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『原発難民の詩』@「ビッグイシュー日本版」

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「ビッグイシュー日本版 BIGISSUE JAPAN」
“1冊350円で販売。180円が販売者の収入になります。”

ツイッタの「The Big Issue Japan」のリツイートを見て知り、気になったので1冊買ってみた

【THE BIG ISSUE JAPAN306号】
特集:7年目の福島 ーー帰りますか
スペシャルインタビュー:『モアナと伝説の海』


【内容抜粋メモ】

■佐藤紫華子さん(89)インタビュー 文・写真/大越章子


飯舘村も「帰還困難区域」の長泥区以外、3月31日に解除される

シゲコさんは、富岡町を追われ、今は夫(93)といわき市で暮らしている
台所仕事をしていると不意に言葉が生まれ、書き留めて、一篇の詩に仕上げる
心の奥底にあるのはふるさとへの想い

シゲコさんはもう富岡町には帰らない




シゲコさんは2度故郷を追われている

1度目は終戦直後
生まれ育った樺太にソ連軍が押し寄せ、引き上げ船で稚内に向かった
当時17歳 親戚の家を転々とし、亡母の実家の福島県飯坂町に身を寄せた

その後、結婚し、1960年代に富岡町に住んだ

同じ大熊町、双葉町に福島第一原発が建設されていた頃だった
主な産業もなく、冬には男たちが出稼ぎに行く過疎の町では
原発で地域を活性化しようとした

シゲコさんは、日本舞踊や生け花を教えた
そのうち富丘町と楢葉町にも福島大に原発の建設工事がはじまった

「ご主人が転勤しても、先生はここにいて」と生徒たちに請われて
富丘町に落ち着く決心をした




2011年
大きく長い地震後、一人息子の家族とともに、足の悪い夫を連れて
ほとんど何も持たずに避難した

柏崎刈羽原発で働いていた息子と合流し、車中で
「あ、原発が爆発した」と息子がつぶやいた

シゲコさんは、それまで原発事故など考えたことはなかった
「原発は安全」と言われてきたが、なにかをつくる時は
その先の老朽化、最後の処理まで考えないといけないと身に染みて感じた




事故から4日目、息子の寮に着き、髪染めの途中だった髪をようやく洗うことができた
2匹の犬も連れてきた

ホッとすると、恐ろしく、悲しい、なんとも言えない切迫感に襲われた
それが言葉になってあふれ出す


“私たちは安住の地を求めて
 どこまで
 いつまでさすらうのだろう”


そこにあるのは、怒りと悲しみだった

詩は詩集『原発難民』にまとめて自費出版した


秋にはいわき市の仮設住宅に移り、詩集『原発難民のそれから』を出した
両方合わせて550冊作り、すぐに手元からなくなり
コピーを読んだ人も多い

「思っていることを書いてくれて、ありがとう」と感謝された




詩集は思いがけない出会いを生んだ

吉永小百合さんは、福島市で朗読

市原悦子さんはラジオで紹介

2冊を再編成し、新たな詩を加えた『原発難民の詩』を出版

シンガーソングライターのタテタカコさんが曲を書き
ドキュメンタリー映画『花見山の春』の挿入歌になった



CD「ふるさと」が発売された


発売日には、近藤正臣さんが朗読してくれた


『ふるさと』タテタカコ&佐藤紫華子



『原発難民の詩』は英訳され、日本とカナダの大学生の交流授業の題材に使われた


シゲコさん:
人生、大変なこともあるけれど、それを突き抜けて、どんどん歩いていける




シゲコさんは、いわき市四倉町に家を建て、仮の宿の生活を終わらせた
「もう富岡町には帰らない」と決めて

もともと富岡の家は老夫婦には広く、アパートに引っ越そうと考えていたため決断は早かった

自宅の後ろに日本舞踊の稽古場を建てた
感じるまま踊る
どんなに辛くても、踊りがあれば乗り越えて楽しく生きてきた

さまざまな流派を学んで、たどりついたのは「藤富流」
佐藤の藤と、富岡町の富の合わせた独自の流派
自由で、面倒くさくないのが特徴




富岡町の自宅は行くたびにどんどん荒れている
家は建てたが、心はずっと富岡町に寄り添う

「でも町民が帰るにはまだ早い」


放射能の汚染物が入った膨大な数の「フレコンバッグ」が
あちこちに積み重なり、もとに戻るにはかなりの時間がかかる

それなら多くの人々に博物館のように見てもらうのが現実的かもしれない
研究の成果は海外にも発信する

故郷を思う時、気持ちは大きく揺れる


シゲコさんは、春ごろの出版を目標に
今、新たな詩集作りに取り組んでいる





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