■『老人と海』(新潮社)
原題 The Old Man and The Sea by Ernest Hemingway
E.ヘミングウェイ/著 福田恆存/訳
初版 1952年(アメリカ) 1966年(日本) 1997年 86刷 400円
※1997.7~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
E.ヘミングウェイ
1899 シカゴ生まれ
1918 第一次世界大戦に参戦し負傷
1921~1928 パリ在住中『われらの時代』『日はまた昇る』『男だけの世界』『武器よさらば』『キリマンジャロの雪』など発表
スペイン内戦、第二次世界大戦に従軍記者として参加
1952 今作でピューリツァ賞、1959 ノーベル文学賞受賞
1961 猟銃で自裁
この夏の読書の最後を飾るにふさわしい今作
ヘミングウェイはあまりに有名すぎて、また硬そうで、今まで近づけなかったけど、
ベストセラーとなる名作にとっつきづらいものなどないと思い直して、取り組んだら
イメージに反して一気に読めるスリルと迫力に満ちた、
スピード感あるストーリーにとらわれてしまった
釣りに興味がなくても、老漁師が漁を愛し、
自分が殺そうとしている魚をも愛し、
海という母体を心から愛してやまない気持ちが伝わる
命を懸けて捕らえた“兄弟”を残忍な鮫によって、手を打つ術もなく喰いちぎられていく過程はまさに
「自分の体が喰いちぎられていくよう」で、街の灯りが見えないかと祈る焦りが痛いほど伝わる
私たちは、もう老人と完全に同化している
極限状態で漁師は、究極の問いを考えずにはいられなくなる
「どうして魚を殺さなきゃならないのか?」
「なぜ他を殺してまで生きながらえなければならないか」
「人は負けてはいけないのだ」
「結局わしらは遠出をしすぎたのだ」
老人は舟以外すべてを失い、心身もボロボロにして帰途に着く
彼は死んでしまったのか?
それとも強靭な精神で再び思い直して、1から漁に向かっただろうか?
▼あらすじ(ネタバレ注意
キューバの老漁夫サンチャゴは、もう84日間も不漁つづき
幼い頃、漁を教え、彼を慕う少年マノーリンは、彼の船に乗らなくなった後も
ずっと彼のために朝食やらを世話している
「85日目は運がつくかもしれない」
沖に出たサンチャゴは、巨大カジキマグロを引っかけ、網を最長に結んで沖まで引き、疲れるのを待つ
左手はひきつれ、血が流れ、背中は感覚を失う
「左手のために血となれ」
と鮪を食べて我慢比べは続く
弱った小鳥に、友人のように話しかける老人
「こいつが捕らえられるなら祈りを10回ずつやってもいい」
とうとう4日目、魚は回り始め、老人は何度も気を失いながら銛を打ち込み、仕留めた
船にくくりつけ、風に流されるまま帰途に向かう小舟
が、血の匂いを嗅ぎつけた青ザメが容赦なく獲物にかぶりつく
サンチャゴは、額の真ん中、脳めがけて銛を打つ
次は2匹の残虐なガラノー
彼らは人食いザメで、胃に入るならなんでも食べる
銛を取られ、カジキは1/4も失われる
次から次へ襲うサメの群れに、オールの先にナイフを縛り、それも刺した後に奪われ、
オールで叩き折れた先で刺し、舵で叩いて折れ、
ようやく夜の闇にハバナ港の灯りが見えた頃には
カジキは無念にも頭と尾しか残らなかった
老人はベッドに這うように眠りこみ、
翌朝、少年は事の次第を知り、泣きながらコーヒーを用意する
町の漁師らは、残骸で老人の死闘と獲物がどれだけ素晴らしかったかを知るが
旅行者はよりによって鮫の死骸と勘違いして驚嘆する
*
老人が時々思い浮かべるディマジオのかかとの骨の蹴爪のくだりがユーモアがあっていい
どんな怪我か分からないが、自分の闘いも劣らないだろうと自負する
当時の大スター野球選手の彼の名を連呼するあたりは、とても世俗的で親しみ深い
老人がいつも夢に見る、アフリカにいた時のライオンの姿も幻想的
妻を亡くし、村人から半ば見捨てられている老人の唯一の話し相手で、友人の少年との会話も心に沁みる
“だれか話し相手がいるというのは、どんなに楽しいことかが初めて分かった
自分自身や海に向かってお喋りするよりずっといい”
「幸運がどこかで売っててくれればいいのにな もちろん代価は払うさ」
いかにも船乗りらしい考え方
「あの子がいてくれたらなあ」
老人が何度も大声でつぶやく様子は、孤独そのもの
原題 The Old Man and The Sea by Ernest Hemingway
E.ヘミングウェイ/著 福田恆存/訳
初版 1952年(アメリカ) 1966年(日本) 1997年 86刷 400円
※1997.7~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
E.ヘミングウェイ
1899 シカゴ生まれ
1918 第一次世界大戦に参戦し負傷
1921~1928 パリ在住中『われらの時代』『日はまた昇る』『男だけの世界』『武器よさらば』『キリマンジャロの雪』など発表
スペイン内戦、第二次世界大戦に従軍記者として参加
1952 今作でピューリツァ賞、1959 ノーベル文学賞受賞
1961 猟銃で自裁
この夏の読書の最後を飾るにふさわしい今作
ヘミングウェイはあまりに有名すぎて、また硬そうで、今まで近づけなかったけど、
ベストセラーとなる名作にとっつきづらいものなどないと思い直して、取り組んだら
イメージに反して一気に読めるスリルと迫力に満ちた、
スピード感あるストーリーにとらわれてしまった
釣りに興味がなくても、老漁師が漁を愛し、
自分が殺そうとしている魚をも愛し、
海という母体を心から愛してやまない気持ちが伝わる
命を懸けて捕らえた“兄弟”を残忍な鮫によって、手を打つ術もなく喰いちぎられていく過程はまさに
「自分の体が喰いちぎられていくよう」で、街の灯りが見えないかと祈る焦りが痛いほど伝わる
私たちは、もう老人と完全に同化している
極限状態で漁師は、究極の問いを考えずにはいられなくなる
「どうして魚を殺さなきゃならないのか?」
「なぜ他を殺してまで生きながらえなければならないか」
「人は負けてはいけないのだ」
「結局わしらは遠出をしすぎたのだ」
老人は舟以外すべてを失い、心身もボロボロにして帰途に着く
彼は死んでしまったのか?
それとも強靭な精神で再び思い直して、1から漁に向かっただろうか?
▼あらすじ(ネタバレ注意
キューバの老漁夫サンチャゴは、もう84日間も不漁つづき
幼い頃、漁を教え、彼を慕う少年マノーリンは、彼の船に乗らなくなった後も
ずっと彼のために朝食やらを世話している
「85日目は運がつくかもしれない」
沖に出たサンチャゴは、巨大カジキマグロを引っかけ、網を最長に結んで沖まで引き、疲れるのを待つ
左手はひきつれ、血が流れ、背中は感覚を失う
「左手のために血となれ」
と鮪を食べて我慢比べは続く
弱った小鳥に、友人のように話しかける老人
「こいつが捕らえられるなら祈りを10回ずつやってもいい」
とうとう4日目、魚は回り始め、老人は何度も気を失いながら銛を打ち込み、仕留めた
船にくくりつけ、風に流されるまま帰途に向かう小舟
が、血の匂いを嗅ぎつけた青ザメが容赦なく獲物にかぶりつく
サンチャゴは、額の真ん中、脳めがけて銛を打つ
次は2匹の残虐なガラノー
彼らは人食いザメで、胃に入るならなんでも食べる
銛を取られ、カジキは1/4も失われる
次から次へ襲うサメの群れに、オールの先にナイフを縛り、それも刺した後に奪われ、
オールで叩き折れた先で刺し、舵で叩いて折れ、
ようやく夜の闇にハバナ港の灯りが見えた頃には
カジキは無念にも頭と尾しか残らなかった
老人はベッドに這うように眠りこみ、
翌朝、少年は事の次第を知り、泣きながらコーヒーを用意する
町の漁師らは、残骸で老人の死闘と獲物がどれだけ素晴らしかったかを知るが
旅行者はよりによって鮫の死骸と勘違いして驚嘆する
*
老人が時々思い浮かべるディマジオのかかとの骨の蹴爪のくだりがユーモアがあっていい
どんな怪我か分からないが、自分の闘いも劣らないだろうと自負する
当時の大スター野球選手の彼の名を連呼するあたりは、とても世俗的で親しみ深い
老人がいつも夢に見る、アフリカにいた時のライオンの姿も幻想的
妻を亡くし、村人から半ば見捨てられている老人の唯一の話し相手で、友人の少年との会話も心に沁みる
“だれか話し相手がいるというのは、どんなに楽しいことかが初めて分かった
自分自身や海に向かってお喋りするよりずっといい”
「幸運がどこかで売っててくれればいいのにな もちろん代価は払うさ」
いかにも船乗りらしい考え方
「あの子がいてくれたらなあ」
老人が何度も大声でつぶやく様子は、孤独そのもの