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夢のムンク 傑作10選@日曜美術館(2013.6.16の再放送)

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夢のムンク 傑作10選@日曜美術館(2013.6.16の再放送)
斎藤環さん(精神科医)
五木寛之さん(作家)
吉行和子さん(女優)

私は昔から心を病んでいたり、夭逝したアーティストに惹かれて、ムンクもそのうちの1人
こないだ、「びじゅチューン!」で「叫び」を紹介していて、
中央の自分が叫んでいる絵ではなくて、叫びを聞いて耳を塞いでいる絵だと聞いて、そうだっけ?!と思った



何度も美術館でも観ただろうに、忘れてただけかな

パニ障のことを書こうとネットサーフィンしてたら、ムンクのこの絵から
“パニック障害だったのではないか説”まであると知ってまた驚いた


【内容抜粋メモ】

五木さんが青年時代から忘れられない絵も「叫び」


生涯、生きることの不安、恐怖を見つめ続けたムンク
「叫び」の背景には、数々の心の傷があった



相次いで見舞われた家族の死、決して満たされない愛する女性への想い



1.「叫び」 1893(30歳)


パステルで描かれた「叫び」は、去年のオークションが史上最高額で落札された(約100億円
ムンクは、油彩、パステル、版画など5万以上の「叫び」を描いた



背後には2人の友人が無関心に通り過ぎている(BGMもヨーコさんみたいで恐かった

生誕150年のムンクイヤーに沸く、ムンクの故郷ノルウェー オスロ


実際、叫びを体験した場所/前年1892年に描かれた「絶望」と構図は同じ
 

「突然、血のような雲を見た 友人らは立ち去ったが、私は聴いた 叫びが貫いていくのを」

何度もこのテーマを描いた


田中さん:
「嵐」という作品の中に耳を塞いでいるようなポーズをとっている人物たちがいる これが最初だと思われる

 

「叫び」と同じ1893年 たびたび訪れていた街に嵐がきた時の絵
自然の風景と人間の恐怖が結びついた世界を表現しているのではないか


 

五木:
なぜこの絵が現代人の私たちに深い印象を与えるかというと、共通の深い不安を表現しているからだと思う

キリスト教文化と科学がバランスよく発展したが、近代に入ると科学が異様に発達し
みんなバランスの崩れた病んだ時代に生きているという不安を抱いていたんだと思う

 

 

画家の勝手な幻想を描いたのではなく、時代そのもののあり方を象徴している
「これでいいのか?!」ていう耳を塞いで恐い声は聞かない様子 人類に発せられている


 

斎藤さん:
調和と不調和で言えば、不調和を表したもの
仮説ですが、一時期精神を病んでいた 今でいう「統合失調症」ではないかと言われる
発病初期に世界没落体験、カタストフな経験をするのが特徴

井浦:
茜色の空が儚い美しさを感じてしまうが

斎藤さん:
精神医学的にも、不安が高まる時間帯 ヒトの本質的な不安を描いている

井浦:
どこか理性的な面があったのでは?

斎藤さん:
非常に巧みな絵、ギリギリの理性を保たれていた時期かもしれない


2.「病める子」(1885~86)


不安の原点と言える 死が間近に迫った姉ソフィと悲しみに暮れる叔母
この光景を生涯忘れなかったムンク

幼少期に過ごしたオスロのアパート


1863 医者の家の長男として生まれた 5歳の時、母が結核で亡くなる
心のよりどころが1つ上の姉ソフィエだったが、14歳の時、姉も結核で亡くなる



「病める子」は記憶により描かれ、パレットナイフで削ったあとが生々しい

ムンクの言葉:
本を読む男、編み物をする女の絵はもういらない
呼吸し、苦悩し、感じ、愛する、本物の人間の絵を描こう

姉が座っていたイスを生涯手放さなかった

斎藤:
結核は肌が透き通るが、白いシーツと分けて立体的に描いている
この絵にとても執着し、何度も描き直していたことには「強迫神経症」の症状を感じる

井浦:
傷や不安が絵を描く大きなモチベーションになっていたことでもあるのでは?



斎藤:
トラウマを癒す行為になったとも言える


3.「思春期」(1894)


30歳過ぎの傑作 生きる不安を描いた
シーツには血がしみついている 初潮に恐れを抱く少女の絵
姉の死後、自分も結核になると疑わず、恐怖と闘い、描くことで不安を吐露していた

ムンクの言葉:
女は男にとって謎である 聖女であり、娼婦であり、また不幸せにも軽信するものである

女性はムンクを苦しめるとともに、創作の源にもなった
 

オスロの南にある海辺の別荘地 20代のはじめ、ここで1人の女性と出会う



4.「声」(1893)


海に映る月明かり 口づけを求めるような仕草 よく観ると目は吸い込まれそうに不気味
モデルはオスロの社交界で評判の夫人ミリー・タウロウ
引っ込み思案のムンクをミリーが誘惑し、のめりこむが ムンクは愛人の1人に過ぎなかった



スー・プリドー著『ムンク伝』

ムチで叩かれた犬のように、私は早朝からベッドを抜け出し、そこかしこうちひしがれ
ふがいなく彷徨い歩く 私は恋愛の辛さを心底思い知らされた

30歳過ぎ、新たな恋におちる ダグニー・ユール 多くの浮名を流した美貌の持ち主



5.「マドンナ」


ダグニーがモデル かすかにふくらんだお腹は新たな命の暗示
“君の顔は地上のすべての美を留めている 死体の微笑み 今、生が死に向かって手を差し伸べる”
とりこになったが、彼女も去っていった


ムンクのコレクションで知られる群馬県立近代美術館(いい樹があるなあ

版画を数多く所蔵している



吉行さんは、「叫び」に惹かれ、アトリエを訪ねたこともあり
とくに版画にムンクの人間らしさが表されていると感じている


6.「ブローチの女」


石版画の傑作 モデルはイギリス生まれのヴァイオリニスト、エヴァムドッチ
それまでと違い、目をはっきり優しく描いている

ムンクの言葉:
恋に落ちるのが恐ろしいほど美しい

吉行さん:
この人に関してはたぶん深入りしなかったのでは 遠くから見て、憧れて、だからこうキレイに描けたのでは
深く関わった女性たちの目は見たくないという恐怖があったのでは


7.「キス(接吻)」(クリムトじゃん


実験的な表現が際立つ 当時の木版画は表面をきれいに削るのが常識だったが、
敢えて木目を残している 木の命から生まれた温かい命が男女と重なる


8.「宇宙での出遭い」(男女の周りを精子が泳いでる


ムンクの言葉:
人間の運命は星に似ている 闇から浮かび上がるひとつの星のように
もう1つの星と出遭う 輝くのは束の間でふたたび闇に沈む
そう このように男と女は出会う 一緒に漂いながら、彼らは愛の炎を燃え上がらせる
そして、また離れ離れに消えていくのである
男と女が完璧に融合できるのは、燃え盛る炎の中で出会う時だけである

吉行さんが気に入ったこの版画を見て
「とても美しいけど、女性がおざなりに描かれているのが不満だわ
 どれだけ悩むかというのは、彼にとって深く愛するバロメーターになっているのではないか
 彼にとって悩むことが愛することなのかしら」

井浦:
目を描かないことにとても意味を感じます
もしかして、その目に一番魅力を感じてしまっていたからこそ描けないというか
描きたくても描けないとうか



斎藤:
目が恐いというのがあったのでは 自画像を描く時も目に緊張感を感じる
目を描くと緊張したり、恐怖を感じてしまうのでは

「マドンナ」は目を閉じている 水死体に見える 周りは波で浮かんでいるように見える
死とエロスの相反するイメージが高度なレベルで描かれている

アナ:
ムンクはハンサムで(写真見た時そう思った)女性にモテて、多くの女性と恋愛を重ねた
でも、独身だった 彼にとって女性はどんな存在だったのか?

斎藤:
女性は好きだが、謎で、信頼できないと思っていたのでは

井浦:
常に神秘性を持っていたい願望でもあるかもしれないですね


9.「地獄の自画像」

40歳の頃の作品 10代の頃から自画像を描き続けた 真っ赤な地獄の炎

ムンクの言葉:
自分自身をつぶさに観察し、自らを解剖の材料として魂を調査した結果を描き表そうと思う

(こうした言葉を聞くと、とても冷静で、哲学的で、自制を失った狂気は感じられないな
 自死することもなく、80歳で亡くなったのなら、自分と向き合った究極の作品を遺した画家だったのかも


80歳で亡くなる直前まで自画像を描いた



10.「時計とベッドの間の自画像」(おお、明るい色使い/驚 目は相変わらずくぼんでいるけど

亡くなる数年前に描かれた ベッドはやがて訪れる永遠の眠り、柱時計は残り少ない人生の時を刻む


吉行:
今の自分はどんなことを考えているのか、どんな表情なのかを観察しながら生きてきたのではないかと思う
だからその都度、自画像を描きながら、自分が自分をみている

最後は“私はこういう人間です どうぞ好き勝手に見てください”ていうくらい放り出している感じで
長いこと生きた人生、それを見ていた自分、2人でずっと生きてきたよう


五木:
ベッドのカバーなんてマティスっぽい 明るい、諦め、納得いった
周りの死を見送りながら、もう自分は本当に幸せだっていう感じが絵に表れている気がする
若い頃の重圧、精神の分裂、そういうものとは遠いところにきてしまっている 平和な絵だと思う
澄み切った境地を感じる


井浦:
地獄の自画像と比べると面白い 突き抜けた感じですごく好き

斎藤:
初期には、家族の中で自分だけ生き残ったというようなある種の罪悪感、自分を痛めつける負の情熱を感じるが
絵に狂気を取り込まなくてもいいんだ、ある意味、自分を許すような
ただし、正面像で目が描かれていないところに、自分と対峙する時のかすかな緊張感が残っているのかと思ってしまう


ムンクの言葉:
不安と病がなければ、私は舵を失った船のようなもの

斎藤:
自分の病を指針として描こうとしていた
ムンクの経験、病は、誰もがかかる可能性がある
「叫び」を観て感じる不安は、自分の中にもそういうスイッチがあることを意味していると思う
ある意味、彼は病と健康の境界線上で作品を創り続けてきたんだなと改めて感じた
(そこに私も共感したのかな


五木:
時々、ムンク復活とか波のように盛り上がる
音楽で言えば低い音で流れ続けている これから先も我々が不安を抱き続けるかぎり



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