●アーリー・デイズ1950~1954/ナンシー梅木
図書館の検索をしていると、時々、店でも、レンタル屋でも出会わないような
掘り出しもの、出会いがあるのが魅力的
この方もまったく知らないが、ジャケ借りしてみた
けだるい感じがゆるくて良い
ロリータ系、スタンダード、いろんな声音を使い分けられる歌手
♪Doggie in the Window
で「ワン、ワン!」と元気よく合わせているのは、本物のわんこの生声では?w
歌手の隣りでスタンバって、トレーナーさんの指示を健気に待っている姿が目に浮かぶ
(あとでライナーを読んだらメンバの方が演ってると知ってビックリ
この頃の歌手は、米軍キャンプやクラブなどで歌ったりして
時代背景を考えると、背負っているものが今と桁違いな気がしてなぜか切なさも感じるのだが
飾らず、欲のない性格だったこと、日本にもこんな活気ある
ジャズ全盛期時代があったことを知った貴重な1枚となった
【ライナー抜粋メモ~出口一也】
戦後の約10年間、1945~1955は、日本で最もジャズが盛んだった時代
ピークの1952~1953は「空前のジャズブーム」が起こり、
今も第一線で活躍するミュージシャンが活動を開始した
「とにかくずばぬけて上手かった」と口を揃えて語られるのがナンシー梅木
日本の本格ジャズ歌手第一号とも言われ、感性、抜群の英語力など
辛口の批評家たちからも高い評価を受けていた
『スイングジャーナル』誌で1950年から始まった人気投票のヴォーカル女性部門でも3年連続第1位
兄が進駐軍の通訳をしていた関係で、多くの米兵が彼女の実家を訪れるようになり
彼女は米兵たちを通じてアメリカンポピュラーソングに興味を持った
1948年に上京
格付審査のオーディションでは♪That's My Desire ♪Near You を歌いAランクで合格
1950年 結成当時のゲイ・セプテット
ゲイ・セプテット、スターダスターズを経て、横浜小港町の米軍キャンプ「シーサイドクラブ」の専属になりブルーコーツと共演
1955年 アメリカに渡る
クラブで歌うかたわら、ユニヴァーサル映画『インターナショナル・レヴュー』などに出演して有名となる
女優としても大成功
マーロン・ブランド主演映画『サヨナラ』(1957)に出演し、
東洋人としては初のオスカー、助演女優賞を受賞
ジェリー・ルイス主演映画『ゲイシャ・ボーイ』に5万ドルの報酬で迎え入れられた
それを機に、ブロードウェイ・ミュージカル『フラワー・ドラム・ソング』の主役メイ・リーを演じ
『タイム』誌で絶賛され、その後も十数本の映画に出演、
テレビのゴールデン番組、雑誌で紹介され、一流スターとして活躍
この間、何度か日本でも公演したが、ハリウッドに慣れた雰囲気や
ブロードウェイ、テレビショー向きの歌い方は、
必ずしも日本では好意をもって受け入れられなかった
今も西海岸に住み、ご健在のはずではあるが、最近の消息はまったく知られていない
【曲解説 内容抜粋メモ】
♪センチメンタル・ミー
日本に駐留していたGIたちにも非常に受けた
♪アゲイン
♪イット・イズント・フェアと並んで代表曲として知られ、大衆的にヒットしたと言われる
♪ドギィ・イン・ザ・ウィンドウ
“ワンワン”と犬の声を担当したのはトロンボーンの野々村直造氏
♪今宵夢で
レス・ポールとメリー・フォードのキャピトル盤は11週連続で
ビルボードチャート1位となる快挙を成し遂げ、彼らの4枚目のミリオンセラーとなった
ナンシーもメリーに習って多重録音し、この曲が日本ビクターへの最後の録音となった
♪アイム・ウェイティング・フォー・ユー(君待てども)
多忠修氏は、宮内省雅楽部を経て、18歳で三上秀俊バンドでデビュー
日本ビクターのレコーディングバンドとして無数の録音に携わった
♪その人の名は言えない
井田誠一、松井八郎コンビによるタンゴ調の曲
♪泣きたいような
三木鶏郎作曲とあるが、原曲はショパンのノクターン
アメリカでも何度かポピュラー化されている
【ナンシー梅木の思い出 河野隆次(当時のディレクター)内容抜粋メモ】
グラマシー・シックス(1949年頃)
おそらく日本のバンドの中でバップをいち早く演奏したのはグラマシー・シックスだろう
僕はよく銀座へこのバンドを聴きに行った
「近く歌手が変わると思うよ」と聞かされ、横浜の無名シンガーだが
ギターの角田孝さんが保証しているから心配ないとのことだった
初会見した時、原色まばゆいグリーンのスカート、真っ赤なブラウス
強力なズーズー訛りで「ドンゾヨロスク」と言われた時は思わず仰天して身をよけたくらいだった
だが音合わせが始まると再び仰天した
先ほどの東北訛りなどどこかに消し飛んでしまっている、フィーリングも抜群
僕はひそかに「こりゃひょっとするとコロムビアのドリス・デイに充分対抗できるぞ」と思った
彼女の最大の欠点は、欲がまったく無いことだった
普通ならレコード吹き込みと言えば、眠れず、当日は目を真っ赤にしてくる新人歌手が多いが
彼女にとっては暇ならやってみようかぐらいでしかなく、有名になろうなんて神経は皆無
あるレコーディングの当日、約束の時間が来て、オーケストラが全員集まっても
肝心のナンシーが現れず、40分ほどして電話すると
「今ね、GIが遊びに来ててポーカーやってんのよ」
脅かしたり、すかしたり、おだてたりして、2時間後にスタジオにやってきて
彼女のあまりの鮮やかなプレイにオーケストラの連中も大声あげて笑うだけで
腹を立てている奴は一人もいない
図書館の検索をしていると、時々、店でも、レンタル屋でも出会わないような
掘り出しもの、出会いがあるのが魅力的
この方もまったく知らないが、ジャケ借りしてみた
けだるい感じがゆるくて良い
ロリータ系、スタンダード、いろんな声音を使い分けられる歌手
♪Doggie in the Window
で「ワン、ワン!」と元気よく合わせているのは、本物のわんこの生声では?w
歌手の隣りでスタンバって、トレーナーさんの指示を健気に待っている姿が目に浮かぶ
(あとでライナーを読んだらメンバの方が演ってると知ってビックリ
この頃の歌手は、米軍キャンプやクラブなどで歌ったりして
時代背景を考えると、背負っているものが今と桁違いな気がしてなぜか切なさも感じるのだが
飾らず、欲のない性格だったこと、日本にもこんな活気ある
ジャズ全盛期時代があったことを知った貴重な1枚となった
【ライナー抜粋メモ~出口一也】
戦後の約10年間、1945~1955は、日本で最もジャズが盛んだった時代
ピークの1952~1953は「空前のジャズブーム」が起こり、
今も第一線で活躍するミュージシャンが活動を開始した
「とにかくずばぬけて上手かった」と口を揃えて語られるのがナンシー梅木
日本の本格ジャズ歌手第一号とも言われ、感性、抜群の英語力など
辛口の批評家たちからも高い評価を受けていた
『スイングジャーナル』誌で1950年から始まった人気投票のヴォーカル女性部門でも3年連続第1位
兄が進駐軍の通訳をしていた関係で、多くの米兵が彼女の実家を訪れるようになり
彼女は米兵たちを通じてアメリカンポピュラーソングに興味を持った
1948年に上京
格付審査のオーディションでは♪That's My Desire ♪Near You を歌いAランクで合格
1950年 結成当時のゲイ・セプテット
ゲイ・セプテット、スターダスターズを経て、横浜小港町の米軍キャンプ「シーサイドクラブ」の専属になりブルーコーツと共演
1955年 アメリカに渡る
クラブで歌うかたわら、ユニヴァーサル映画『インターナショナル・レヴュー』などに出演して有名となる
女優としても大成功
マーロン・ブランド主演映画『サヨナラ』(1957)に出演し、
東洋人としては初のオスカー、助演女優賞を受賞
ジェリー・ルイス主演映画『ゲイシャ・ボーイ』に5万ドルの報酬で迎え入れられた
それを機に、ブロードウェイ・ミュージカル『フラワー・ドラム・ソング』の主役メイ・リーを演じ
『タイム』誌で絶賛され、その後も十数本の映画に出演、
テレビのゴールデン番組、雑誌で紹介され、一流スターとして活躍
この間、何度か日本でも公演したが、ハリウッドに慣れた雰囲気や
ブロードウェイ、テレビショー向きの歌い方は、
必ずしも日本では好意をもって受け入れられなかった
今も西海岸に住み、ご健在のはずではあるが、最近の消息はまったく知られていない
【曲解説 内容抜粋メモ】
♪センチメンタル・ミー
日本に駐留していたGIたちにも非常に受けた
♪アゲイン
♪イット・イズント・フェアと並んで代表曲として知られ、大衆的にヒットしたと言われる
♪ドギィ・イン・ザ・ウィンドウ
“ワンワン”と犬の声を担当したのはトロンボーンの野々村直造氏
♪今宵夢で
レス・ポールとメリー・フォードのキャピトル盤は11週連続で
ビルボードチャート1位となる快挙を成し遂げ、彼らの4枚目のミリオンセラーとなった
ナンシーもメリーに習って多重録音し、この曲が日本ビクターへの最後の録音となった
♪アイム・ウェイティング・フォー・ユー(君待てども)
多忠修氏は、宮内省雅楽部を経て、18歳で三上秀俊バンドでデビュー
日本ビクターのレコーディングバンドとして無数の録音に携わった
♪その人の名は言えない
井田誠一、松井八郎コンビによるタンゴ調の曲
♪泣きたいような
三木鶏郎作曲とあるが、原曲はショパンのノクターン
アメリカでも何度かポピュラー化されている
【ナンシー梅木の思い出 河野隆次(当時のディレクター)内容抜粋メモ】
グラマシー・シックス(1949年頃)
おそらく日本のバンドの中でバップをいち早く演奏したのはグラマシー・シックスだろう
僕はよく銀座へこのバンドを聴きに行った
「近く歌手が変わると思うよ」と聞かされ、横浜の無名シンガーだが
ギターの角田孝さんが保証しているから心配ないとのことだった
初会見した時、原色まばゆいグリーンのスカート、真っ赤なブラウス
強力なズーズー訛りで「ドンゾヨロスク」と言われた時は思わず仰天して身をよけたくらいだった
だが音合わせが始まると再び仰天した
先ほどの東北訛りなどどこかに消し飛んでしまっている、フィーリングも抜群
僕はひそかに「こりゃひょっとするとコロムビアのドリス・デイに充分対抗できるぞ」と思った
彼女の最大の欠点は、欲がまったく無いことだった
普通ならレコード吹き込みと言えば、眠れず、当日は目を真っ赤にしてくる新人歌手が多いが
彼女にとっては暇ならやってみようかぐらいでしかなく、有名になろうなんて神経は皆無
あるレコーディングの当日、約束の時間が来て、オーケストラが全員集まっても
肝心のナンシーが現れず、40分ほどして電話すると
「今ね、GIが遊びに来ててポーカーやってんのよ」
脅かしたり、すかしたり、おだてたりして、2時間後にスタジオにやってきて
彼女のあまりの鮮やかなプレイにオーケストラの連中も大声あげて笑うだけで
腹を立てている奴は一人もいない