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『老人と海 与那国島』(朝日新聞社)

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『老人と海 与那国島』(朝日新聞社)
本橋成一/写真 坂田明/文

「作家別」カテゴリーに追加しました。

同名のドキュメンタリー映画の撮影とともに撮った写真集とのこと
日本というより台湾に近い最西端の島
この辺りは、沖縄戦の時どうだったんだろう?
本橋さんは、漁師と一緒に漁に出て、ひたすら漁師を撮り続けた

自然と一体化した人々の暮らしは素晴らしいが、
いざ、自分がこの島に馴染めるかと考えたら、想像できない
まずは、一人暮らしというより、夫婦単位の世界だし

老漁師のじっちゃんは、カッケー!と思うし
1つの島で自給自足で完結していて、ある意味、理想郷でありながら
本橋さんも本文中で言っているとおり「東京とはまったく別世界」であることが伝わる


坂田明:
ミュージシャン 広島県呉市生まれ
最新作『蒙古』はバージンレコードを通じて全世界に発売された


【内容抜粋メモ】

1島1町の自治体ってところがまずスゴイ


●与那国で、オレの目からウロコがバサッと落ちていく。 南北に“イン・ザ・ムード”流れる 坂田明

自分が生まれ育った瀬戸内海もこうだった
とくに魚市場とスベリという組み合わせが少年時代の心象風景と重なる

本橋「久部良の全校生徒でブラスバンドをやるんだってさ」
坂田「そりゃ面白い、会いに行こう」

 

全校生徒は28人
少し指導のマネをした
彼らは大したもんだった
それは上手い、下手とかいう問題じゃないとこだ

「楽しく思いきって演奏しろ キミらには島唄がある あのように音楽はやればいい」

「みんなでコンサートやろうよ」
「じゃあ、なんでもいいから練習しといて」

曲は“イン・ザ・ムード”に決まったという
笑って大丈夫だよなんちゃってるけど、オレは“イン・ザ・ムード”なんて一度も吹いたことはないのである

「そこのバァーッというのは、この曲の中でトロンボーンが一番カッコよく聴こえるとこなんだ
 つまり、この曲は各々の楽器がカッコよく聴こえるように作ってあるんだ」

小室等さんが「みんなリラックスしていこうな」

リラックス、いい言葉だ
リラックスして楽しくベストを尽くす
オレは頑張るのは止めたんだ。日本人の頑張リズムには嫌気がさしてきた

「おい、アンコールだ、もう1回やろう」


久部良ミトのミジンコ採り

「本橋さん、ミジンコ採りに行こうか」

空港から久部良に来る途中の沼に密かに目をつけていた

まずここには鷺がくる
つまり魚やタニシがいる
ということは魚の稚魚の餌になるミジンコがいるはずだ

(こういう自然の知識をたくさん持っている人間のほうが強いよなあ! カッコいい

パンストは、プランクトンネットにするのにちょうど具合のいい網目だ

悲鳴とともにオレの右足が腰までブッスリと沼につきささった
本橋さんに助け上げてもらい、水面を網でさらい、ミジンコたちがバケツに入る
(採って食べるの?



与那国文化創造へ向けて

いわゆるケンミジンコがほとんど

なんでもない水辺の野草、名も知らぬ昆虫、そういうものを自分の目で確かめたとき、
もの凄い感動がある からだがジーンとなる

久部良バリの貯水槽にはエビの仲間が驚くほどたくさんいた
オレは、水溜りを見ると必ず覗きたくなる習性になっているから、大喜びだったのである


カジキの餌は生きたカツオ
カツオの餌はイワシ、サンマ、サバ
イワシ、サンマ、サバの餌はもっと小型の魚
稚魚の時代はワムシ類やミジンコ類が餌

100キロのカジキは、その10倍位のカツオなどを食べている
10倍のカツオがその10倍のイワシやサバを食べ
イワシやサバがその10倍の小魚や動物プランクトンを食べているとするならば

100キロのカジキは、食物連鎖の初期段階では100トンもの小魚やプランクトンに支えられていることになる
これには、ギャーッ!というしかない


与那国島
それはニューヨーク、東京、スイス、インドの砂漠ともちゃんと繋がっていて
絶海の孤島というのは単に地理的、経済的に東京から遠いという説明にしかならない

距離感なんて、相対的だ
沖縄とアメリカの距離は、本土とアメリカより短いと感ずるように

この島から世界へ出かけて島唄を唄っている富里康子さんたちにお会いしたとき、
オレの目からウロコがバサッといって落ちた



●海天 じいちゃんとカジキ



糸数繁 82歳
わずか7mの小舟「サバニ」で遠い海に出て、200キロもあるカジキをひとりで釣りあげる
15歳で漁師になり、67年目 与那国の海と魚はすべてじいちゃんの体ではかれてしまう

久部良には約60人の漁師がいる

屋根のないサバニの上は大変な暑さになる
「クバ」で作ったカサをかぶって日除けにする
クバのカサを編む人も今では与那国唯一人となった



200キロ級のカジキを数十分で仕留める時もあれば、何時間もかかることもある
とどめの銛打ちで漁師たちはみなひと安心するという
サバニに積めない大物は引いて帰る



●海風 漁師とくらし



じいちゃんが陸(おか)にあがると、ばあちゃんは大変な世話焼き女房になる
寄り添いながら、一人ひとりの世界を持っている
毎日同じように二人の時が刻まれていく

セリが終わると魚は解体され、島外にも輸送される
ここでは女たちが大活躍する



与那国の漁師は個性が強い
漁法など同じものは二つとない
玉城正二さんもそんな一人だ
60代とは思えない精悍な体つき


(ベテランのハリウッドスターみたいだな


●海神 島の祭

与那国は祭ごとが多い 月に2回以上行事がある

「旧暦10月1日 金比羅祭」
「旧暦7月13日 旧盆」



「6月下旬 豊年祭」
「旧暦5月4日 ハーリー祭(海神祭)」
舟のレースが中心 久部良に移住した糸満の住民によってもたらされた
みな必要以上に勝負にこだわる


1500年ごろ、この島にサンアイ・インバという女首長がいた
自ら開田し、牧畜し、民を指導したという



●海人 男たち・女たち

租内には島唯一の信号がある


(むしろ要らなくない? 小さい頃は家の前や、道路でも縄跳びしたり、鬼ごっこをしたことを思い出す

漁業、畜産、農業のバランスがとれている豊かな島
戦争中も米がなくならなかったという

島には高校がなく、15歳になると皆、外に出てなかなか戻らない
長野県から援農にきたキビ刈りの若者が島に活気を与える



東京から朝、飛行機で出ればその日のうちに与那国に着くようになったものの観光開発の波は及ばない
(開発なんて要らないよ


じいちゃんは、長い日は1日12時間くらい海の上にいる
その12時間は、あくまで陸の時間単位でしかない
黒潮の上で生き続けてきた時間は、まさに海の時間なのだ



<舟の上で、じいちゃんと過ごしたとき 本橋成一>

「日本の最西端」というより、与那国島は「日本国西口」というほうがふさわしい。

東京から那覇、那覇から石垣島、そして与那国島へ
与那国は、ぼくが生まれ育った東京東中野の風土、文化とはちがいすぎるのだ

ちょうど、ベトナムや中国からのボートピープルが次々、那覇、九州に流れ着いていた

人間本来、生活が楽な場所に移るのは本能のようなものだし
南西諸島を黒潮にのって北上するこのルートは、
もう何百年、何千年前からある民族移動のメインコース
これにのって現在の日本人、文化の一部がつくられたわけだ


舟で過ごす1日12時間以上は、ぼくには長すぎた
時間の使い方を工夫してみても、ほどなく役に立たなくなり
結局、雲や海を眺めているほうが時間が流れる


海の上でじいちゃんが気短になることがある
魚が釣れない時、釣り糸がからんだ時、大物を逃がした時・・・

じいちゃんは舟の上でもとても清潔好きだが、
玉城さんは魚の汚れをまったく気にしない


「ハーリー祭」
男たちの逞しい肉体がいやに目立つ
都会で人工的につくられた逞しさではない 本物の逞しさ、美しさ

しかし、ぼくが驚いたのは、その男たちを応援する女たちの姿だった
自分の組が勝つと興奮度は頂点に達する
負けた組にカチャーシー(沖縄地方の伝統的な踊り)、誇りと祝いの踊り

都会の生活の中でとっくに失ってしまった男女のコミュニケーションがある




カジキは1年中捕れるわけではない
与那国島では4月~10月にかけてが最盛期
漁業はバクチだとよく言われるが、カジキ漁はとくにバクチだ

漁師たちは7割は「運」だと思っている
その「運」を呼び込めるのが腕のいい漁師だと信じている


与那国で、腕のいい漁師は年間50本余りのカジキを釣る
カジキを一番多く捕ったからといって誰も褒めてくれない
漁業組合で表彰されるのは年間漁獲高が一番の漁師だけ


「サバニ」
小さい舟で、無線も積んでいない
与那国の漁師のほとんどは、大きなエンジンのついたプラスチック船で漁をしている
サバニはもう5、6艘しかない
そしてサバニでカジキを捕るのは、じいちゃんただ一人
ぼくは、この舟でじいちゃんに連れられて2年余り、40回以上も漁に出た

サバニは無理ができない舟だから無理をしない
海に出て台湾坊主(この地方特有の突発性暴風雨、与那国の漁師も一番恐れている)に出会うと
サバニを沈ませて、ヘリにつかまって嵐が過ぎるのを待ったという



<映画と写真の間で 山上徹二郎(映画『老人と海』プロデューサー)>

この写真集は、映画と同時に製作された
与那国島のカジキ漁のことを知った時、少年の日に読んだヘミングウェイの小説と重なった

1本の映画では語りきれないと考え、与那国の全体を伝えたいと思い、本橋氏の写真の力を借りることにした
映画製作からすれば、写真はスチールという考えが一般的だが、各々独立した作品とすることをめざした

写真は、写真家自身が監督、プロデューサー、カメラマンだ
映画の協働性とは大きく違う

映画の英語版タイトルは『UMINCHU The Old Man and the East China Sea』
監督:ジャン・ユンカーマン




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