■『ピーター・パンの冒険』(フォア文庫)
原題 Peter Pan and Wendy
ジェイムズ・バリ/著 伊藤悌夫/イラスト 渡辺南都子/訳
※1993.11~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト1」カテゴリーに追加しました。
永遠に少年のまま、大人にならない男の子!
この名前は世界中の子どもから大人までが知っている
「ピーター・パン・シンドローム」なんて言葉もうまれて、現代社会に対応できず
いつまでも成人することを拒む症状として、心理学上でも問題とされたし
日本でもアイドルがこの役で何度も繰り返し演劇が上演されているのに
この年になって初めて原作を読むなんて人がいるかしら?
これまでにも、そしてこれからも、ピーター・パンについては無数の評論家が書き続けるだろうし
私は読んで感じたそのままを簡単に素直にメモる程度にしておこうと思う
というのも、一度、それもバイトの間に細切れに読んだだけじゃ
今作の本当の奥深い意味は感じとれなかっただろうし
せめて本当に子ども、ウェンディくらいの少女に戻って
一緒に楽しい冒険に参加できただけで満足だから
もう一度、最初からページをめくれば、いつでも、いくつになっても
この物語は、ここに永遠に存在しているのだから
ジェイムズ・バリ:
1860年 スコットランド生まれ
『Peter Pan and Wendy』は1904年に書かれた バリが44歳の時
もうすっかり少年とは言えない年になって、この物語を書いたのは、どんな気持ちからだろう?
この物語が生みだされた話もいつか知りたい気がする
▼あらすじ(ネタバレ注意
ダーリング夫妻の子どもたち、ウェンディ、マイケル、ジョンは、
ある夜、ピーター・パンと、妖精ティンカー・ベルに連れられて、ネバーランドへ旅をする
そこには子どもの大好きな冒険などがたっくさんあって
毎日、彼らは木の下の家に住んで、インディアンや海賊と戦ったり
妖精や人魚に会ったり、毎日が面白い冒険の連続
中でも海賊の長フックは、かつてピーターに片手を切られて、ワニに食べられ
今では鉤になってしまっていることで、ひどくピーターを憎んでいて
いつかやっつけてやろうと追いかけている
子どもたちは、そんな時間のないネバーランドで楽しく過ごした後
本当のお父さん、お母さん、乳母がわりの犬のナナが
もう自分たちを忘れてしまっているんじゃないかと不安になって、家に帰ることにするが
とうとうフックに連れ去られ、危うく海へ落とされるところをピーターに助けてもらい
かわりにフックがワニの餌食となってしまう
子どもたちは、無事に家に戻り、やがて大人になってゆく
*
バンの語り口調は独特
最初は子ども向けの話なのに、海賊を何人も殺すとか血生臭いことが多くてビックリしたけど
考えてみれば、子どもは純粋無垢である一方、時に残酷で、身勝手なものだ
作者が作品中で言っているとおり、2~3歳の「個」の目覚め、
「エゴ」が生まれた瞬間から、大人への第一歩を進み始めるのだから
作品中、子どものことを決して良く言っていないのも児童文学としては珍しい
ピーターはいつでも子どもそのもので、時として素晴らしく無邪気で可愛らしく
誰も抵抗できないくらい奔放で、時にひどくワガママ勝手で、自惚れ屋
カチンとくるようなところがあるし
迷い子たち、ジョンやマイケルも、親の心配をよそに遊びほおけて
なんの罪悪感もなく家に帰ってくる
“みんな、いつでも笑顔で迎え入れられることを疑いもしないで”
ピーターがどうして子どものままなのか、妖精とはどういうものなのか等々
いろんな謎解きがたくさん詰まっているのも今作の面白いところ
私が思うに、ネバーランドは『はてしない物語』の「ファンタジアの国」と同じじゃないだろうか?
子どもたちが想像を豊かにふくらませ、それを信じるほどに豊かになってゆくファンタジーの国
だから、いくらインディアンや海賊と戦って血を流したり、危険な目に遭っても
子どもたちが主人公で、中心であることが大前提で、決して本当に死んだりはしない
その理由に、フックはとっても恐ろしいと同時に、どこか哀愁を帯びていて
どこか間の抜けたお茶目さ、憎めない深い情がある
いつも「正しい行いをしなくちゃ」と分かっているのにうまくいかないフック
彼もまた、お母さんになってくれる女の子を求めているし
今作内で私が一番誰が好きかと聞かれたら、たぶんフックだ
まだまだたくさん書き足りないけれども、今回はこのへんで
近いうちに、あのつい最近話題になった映画『フック』を観ることにしよう
(notes and movies(1993.11~ part1)参照
でも、あれは大人になってしまったピーターの話だけど
ディズニーアニメ映画にもなっているし、英語の原本でも読んでみたい
また子どもに戻って冒険を最初から始めるために
原題 Peter Pan and Wendy
ジェイムズ・バリ/著 伊藤悌夫/イラスト 渡辺南都子/訳
※1993.11~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト1」カテゴリーに追加しました。
永遠に少年のまま、大人にならない男の子!
この名前は世界中の子どもから大人までが知っている
「ピーター・パン・シンドローム」なんて言葉もうまれて、現代社会に対応できず
いつまでも成人することを拒む症状として、心理学上でも問題とされたし
日本でもアイドルがこの役で何度も繰り返し演劇が上演されているのに
この年になって初めて原作を読むなんて人がいるかしら?
これまでにも、そしてこれからも、ピーター・パンについては無数の評論家が書き続けるだろうし
私は読んで感じたそのままを簡単に素直にメモる程度にしておこうと思う
というのも、一度、それもバイトの間に細切れに読んだだけじゃ
今作の本当の奥深い意味は感じとれなかっただろうし
せめて本当に子ども、ウェンディくらいの少女に戻って
一緒に楽しい冒険に参加できただけで満足だから
もう一度、最初からページをめくれば、いつでも、いくつになっても
この物語は、ここに永遠に存在しているのだから
ジェイムズ・バリ:
1860年 スコットランド生まれ
『Peter Pan and Wendy』は1904年に書かれた バリが44歳の時
もうすっかり少年とは言えない年になって、この物語を書いたのは、どんな気持ちからだろう?
この物語が生みだされた話もいつか知りたい気がする
▼あらすじ(ネタバレ注意
ダーリング夫妻の子どもたち、ウェンディ、マイケル、ジョンは、
ある夜、ピーター・パンと、妖精ティンカー・ベルに連れられて、ネバーランドへ旅をする
そこには子どもの大好きな冒険などがたっくさんあって
毎日、彼らは木の下の家に住んで、インディアンや海賊と戦ったり
妖精や人魚に会ったり、毎日が面白い冒険の連続
中でも海賊の長フックは、かつてピーターに片手を切られて、ワニに食べられ
今では鉤になってしまっていることで、ひどくピーターを憎んでいて
いつかやっつけてやろうと追いかけている
子どもたちは、そんな時間のないネバーランドで楽しく過ごした後
本当のお父さん、お母さん、乳母がわりの犬のナナが
もう自分たちを忘れてしまっているんじゃないかと不安になって、家に帰ることにするが
とうとうフックに連れ去られ、危うく海へ落とされるところをピーターに助けてもらい
かわりにフックがワニの餌食となってしまう
子どもたちは、無事に家に戻り、やがて大人になってゆく
*
バンの語り口調は独特
最初は子ども向けの話なのに、海賊を何人も殺すとか血生臭いことが多くてビックリしたけど
考えてみれば、子どもは純粋無垢である一方、時に残酷で、身勝手なものだ
作者が作品中で言っているとおり、2~3歳の「個」の目覚め、
「エゴ」が生まれた瞬間から、大人への第一歩を進み始めるのだから
作品中、子どものことを決して良く言っていないのも児童文学としては珍しい
ピーターはいつでも子どもそのもので、時として素晴らしく無邪気で可愛らしく
誰も抵抗できないくらい奔放で、時にひどくワガママ勝手で、自惚れ屋
カチンとくるようなところがあるし
迷い子たち、ジョンやマイケルも、親の心配をよそに遊びほおけて
なんの罪悪感もなく家に帰ってくる
“みんな、いつでも笑顔で迎え入れられることを疑いもしないで”
ピーターがどうして子どものままなのか、妖精とはどういうものなのか等々
いろんな謎解きがたくさん詰まっているのも今作の面白いところ
私が思うに、ネバーランドは『はてしない物語』の「ファンタジアの国」と同じじゃないだろうか?
子どもたちが想像を豊かにふくらませ、それを信じるほどに豊かになってゆくファンタジーの国
だから、いくらインディアンや海賊と戦って血を流したり、危険な目に遭っても
子どもたちが主人公で、中心であることが大前提で、決して本当に死んだりはしない
その理由に、フックはとっても恐ろしいと同時に、どこか哀愁を帯びていて
どこか間の抜けたお茶目さ、憎めない深い情がある
いつも「正しい行いをしなくちゃ」と分かっているのにうまくいかないフック
彼もまた、お母さんになってくれる女の子を求めているし
今作内で私が一番誰が好きかと聞かれたら、たぶんフックだ
まだまだたくさん書き足りないけれども、今回はこのへんで
近いうちに、あのつい最近話題になった映画『フック』を観ることにしよう
(notes and movies(1993.11~ part1)参照
でも、あれは大人になってしまったピーターの話だけど
ディズニーアニメ映画にもなっているし、英語の原本でも読んでみたい
また子どもに戻って冒険を最初から始めるために