■竹沢うるま トークイベント@キヤノンホールS(東京・品川)
2016年10月22日13時30分~15時
300名(先着順)参加無料
まったく初めて知った方なんだけど、最近、ブログにインドやネパールの本の感想文をアップしていたことと
写真集のトークイベントとのことで、この情報を知り、深く考えずに申し込んだ 無料だしv
品川駅デカい
「キヤノンホールSまで徒歩8分」はやっぱムリ
まず、駅から出るまでが長いっ
駅構内にアトレがあって、その1Fのイートインできるパン屋さんでランチ
後で、通路のあちこちにもっと安いコーヒーショップのチェーン店がたくさんあることに気づいたんだけど
中央口に出てしまい、港南口までが長ーーーーーい通路
スマホのデカイver.みたいなのがムダにたくさん並べられていて、同じ広告を繰り返し流している 電気代かかってるなあ
3~4コのビルを通り過ぎる通路もひたすら長い スゲーな品川
ビルの合間には幅広い緑地の通路があって、どこまで続いているか分からないくらい
「キヤノンホールS」
写真展は1Fで、トーク会場は3F ギリに着いたので、まずは会場へ
「受講票を当日プリントアウト、またはスマホで提示してください」とメールが来たけど、
スマホで見せたら、名前を確認するだけで、バーコード必要なかったね
中は体育館くらい広くて、大きなスクリーンが正面に2枚
今日は満席とのことなので、そこそこスクリーンに近い右端を選んだ
パイプ椅子も、座り心地の良いデザインで、
トーク中、途中暗くして写真を紹介している間中、隣りの女性は夢の中だった
20代~女性が多い感じで意外
チベット文化圏、大地に息づく「祈り」7点@National geographic
“コルラとは、Korは「廻る」、Laは「峠・山」を意味します。
竹沢氏が中国、ブータン、ネパール、インドなどのチベット文化圏を旅して写し撮った作品を展示します。”
竹沢うるまプロフィール:
“1977年生まれ。在学中、沖縄を訪れたことがきっかけで、写真をはじめる。
その後、アメリカ一年滞在を経て、独学で写真を学ぶ。
卒業後、出版社のスタッフフォトグラファーとして水中撮影を専門とし、2004年より写真家としての活動を本格的に開始。
2010年~2012年にかけて1021日103カ国を巡る旅を敢行。
帰国後、写真集「Walkabout」と、対なる旅行記「The Songlines」を発表。
その他、詩人谷川俊太郎との写真詩集「今」、キューバ写真集「Buena Vista」などの著書がある。
日経ナショナルジオグラフィック写真賞 2014グランプリ受賞。”
●竹沢うるま写真展 Kor La
2016年10月14日(金)~11月22日(月)
会場:キヤノンギャラリーS(東京・品川)
入場無料、10時~17時30分(日曜・祝日は休館)
最初、キヤノンのスタッフさんが簡単にプロフとキヤノンとの関係を紹介してから、本人登場
私はてっきり白髪まじりのおじさんのほうだと思っていたら、その方は取材のカメラマンさんで、
本人は若いんだ(プロフを後で見て、'77生まれだもんね
【トーク 内容抜粋メモ】
毎回トークイベントでは、前置きが長くなって、時間をおしてしまうとかw
「前置きや、途中が長くて、肝心なメインを最後の5分で終わってしまったことがありました
そろそろ慣れたいと思いますw」
と、時々笑いもまじえながら、やっぱり今回も時間をおして、最後は駆け足になってたけど、
途中、質問コーナーも3回ほど挟んで、5~6人の質問に丁寧に答えていた
話の内容は、今回発売された写真集『Kor La』の旅と、本に込めた想いについて
*
「Kor La」の話をするのは、今回が初めてです
これまで少し話したことはあるけど、全体を話すのは初めて
3年間旅をして、写真集「Walkabout」を出版した
まず出発するのに勇気がいったけれども、最初は1年のつもりでとても楽しかった
アフリカ、南米と渡り、そのうち3年が過ぎて、この旅の終わらせ方が分からなくなった
ユーラシアからロカ岬をへて、日本への帰国が近づくが、心の整理がつかずにストレスになってきた
東欧→アジア→中国に入れば、あとは韓国と日本だけ
その旅の終わりをもたらしたのは、チベット自治区、チベット文化圏の「コルラ」だった
『The Songlines』という本にも書きましたが、1人のチベット族の青年バンツに会ったことがきっかけです
この話は、今日以外、人前で話すことはないと思います
中国との軋轢のある場所で、当時は日本へのデモや、北京オリンピックへの抗議デモ、
焼身自殺などが起こり、外国人の通行が困難だった
厳しい検問、バッグの中身をすべて見せなければならず、町から追放されることもある
ある検問の係員にバンツはいきなり殴られ、それが30分ほど続いた
僕は「無意味な暴力」を初めて見ました
やっと彼が車に戻ってきて、本当は僕が大丈夫?とか言わなきゃいけないのに、
しきりに僕に「大丈夫だから 時間をとらせて申し訳なかった」と彼のほうが言ってくる
僕は「無意味な暴力」と、正反対の「優しさ」という両極端なものに触れた
それが3年間の旅を終わらせるきっかになった
これ以上はないと思ったから
*
僕は常々、写真を撮る時、「心の振幅の瞬間を撮りたい」と思っている
だから、それは客観的ではなく、主観的で、自分の心象風景を撮っているようなもの
日本で『Walkabout』を発表して、僕は空っぽの状態だった。今も空っぽのままです
毎回、写真にすべてを注ぎ込んでいるので、そうなる
で、次何をしたらいいのか?
僕は時々、突然、旅のことが日常生活でフラッシュバックします
東京ではないですが、自然の中などで、たとえば風が吹くと
「ああ、これは南米であの時吹いていた風と似てるな」とか
で、ある時、東チベットのことがフラッシュバックして、
忘れていたことをいろいろと思い出した
その時「本当の意味で人の心の流れや深さを自分は理解したのか?」と思った
「人の心の流れ」は「祈り」に通じていると思う
それを知るための旅をしようと、2014年の夏からコルラへの旅を始めました
テーマは「祈りを知るための旅」
客観的ではなく、知る過程を記録したいと思った
*
(ここから、会場を暗くして、写真を紹介しながら説明が始まった
私はメモしながら聞いていたけど、暗くなって手元がほぼ見えない状態で
気になった単語だけをメモったので、あやふやな部分があるのはご了承くださいませ/謝
このイベントの広告に使った写真(馬と旗)ですが、こういう旗はチベットではよく見られます(ネパールにもあった
旗には経文と風の馬が書かれている
それが風にはためく所に置かれている
風の馬に乗って、祈りが世界中の隅々まで届くようにという祈りから「Prayers Flag」とも呼ばれます
上のほうに小さく写っているのはインド人 主に富裕層で、雪景色を見るためだけにここに来る
でも、旗のあるこちら側までは来ません
ここは、「精神的なもの」と「物質的なもの」とが分かれる「分水嶺」だからです
(こないだの『ブラタモリ』にも出てきた単語だ
・軽井沢への道~人はどう峠を越えてきた? ~@ブラタモリ
●インド・ヒマーチャルプラデシュ・スピティ
“夕暮れ時に薄暮の空を反射して輝く川”
これは、本の表紙にも使いました
“スピティ谷に夜が訪れ、満月の光が徐々に谷を月明かりで染めていった。
やがて岩山に建てられた僧院が影の中から浮かび上がって来た。”
この日は満月で、その光だけでこんなに明るい
その満月の明かりが、山のほうからやってきて、寺院が見えてきた 影も効果として入れて撮りました
東京でも、自分の影が写るくらい明るく見えるはずだけど、看板やらコンビニの明かりやらで見えなくなってしまった
“1週間かけて作られる砂曼荼羅は、完成し祈りを捧げたあと、崩され、川に流される。
すべての形あるものが大地に帰る。
捧げられた祈りは、風に乗り、川を流れ、世界の隅々まで行きわたる。”
すべては大地に還り、形あるものは消える 「輪廻」の考えです
心の波を撮るには、自分の心は凪のようでなくてはならない
考えないで撮る だから観る時も考えずに「感じて」ほしいです
*
「チベット仏教」と「梵教」
梵教は、土着信仰で、アニミズムにも通じる
「ヤク」
ヤクは彼らにとってはすべて 毛も革も乳も肉も使うし、売ったりする財産でもある
「ヤギの群れ」
たくさんのヤギの中に、おばあさんがいます ヤギに似ていますよねw
長く一緒にいると似てくる
よく飼い犬を散歩させている姿を見ると似ていることが分かります
ヤギを放牧して、時間になると檻の中に戻ってくる
これと同じ光景を日本でも見ました
ここのビルとビルの間に緑のスペースがあって、そこに喫煙所があるんですが、
ランチの時間になると、ビルから人が一斉に出てきて、そこに集まる
自発的に檻の中に入る様子はヤギにそっくりです(ww
「子どもの目」
ここに住む子どもたちの目はとても輝いている 見つめられると、自分が何者なのか問われている気がする
ほとんどの家庭は、子どもを1人寺に預ける習慣があります
「祭りで歌う女性たち」
澄んだ高い声は、自然にとても馴染む 大地の一部として生きているよう
「サングラスの僧」
みなさん、チベット僧のイメージがどうか分かりませんが、けっこうサングラスをかけている僧侶はたくさんいます
(谷中っちにソックリでビックリ!w
ちなみに「スマホ」も持っています/驚
高僧の説法を録音したり、写真を撮ったり、私たちと変わりありません(w
この僧が両手を広げて上げて、何をしているかというと、パンと手を打つごとに問いをかける 問答ですね、禅のような
「空とは何だ?」
「自然の1つだ」
「自然とは何だ?」
パンと手を打つごとに聞いて、すぐ答えるからけっこう早いスピードです
こうしたことを100回ほど繰り返す そうして真理に近づいていく修行
「世界で一番絶景が見られるトイレ」
寺院は大体崖の上にあるんですが、そこのトイレから見えた景色が絶景だったので撮りました
ぼっとん式なんだけど、土に穴が掘ってあるんじゃなくて、その下は崖
つまり用を足すと、数十mも下に落下していくっていう/驚
(ザレスカール谷だっけ?
<途中の質問タイム>
Q:チベットは食べ物が不味いと聞きますが、何を食べていましたか?
A:
食べないと生きていけないのでフツーに食べていましたw てゆうか、食べ物美味しかったですよ
「モモ」っていう蒸しギョウザとか 肉はないから中は野菜
ブータンの祭り(ゾンだっけ?
寺院は、大体、役所や要塞も兼ねています
みんな仮面をつけているのですが、フシギなことに日本の東北にもとても似た仮面があります
(太郎さんも本に書いていたような???
イザベラ・バードさんていうイギリス人女性が日本の奥地を旅した本があって、
やはりチベットと東北が似ているということを書いていました
(これもブラタモリでゆってた!
・日光の絶景~日光はなぜ“NIKKO”になった?~@ブラタモリ
同じモンゴロイドってこともあるだろうけど、自然環境が同じだと、そこで育まれる文化も似てくるのではないでしょうか
「馬のレース」
馬に乗った男性が棒のようなもので、地面にあるカタ(布)をすくい取ろうとしている場面
「ピンク色の畑」
ピンク色は蕎麦の花です 長野に行くと似た光景が見られます(見たことないなあ どこら辺だろう 桃の花は見るけど
その向こうの黄色い畑は大麦
●ネパール・ムスタン
“旧ムスタン王国の山奥の小さな村の寂れた寺院で、
およそ120年前に日本人で初めてチベットに潜入した河口慧海(1866-1945)の像を見つけた。
像の手の上には、丸い薬のようなものが乗っている。”
鎖国時代だった頃、唯一入った日本人がいた/驚
外国人だとバレないように、インドやチベットで何年も暮らして、風習などを身につけてから
チベット人に紛れて忍び込んだ 河口慧海はその後、帰国して『チベット旅行記』を著しています
僕のいとこの旦那がチベット人で、そんな話を聞いていたが、その像がこの寺院にあった
人がめったに来ない奥地で、寺院の奥に置かれていた
手の上に丸いものがありますが丸薬だと思われます そんな仏像はなかなかない
当時のチベットにはクスリがなかったので、彼の丸薬がとても効いて、崇められ、像が造られたのではないか
ここの僧にこれは誰かと聞いたら「Japanese Rabbi」と言っていた ラビとは高僧の意味です
「商店に置かれたコーラ」
この店の棚に置いてある缶の飲み物 中国語でなんと書かれているか分かりますか?
この見た目ですぐ分かりますよね コカコーラです(その隣りはポカリ?
つまり、僕はいつのまにかチベット文化圏からインド文化圏まで来てしまっていた
ここまで道を造ったために、歩いて何日もかかる所にすぐ来れるようになり、中国との流通が楽になった
僕は、再び戻ることにしました
*
●インド・ラダック
“冬、ザンスカール谷は半年以上雪に閉ざされる。
しかし、厳冬期の1カ月間だけ、川が凍結し、そこに氷の回廊「チャダル」が現れる。
マイナス25度の世界。夜は洞窟で眠る。”
1年のうち7ヶ月は雪で閉ざされるが、1月の1ヶ月間だけ河が凍り、その上を歩けるようになる
(私は、昔読んで、最近ブログにアップしたある本のことを、この日ずっと思い出していて
イベント後、本人に聞くことができた それは後述します
一緒にいるのは僕のポーター(シェルパとは呼ばないのかな? 3~4人いた
大変な道のりだが、とても優しくて、いろいろ世話してくれて、楽しそうだった
同じ村の出身だから仲がいい 1日1000ルピーで雇って、日本円にすると1600円ぐらいだから
それでいいのか?と聞いたらいいというので
河は凍っていない部分もあって、氷が割れる時は突然割れる 毎年、河に落ちて死人が出る
氷を踏むと音が毎回違う その音で判断するんです
「氷に閉じ込められた空気」
(これも広告チラシに載っている キレイだなあ、自然って
「チャダルで出会ったおばあさん」
チベットでは「ジュリ」て言葉を覚えておくと便利です
挨拶でもあり、感謝の言葉でもあり、とにかく何にでも使えるから
このおばあさんとも、ずうっと30分くらい「ジュリ」「あ、ジュリ~」だけで話してました
僕たちは1人あたり30kg重い機材をソリにのせたり、担いだりして、
1週間かけて町に行き、1週間滞在して、また1週間かけてチャダルを往復したので
僕は5kg痩せました(歩きはじめて2日後くらいの時の顔と、もっと後の顔の自撮りを比べて、みんなで笑ったw
でも、このおばあさんは、長靴履いて、この軽装 途中、洞窟で眠る時に食べ物をもらったりするけど
2、3日食べなくても平気なんです/驚
あんまり寒くないように見えますが、この時はマイナス20度くらい
ある日、「今日は暑いなあ」といって脱いでTシャツになった時があって、気温を見たらマイナス10度だった
人間の環境への対応能力ってすごいですよね
町に着いて、ストーブを焚いてくれたのはいいのですが、暑すぎて耐えられなかった
「ユキヒョウの足跡」
この足跡なんだと思います?(もしやクマ?と星野さんの影響で思ったけど違った
ユキヒョウです 僕たちのテントからすぐのところにありました
「テント」
僕は、タイからこちらに入ったので、テントは持っていたが、荷物はなるべく軽くしたいし
ポーターが「僕たちが持っているから大丈夫だよ」というので持っていかなかった
でも彼らが持ってきたのは夏用で、メッシュなので、外にいるのと同じ寒さでしたw
やっぱりテントは自分で持っていったほうがいいですね
この雪に閉ざされた期間、人々は何をしているかというと
ひたすら1日中祈っている ほかにすることがないから
完結した世界だと思った
「昭和のような少年」
これも今年の1月に撮った写真です だからつい最近 昭和初期のように見えるけれども
こんな風に、同じ時間の中でも、こうした人々、文化があるということを知るのも大切だと思う
●中国・四川省・色須 年に一度の大法要の日。
「五体投地」
チベット族の人たちは、1年に1回、100kmほどを五体投地で聖地まで行く
夜はテントを張って眠る
河を挟んで真ん中は、尼さんだけの僧房です 河の手前は瞑想する小屋
*
僕は旅の最後に行こうと思っていた村には行かなかった
バンツと出会った町に行きました 3年前には行けなかった
そこにも寺院があって、僕が時計回りに回ろうとしたら、
反時計回りをしている中国人がいたので、間違えているから教えてあげようとしたら
チベットの女性が来て、「ここでは反時計回りなんだ」と教えてくれて、
彼女も反時計回りに回った つまり「梵教」 似たような寺院だけど、反時計回りに回るんです
ここで旅は終わったんだと思えた
時計回りの文化圏から反時計回りの文化圏、外側に出ていた
それを中国とチベットの両者が教えてくれたことには意味があると思った
この旅は、精神的にも肉体的にもしんどかったです
でも、写真がすべて語ってくれていると思います
僕は、最初のテーマだった「祈り」の意味を知ろうとすることを止めた
それは人それぞれ 祈りに定義はない
対象がなんであれ、それを信じきれた時に人は祈る
大地、神などを、全面的に信じること
それは、身近なことで言えば、家族や、パートナー、仕事、なんでもいい
僕にとっては、写真だと思う
物質的なものではなく、精神的で、シンプルで、本質的なもの
「人の心はどこにあるのか?」
祈りは心あってこそ
それを本で提示したかった
<質問タイム>
Q:タイトルの文字は何ですか?
A:これはチベット文字で「コルラ」と書いてあります
Q:写真を撮る時、現地の人との距離のとりかたはどうしたか?
A:
僕はいわゆるコミュニケーションはとらない
自分の心の状態の問題だと思うので しきたりとかじゃなく
話の中でも少し触れましたが、写真を撮る時は水面のような心にしている
20代の頃に水中写真を撮っていて、魚はなかなか近寄れない
心を波と一体化するというか、呼吸を整え、違和感なく存在することで近寄れる
それは人の間でも同じ これは相手の問題ではなく、自分の心の状態の問題
心の中になにか硬いものを持たないようにする
と同時に「自分」ももっておくと、初めて行った所でもスッと入れる
場所に同化するということとは違う
10年、20年いても同化しようとすると、逆に全部はじかれるので
「異物」として当たり前に思われるようにする
毎回聞かれても上手く答えられなくて申し訳ないんですが
Q:話で感じるままシャッターを押すと言っていましたが、押す時はどんな風に?
A:
よーし撮るぞー!とは思っていません フラフラして撮る
心の水面になにか浮かび上がったものを撮る そういう意味では速いと思う
一瞬、俯瞰で見る時もある 先に撮って、後で俯瞰して、感じて、また撮ったりもする
三脚もたてない たてている間に考えてしまうから
*
(最後に写真集の豪華版のことも話していた たしか5万円だったような/驚
写真展は終わってしまうと、それきりというのがいつももったいないと思っていた
アーカイヴとして残したかった
1枚1枚作品として使えるものです
10年、20年後まで残したい
限定30部で、もう半分は売れてるようですが(/驚
これから写真展はしばらくやらない予定
これ以上のものを撮らなければならない
このもっと遠く、もっと先へ行きたい
いい意味でみなさんを裏切るような、新しいイメージになるかもしれない
この後は、本を購入した人へのサイン会
*
私は、トークイベント後、1Fの写真展に行った
かなり大きく引き伸ばされていて、トークイベントでは紹介されなかった作品も数点あった
どれも素晴らしく、撮った時の空気、匂いまで伝わってくるようで、
思わず写真の中の世界に触れたいと手を伸ばしたくなるほど
真っ白な雪山にポツンとたたずむ人間の小さいこと
「祈りしかない世界」を体感しようとして、しばしその写真の前に立ってみた
フシギと雪山の寒さより、小さな人間の温かみのほうに気がいってしまう
サイン会を終えたうるまさんが、会場入り口で知人の方と親しく話している声が聞こえたので、
気になっていたことを聞いてみた
『凍れる河 Frozen River』(新潮社)
この画像を見せて「この本を思い出したんですけど」「同じ場所ですよ」やっぱり これで納得
ほかにもいろいろ質問攻めにしてしまってすみません
チベット周辺の人々の服装や、装飾品は、普段からカラフルで美しい色だと思って写真を観ていて
「僧侶たちの着ている赤が印象的ですね」
「えんじ色は僧侶の色みたいです 理由は知らないけど」
「格差はないんですか? 崖の上と下で経済的な格差とか」
「それはないです 毎日祈りを捧げることのできない彼らのために祈ってくれている存在だから」
「おばあさんの足元を見たらスニーカーを履いていて、やっぱり欧米文化は少しずつ入ってきてるんですね」
「入ってきてます それによって何も変わることはないけど」
「物質的なものと、スピリチュアルなものとってことですか?」
「僕は“スピリチュアル”とは別物だと思っています だからイベントでもその言葉は一度も使わなかった」
「ヨーガとか、いのちのつながりとか、スピリチュアル的なものと共通していると思ったんですけど」
「それとはまた別なところにある」
「じゃあ、いわゆる一般的に言う“スピリチュアルの定義”とは違うということですかね」
この辺がよく分からなかった うるまさんの考える“スピリチュアル”と、私の思うそれとの違いか?
それとも、実体験として、現地の人たちからは、もっと違ったものを受けたということか?
もし、そうなら、それが何かも聞きたかったなあ
これほどまでに全身全霊で祈る対象とは?
ものすごい人数が四川省・色須の寺院に集まり、高僧に向かって祈る様子が写された写真があって、
彼らにとっては神のような存在の隣りでカメラで撮っているうるまさんに対してどう思ったかも気になったし
胡散臭そうに見ているおじさんもいれば、そんなこと関係なく、必死の顔の女性もいる
彼らの1人1人の祈りが何なのか、とても知りたくなった
毎日、ガランとした草原にヤクを放って、1人見張っている男性がいる写真も
彼が毎日、何を考えているのかとか
*
ついでに、キヤノンの販売ブースもちょっと覗いてみたら、今ってスゴイんだねえ
プリンタから写真展のような写真が出てきちゃってるし
パソコンで確認するにも、写真がくっきりに見えるパソと、その上になにやらひさしみたいなのがついていたり
子どもの運動会用のハンディカメラはコンパクトで可愛いし
その子どもの成長や、愛犬などを撮った写真を1冊の写真集に製本してくれたりとかetc...
へえ~て見ただけで、ついていけない世界 写真を撮るのは大好きだけど
うるまさんは独学で学んだってプロフに書いてあったけど、やっぱり縁か?
でも、インスタントカメラ、チェキ、スマホで撮った写真もアートだと思う
追。
出かける前、爆音とともにオスプレイみたいな機体が連隊を組んで十数機飛ぶのを見た。物騒だねえ・・・
【ブログ内関連記事】
ネパール(2001.9.29-10.7)
2016年10月22日13時30分~15時
300名(先着順)参加無料
まったく初めて知った方なんだけど、最近、ブログにインドやネパールの本の感想文をアップしていたことと
写真集のトークイベントとのことで、この情報を知り、深く考えずに申し込んだ 無料だしv
品川駅デカい
「キヤノンホールSまで徒歩8分」はやっぱムリ
まず、駅から出るまでが長いっ
駅構内にアトレがあって、その1Fのイートインできるパン屋さんでランチ
後で、通路のあちこちにもっと安いコーヒーショップのチェーン店がたくさんあることに気づいたんだけど
中央口に出てしまい、港南口までが長ーーーーーい通路
スマホのデカイver.みたいなのがムダにたくさん並べられていて、同じ広告を繰り返し流している 電気代かかってるなあ
3~4コのビルを通り過ぎる通路もひたすら長い スゲーな品川
ビルの合間には幅広い緑地の通路があって、どこまで続いているか分からないくらい
「キヤノンホールS」
写真展は1Fで、トーク会場は3F ギリに着いたので、まずは会場へ
「受講票を当日プリントアウト、またはスマホで提示してください」とメールが来たけど、
スマホで見せたら、名前を確認するだけで、バーコード必要なかったね
中は体育館くらい広くて、大きなスクリーンが正面に2枚
今日は満席とのことなので、そこそこスクリーンに近い右端を選んだ
パイプ椅子も、座り心地の良いデザインで、
トーク中、途中暗くして写真を紹介している間中、隣りの女性は夢の中だった
20代~女性が多い感じで意外
チベット文化圏、大地に息づく「祈り」7点@National geographic
“コルラとは、Korは「廻る」、Laは「峠・山」を意味します。
竹沢氏が中国、ブータン、ネパール、インドなどのチベット文化圏を旅して写し撮った作品を展示します。”
竹沢うるまプロフィール:
“1977年生まれ。在学中、沖縄を訪れたことがきっかけで、写真をはじめる。
その後、アメリカ一年滞在を経て、独学で写真を学ぶ。
卒業後、出版社のスタッフフォトグラファーとして水中撮影を専門とし、2004年より写真家としての活動を本格的に開始。
2010年~2012年にかけて1021日103カ国を巡る旅を敢行。
帰国後、写真集「Walkabout」と、対なる旅行記「The Songlines」を発表。
その他、詩人谷川俊太郎との写真詩集「今」、キューバ写真集「Buena Vista」などの著書がある。
日経ナショナルジオグラフィック写真賞 2014グランプリ受賞。”
●竹沢うるま写真展 Kor La
2016年10月14日(金)~11月22日(月)
会場:キヤノンギャラリーS(東京・品川)
入場無料、10時~17時30分(日曜・祝日は休館)
最初、キヤノンのスタッフさんが簡単にプロフとキヤノンとの関係を紹介してから、本人登場
私はてっきり白髪まじりのおじさんのほうだと思っていたら、その方は取材のカメラマンさんで、
本人は若いんだ(プロフを後で見て、'77生まれだもんね
【トーク 内容抜粋メモ】
毎回トークイベントでは、前置きが長くなって、時間をおしてしまうとかw
「前置きや、途中が長くて、肝心なメインを最後の5分で終わってしまったことがありました
そろそろ慣れたいと思いますw」
と、時々笑いもまじえながら、やっぱり今回も時間をおして、最後は駆け足になってたけど、
途中、質問コーナーも3回ほど挟んで、5~6人の質問に丁寧に答えていた
話の内容は、今回発売された写真集『Kor La』の旅と、本に込めた想いについて
*
「Kor La」の話をするのは、今回が初めてです
これまで少し話したことはあるけど、全体を話すのは初めて
3年間旅をして、写真集「Walkabout」を出版した
まず出発するのに勇気がいったけれども、最初は1年のつもりでとても楽しかった
アフリカ、南米と渡り、そのうち3年が過ぎて、この旅の終わらせ方が分からなくなった
ユーラシアからロカ岬をへて、日本への帰国が近づくが、心の整理がつかずにストレスになってきた
東欧→アジア→中国に入れば、あとは韓国と日本だけ
その旅の終わりをもたらしたのは、チベット自治区、チベット文化圏の「コルラ」だった
『The Songlines』という本にも書きましたが、1人のチベット族の青年バンツに会ったことがきっかけです
この話は、今日以外、人前で話すことはないと思います
中国との軋轢のある場所で、当時は日本へのデモや、北京オリンピックへの抗議デモ、
焼身自殺などが起こり、外国人の通行が困難だった
厳しい検問、バッグの中身をすべて見せなければならず、町から追放されることもある
ある検問の係員にバンツはいきなり殴られ、それが30分ほど続いた
僕は「無意味な暴力」を初めて見ました
やっと彼が車に戻ってきて、本当は僕が大丈夫?とか言わなきゃいけないのに、
しきりに僕に「大丈夫だから 時間をとらせて申し訳なかった」と彼のほうが言ってくる
僕は「無意味な暴力」と、正反対の「優しさ」という両極端なものに触れた
それが3年間の旅を終わらせるきっかになった
これ以上はないと思ったから
*
僕は常々、写真を撮る時、「心の振幅の瞬間を撮りたい」と思っている
だから、それは客観的ではなく、主観的で、自分の心象風景を撮っているようなもの
日本で『Walkabout』を発表して、僕は空っぽの状態だった。今も空っぽのままです
毎回、写真にすべてを注ぎ込んでいるので、そうなる
で、次何をしたらいいのか?
僕は時々、突然、旅のことが日常生活でフラッシュバックします
東京ではないですが、自然の中などで、たとえば風が吹くと
「ああ、これは南米であの時吹いていた風と似てるな」とか
で、ある時、東チベットのことがフラッシュバックして、
忘れていたことをいろいろと思い出した
その時「本当の意味で人の心の流れや深さを自分は理解したのか?」と思った
「人の心の流れ」は「祈り」に通じていると思う
それを知るための旅をしようと、2014年の夏からコルラへの旅を始めました
テーマは「祈りを知るための旅」
客観的ではなく、知る過程を記録したいと思った
*
(ここから、会場を暗くして、写真を紹介しながら説明が始まった
私はメモしながら聞いていたけど、暗くなって手元がほぼ見えない状態で
気になった単語だけをメモったので、あやふやな部分があるのはご了承くださいませ/謝
このイベントの広告に使った写真(馬と旗)ですが、こういう旗はチベットではよく見られます(ネパールにもあった
旗には経文と風の馬が書かれている
それが風にはためく所に置かれている
風の馬に乗って、祈りが世界中の隅々まで届くようにという祈りから「Prayers Flag」とも呼ばれます
上のほうに小さく写っているのはインド人 主に富裕層で、雪景色を見るためだけにここに来る
でも、旗のあるこちら側までは来ません
ここは、「精神的なもの」と「物質的なもの」とが分かれる「分水嶺」だからです
(こないだの『ブラタモリ』にも出てきた単語だ
・軽井沢への道~人はどう峠を越えてきた? ~@ブラタモリ
●インド・ヒマーチャルプラデシュ・スピティ
“夕暮れ時に薄暮の空を反射して輝く川”
これは、本の表紙にも使いました
“スピティ谷に夜が訪れ、満月の光が徐々に谷を月明かりで染めていった。
やがて岩山に建てられた僧院が影の中から浮かび上がって来た。”
この日は満月で、その光だけでこんなに明るい
その満月の明かりが、山のほうからやってきて、寺院が見えてきた 影も効果として入れて撮りました
東京でも、自分の影が写るくらい明るく見えるはずだけど、看板やらコンビニの明かりやらで見えなくなってしまった
“1週間かけて作られる砂曼荼羅は、完成し祈りを捧げたあと、崩され、川に流される。
すべての形あるものが大地に帰る。
捧げられた祈りは、風に乗り、川を流れ、世界の隅々まで行きわたる。”
すべては大地に還り、形あるものは消える 「輪廻」の考えです
心の波を撮るには、自分の心は凪のようでなくてはならない
考えないで撮る だから観る時も考えずに「感じて」ほしいです
*
「チベット仏教」と「梵教」
梵教は、土着信仰で、アニミズムにも通じる
「ヤク」
ヤクは彼らにとってはすべて 毛も革も乳も肉も使うし、売ったりする財産でもある
「ヤギの群れ」
たくさんのヤギの中に、おばあさんがいます ヤギに似ていますよねw
長く一緒にいると似てくる
よく飼い犬を散歩させている姿を見ると似ていることが分かります
ヤギを放牧して、時間になると檻の中に戻ってくる
これと同じ光景を日本でも見ました
ここのビルとビルの間に緑のスペースがあって、そこに喫煙所があるんですが、
ランチの時間になると、ビルから人が一斉に出てきて、そこに集まる
自発的に檻の中に入る様子はヤギにそっくりです(ww
「子どもの目」
ここに住む子どもたちの目はとても輝いている 見つめられると、自分が何者なのか問われている気がする
ほとんどの家庭は、子どもを1人寺に預ける習慣があります
「祭りで歌う女性たち」
澄んだ高い声は、自然にとても馴染む 大地の一部として生きているよう
「サングラスの僧」
みなさん、チベット僧のイメージがどうか分かりませんが、けっこうサングラスをかけている僧侶はたくさんいます
(谷中っちにソックリでビックリ!w
ちなみに「スマホ」も持っています/驚
高僧の説法を録音したり、写真を撮ったり、私たちと変わりありません(w
この僧が両手を広げて上げて、何をしているかというと、パンと手を打つごとに問いをかける 問答ですね、禅のような
「空とは何だ?」
「自然の1つだ」
「自然とは何だ?」
パンと手を打つごとに聞いて、すぐ答えるからけっこう早いスピードです
こうしたことを100回ほど繰り返す そうして真理に近づいていく修行
「世界で一番絶景が見られるトイレ」
寺院は大体崖の上にあるんですが、そこのトイレから見えた景色が絶景だったので撮りました
ぼっとん式なんだけど、土に穴が掘ってあるんじゃなくて、その下は崖
つまり用を足すと、数十mも下に落下していくっていう/驚
(ザレスカール谷だっけ?
<途中の質問タイム>
Q:チベットは食べ物が不味いと聞きますが、何を食べていましたか?
A:
食べないと生きていけないのでフツーに食べていましたw てゆうか、食べ物美味しかったですよ
「モモ」っていう蒸しギョウザとか 肉はないから中は野菜
ブータンの祭り(ゾンだっけ?
寺院は、大体、役所や要塞も兼ねています
みんな仮面をつけているのですが、フシギなことに日本の東北にもとても似た仮面があります
(太郎さんも本に書いていたような???
イザベラ・バードさんていうイギリス人女性が日本の奥地を旅した本があって、
やはりチベットと東北が似ているということを書いていました
(これもブラタモリでゆってた!
・日光の絶景~日光はなぜ“NIKKO”になった?~@ブラタモリ
同じモンゴロイドってこともあるだろうけど、自然環境が同じだと、そこで育まれる文化も似てくるのではないでしょうか
「馬のレース」
馬に乗った男性が棒のようなもので、地面にあるカタ(布)をすくい取ろうとしている場面
「ピンク色の畑」
ピンク色は蕎麦の花です 長野に行くと似た光景が見られます(見たことないなあ どこら辺だろう 桃の花は見るけど
その向こうの黄色い畑は大麦
●ネパール・ムスタン
“旧ムスタン王国の山奥の小さな村の寂れた寺院で、
およそ120年前に日本人で初めてチベットに潜入した河口慧海(1866-1945)の像を見つけた。
像の手の上には、丸い薬のようなものが乗っている。”
鎖国時代だった頃、唯一入った日本人がいた/驚
外国人だとバレないように、インドやチベットで何年も暮らして、風習などを身につけてから
チベット人に紛れて忍び込んだ 河口慧海はその後、帰国して『チベット旅行記』を著しています
僕のいとこの旦那がチベット人で、そんな話を聞いていたが、その像がこの寺院にあった
人がめったに来ない奥地で、寺院の奥に置かれていた
手の上に丸いものがありますが丸薬だと思われます そんな仏像はなかなかない
当時のチベットにはクスリがなかったので、彼の丸薬がとても効いて、崇められ、像が造られたのではないか
ここの僧にこれは誰かと聞いたら「Japanese Rabbi」と言っていた ラビとは高僧の意味です
「商店に置かれたコーラ」
この店の棚に置いてある缶の飲み物 中国語でなんと書かれているか分かりますか?
この見た目ですぐ分かりますよね コカコーラです(その隣りはポカリ?
つまり、僕はいつのまにかチベット文化圏からインド文化圏まで来てしまっていた
ここまで道を造ったために、歩いて何日もかかる所にすぐ来れるようになり、中国との流通が楽になった
僕は、再び戻ることにしました
*
●インド・ラダック
“冬、ザンスカール谷は半年以上雪に閉ざされる。
しかし、厳冬期の1カ月間だけ、川が凍結し、そこに氷の回廊「チャダル」が現れる。
マイナス25度の世界。夜は洞窟で眠る。”
1年のうち7ヶ月は雪で閉ざされるが、1月の1ヶ月間だけ河が凍り、その上を歩けるようになる
(私は、昔読んで、最近ブログにアップしたある本のことを、この日ずっと思い出していて
イベント後、本人に聞くことができた それは後述します
一緒にいるのは僕のポーター(シェルパとは呼ばないのかな? 3~4人いた
大変な道のりだが、とても優しくて、いろいろ世話してくれて、楽しそうだった
同じ村の出身だから仲がいい 1日1000ルピーで雇って、日本円にすると1600円ぐらいだから
それでいいのか?と聞いたらいいというので
河は凍っていない部分もあって、氷が割れる時は突然割れる 毎年、河に落ちて死人が出る
氷を踏むと音が毎回違う その音で判断するんです
「氷に閉じ込められた空気」
(これも広告チラシに載っている キレイだなあ、自然って
「チャダルで出会ったおばあさん」
チベットでは「ジュリ」て言葉を覚えておくと便利です
挨拶でもあり、感謝の言葉でもあり、とにかく何にでも使えるから
このおばあさんとも、ずうっと30分くらい「ジュリ」「あ、ジュリ~」だけで話してました
僕たちは1人あたり30kg重い機材をソリにのせたり、担いだりして、
1週間かけて町に行き、1週間滞在して、また1週間かけてチャダルを往復したので
僕は5kg痩せました(歩きはじめて2日後くらいの時の顔と、もっと後の顔の自撮りを比べて、みんなで笑ったw
でも、このおばあさんは、長靴履いて、この軽装 途中、洞窟で眠る時に食べ物をもらったりするけど
2、3日食べなくても平気なんです/驚
あんまり寒くないように見えますが、この時はマイナス20度くらい
ある日、「今日は暑いなあ」といって脱いでTシャツになった時があって、気温を見たらマイナス10度だった
人間の環境への対応能力ってすごいですよね
町に着いて、ストーブを焚いてくれたのはいいのですが、暑すぎて耐えられなかった
「ユキヒョウの足跡」
この足跡なんだと思います?(もしやクマ?と星野さんの影響で思ったけど違った
ユキヒョウです 僕たちのテントからすぐのところにありました
「テント」
僕は、タイからこちらに入ったので、テントは持っていたが、荷物はなるべく軽くしたいし
ポーターが「僕たちが持っているから大丈夫だよ」というので持っていかなかった
でも彼らが持ってきたのは夏用で、メッシュなので、外にいるのと同じ寒さでしたw
やっぱりテントは自分で持っていったほうがいいですね
この雪に閉ざされた期間、人々は何をしているかというと
ひたすら1日中祈っている ほかにすることがないから
完結した世界だと思った
「昭和のような少年」
これも今年の1月に撮った写真です だからつい最近 昭和初期のように見えるけれども
こんな風に、同じ時間の中でも、こうした人々、文化があるということを知るのも大切だと思う
●中国・四川省・色須 年に一度の大法要の日。
「五体投地」
チベット族の人たちは、1年に1回、100kmほどを五体投地で聖地まで行く
夜はテントを張って眠る
河を挟んで真ん中は、尼さんだけの僧房です 河の手前は瞑想する小屋
*
僕は旅の最後に行こうと思っていた村には行かなかった
バンツと出会った町に行きました 3年前には行けなかった
そこにも寺院があって、僕が時計回りに回ろうとしたら、
反時計回りをしている中国人がいたので、間違えているから教えてあげようとしたら
チベットの女性が来て、「ここでは反時計回りなんだ」と教えてくれて、
彼女も反時計回りに回った つまり「梵教」 似たような寺院だけど、反時計回りに回るんです
ここで旅は終わったんだと思えた
時計回りの文化圏から反時計回りの文化圏、外側に出ていた
それを中国とチベットの両者が教えてくれたことには意味があると思った
この旅は、精神的にも肉体的にもしんどかったです
でも、写真がすべて語ってくれていると思います
僕は、最初のテーマだった「祈り」の意味を知ろうとすることを止めた
それは人それぞれ 祈りに定義はない
対象がなんであれ、それを信じきれた時に人は祈る
大地、神などを、全面的に信じること
それは、身近なことで言えば、家族や、パートナー、仕事、なんでもいい
僕にとっては、写真だと思う
物質的なものではなく、精神的で、シンプルで、本質的なもの
「人の心はどこにあるのか?」
祈りは心あってこそ
それを本で提示したかった
<質問タイム>
Q:タイトルの文字は何ですか?
A:これはチベット文字で「コルラ」と書いてあります
Q:写真を撮る時、現地の人との距離のとりかたはどうしたか?
A:
僕はいわゆるコミュニケーションはとらない
自分の心の状態の問題だと思うので しきたりとかじゃなく
話の中でも少し触れましたが、写真を撮る時は水面のような心にしている
20代の頃に水中写真を撮っていて、魚はなかなか近寄れない
心を波と一体化するというか、呼吸を整え、違和感なく存在することで近寄れる
それは人の間でも同じ これは相手の問題ではなく、自分の心の状態の問題
心の中になにか硬いものを持たないようにする
と同時に「自分」ももっておくと、初めて行った所でもスッと入れる
場所に同化するということとは違う
10年、20年いても同化しようとすると、逆に全部はじかれるので
「異物」として当たり前に思われるようにする
毎回聞かれても上手く答えられなくて申し訳ないんですが
Q:話で感じるままシャッターを押すと言っていましたが、押す時はどんな風に?
A:
よーし撮るぞー!とは思っていません フラフラして撮る
心の水面になにか浮かび上がったものを撮る そういう意味では速いと思う
一瞬、俯瞰で見る時もある 先に撮って、後で俯瞰して、感じて、また撮ったりもする
三脚もたてない たてている間に考えてしまうから
*
(最後に写真集の豪華版のことも話していた たしか5万円だったような/驚
写真展は終わってしまうと、それきりというのがいつももったいないと思っていた
アーカイヴとして残したかった
1枚1枚作品として使えるものです
10年、20年後まで残したい
限定30部で、もう半分は売れてるようですが(/驚
これから写真展はしばらくやらない予定
これ以上のものを撮らなければならない
このもっと遠く、もっと先へ行きたい
いい意味でみなさんを裏切るような、新しいイメージになるかもしれない
この後は、本を購入した人へのサイン会
*
私は、トークイベント後、1Fの写真展に行った
かなり大きく引き伸ばされていて、トークイベントでは紹介されなかった作品も数点あった
どれも素晴らしく、撮った時の空気、匂いまで伝わってくるようで、
思わず写真の中の世界に触れたいと手を伸ばしたくなるほど
真っ白な雪山にポツンとたたずむ人間の小さいこと
「祈りしかない世界」を体感しようとして、しばしその写真の前に立ってみた
フシギと雪山の寒さより、小さな人間の温かみのほうに気がいってしまう
サイン会を終えたうるまさんが、会場入り口で知人の方と親しく話している声が聞こえたので、
気になっていたことを聞いてみた
『凍れる河 Frozen River』(新潮社)
この画像を見せて「この本を思い出したんですけど」「同じ場所ですよ」やっぱり これで納得
ほかにもいろいろ質問攻めにしてしまってすみません
チベット周辺の人々の服装や、装飾品は、普段からカラフルで美しい色だと思って写真を観ていて
「僧侶たちの着ている赤が印象的ですね」
「えんじ色は僧侶の色みたいです 理由は知らないけど」
「格差はないんですか? 崖の上と下で経済的な格差とか」
「それはないです 毎日祈りを捧げることのできない彼らのために祈ってくれている存在だから」
「おばあさんの足元を見たらスニーカーを履いていて、やっぱり欧米文化は少しずつ入ってきてるんですね」
「入ってきてます それによって何も変わることはないけど」
「物質的なものと、スピリチュアルなものとってことですか?」
「僕は“スピリチュアル”とは別物だと思っています だからイベントでもその言葉は一度も使わなかった」
「ヨーガとか、いのちのつながりとか、スピリチュアル的なものと共通していると思ったんですけど」
「それとはまた別なところにある」
「じゃあ、いわゆる一般的に言う“スピリチュアルの定義”とは違うということですかね」
この辺がよく分からなかった うるまさんの考える“スピリチュアル”と、私の思うそれとの違いか?
それとも、実体験として、現地の人たちからは、もっと違ったものを受けたということか?
もし、そうなら、それが何かも聞きたかったなあ
これほどまでに全身全霊で祈る対象とは?
ものすごい人数が四川省・色須の寺院に集まり、高僧に向かって祈る様子が写された写真があって、
彼らにとっては神のような存在の隣りでカメラで撮っているうるまさんに対してどう思ったかも気になったし
胡散臭そうに見ているおじさんもいれば、そんなこと関係なく、必死の顔の女性もいる
彼らの1人1人の祈りが何なのか、とても知りたくなった
毎日、ガランとした草原にヤクを放って、1人見張っている男性がいる写真も
彼が毎日、何を考えているのかとか
*
ついでに、キヤノンの販売ブースもちょっと覗いてみたら、今ってスゴイんだねえ
プリンタから写真展のような写真が出てきちゃってるし
パソコンで確認するにも、写真がくっきりに見えるパソと、その上になにやらひさしみたいなのがついていたり
子どもの運動会用のハンディカメラはコンパクトで可愛いし
その子どもの成長や、愛犬などを撮った写真を1冊の写真集に製本してくれたりとかetc...
へえ~て見ただけで、ついていけない世界 写真を撮るのは大好きだけど
うるまさんは独学で学んだってプロフに書いてあったけど、やっぱり縁か?
でも、インスタントカメラ、チェキ、スマホで撮った写真もアートだと思う
追。
出かける前、爆音とともにオスプレイみたいな機体が連隊を組んで十数機飛ぶのを見た。物騒だねえ・・・
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ネパール(2001.9.29-10.7)