■『人形の家』(新潮文庫)
原題 ET DUKKEHJEM by Henrik Ibsen
ヘンリック・イプセン/著 矢崎源九郎/訳
初版1879年 日本では1953年(1996年 82刷) 320円
※1997.3~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
ヘンリック・イプセン:
1828.3.20 ノルウェー生まれ 他の作品『ブラン』(1865)、『ペール・ギュント』(1867)
『人形の家』は、婦人運動の先端をいく作家カミラ・コレットらの影響
ノラの行動に賛否両論が起こり、『幽霊』(1881)、『民衆の敵』(1882)で返答
1906.5.13死去
こういう戯曲スタイルでの小説の楽しみ方は初めて
『ガラスの仮面』にハマってたから、これを演じるならどうなるだろうと、
屋敷のセット、舞台上での役者の動きや表情を想像しながら読んだ
リアリティより象徴的な物語り劇といった印象
世間知らずで浪費家の夫に甘えて、愛され、幸福の絶頂期にいた女性が
一変して、世間知らずだったと知ったのは、
自分をそう育てた父、そのまま庇護し続けた夫らのせいだと気づく
愛されていた、というのは錯覚で、大事な可愛い人形として遊ばれてきただけだったと
一瞬にしてひらめいちゃうのはなんだかちょっと不自然
それともセリフと場面が省略されているだけで、本当は日々「自分はこのままでいいのか?」
「世間知らずで恥ずかしい、でも、なぜ?」て思いがあったのかも
離婚、別居なんて珍しくもない現代の私たちには、1879年代の女性の権利がどれほど低く、
自由のないものだったか推し測るのは難しいにしても、夫が
「妻を心の底から許してやると、なんとも穏やかな満足を得る」だの
「妻は同時に子どもでもある」とか、当然のように言ってのけるシーンでは、
冗談? 本気で言ってるの? と正気を疑ってしまう
でも、女性が1人の人間ではなく「第一に妻であり、母である」っていう考えは、今でも疑問に思うこと
「私は、なによりもあなたと同じ人間であると信じています」
このセリフは有名じゃなかったかしら?
私たちもたゆまず努力を続けていかなきゃいけないんだな
先輩たちの無念、1つ1つ築いてきたことを
でも、アダルトチルドレンといい、頑張りすぎたプレッシャーで少し逆行しているのでは?
結果、ノラのいう「奇蹟中の奇蹟」は
「あなたも私もすっかり変わって、2人の共同生活がそのまま本当の夫婦生活になる」こと
妻が夫に頼っていたように、夫もまた、妻を保護することで依存していた“青天の霹靂”って感じ
突如、混乱のままに放り出され、価値観をくつがえされた夫は、この後どう変わったか、また変われなかったのか?
「夫婦は社会を形成する最小単位。この男女2人のコミュニケーションがとれなくば、社会も成り立たない」オノ・ヨーコ
もっとも身近で、もっとも難しい
やっぱ夫婦って難しいんだわ
▼あらすじ(ネタバレ注意
クリスマス
弁護士のヘルメルは、銀行の頭取となり、金の工面に困った去年に比べ、
新春からはすっかり楽になると幸福の絶頂にいる妻ノラ
そこに幼な友だちのクリスティーナが現れ、母を亡くし、小さな弟を養うために金持ちの男と結婚し、
その夫も亡くし、弟は独立、生きがいもなく、でも生きるために働かなければならない、と
ヘルマンの銀行の事務職をノラに都合してもらう
そこにクログスタットが現れる
ノラの父が危篤で、夫も瀕死の時、金を借り、やむを得ず偽書したことをネタに
自分が銀行を免職させられるのをヘルメルにやめさせてくれ、と半ば脅される
「母の毒気にあてられた子は、毒を吸い込む」
思いつめたノラは、夫の親友で、結核で死が間近なランク医学士に相談しようとするが、
その秘めた熱い想いを知り、思いとどまる
免職通知を受けたクログスタットは、偽書の入った証書を切り札に、
ヘルマンに事情を書いた手紙を渡すと、再び脅しに来る
彼も同じ罪で名誉を失い、息子のために身を立て直すため必死
それを知り、リンネ夫人は彼のもとへ
実は2人は、昔恋仲で、金のために別れざるを得なかったが、今は互いに必要だと告白
クログスタットは、幸運を取り戻し、ヘルメルに証書を返す
仮装舞踏会の夜、ノラは踊りを披露する
ランクは、死期が近いことを名刺の黒十字で伝える
(そんなことはお構いなしに妻に迫るヘルメルの性格は疑っちゃう)
その興奮も一気に冷め、手紙で事情を知って激怒し、偽善者とののしり、
世間体を守るために事件をもみ消そうとする夫
夫が自分をかばって罪をかぶると言い出し、自分はそれを阻止するために
自殺しようとまで思っていたノラの奇蹟は起こらなかった
クログスタットの和解の手紙で、手のひらを返したような夫の喜び
これからは一層妻を守ってやらねば、といいう夫に、ノラは
「8年間、他人と暮らし、子までもうけた」ことを恥じる
「今まで一度も真面目に話し合いもせずにいた」夫婦生活
「自分は子どもより自身を教育しなければならない」
「夫や子どもに対するのと同じくらい神聖な義務は、自身に対する義務」
「牧師さんの言ったことが正しいのか、少なくとも、私にとって正しいかどうか考えてみたい」
(宗教もかなり女性蔑視だからね
「死にかけている父をいたわったり、夫の命を救う権利もない法律など信じられない」
ヘルメン「いかに愛する者のためでも、名誉は犠牲にできない」
ノラ「でも、何十万という女はそうしてきたのです」
*
昨晩観たウーピー・ゴールドバーグ主演の『ロング・ウォーク・ホーム』
(最初は観れなかったから、このノートへの記録はまた今度)での
バス乗車を拒否して、黒人の権利主張の第一歩を長い苦難の末に獲得した感動作と
♪Woman is the nigger of the world と歌ったジョンとヨーコのことがダブる
*
2016
ブログ内検索をしたら、『カラーパープル』(1985)はあるけど、『ロング・ウォーク・ホーム』はないなあ
勘違い?
原題 ET DUKKEHJEM by Henrik Ibsen
ヘンリック・イプセン/著 矢崎源九郎/訳
初版1879年 日本では1953年(1996年 82刷) 320円
※1997.3~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
ヘンリック・イプセン:
1828.3.20 ノルウェー生まれ 他の作品『ブラン』(1865)、『ペール・ギュント』(1867)
『人形の家』は、婦人運動の先端をいく作家カミラ・コレットらの影響
ノラの行動に賛否両論が起こり、『幽霊』(1881)、『民衆の敵』(1882)で返答
1906.5.13死去
こういう戯曲スタイルでの小説の楽しみ方は初めて
『ガラスの仮面』にハマってたから、これを演じるならどうなるだろうと、
屋敷のセット、舞台上での役者の動きや表情を想像しながら読んだ
リアリティより象徴的な物語り劇といった印象
世間知らずで浪費家の夫に甘えて、愛され、幸福の絶頂期にいた女性が
一変して、世間知らずだったと知ったのは、
自分をそう育てた父、そのまま庇護し続けた夫らのせいだと気づく
愛されていた、というのは錯覚で、大事な可愛い人形として遊ばれてきただけだったと
一瞬にしてひらめいちゃうのはなんだかちょっと不自然
それともセリフと場面が省略されているだけで、本当は日々「自分はこのままでいいのか?」
「世間知らずで恥ずかしい、でも、なぜ?」て思いがあったのかも
離婚、別居なんて珍しくもない現代の私たちには、1879年代の女性の権利がどれほど低く、
自由のないものだったか推し測るのは難しいにしても、夫が
「妻を心の底から許してやると、なんとも穏やかな満足を得る」だの
「妻は同時に子どもでもある」とか、当然のように言ってのけるシーンでは、
冗談? 本気で言ってるの? と正気を疑ってしまう
でも、女性が1人の人間ではなく「第一に妻であり、母である」っていう考えは、今でも疑問に思うこと
「私は、なによりもあなたと同じ人間であると信じています」
このセリフは有名じゃなかったかしら?
私たちもたゆまず努力を続けていかなきゃいけないんだな
先輩たちの無念、1つ1つ築いてきたことを
でも、アダルトチルドレンといい、頑張りすぎたプレッシャーで少し逆行しているのでは?
結果、ノラのいう「奇蹟中の奇蹟」は
「あなたも私もすっかり変わって、2人の共同生活がそのまま本当の夫婦生活になる」こと
妻が夫に頼っていたように、夫もまた、妻を保護することで依存していた“青天の霹靂”って感じ
突如、混乱のままに放り出され、価値観をくつがえされた夫は、この後どう変わったか、また変われなかったのか?
「夫婦は社会を形成する最小単位。この男女2人のコミュニケーションがとれなくば、社会も成り立たない」オノ・ヨーコ
もっとも身近で、もっとも難しい
やっぱ夫婦って難しいんだわ
▼あらすじ(ネタバレ注意
クリスマス
弁護士のヘルメルは、銀行の頭取となり、金の工面に困った去年に比べ、
新春からはすっかり楽になると幸福の絶頂にいる妻ノラ
そこに幼な友だちのクリスティーナが現れ、母を亡くし、小さな弟を養うために金持ちの男と結婚し、
その夫も亡くし、弟は独立、生きがいもなく、でも生きるために働かなければならない、と
ヘルマンの銀行の事務職をノラに都合してもらう
そこにクログスタットが現れる
ノラの父が危篤で、夫も瀕死の時、金を借り、やむを得ず偽書したことをネタに
自分が銀行を免職させられるのをヘルメルにやめさせてくれ、と半ば脅される
「母の毒気にあてられた子は、毒を吸い込む」
思いつめたノラは、夫の親友で、結核で死が間近なランク医学士に相談しようとするが、
その秘めた熱い想いを知り、思いとどまる
免職通知を受けたクログスタットは、偽書の入った証書を切り札に、
ヘルマンに事情を書いた手紙を渡すと、再び脅しに来る
彼も同じ罪で名誉を失い、息子のために身を立て直すため必死
それを知り、リンネ夫人は彼のもとへ
実は2人は、昔恋仲で、金のために別れざるを得なかったが、今は互いに必要だと告白
クログスタットは、幸運を取り戻し、ヘルメルに証書を返す
仮装舞踏会の夜、ノラは踊りを披露する
ランクは、死期が近いことを名刺の黒十字で伝える
(そんなことはお構いなしに妻に迫るヘルメルの性格は疑っちゃう)
その興奮も一気に冷め、手紙で事情を知って激怒し、偽善者とののしり、
世間体を守るために事件をもみ消そうとする夫
夫が自分をかばって罪をかぶると言い出し、自分はそれを阻止するために
自殺しようとまで思っていたノラの奇蹟は起こらなかった
クログスタットの和解の手紙で、手のひらを返したような夫の喜び
これからは一層妻を守ってやらねば、といいう夫に、ノラは
「8年間、他人と暮らし、子までもうけた」ことを恥じる
「今まで一度も真面目に話し合いもせずにいた」夫婦生活
「自分は子どもより自身を教育しなければならない」
「夫や子どもに対するのと同じくらい神聖な義務は、自身に対する義務」
「牧師さんの言ったことが正しいのか、少なくとも、私にとって正しいかどうか考えてみたい」
(宗教もかなり女性蔑視だからね
「死にかけている父をいたわったり、夫の命を救う権利もない法律など信じられない」
ヘルメン「いかに愛する者のためでも、名誉は犠牲にできない」
ノラ「でも、何十万という女はそうしてきたのです」
*
昨晩観たウーピー・ゴールドバーグ主演の『ロング・ウォーク・ホーム』
(最初は観れなかったから、このノートへの記録はまた今度)での
バス乗車を拒否して、黒人の権利主張の第一歩を長い苦難の末に獲得した感動作と
♪Woman is the nigger of the world と歌ったジョンとヨーコのことがダブる
*
2016
ブログ内検索をしたら、『カラーパープル』(1985)はあるけど、『ロング・ウォーク・ホーム』はないなあ
勘違い?