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『ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界』(晶文社)

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『ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界』(晶文社)
本橋成一/著 1987年初版

「本橋成一さんまとめ」カテゴリーに追加しました。

この前も丸木さん夫婦の「原爆の図」は、「アートシーン」で紹介されていたけれども、
もっと前に観た記憶がある気がする

それがこうして、本橋さんとつながるとは思ってもみなかった
これまで観てきた写真集とは、少し違った構成

前後の見返しに夫婦の描いた、なんともおどろおどろしげな絵があり、
本文は、美術本ではなく、夫婦の生活がどんなものなのかに興味を抱いた、本橋さんらしい
日常生活写真とともに、夫婦がつらつらと話す会話が中心

釣り、酒、飼っている犬猫の話など微笑ましいものから、
日本、ひいてはあらゆる国々を作品を通して訪れて見えてくる地獄を
描いて、描いて、次の世代に伝えなければ、という2人の共通した執念が浮かび上がってくる


戦争、公害、差別、広島、長崎、南京、アウシュビッツ、水俣、そして沖縄。


とくに、画家ならではの厳しい視点、
私がこれまで見聞きしてきた、こうした闇のからくりも含めて、
頭を抱えてうなりたくなる話がいくつもあった

1987年初版時点で、位里さん85歳、俊さん75歳
2人は、土に還って、「あの世」を実際見て、どう思ったろうか
今になっても変わらない世の中を憂いているのではないだろうか


丸木位里(1901年6月20日 - 1995年10月19日)(ウィキ参照
丸木俊(1912年2月11日 - 2000年1月13日)

丸木美術館-原爆の図

本書の略歴でも紹介している絵本『ひろしまのピカ』は私も読んだ

町歩き@上野(国際子ども図書館)


【内容抜粋メモ】


<本橋成一さんあとがき>
1984年ごろ、夜遅く「本橋さんと一緒にやりたいことがある」と西山正哲さんから電話がきた
土本典昭監督『水俣の図・物語』に関わり、丸木夫婦にぞっこんで「だから本橋さん、やりましょう」と言って帰っていった

ぼくが『原爆の図』を初めて見たのは高校1年の時の新聞の小さな写真
「反戦画家」として知られる夫妻ではなく、さらにその奥の世界を知りたくなった

あの時、切り抜いた写真は、今でも20年前に買った画集にはさんである


絵以外にやりようがないんじゃ
根っからの水墨画家・位里さんと、油絵、絵本の挿絵を手がけてきた俊さん
その共同作業も40年に及ぶ




奥の細道

丸木美術館は、埼玉県東松山市、都幾川のほとりにある
何度も建て増しをして、アトリエ、集会所、竪穴式住居があり、鶏、犬、猫たちがいる
イリさんは、子どもの頃から川釣りが大好き

イリ:
展覧会の前に最上川に獲りに行こうと思う いちばん鮎が獲れる
歓喜寺があり、近くに芭蕉の詩碑が建ってるのよ(調べてもヒットしないなあ
こんどは『奥の細道』を研究していかにゃいかんのよ

ここに来て、すぐ漁業協同組合に入った 漁協は、毎年、鮎を放流するんじゃそうな
鮎は友釣りがいちばんいい 網はだめなんだ
鮎が獲れたら、背越しいうて、ブツ切りの刺身にするのよ


少年時代

イリ:
昔は誰のもんかわからんが、明治維新の時、山を何十軒かで分けた
広島市もガスもろくにないから、薪木を燃す

わしの家は百姓だったが、舟宿もやってた
そのうち鉄道はできるわ、貨物も汽車も通るし、とんでもない場所になったよのう
がいっぱいできて、あんなに大きかった川の水がなくなって、行っても全然面白くない

俊:
私の家は貧乏寺で米だけは食える
本当の母は早く死んで、継母さんが来たの、私が13の時

子どもの時、風船みたいなのを見つけてハッと分かった
「ああ、これはおっかさんが子どもをつくらないためのものだ」て

自分に子どもが生まれたら、前の子どもと差別しちゃうかもしれないから、つくらないようにしてる
こういう人には敬意を表さなきゃいけないって 弟と継母は駄目だったね
自分が後妻で迫害されてるってことも知ってて、その中で自分をどう確保するかについて非常に頑固だった


宮本武蔵

俊:
私は日本刀を見るのが好きなの
武蔵は剣で死んだんじゃない、病気だった
自分の剣は権力側なのか、それとも民衆を殺さず、権力に立ち向かうのか悩んだと思う

利休も秀吉に切腹をおおせつかった 切腹そのものが1つの抵抗であるというね

武蔵は絵が上手い 「寒山拾得」なんかもいい


絵描き

イリ:
わしは勉強が嫌いで、絵もべつに好きではなかった
絵でも描かにゃしようがないかのう思えて絵描きになったの
もし絵描きになってなかったら俳優になってた
でも、顔にアザがあるから向かんなあと思って

根っからの反骨精神は持っとる
俊は、みんなの考えとるような絵描きとはちがう
「人間を描かせれば右に出るもんはおらん」いわれるくらい上手い

こっちゃあ、風景画家だから、とても描けそうにないから、俊も一緒にやろういうんで始まったのが「原爆の図」
85歳になって少し人間の身体が描けるようになった

絵描きは裸を描かなきゃ あれが基本だ
下手でもええ 下手のほうが面白い(太郎さんと同じだね

俊:
私はリアリティが必要 民話はすごいリアリズムを持ってる


丸木美術館


イリ:
最初に中国から出発した時は、2人とも共産党員じゃった
こんどは原水協じゃなくて、社会党系の原水禁のほうが「展覧会をやりましょう」と言い出してケンカして
絵をああだこうだするのはかなわないから、山の中でもいいから「原爆の図」を飾れるところがあればいいと思って

そうこうするうち、美術館だとまわりが言い出して、財団法人にしはじめた
まあ、川があったからここに来た こんなところでも年に5~8万人くらいくる



5月5日は開館記念日と、広島に原爆が落ちた8月6日はお祭りをする 灯篭流しもする





ずいぶん人が来るよのう

酒とタバコ

イリ:
わしは、毎朝3時ころから目が覚めてのう 5時ころ卵酒を飲んで、風呂へ入って、猫と話す
卵酒は、あんまり酒を熱くせんほうがええ 半熟のようにせんと

俊:タバコは有害無益、酒は有害有益

イリ:
「原爆の図」が世界平和文化賞になって、1956年に中国に行って、大変な待遇でね
その時、タバコを吸うと食えんと分かった


梅干の種

俊:
私の腸には細いところがあるの 原爆の時、3ヶ月も腸出血したから
「がんになるとしたらそこだなあ」と思って、梅干の種を呑んだら、どれくらい細いか分かると考えた


犬の死
(フィラリアで2匹も亡くなったり、シャム猫をもらって、春夏秋冬子どもを産んで、
 もらい手が見つからないから“もらってくれたら絵の色紙を差し上げます”って
 奔放というか、今の飼い方ではないなあ

 そのあときたオスのシャム・ドンとの相性も最悪で、ストレスで目の膜が三角に広がったって、
 楳図さんの『わたしは真悟』じゃないんだから・・・


臥竜展

イリ:
ブルガリアのソフィアで、3年に1度「反ファシズム具象絵画展」がある 世界で唯一の戦争反対の国際展
まず日本で研究会をしてから出品することにしたら、
会場の朝日ギャラリーが、名前がちょっと強すぎるから変えてくれといって

俊:
臥竜を辞書でひいたら「野にあって権勢に媚びず」て意味なんですって


高張提灯

俊:
昔、広島で「部落解放同盟」の研修会があって、私は初めて「被差別部落」の問題に出会った
広島に福島町という被差別部落があって、原爆が落ちた時「みんなそこを動くな」という指令が出たと聞いた
絵に残さなければと思って、あちこちに聞いて「暁部隊」だと分かって「高張提灯」という題で描いた

「関東大震災」の時、朝鮮の人が東京から寄居まで逃げる途中、要所要所で殺されている 民間で組織した警防団や消防団に

警防団に追われて警察に飛び込んだら、
「お前はいつも朝鮮飴を売りに来てる飴屋さんじゃないか お前は不逞鮮人じゃない」とかくまってくれたが、
署内の草取りを手伝っていたら、警防団や消防団がひきずり出して殺しちゃった

私は「警察は恐い」といつも思ってるのよね
私たちの心のなかには何が潜んでいるのか考え合うために、美術館の中に「痛恨の碑」を建てた
また「高張提灯・福島町」を描いて、今は大阪の「人権歴史資料館」にある


征露丸

俊:
正露丸の「正」は、もとは征服の「征」、露はロシアの「露」
日本人の心の中には、やっぱりロシアを征服したいという気持ちがあるんじゃないですか
歯舞や色丹を返せとか、ソ連が攻めてくるぞとか、共産主義は恐ろしいとか

イリ:
日本人の「差別観念」というのは、なかなか治らん わし自身も治っとるつもりが、残っとる


女たち

俊:
洗濯機や冷蔵庫がなくたって、女たちは、あんなものは駄目だともっと自覚しなきゃあね

インドのタントゥラに、出産の絵や彫刻がずいぶんある
自分の出産を映画に撮らせている仲間もいる
だから男も子育てをしなさいっていう女の主張がはじまってるんだけど、
男はうろたえているばかりよ


上の下もない国

俊:
ソ連の田舎はいいよ 一番面白いのはブルガリア 大臣もおんぼろアパートに住んでいる
あんまり上下はないのよ、社会主義国いうのは

チェコスロバキアに行った折も、美術協会の委員長が「この通訳と私の月給とあんまり違わない」言うた

モンゴルの首相は、わしらを送る時「お前も乗れ」といっぱい友だちを自動車に乗せて、
自分は助手席に座って「サヨナラ」言うて
そういう国をこさえにゃいかんのよ そういう世界、そういう地球に人間が住んどらにゃいかん


演説1

俊:
朝鮮に行った時「雪舟五百年祭」があり、大衆集会で挨拶しなさいというのね

イリ:
中国では楽だった 日本語の通訳がおって、「わしはええ加減なこと言うけど、あんた、上手にやれよ」言うたら
たいへん話が上手だということになった

その後に朝鮮に行ったらまたなにか話せという
話しはじめたら、通訳する前に拍手が起こる 日本語を知っとる人もたくさんいると気づいた
そしたら足がガクガクして喋れなくなった それから話をするのがイヤになった


演説2

俊:
ブルガリアに行った時、「三国同盟から三里塚まで」が大賞をとった
「ブルガリアにも原発があるか?」てきいたら「1台ある」っていうから
「原発はいけんちゅう話をする」といったら「通訳するけど、原発反対の演説をしたら拍手は起こらないですよ」
「拍手のために演説するんじゃない、危ないから危ないというんだ」

イリ:
そしたら大変な拍手が起こった 人民は分かってるんだのう


頑張り

俊:
私のクセでね、ありったけの力を出してしまわなければ気がすまない
で、あとでグニャアっとなっちゃう

講演で北海道を回ったら、
「私たちの亭主たちの労組は、自衛隊の軍艦の修繕を拒否したらクビ切りが始まった」と言われた



おかしな絵がおかしいほど面白い

地獄極楽

俊:
こんど「从(ひとひと)展」にだす作品は「極楽」という題にしようと思ってたけど

イリ:
極楽ができんのよ

俊:
あの世はあるかもしれん 今ごろ、またそう思いだした
「イエス様も地獄においでになったんですよ。そのあとで復活なさいました」という

お釈迦さんもそうなの 毒キノコを食べて死んだんだけど、そんなこと分かんなかったのってお坊さんに聞いたら、
毎朝、托鉢に行き、貧乏な鍛冶屋さんは何もあげるものがないから、きれいなキノコを煮てあげた
毒と知りながら食べて、お腹を壊して死んだ

自分をいじめる者をも恨むでないと、キリストもそういう思想だったんでしょう?

イリ:
敦煌の釈迦も安泰じゃない 釈迦が寝とるうしろで殺そうとしてる人、死んで喜んでる人、
自殺する人、死んでよかったと踊ってんのもある
地獄いうのは、この世にあるんだからね

俊:
出産と歓喜仏?

資本主義はもう末期に来てるぞと思うし、社会主義、共産主義が完全でもないだろうとか

天女はだいたい女なのね 敦煌には飛天(男)がいる
女の仏さんがおってもいい だけどそれはない やっぱり、これは男が考えた極楽じゃって思った
極楽も、ずっと男社会だったんだなって

日本の絵には、観音様みたいなのが赤ちゃんを抱いてるのがあるけど、敦煌にはない


いまの世の中では、お金が宗教なんですってね

自動車も、バイパスができてもすぐ一杯になっちゃうのは、
何m幅の道が何kmできたら、自動車が何台走れるか、自動車会社が計算するから、
新しい道路ができても、すぐ一杯になっちゃう


今、一番よく売れるのが武器
武器は破裂するから、そらなくなった、はい、売りましょう、はい、買いましょう
金で儲かりさえすればいいんだから
絵描きだって考えたら分かる 誰が後ろで突っついているか 武器を売りつけている国の失業者は少ない


軍需産業に手を貸さないのは農業だけ

「あま茶づるが高血圧に効く」ていうと、どっかから大群が来て、あっという間にこの辺からなくなっちゃった
しばらくして、「あま茶づるは効かないそうです」「誰が言ったの?」「薬屋とお医者さんです」
それで分かった 血圧降下剤を出しても儲からなくなるからよ


「根こそぎとれ」「他人が取る前に、自分が取れ」と日本人が教育を受けてきたから

私の父も、本当は軍人になりたかったって
日の丸が上がると体が真っ直ぐになって、「君が代」が聞こえると、自然に涙が出てくるんだって

そう教育された軍隊が中国に攻めて「三光作戦」をやった
日本のために中国大陸に大きな国をつくろう そのためには、根こそぎ奪い尽くせ、焼き尽くせ、殺し尽くせという3つの光の作戦
そして、ソ連の反撃を受けて、中国人からも叱られて、帰ってきた


学校のイジメもそうですね
日本は勝たなければならない そのための子どもを育てなければならない それが文部省の方針でしょう
だから、昔の軍隊みたいに、そういう制度が子どもを毒しているんです

アメリカ大統領が日本の総理大臣の頭を叩き、総理大臣が文部省の頭を叩き、
文部省が教育委員会の頭を叩き、教育委員会が校長の頭を叩き、、、


輪廻

俊:
人間だって、あんまり注射なんかしないでいたほうが苦しまずに死ねるかもしれませんよ
私ももし倒れたら、お医者なんかに担ぎこまないでって今日、遺言したの

土の中には何億という微生物がいる その微生物と一緒に生きていきましょう(いいね
近代文明をやめて、大自然の文明 それに私は「こりゃさのさっさ」と名前をつけたの
つまり輪廻

モンゴルにカラコルムというところがある そこのカランとは輪廻の意味 イタリアのマカロニもそう(驚
昔、「コリャーダ」て祭りがあった それっはシルクロードから日本にも東北なんかにあるでしょう



沖縄・読谷村

俊:
まず「チビチリガマ(壕)」を描いた 集団自決した

「チビチリガマ」入り口
1945.4.2 139人の入壕者のうち、村人84人が死んだ


もうひとつ「シムクガマ」があって、そっちは全員助かった
中にハワイ帰りの人がいて「こんな暗いとこで生きてきたんだから、青空を見て死のう」て
ゾロゾロ外に出て、その千人がみんな助かって捕虜になった

「チビチリガマ」の中には、まだいっぱい骨があるの 小さな骨が
案内してくれた知花さんは
「僕、片付けないんです。もう踏んでもいいから、このまま見せたい ここであったことを知ってほしい」って


丸木夫妻は2ヶ月近く滞在し、「チビチリガマ」の遺族たちが自らモデルをかって出てくれた


遺族の人たちみんながモデルになりにきてくれて、いろんなこと話してくれました
読谷の闘いで、米軍の前にみんなで立ちはだかって、踊りだすんだって カチャーシー踊る
そしたら米軍はきょとーんとしてるうちに、緊張がパーッとほぐれて、ひきさがっていく
そういうことのできる人たちなのよ、沖縄の人たち

シーサーは、金城実さんの作品
残波岬に大きなのが立ってる
ガマのそばの公園につくったチビチリの記念碑もいいですよ


誰が描いてもええ

イリ:
こういうテーマの絵は誰が描いてもええんじゃ
残しておかにゃいけんから描く 誰も描かんから、描いとる

ほかの人には関心がないんじゃねえ 戦争の時はみんな戦争の絵を描いたのに
こういうのも描いて描けんはずはないのに、描かん





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