います
ホストのボブ・フレンチの評価は手厳しいが、素晴らしいプレイに触れた時は賛辞を惜しまない
そんな彼が飛び入りで参加したアン・サリーに一目置いていたことはここで書き記しておくべきでしょう
彼女のセッションの中心は、「Donna's」のマンデイナイトでよく聴かれる曲とほぼ同じで
ニューオリンズの音楽シーンでも頻繁に演奏される
私は、アメリカに定住している日本出身のミュージシャンと仕事をする機会が非常に多いが
まず驚くのは、みな英語での会話が堪能なことだ
【Rough Guide to New Orleans Jazz and Culture by Haruhiko Iida 内容抜粋メモ】
「JAZZの始まり」
15Cに始まった「奴隷貿易」によりニューオリンズにやって来た黒人たち。
互いの交流を制限され、独自の文化は徐々に薄れたが、週に1度日曜日に許された「コンゴスクエア」
(現ルイ・アームストロング公園)での集会で踊り、歌い、文化を継承することができた
その奴隷たちは1865年に終わった「南北戦争」の「軍楽隊」の残した楽器を手に取り、
アフリカのリズムと、フランス、スペインなどの旋律を融合させたのがジャズの始まりと言われる
「JAZZ」の語源
当初は「ラグタイム」と呼ばれ、大流行した
JAZZという言葉は、その後、シカゴの新聞紙上で初めて使われたとされている
もとは「JASS」という表記で、下品な意味があるため変えられた
「クレオール」
フランス領時代に、フランス人と黒人の混血「クレオール」という人種が生まれ、
アフリカからの奴隷とは違う扱いを受けていた。
白人同等に教育を受け、楽譜を読み、クレオールだけのバンドを組み、白人のためのパーティで活動していた
その後「人種隔離政策」により、ほかの黒人と同じ地位に落とされ、
仕方なく黒人街のクラブで活躍しているミュージシャンの演奏を見て、躍動感にショックを受け、互いに学び合った
「ジャズを演奏した最初のミュージシャン」
1897年にオープンした「ストーリービル」という歓楽街は、アメリカ歴史上唯一の公に認められた売春街だった
そこで活躍したバディ・ボールデン(tp.)がジャズを演奏した最初のミュージシャン
「ストーリービル」は、第一次世界大戦時に封鎖された
今ではその活気は「Bourbon Street」に奪われ、寂しさが漂う
「ルイ・アームストロング」
その次のスター、キング・オリバー(tp.)に憧れて始めたのがルイ・アームストロング
当時の録音技術では、大きな音を拾うのが難しく、一人だけ遠く後ろに下がって録音したそう
「セカンドライン」
ニューオリンズの音楽を語る上で重要なキーワードの1つ
語源はいろいろあるが、今はそのリズム、ダンス、パレードのことを呼ぶ
かつてアフリカでは、人の生死を音楽とダンスで祝い、それがニューオリンズに受け継がれ、有名な「Jazz Funeral」文化として定着。
「ブラスバンド」
ニューオリンズのもっとも重要な音楽スタイル。Dirty Dozen Brass Bandがおそらく最初だが
100年以上も前から葬式やパレードを賑わせてきた
かつて黒人が加入できる保険がなく、治療費、葬式代に困っていた
そこで自分たちで「Social Aid and Pleasure Clubs」を発足し、互いに助け合い、
そのいくつかあるクラブが週代わりでブラスバンドを雇ってパレードを催した。Youg Men Olympiaら
一時衰退しかけたが、NYでキャブ・キャロウェイのバンドで活躍したDanny Barker(gt.)が
1965年にニューオリンズに戻り、再び活気づく
彼は、子どもたちに音楽をさせることで将来を変えられるならと、教会に集めて指導した。Fairview Baptist Church Band
その子どもらは、今、ニューオリンズの第一線で活躍している。ニコラス・ペイトン(tp)は有名
Rebirth Brass Bandは最近結成20周年を迎えた
そこを巣立ち、ソロとして自身のバンドBBQ Swingersを率いるカーミット・ラフィン(tp)は人気があり、
「モダン・ニューオリンズ」といわれることも
「マルディグラ・インディアン」
ニューオリンズのユニークな文化の1つ。数トライブ(部族)がいて、対立しあうこともあった
今もそのダンス、「チャント」が受け継がれ、街を誇らしげに闊歩する
昔は、相手の部族が近づくのをいち早く察知するよう「スパイボーイ」が先導していたが
今では奇妙に見えるダンスでトライブを引っ張る
「音楽ファミリー」
代表的な一家は、マルサリス・ファミリー、バティースト・ファミリー、ネビル・ファミリー、アンドリュース・ファミリーら
*
Disc2には1曲だけが収録されている。
♪Do you know what it means to miss New Orleans
歌詞はシンプルで、ニューオリンズへの想い、そこに残してきた愛する者への想いが伝わってくる
このライナーに出てくるミュージシャン1人1人チェックしてみたい