■『あの夏』(ブックローン出版)
ガブリエル・バンサン/作 もりひさし/訳
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
先日『セレスティーヌ アーネストとの出会い』を先に読んで順番的にはよかったかもしれない
あんなに小さかったセレスティーヌが、もうすっかり大きくなっていて驚いたけど
今回は、「身近な愛する者の死」をどう受け止めるか
幼い子どもにどう伝えるかをテーマにしている
バンサンの身近にもこんな別れがあったのだろうか、と思わせるような話だったけれども
最後には希望がもてて、心温まる1冊
▼あらすじ(ネタバレ注意
アーネストが身近な愛する者の死を日記に書くシーンから始まる
ガズーという名前の女性
とても優しく、セレスティーヌをとても可愛がってくれた人(人間も住む世界なのね
とても重い病気になり、それをセレスティーヌに伝えないでほしいと約束したアーネスト
セレスティーヌは「いつ会いに行くの」と毎日のように言うので、誤魔化しきれず
“ガズーの病気がよくないことを知っているのだろうか?”と2人の間はギクシャクする
やっと重い腰を上げて会いに行くと快く迎えてくれるガズー
セレスティーヌはどうしても泊まっていくときかないので、置いていく
“セレスティーヌは、僕と離れていても寂しくないんだろうか”
と病気のガズーに嫉妬している自分がおかしいのではと悩むアーネスト
「ガスーのそばで寝たいの、わたし」
セレスティーヌが寂しがっているようなので迎えに来たほうがいいかもしれないという手紙をもらい
「すぐいくよ」
家に戻ってもふさぎこむアーネストに
「野原へ散歩しましょ 気持ちがスッキリするわ」と誘うセレスティーヌ
「ガズーを誘ってピクニックできるかしら? 去年の夏、小さな橋を渡った池のあったところよ」
「泣きたくなったときなんか、いつも 花をつんだり 歌をうたったりすればいいのね」
ガズーから“また入院することになったが心配せずに会いに来てください”という手紙が届く
アーネストを引っ張るようにして、ガズーの好きなコスモスの花をつんで、病院に行くセレスティーヌ
「ねむっているんだわ」
その後、“3日だけ家に戻ったから会いに来てください”と手紙をもらう
たった3日ということにショックを受けるアーネスト
“うろたえるなよ セレスティーヌが見てるじゃないか ガズーのこと 見抜かれてしまうぞ”
思いきって電話して本当に訪ねても大丈夫かと聞くアーネスト
ガズーの夫にも確認して大丈夫だと知り
「今から、庭のコスモスをつんでお見舞いに行こう」
でも、もう庭にはコスモスはなく、セレスティーヌは悩んだ挙句、
隣りのピカールさん宅の庭にたくさんあるコスモスを摘んでしまう
「どこからとってきたって聞いてるんだ!」とつい強く叱ってしまうアーネスト
「ピカールさんちのコスモスがなぜなくなったか、そのことを誰がピカールさんに話すんだい?」
(とっても優しい言い方だと思うな 子どもは悪いことをしたことは充分わかっているのだから
ガズーのお見舞いは明日にして、まずピカールさんに謝りに行くと
「知っていますよ 見てましたから
お譲ちゃん、なぜ私にひと言いってくれなかったんです?」
(ピカールさんも優しいお隣りさんだな
しかも、リンゴがなりすぎたから困っていると、2人にわけてあげる
そのリンゴをもって、毎日、病院にお見舞いに行く2人
“わざと明るくふるまうのも骨がおれるなあ”
それでも沈んでいるアーネストにきづくセレスティーヌ
「よく聞いて、セレスティーヌ
もし、ガズーがいなくなる日がきたら
野原へ行って、花を摘んで、飾ってあげようね」
そして、ある日、悲しい報せが届く
“僕たちは 野原へ行きました 次の日も、その次の日も・・・”
セレスティーヌはガズーのことを言わなくなりました
ガズーとの思い出を 心に深く抱きしめているのでしょうか
「ここが、あの時の池!」
アーネストは日記に書く
セレスティーヌは、こんなに元気にしています どうか安心してください
2人とも元の明るさを取り戻しました
毎日、懐かしい人のことを話しあっています
ガズーさんんが、まだ僕たちといっしょにいるかのように。
*
これが自然だと思うな
死別の反応には、怒り、悲しみ、無感覚、受容などの段階があると心理学的に言われるけれども
1つ1つを丁寧に経て、最後は、死別とは決して永遠の別れなどではないときづくこと
思い出すたびにそばにいる状態
思い出を話し合い、今このときもいっしょにいるんだという感覚の共有
親の世代は「ご先祖さまのお墓を大事にしなさい」「お墓の周りはいつもキレイにしておかないと」などと言うけれども
それは、残された者の感情
私だったら、カラダを抜け出して、自由な魂になったら、
そんな薄暗い墓場などにずっといたいなんて思わない
形式的なことも一切要らない
ただ、時々思い出して、懐かしんで、不安な時はそばにいるし、
現世に残された者も、人生を存分に楽しんでほしいと思う
いつかは、みんなまたひとつになれるのだから
今もその後も 変わらずに
ガブリエル・バンサン/作 もりひさし/訳
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
先日『セレスティーヌ アーネストとの出会い』を先に読んで順番的にはよかったかもしれない
あんなに小さかったセレスティーヌが、もうすっかり大きくなっていて驚いたけど
今回は、「身近な愛する者の死」をどう受け止めるか
幼い子どもにどう伝えるかをテーマにしている
バンサンの身近にもこんな別れがあったのだろうか、と思わせるような話だったけれども
最後には希望がもてて、心温まる1冊
▼あらすじ(ネタバレ注意
アーネストが身近な愛する者の死を日記に書くシーンから始まる
ガズーという名前の女性
とても優しく、セレスティーヌをとても可愛がってくれた人(人間も住む世界なのね
とても重い病気になり、それをセレスティーヌに伝えないでほしいと約束したアーネスト
セレスティーヌは「いつ会いに行くの」と毎日のように言うので、誤魔化しきれず
“ガズーの病気がよくないことを知っているのだろうか?”と2人の間はギクシャクする
やっと重い腰を上げて会いに行くと快く迎えてくれるガズー
セレスティーヌはどうしても泊まっていくときかないので、置いていく
“セレスティーヌは、僕と離れていても寂しくないんだろうか”
と病気のガズーに嫉妬している自分がおかしいのではと悩むアーネスト
「ガスーのそばで寝たいの、わたし」
セレスティーヌが寂しがっているようなので迎えに来たほうがいいかもしれないという手紙をもらい
「すぐいくよ」
家に戻ってもふさぎこむアーネストに
「野原へ散歩しましょ 気持ちがスッキリするわ」と誘うセレスティーヌ
「ガズーを誘ってピクニックできるかしら? 去年の夏、小さな橋を渡った池のあったところよ」
「泣きたくなったときなんか、いつも 花をつんだり 歌をうたったりすればいいのね」
ガズーから“また入院することになったが心配せずに会いに来てください”という手紙が届く
アーネストを引っ張るようにして、ガズーの好きなコスモスの花をつんで、病院に行くセレスティーヌ
「ねむっているんだわ」
その後、“3日だけ家に戻ったから会いに来てください”と手紙をもらう
たった3日ということにショックを受けるアーネスト
“うろたえるなよ セレスティーヌが見てるじゃないか ガズーのこと 見抜かれてしまうぞ”
思いきって電話して本当に訪ねても大丈夫かと聞くアーネスト
ガズーの夫にも確認して大丈夫だと知り
「今から、庭のコスモスをつんでお見舞いに行こう」
でも、もう庭にはコスモスはなく、セレスティーヌは悩んだ挙句、
隣りのピカールさん宅の庭にたくさんあるコスモスを摘んでしまう
「どこからとってきたって聞いてるんだ!」とつい強く叱ってしまうアーネスト
「ピカールさんちのコスモスがなぜなくなったか、そのことを誰がピカールさんに話すんだい?」
(とっても優しい言い方だと思うな 子どもは悪いことをしたことは充分わかっているのだから
ガズーのお見舞いは明日にして、まずピカールさんに謝りに行くと
「知っていますよ 見てましたから
お譲ちゃん、なぜ私にひと言いってくれなかったんです?」
(ピカールさんも優しいお隣りさんだな
しかも、リンゴがなりすぎたから困っていると、2人にわけてあげる
そのリンゴをもって、毎日、病院にお見舞いに行く2人
“わざと明るくふるまうのも骨がおれるなあ”
それでも沈んでいるアーネストにきづくセレスティーヌ
「よく聞いて、セレスティーヌ
もし、ガズーがいなくなる日がきたら
野原へ行って、花を摘んで、飾ってあげようね」
そして、ある日、悲しい報せが届く
“僕たちは 野原へ行きました 次の日も、その次の日も・・・”
セレスティーヌはガズーのことを言わなくなりました
ガズーとの思い出を 心に深く抱きしめているのでしょうか
「ここが、あの時の池!」
アーネストは日記に書く
セレスティーヌは、こんなに元気にしています どうか安心してください
2人とも元の明るさを取り戻しました
毎日、懐かしい人のことを話しあっています
ガズーさんんが、まだ僕たちといっしょにいるかのように。
*
これが自然だと思うな
死別の反応には、怒り、悲しみ、無感覚、受容などの段階があると心理学的に言われるけれども
1つ1つを丁寧に経て、最後は、死別とは決して永遠の別れなどではないときづくこと
思い出すたびにそばにいる状態
思い出を話し合い、今このときもいっしょにいるんだという感覚の共有
親の世代は「ご先祖さまのお墓を大事にしなさい」「お墓の周りはいつもキレイにしておかないと」などと言うけれども
それは、残された者の感情
私だったら、カラダを抜け出して、自由な魂になったら、
そんな薄暗い墓場などにずっといたいなんて思わない
形式的なことも一切要らない
ただ、時々思い出して、懐かしんで、不安な時はそばにいるし、
現世に残された者も、人生を存分に楽しんでほしいと思う
いつかは、みんなまたひとつになれるのだから
今もその後も 変わらずに