■太陽の塔で日本を元気に!「岡本太郎 万博への道」@先人たちの底力 知恵泉
「知恵泉」は初見かも
太郎さんが太陽の塔を製作した過程は、これまでも何度か美術館のフィルムや部長のドラマでも見てきた
【ブログ内関連記事】
岡本太郎
ゲスト:
岡本太郎記念館館長・平野暁臣さん
映画監督・樋口真嗣さん(いずれも何十億という費用をかけた作品ばかり
増田英彦さん(万博の年、1970年生まれ
約7300億円をかけ、来場者約6421万人(国民のおよそ半数)が訪れた万博
そのシンボルとなったのが『太陽の塔』
訪れた人々がみな驚き、万博成功の最大の要因となったとも言われる
手がけたのは岡本太郎
「芸術は爆発だっ!」
平野さん:
僕の人生にとって最大の事件 万博を見た時の感動は、結局それ以来ない
宇宙船、コンピューター、レーザー光線、動く歩道、未来がそのまんま目の前に舞い降りた ほんとにブッ飛んだ
テーマ「巨大プロジェクトを成功させるには?」
●樋口さんの出発点は『ゴジラ』
小さい頃から特撮が好きで、ツテを頼って、ゴジラを動かすスタッフとして参加
庵野秀明さんと出会う
1995年『ガメラ3』では日本アカデミー賞特殊技術賞受賞
そして、12年ぶりに復活する『シン・ゴジラ』を撮った
Q:大作の製作はプレッシャーも大きい?
それよりやりたいって気持ちが先にたっちゃう 自分に都合のいいように考えちゃう
Q:今まで、この時キツかったという時は?
楽しかった 毎日寝れないけど、観たいものが出来上がると思うと気にならない
Q:万博へも行った
一族連れて、東京から3時間10分かけて日帰りで行った
印象に残ってるのは人間のお尻w
*
紆余曲折した「太陽の塔」の制作過程
「埴輪のような造形が未来の姿にふさわしくない」という激しいバッシングを受けた
眼が光るって初めて見たかも!? かっけー
●太郎が万博に関わることになった経緯
1965 万博開催地が大阪に決定
通産省はドリームチームを結成
財界総理と呼ばれた石坂氏
丹下氏(東京オリンピックで代々木体育館をデザインして世界的に評価された建築家の重鎮
なかなか決定しなかったのは肝心の「テーマプロデューサー」。
各国がテーマを決めて、表現することが決まっている
開催まであと3年となり、新井氏が訪ねたのは太郎さん
当時すでに天才芸術家として知られていて、当初から名前が真っ先に挙がっていたが
権力に物申す異端児だったため、引き受けないだろうと思われていた
新井氏は「ぜひ引き受けてください 引き受けてくれるまで帰りません!」と頼みこんだ
まさか自分に打診されると思わなかった太郎さんは、仲間に相談すると
「体制への迎合だ」「仲間への裏切りだ」と大反対される
「失敗すれば責任を負わされる」「人身御供になるだけ」と忠告される
だが「止めたほうが安全というなら、逆に危険な道を選ぼうじゃないか」と承諾(こういうところが好き
平井:
生前の新井さんから話を聞いたことがある 国家プロジェクトなのになんで太郎?て
それは丹下さんが「一緒にやるなら太郎しかいない」と言ったらしい
樋口:
自分にとって「監督やってくれ」というのがそもそも思いもよらなかった
監督になりたいと思ったことが一度もない
迷うよりも進んじゃう 進まないとたぶん迷っちゃう 一歩踏み出すと自転車みたいに転がる
話が来た時点で運命だと思う
平井:
太郎は失敗していいんだと思っていた そもそも万博は祭りだから
太郎「チビチビやって60点より、失敗したほうがいいんだ」
「知恵その1 チームはぶつかり合ってこそ」
丹下氏がもっとも悩んだのは、会場のメイン広場のデザイン
世界最大規模の大屋根をわずか6本の柱で支えることで日本の技術力の高さをアピールした
太郎はじっと模型を見つめ
「どうしてもこいつをボカン!と打ち破りたい 優雅におさまっている大屋根にベラボーなものを対決させたい」
早速描いたのは原始の建造物を思わせるような奇妙な塔
腹に描かれたのは、“だんごっ鼻”の顔
太郎「日本人が外国人に対して抱いているコンプレックスの“だんごっ鼻”を剥き出しにした」
この太郎のアイデアに激怒した丹下ら建築チーム
「今更、穴など開けたら一から計算をやり直さなければならない!」と乗り込んだ
「どうしても造るなら前後につくればいい」
石坂の「これさえあれば、万博は成功したも同然です」と鶴の一声で決まり、計算をやり直して完成
訪れた人々をアッと言わせるものになった
この苦闘を振り返り
太郎:
みんなが少しずつ頭を下げ合って、馴れ合う調和は卑しい 相手とぶつかって闘って生まれるのが調和なんだ
闘わなければ調和は生まれない
開幕セレモニーで満足そうに笑いあう2人
(こんな満面の笑顔の太郎さん見たことない 可愛い人だな
平井:
太郎が丹下さんに打ち勝ったと思っている人が多いが全然違う
当時、丹下さんはものすごい力を持っていて、太陽の塔を潰すことも出来たがしなかった
万博全体を考えたら、あれはないよりあったほうがいいと許した
樋口:
「これでやってください」て言われてやるのはクリエイティヴでもなんでもない
『スター・ウォーズ』が1978年に日本公開されて、すごい差がついたと言われて、俺にやらせたらこうやると思った
日本の特撮の歴史で教科書のように繰り返してきたことがあったんだけど
そういう常識的な取り組みを1回壊さないと、新しい見せ方はできない
Q:既成概念との闘いはあった?
樋口:
一番面白かったのは、東宝が『ゴジラ』、円谷が『ウルトラマン』、やり方は全然違う
海をミニチュアで撮る時に、大浴場を仮設でつくって、波をつくる時、
東宝はさお竹で揺らす、円谷はテレビで時間がないから家庭用扇風機を当てっぱなしでいい
自分が撮る時に、カメラマンが東宝出身で、仕掛けの人は円谷出身でモメ出した
「監督どっちがいい?」て聞かれて両方でやってもらったw
「知恵その2 ナマの迫力にこだわれ」
競い合う各国のパビリオンの展示
アメリカは、アポロ12号が持ち帰った「月の石」(これのために何時間も並びたくないな
回る観覧車で360度のスクリーンに映される映像を見せるなど
太郎が何を見せてくれるのか就任当初から注目された中
太古からの仮面や神の像をズラリと並べ、未来の進歩というテーマとはかけ離れたものだった
「根源の世界」
土偶?
太郎「借りた物はダメだ 現地の人々が使っている物を買ってこい」と命令
人類学者のチームが結成され、ネパール奥地にまで派遣された
学者らが現地の人々と購入した経緯を記した記録 2600点にも及んだ
「たべすぎ男」「大耳男」てなんだろうww
買うことにこだわった理由は、展示物をガラスケースに入れない「露出展示」にしたかったから
今でもその資料が残っている
万博用に集めた資料を保管している野林さん(いい仕事だなあ!
野林:
ガラスケースに入ったものは、違う空間に存在するイメージがある
露出だと質感、硬さ、温度、表面など、これを作ったり、使ったりした人たちと同じ感覚を感じることができる
太郎さんは、自分の手で作品をつくる、手にとることの大切さをずっと考えていたと思う
「根源の世界」
生々しい呪術道具を地下に展示し、その次には、最新の研究成果に基づいた生命の進化の壮大な展示「生命の樹」がある
「生命の樹」
類人猿からヒトへと進化する40億年の道のりをエスカレーターをあがりながら体感できる
「万国博とうモダンなもので占められる 僕は逆をぶつけなくてはならないと思った
近代主義に挑む何千年、何万年もの人間の原点に還るもの
僕は、今日の文明が失ってしまった人間の原点を再獲得しなければならないと思っている
人間はほんとうに生きがいのある原点に戻らなきゃいけない
進歩のもとに切り捨てられた、人々の生きがい、神々への畏敬の念、その価値も表現しなければ
人類の進歩と調和を本当に表現したことにならない」
会期中、917万人が「太陽の塔」に来館した
太郎さん惚れる
平井:
本物の神像などが持っている生命力、重力みたいなものをガラスケースに入れたら全部窒息して死んじゃう
だから絶対にケースに入れたりするな、芸術は生活そのもの
有難いものだからお前ら拝めといって、寄るな触るなみたいなものではないんだ(まったく同感
Q:今、CG主流な中、特撮に非常に強い思いを持つわけは?
樋口:
最初、CGに未来を感じたけど、実は上手くいけばいいけど、上手くいくまでずっと疑い続けていなきゃいけない
アーティストにもっと直して、直して、直してって、お互いの人間関係が崩壊するくらいまでやる
ある程度CGで頑張ったところで、そっから先がないと気づいた
だったら、先輩たちがやってた特撮とかのほうがいいかもしれない
Q:『進撃の巨人』では軍艦島で撮影した狙いは?
樋口:
本物が持っているもの 映画ってどこまでいっても作り話だし、本物の要素は1つもない
現実にあるものでどこまで引用できるか 現実をコラージュして、幻想として新しい現実をつくる そこが芯になる
ちょうど世界遺産に決まりそうな時期で、「スケジュールが変わるから止めろよ」って言われたけど
「これがないと軸足がなくなるから絶対やったほうがいい」と言ってくれた人がいた
万博後、パビリオンはほとんど撤去された中、まだ体験できる場所がある
「大阪万博記念公園」の「太陽の広場」
胸には当時みんなつけていたエンブレム!
井上:
まずゲートを入ると「バッファロー行進」だったw
1日に83万人(最高入場者数)が入ってパンクした日もある
今も当時のパビリオンを体験できる「鉄鋼館」
未来のコンサートホールとして企画された(今こんな感じじゃない?
当時珍しいレーザー光線が使われ、1008個のスピーカーが織りなす立体音響
井上:世界中探してもここにしかないという、未来を先取りした殿堂になっている
「太陽の塔」の裏の真下
地下に行くと、「太陽の塔」の裏の真下(これもバクモンかブラタモで見たな
井上:当時はここから見上げることは出来なかった
46年前の「生命の樹」がある
これを残した理由は、当時最新の造船技術が用いられ、強度が高いゆえ保存が可能だから
井上:
進化を遂げてやっと人間になったが、人間はちっちゃい
当時は、さらに最上階に出て、日差しを浴びる塔が見れた
最初、奇妙に感じた塔も神聖に感じられたそう
閉会後も大阪府民の強い希望で永久保存されることになった
府は内部も一般公開できるようにしたいと考えている
後ろ姿には哀愁があるなあ
平井:
83万人にもなった時は、帰りたくても帰れずに、会場内に泊まった人が何千人もいた(それも贅沢!
テーマ「巨大プロジェクトを成功させるには?」
樋口:
いろんな意見が来るが、揺るぎない魂、初期衝動をどう最後まで持続させるか
今はいろんな情報が入るからブレる
なんでこれやりたいんだっけってことを絶えず思い出して、確認しながら更新していくのが大事
大阪で1人で自主映画を制作していた時、太陽の塔が光ってるのを見て、オレの相談相手はコレだって思ったw
当時「太陽の塔」と並行してつくっていた幻の作品があった
それが渋谷の壁画かあ/驚
太郎の死から2年後の2003年 メキシコの実業家に依頼されていた巨大な壁画が発見され
なんとか日本に持ち帰りたいというプロジェクトがおこる
2008.11.17 公開 「明日の神話」
美術館に展示されてもおかしくない作品を、駅のコンコースに設置したのは、生前の太郎の意志を継いだため
太郎:
芸術は完成するまでは作家のものだが、出来上がった瞬間からみんなのものだ
「ああ、いいな」と思ってもいいし、「なんだこんなもの作りやがって」と悪口言ったっていいんだ
芸術とはそんなものだ 道端の石ころと同じなんだよ
(逆に、道端の石ころも、有名なアーティスト作品と同じくらい貴重なものだとも言いたいんじゃないかな
「知恵泉」は初見かも
太郎さんが太陽の塔を製作した過程は、これまでも何度か美術館のフィルムや部長のドラマでも見てきた
【ブログ内関連記事】
岡本太郎
ゲスト:
岡本太郎記念館館長・平野暁臣さん
映画監督・樋口真嗣さん(いずれも何十億という費用をかけた作品ばかり
増田英彦さん(万博の年、1970年生まれ
約7300億円をかけ、来場者約6421万人(国民のおよそ半数)が訪れた万博
そのシンボルとなったのが『太陽の塔』
訪れた人々がみな驚き、万博成功の最大の要因となったとも言われる
手がけたのは岡本太郎
「芸術は爆発だっ!」
平野さん:
僕の人生にとって最大の事件 万博を見た時の感動は、結局それ以来ない
宇宙船、コンピューター、レーザー光線、動く歩道、未来がそのまんま目の前に舞い降りた ほんとにブッ飛んだ
テーマ「巨大プロジェクトを成功させるには?」
●樋口さんの出発点は『ゴジラ』
小さい頃から特撮が好きで、ツテを頼って、ゴジラを動かすスタッフとして参加
庵野秀明さんと出会う
1995年『ガメラ3』では日本アカデミー賞特殊技術賞受賞
そして、12年ぶりに復活する『シン・ゴジラ』を撮った
Q:大作の製作はプレッシャーも大きい?
それよりやりたいって気持ちが先にたっちゃう 自分に都合のいいように考えちゃう
Q:今まで、この時キツかったという時は?
楽しかった 毎日寝れないけど、観たいものが出来上がると思うと気にならない
Q:万博へも行った
一族連れて、東京から3時間10分かけて日帰りで行った
印象に残ってるのは人間のお尻w
*
紆余曲折した「太陽の塔」の制作過程
「埴輪のような造形が未来の姿にふさわしくない」という激しいバッシングを受けた
眼が光るって初めて見たかも!? かっけー
●太郎が万博に関わることになった経緯
1965 万博開催地が大阪に決定
通産省はドリームチームを結成
財界総理と呼ばれた石坂氏
丹下氏(東京オリンピックで代々木体育館をデザインして世界的に評価された建築家の重鎮
なかなか決定しなかったのは肝心の「テーマプロデューサー」。
各国がテーマを決めて、表現することが決まっている
開催まであと3年となり、新井氏が訪ねたのは太郎さん
当時すでに天才芸術家として知られていて、当初から名前が真っ先に挙がっていたが
権力に物申す異端児だったため、引き受けないだろうと思われていた
新井氏は「ぜひ引き受けてください 引き受けてくれるまで帰りません!」と頼みこんだ
まさか自分に打診されると思わなかった太郎さんは、仲間に相談すると
「体制への迎合だ」「仲間への裏切りだ」と大反対される
「失敗すれば責任を負わされる」「人身御供になるだけ」と忠告される
だが「止めたほうが安全というなら、逆に危険な道を選ぼうじゃないか」と承諾(こういうところが好き
平井:
生前の新井さんから話を聞いたことがある 国家プロジェクトなのになんで太郎?て
それは丹下さんが「一緒にやるなら太郎しかいない」と言ったらしい
樋口:
自分にとって「監督やってくれ」というのがそもそも思いもよらなかった
監督になりたいと思ったことが一度もない
迷うよりも進んじゃう 進まないとたぶん迷っちゃう 一歩踏み出すと自転車みたいに転がる
話が来た時点で運命だと思う
平井:
太郎は失敗していいんだと思っていた そもそも万博は祭りだから
太郎「チビチビやって60点より、失敗したほうがいいんだ」
「知恵その1 チームはぶつかり合ってこそ」
丹下氏がもっとも悩んだのは、会場のメイン広場のデザイン
世界最大規模の大屋根をわずか6本の柱で支えることで日本の技術力の高さをアピールした
太郎はじっと模型を見つめ
「どうしてもこいつをボカン!と打ち破りたい 優雅におさまっている大屋根にベラボーなものを対決させたい」
早速描いたのは原始の建造物を思わせるような奇妙な塔
腹に描かれたのは、“だんごっ鼻”の顔
太郎「日本人が外国人に対して抱いているコンプレックスの“だんごっ鼻”を剥き出しにした」
この太郎のアイデアに激怒した丹下ら建築チーム
「今更、穴など開けたら一から計算をやり直さなければならない!」と乗り込んだ
「どうしても造るなら前後につくればいい」
石坂の「これさえあれば、万博は成功したも同然です」と鶴の一声で決まり、計算をやり直して完成
訪れた人々をアッと言わせるものになった
この苦闘を振り返り
太郎:
みんなが少しずつ頭を下げ合って、馴れ合う調和は卑しい 相手とぶつかって闘って生まれるのが調和なんだ
闘わなければ調和は生まれない
開幕セレモニーで満足そうに笑いあう2人
(こんな満面の笑顔の太郎さん見たことない 可愛い人だな
平井:
太郎が丹下さんに打ち勝ったと思っている人が多いが全然違う
当時、丹下さんはものすごい力を持っていて、太陽の塔を潰すことも出来たがしなかった
万博全体を考えたら、あれはないよりあったほうがいいと許した
樋口:
「これでやってください」て言われてやるのはクリエイティヴでもなんでもない
『スター・ウォーズ』が1978年に日本公開されて、すごい差がついたと言われて、俺にやらせたらこうやると思った
日本の特撮の歴史で教科書のように繰り返してきたことがあったんだけど
そういう常識的な取り組みを1回壊さないと、新しい見せ方はできない
Q:既成概念との闘いはあった?
樋口:
一番面白かったのは、東宝が『ゴジラ』、円谷が『ウルトラマン』、やり方は全然違う
海をミニチュアで撮る時に、大浴場を仮設でつくって、波をつくる時、
東宝はさお竹で揺らす、円谷はテレビで時間がないから家庭用扇風機を当てっぱなしでいい
自分が撮る時に、カメラマンが東宝出身で、仕掛けの人は円谷出身でモメ出した
「監督どっちがいい?」て聞かれて両方でやってもらったw
「知恵その2 ナマの迫力にこだわれ」
競い合う各国のパビリオンの展示
アメリカは、アポロ12号が持ち帰った「月の石」(これのために何時間も並びたくないな
回る観覧車で360度のスクリーンに映される映像を見せるなど
太郎が何を見せてくれるのか就任当初から注目された中
太古からの仮面や神の像をズラリと並べ、未来の進歩というテーマとはかけ離れたものだった
「根源の世界」
土偶?
太郎「借りた物はダメだ 現地の人々が使っている物を買ってこい」と命令
人類学者のチームが結成され、ネパール奥地にまで派遣された
学者らが現地の人々と購入した経緯を記した記録 2600点にも及んだ
「たべすぎ男」「大耳男」てなんだろうww
買うことにこだわった理由は、展示物をガラスケースに入れない「露出展示」にしたかったから
今でもその資料が残っている
万博用に集めた資料を保管している野林さん(いい仕事だなあ!
野林:
ガラスケースに入ったものは、違う空間に存在するイメージがある
露出だと質感、硬さ、温度、表面など、これを作ったり、使ったりした人たちと同じ感覚を感じることができる
太郎さんは、自分の手で作品をつくる、手にとることの大切さをずっと考えていたと思う
「根源の世界」
生々しい呪術道具を地下に展示し、その次には、最新の研究成果に基づいた生命の進化の壮大な展示「生命の樹」がある
「生命の樹」
類人猿からヒトへと進化する40億年の道のりをエスカレーターをあがりながら体感できる
「万国博とうモダンなもので占められる 僕は逆をぶつけなくてはならないと思った
近代主義に挑む何千年、何万年もの人間の原点に還るもの
僕は、今日の文明が失ってしまった人間の原点を再獲得しなければならないと思っている
人間はほんとうに生きがいのある原点に戻らなきゃいけない
進歩のもとに切り捨てられた、人々の生きがい、神々への畏敬の念、その価値も表現しなければ
人類の進歩と調和を本当に表現したことにならない」
会期中、917万人が「太陽の塔」に来館した
太郎さん惚れる
平井:
本物の神像などが持っている生命力、重力みたいなものをガラスケースに入れたら全部窒息して死んじゃう
だから絶対にケースに入れたりするな、芸術は生活そのもの
有難いものだからお前ら拝めといって、寄るな触るなみたいなものではないんだ(まったく同感
Q:今、CG主流な中、特撮に非常に強い思いを持つわけは?
樋口:
最初、CGに未来を感じたけど、実は上手くいけばいいけど、上手くいくまでずっと疑い続けていなきゃいけない
アーティストにもっと直して、直して、直してって、お互いの人間関係が崩壊するくらいまでやる
ある程度CGで頑張ったところで、そっから先がないと気づいた
だったら、先輩たちがやってた特撮とかのほうがいいかもしれない
Q:『進撃の巨人』では軍艦島で撮影した狙いは?
樋口:
本物が持っているもの 映画ってどこまでいっても作り話だし、本物の要素は1つもない
現実にあるものでどこまで引用できるか 現実をコラージュして、幻想として新しい現実をつくる そこが芯になる
ちょうど世界遺産に決まりそうな時期で、「スケジュールが変わるから止めろよ」って言われたけど
「これがないと軸足がなくなるから絶対やったほうがいい」と言ってくれた人がいた
万博後、パビリオンはほとんど撤去された中、まだ体験できる場所がある
「大阪万博記念公園」の「太陽の広場」
胸には当時みんなつけていたエンブレム!
井上:
まずゲートを入ると「バッファロー行進」だったw
1日に83万人(最高入場者数)が入ってパンクした日もある
今も当時のパビリオンを体験できる「鉄鋼館」
未来のコンサートホールとして企画された(今こんな感じじゃない?
当時珍しいレーザー光線が使われ、1008個のスピーカーが織りなす立体音響
井上:世界中探してもここにしかないという、未来を先取りした殿堂になっている
「太陽の塔」の裏の真下
地下に行くと、「太陽の塔」の裏の真下(これもバクモンかブラタモで見たな
井上:当時はここから見上げることは出来なかった
46年前の「生命の樹」がある
これを残した理由は、当時最新の造船技術が用いられ、強度が高いゆえ保存が可能だから
井上:
進化を遂げてやっと人間になったが、人間はちっちゃい
当時は、さらに最上階に出て、日差しを浴びる塔が見れた
最初、奇妙に感じた塔も神聖に感じられたそう
閉会後も大阪府民の強い希望で永久保存されることになった
府は内部も一般公開できるようにしたいと考えている
後ろ姿には哀愁があるなあ
平井:
83万人にもなった時は、帰りたくても帰れずに、会場内に泊まった人が何千人もいた(それも贅沢!
テーマ「巨大プロジェクトを成功させるには?」
樋口:
いろんな意見が来るが、揺るぎない魂、初期衝動をどう最後まで持続させるか
今はいろんな情報が入るからブレる
なんでこれやりたいんだっけってことを絶えず思い出して、確認しながら更新していくのが大事
大阪で1人で自主映画を制作していた時、太陽の塔が光ってるのを見て、オレの相談相手はコレだって思ったw
当時「太陽の塔」と並行してつくっていた幻の作品があった
それが渋谷の壁画かあ/驚
太郎の死から2年後の2003年 メキシコの実業家に依頼されていた巨大な壁画が発見され
なんとか日本に持ち帰りたいというプロジェクトがおこる
2008.11.17 公開 「明日の神話」
美術館に展示されてもおかしくない作品を、駅のコンコースに設置したのは、生前の太郎の意志を継いだため
太郎:
芸術は完成するまでは作家のものだが、出来上がった瞬間からみんなのものだ
「ああ、いいな」と思ってもいいし、「なんだこんなもの作りやがって」と悪口言ったっていいんだ
芸術とはそんなものだ 道端の石ころと同じなんだよ
(逆に、道端の石ころも、有名なアーティスト作品と同じくらい貴重なものだとも言いたいんじゃないかな