Quantcast
Channel: メランコリア
Viewing all articles
Browse latest Browse all 8633

浅田真央引退を決意

$
0
0
11日深夜3時に目が覚めてスマホを開いたら、こんなニュースが目に入った
ああ、とうとう決意の日が来たんだ

翌朝のスポーツニュースは真央ちゃん一色
こんなに国内外に愛されたスケーターがかつていただろうか

今でも甦るたくさんの名勝負
真央ちゃんの試合は、観る前からドキドキして心臓が破れそうに鳴り、
トリプルアクセルを跳んでも、跳べなくても一喜一憂した

最後のプログラムとなったSPとFPの♪リチュアルダンスも、
最後を飾るにふさわしい芸術性、技の完成度で魅了された

 

ピョンチャンオリンピックで今一度戦う姿を見たかったけれども
これからの真央ちゃんの活躍も楽しみ

アイスショーで見せた自身プロデュースの完成された美と愛の世界
スケーターとしてまだまだ見せたいものもたくさんあるはず

まずは、本当にお疲れさま
そして、心底から震えるたくさんの感動をありがとう



[全文]

浅田真央が引退「選手として終える決断致しました」
“浅田真央(26=中京大)が10日、ブログで引退を発表した。”

「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。
 今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。

 ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。
 その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。
 実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。

 復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。
 そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、
 選手として続ける自分の気力もなくなりました。

 このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。
 これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。

 この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。
 皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」(原文のまま)



[12日、都内で引退会見]

浅田真央「全部出し切った。悔いはない」晴れやか会見、最後は振り返り涙隠す

NHKでも異例の生中継ということで録画した(11:25~約30分間

東京港区のホテルの2階には350人の報道陣がわんさか詰めかけ
150以上の席がすべて埋まり、立っている人もいる
海外メディアも含めて40台以上のカメラが並ぶ

スタジオでは会見が始まるまで、これまでの経緯でつないでいた

 


ブログを紹介(選手のブログって見たことないなぁ



2回のオリンピック、最後となった全日本選手権を紹介
いったんはピョンチャンオリンピックを目指すも引退を決意

 




スポーツキャスター:
左膝の怪我の影響でトリプルアクセルが跳べなかった
全日本選手権後のインタビューでは、来シーズンも現役を続けるとはっきり述べた

佐藤コーチによると、この3ヵ月半、拠点の横浜市、地元の愛知県のリンクでも練習はしていなかった
会見のポイントの1つは、引退に至るまでの経緯
1つは、ピョンチャンオリンピックの枠が2つになったこともあると思われる

今シーズン、代名詞ともいえるトリプルアクセルは一度も成功していないが
最後まで挑んだ執念があった

佐藤コーチは「あそこまで、どうしてトリプルアクセルにこだわることが出来たのか分からない」と語った
トリプルアクセルが決まらないと得点が上がらず、演技にも影響する葛藤もあったと思われる




***


つないでいる間に係の男性が現れて、緊迫する報道陣
司会者が「経緯などについて、時間の許す限り質問をお受けしたいと思います」

 

ものすごい連写とフラッシュを浴びて真央ちゃん登場
一礼して入り、位置について、立ったまままた一礼して、そのままマイクを持った

報道陣に集まってくれたお礼
HPで報告した引退の言葉を改めて、原稿を読むことなく自らの言葉で述べた


ま:
わたし、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました
長い選手生活だったんですけど、たくさん山がありました

でも、そのたくさんの山を乗り越えられたのも、支えてくださった方々や、
たくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています

今日は感謝の気持ちを皆様にお伝えできればと思い
このような場をもうけさせていただきました
本日はよろしくお願いいたします(一礼



司会:
ありがとうございます ご着席ください
この後、囲み取材、個別等の取材はありませんので、この時間内でお願いします
それでは最初にフィギュアスケート文化会を代表いたしましてフジテレビさまにご質問をお願いいたします
(「フィギュアスケート文化会」て初聞き

 


フジテレビ西岡:まずはお疲れさまでした

ま:ありがとうございます

に:2日前、ブログで引退を発表されて、改めて今どんな心境?

ま:
まず、この場に立った時、入ってきた時に、ほんとにこれだけのたくさんの方々がいらしてくださっていたので
私自身ちょっとビックリしたんですけど、今はちょっと落ち着いてます

(いつもの明るい真央ちゃんだ すぐにスーパーが入って、臨戦態勢だな/驚

に:いろんな人から言葉をかけられたと思います なにか印象に残った言葉は?

ま:
発表してからは、本当にたくさんの方々が連絡をくださったんですけど、
みなさん「お疲れさま」っていう言葉をかけてくださったので
私自身も“ああ、なんか選手生活終わるんだな”という気持ちになりました

に:親しい人への報告はどうされた?

ま:少し前に家族だったり、友だちに報告しました

に:なにか印象に残った言葉は?

ま:みんな「お疲れさま」「よく頑張ったね」って言ってくれました

に:
引退を決めたきっかけについて伺います
具体的にどのぐらいの時期から引退を考えた?

ま:
私は復帰してから、いい形でスタート出来たんですけど、
やっぱりそこから練習をするにつれて、試合に出るにつれて
やっぱり今のスケート界の時代はスゴイので、
私自身もついていけるのかなっていう思いが強くなったり
気持ちや身体の部分で復帰前よりも少し辛いことのほうが多くなりました



で、なんとか1シーズンは乗り切れたんですけど、
2シーズン目からは、なんとか頑張ろうという思いだけでやってきました

でも、最後の全日本選手権で“ああ、もう、なんだろう もういいんじゃないかな”という風に思いました


に:その全日本選手権から今まで3ヶ月近くありましたが、その間は迷いも含めてどうだった?
(質問がフジだけで終わりそうな勢いだぞ

ま:
自分が復帰してからずっと掲げてきたピョンチャンオリンピックに出るっていう目標があったので
自分で言ってしまったことをやり遂げなければいけないと思っていたので、
その自分が言ってしまったこととの葛藤はずっとありました

に:全日本選手権がきっかけになったという話でしたが、具体的に時期的にはいつ頃決心した?

ま:
全日本選手権が終わって、すべて結果が出た時に“ああ、もう終わったんだな”とは思いました
でも、日が経つにつれて、やっぱり自分が言ってしまったことっていうのは
今まで最後までやり通してきたので、やらなきゃいけないんじゃないかなっていう思いのほうが強くて
やはりここまで延びてしまいました

(真央ちゃんの心の強さ、責任感の強さ、周囲への気遣いが見えてくるようだ

に:ピョンチャンオリンピックへの思いもあったと思うが、それを上回るくらいの達成感があったということ?

ま:
そうですね 私はソチオリンピックが終わってから、最高の形で終えることが出来たんですけど
やはり自分の体もまだまだ出来ますし、気持ちとしてもまだまだやれるっていう気持ちがあったので復帰しました
でも、自分が実際挑戦してみて、気持ちも体も、気力ももう全部出し切ったので
今は挑戦して何も悔いはないです




に:最後になった全日本選手権でトリプルアクセルに挑んだ気持ちも含めて、振り返ると?

ま:
最後になるのかなっていう気持ちはソチオリンピック後の、世界選手権ほどではなかったですけど
でも、最後トリプルアクセルを挑戦して終えられたことは、なんか自分らしかったかなという風には思います

に:それでは現役生活を振り返っていただきます 初めてスケート靴を履いた日のことは覚えてる?

ま:
私は覚えてないんですけど、5歳だったので
でも、ヘルメットをかぶって、スキーウェアを着て、肘あて、膝あてをしてたのは写真に残っているので覚えてます

に:それから二十数年間、スケートをやってきて一番楽しかったのは?

ま:
んーーやっぱりちっちゃい頃に、フィギュアスケートにはいくつも技があるが
その技が出来るようになった時っていうのはほんとに楽しい気持ちで
じゃ、次2回転跳びたい、次3回転跳びたいっていう、そういう思いがすごく楽しかったですね


に:逆にプレッシャーも背負って辛かったこともあると思いますが、それを今どう受け止めていますか?

ま:
んーーーいや、辛かったことはそんなになくて、やっぱりこの道を選んできたのも自分ですし
自分がやりたいと思って望んでやってきた道なので、辛いと思ったことはありません





に:2回のオリンピックを振り返っていただきます バンクーバーでは銀メダルを手にしました 思い出は?

ま:
バンクーバーは19歳だったんですけど、すごく10代で若くて
ほんとに気が強くて、ほんとにその気持ちだけで乗り越えてきたなっていう感じがします

に:4年後のソチオリンピックでは、素晴らしいフリーで国民に感動を与えてくれました 振り返ると?

ま:
ソチオリンピックはやはりショートが残念な結果だったので、
気持ち的には辛い試合ではあったんですけど、
フリーで最高の演技で終えることができて、あの気持ちの状態から
バンクーバーからソチへの4年間の思いをすべてその4分間に注ぎ込めたと思っています

に:2度のオリンピックは、どんな経験?

ま:
私の今後の人生においても、まあいい経験だったり、まあ、いい思い出?だったのかなと思います

に:そして3回の世界選手権優勝 これは日本人最多です 印象に残っている大会はありますか?

ま:
2回、世界選手権で金メダルとった時は、すべてオリンピックの後の世界選手権だったので
なんかオリンピックの悔しさっていうのを世界選手権で晴らせた?大会だったかなとは思うんですけど

私、最後の世界選手権が一応自分の気持ちの中では「最後」と思って臨んだ試合だったので
今までのスケート人生をすべてそのプログラムにぶつけた試合だったので
やっぱり最後の世界選手権が一番思い出の強い試合でした





に:現役を振り返って、もっとも印象に残っている演技、1つ選ぶとしたら?

ま:
(しばらく考えて)んーーーやっぱり1つっていうのは難しいですね
でもやっぱりソチのフリーかなと思います

に:やっぱりあの時間にこめた思いというのは、大きかったですか?

ま:
そうですね 気持ちがすごい、今までの試合以上にちょっと落ち込んでたり
辛かったりした部分もあったんですけど、それでもあれだけの挽回の演技が出来たことに関して
そしてオリンピックだったっていうことが一番良かったのかなとは思いますけど


に:
長く指導を受けた2人のコーチについて
まずは山田コーチにもご報告をされたと思いますが、どんな思いがある?



ま:
満知子先生は、小さい頃に指導を受けてたんですけど、
ほんとにスケートの楽しさだったり、挑戦する楽しさを教えてくれました
でも、その一方で、スケートだけではなく、いろんな事を教えてくれた先生です




佐藤コーチは、大人になってから指導を受けたんですけど、
やはり自分の意志が強いほう、ていうか強いので、
先生といろいろ話し合いをしたりする機会も多かったんですけど
自分の意見もしっかり聞いてくださって
それを静かに見守っていってくれてた先生でした

に:
とくに休養があって、戻ってきてからの2シーズン間は
佐藤コーチとのやりとりも色々あったと思います
振り返って、この復帰してからの2年間の意味をどう捉えている?

ま:
意味・・・ ソチオリンピックのシーズンで、世界選手権を終えて自分が選手を終えていたら、
ほんとに今もまだ出来たんじゃないかなという風に思っていたと思います

でも、自分が望んで復帰をして、チャレンジして出した結果なので
ほんとに今はやり残したことはないので、そういった意味で
もう一度自分でチャレンジすることが出来てよかったなと思っています


に:今後について どんな仕事をしていくのか注目されると思いますが まずは自分の中でどんなプランがある?

ま:
まず夏にアイスショーがあるので、そこで選手生活を終えて初めて
皆さんの前で滑るので、いい演技を目指して頑張りたいなと思っています

(それがいいよ テレビ局や企業が真央ちゃん争奪戦に躍起になってるけど、
 金儲けだけのあこぎな世界で自分を見失ってほしくはないんだ

に:フィギュアスケートにどういう形で携わっていくんだろうと、我々は考えるんですけれども?

ま:
やはり5歳からスケートを始めて、今までスケートにお世話になりました
なので、これからどんな形であってもフィギュアスケートに恩返しが出来るような
活動はしていきたいなとは思っています

に:具体的なプランはこれからっていう感じですかね?

ま:そうですね、はい


に:
日本フィギュア界について伺います
浅田さんに憧れてスケートを始めた選手たちが今トップスケーターになってきました
そんな日本フィギュア界にエールをお願いします

ま:
引退された大先輩の方をはじめ、私も引退をすることになったんですけど
今までほんとにスケート界を引っ張ってこれたかなという風に思っています

これからは、今若い選手がどんどん出てきていますので
若い選手が、若いパワーでフィギュアスケート界を引っ張っていってほしいなと思います


に:浅田真央さんにとってフィギュアスケート 改めて今振り返ると、どんな存在ですか?

ま:
存在・・・んーーーどんな存在ですかね 難しいですけど
ひと言で言うとやはり「人生」かなと思います

に:今、引退を発表されて、自分を褒めたい部分はどういうところ?

ま:
私、けっこう飽きてしまうことが多いんですけど、
でも、ハマってしまったらすごくそれにハマってしまうんですけど、
でもこのスケートは5歳から26歳まで続けてこれたので
“長い間、続けてきてスゴイねえ”って言いたいです

に:そういった意味では、どういうスケート人生でしたか?

ま:
やっぱり私もすべてがスケート中心の生活だったので、ほんとに私の人生です


に:
ファンの皆さんも浅田選手を支えてきたと思います
浅田さんとともに歩んできたファンの皆さんにもひと言お願いします

ま:
ほんとにたくさんのファンの方が私のことを応援してくださって
本当に長い間、良い時も悪い時も諦めずに応援してくれてたので
私もすごくそれが励みになりましたし、パワーになりました
ほんとに感謝しています ありがとうございました



(代表質問は以上 てかもう11:50なんだけど

日本テレビ鈴木:緊張していますか? ノドを潤してましたけど

ま:
すごい熱気もスゴイですし、たくさん喋るのでノド乾いちゃいました



す:
アスリートならば誰もが迎える引退という日なんですけど、
自分がイメージしていた形と、今実際この日を迎えられていかがでしょうか?

ま:
発表するまで、あまりこう自分の中ですごい実感ていうのはなかったんですけど
こうして改めてここに座って、今までのことを振り返りながら話していると
まあ、少しずつ“ああ、引退するんだな”ていう気持ちは湧いてきますね

す:気持ち的には寂しいのか、ホッとしているのか、あるいは清清しいのか?

ま:ほんとに気持ちは晴れやかな気持ちです

す:
これからスケート靴をあまり履かない生活、リンクから離れて少し温かい生活が待っていますけれども?

ま:
私は1月から3月までは、あ、今4月w まではスケート靴を持たず、滑らずにずっといました
でも7月にショーがあるので、もう滑り始めます

(またもの凄いチケ取り合戦&取材合戦になりそうな予感



あら、53分で切られて、スタジオに戻っちゃった 最後まで放送すればいいのに、中途半端だな
「NHKニュースサイトや、アプリで終了までお伝えします」とのこと

続きは動画で見た→here

す:何か現役生活でやり残したこと、なにか悔やむことは?

ま:
やり残したことはなかったので、それだけ自分はすべてやり尽くしたんじゃないかなっていう風に思います


テレ朝小川:
今日は白いジャケット、白いブラウスにこめられた思いはある?

ま:
黒のスーツか白かいろいろ悩んだんですけど、自分の気持ちとしては
ほんとに晴れやかな気持ちなので、この服を今着ています

お:これまでの真央さんの人生の中で何度も出てきた言葉は
“ノーミス”だったと思うのですが、そこまでパーフェクトにこだわり続けた思いは?

ま:
やっぱり失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて練習してきたからこそ
自分は試合に強いタイプではなかったので、敢えて言っていたんじゃないかと思います

お:真央さんにとって「トリプルアクセル」はどんなものだった?

ま:
私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って
ずっとその夢を追ってやってきたので、跳べた時はほんとに嬉しかったですし、
自分の「強さ」だったと思う、反面、悩まされることも多かったです

お:
スケートを始めた5歳の時の自分にタイムトリップして会えるとしたら
どんな言葉をかけたいですか?

ま:
んーー難しいなw “頑張ってね”って
フィギュアスケートをやっててたくさんの方に応援してもらえて
幸せだなあと思いました 大変だなと思うこともあったんですけど
その自分に対してエールを送ると思います



朝日新聞ゴトウ:
以前、浅田選手が子どもさんたちと接している様子が印象に残っているんですけれども
浅田さんから日本の子どもたちに何か声をかけるとしたら?

ま:
私はちっちゃい頃からほんとにスケートが大好きでやってきました
なので、今から始める子だったり、今頑張っている子がスケートを大好きな気持ちを忘れないでねって言いたい

子どもが大好きなので、以前、スケート教室をやったこともあったので
また機会があれば、ぜひやりたいなと思っています



NHKニュース7:トリプルアクセルに声をかけるとしたら?
(だんだん質問が迷走してきてないかい?w

ま:

難しいw トリプルアクセルに声をかけるんですよね?(周りも笑ってる
“なんでもっとカンタンに跳ばせてくれないの?”って感じですw

7:ここまで続けてこれた支えとなったものは?

ま:
1つは自分の目標ですね たくさんの方に支えられて、応援があったから



共同通信:
今年の世界選手権をどう受け止めたか、引退につながっているか?

ま:
ピョンチャンオリンピックに行くのをやめてしまうのを
許せるのか、許せないのかとずっと思って過ごしてきて
でも、最後、話し合いをして決めたのが2月だったので
世界選手権が影響したわけではなくて、自分自身が決めることなので

2月になってしまったのは残念なことだったが、
2枠を大勢の選手のコたちが争うので
ほんとにハイレヴェルな試合になるんじゃないかなと思っています

共同通信:2月に決断して、4月までの気持ちは?

ま:いろいろと自分の気持ちの準備だったり、今日に至りました



TBS:引退の決断をどの方が一番後押ししてくれたのか?

ま:
家族や友だちに相談しました みなさんいろんなアドバイスをくれました
最終的に決めたのは自分自身なので、旅行に行ったりして
その中でも考えながら決断しました

TBS:
21年間の競技人生、大変だったと思いますが、
一番印象に残っている言葉、ご自身が一番大切にしている言葉は?

ま:
この決断をしてからたくさんの方々から温かい言葉をいただきました
なので、やはり「感謝」という気持ちは、これからも忘れずに進んでいきたいなと思います



日経新聞:
浅田選手がスケート界に現れた頃に比べると、今はよりたくさんの人がフィギュアスケートに興味を持つようになったと思うが
スケートが日本の文化となったことに、浅田さんがどう貢献できたかということと、
これから日本のスケート界のためにどうしていきたいか?

ま:
私がちっちゃい頃は、伊藤みどり選手をはじめ、本当に素晴らしいトップスケーターがいました
そのスケーターを見て“私もこうなりたい”と思って、ずっとそれを目指してやってきました

ジュニア、シニアに上がってからは、スケーターそれぞれが強くて魅力のある選手が集まって
それぞれが刺激を与えながら、切磋琢磨してきました
そしてそれを応援してくれる方々がいたからこそ、フィギュアスケートもここまでたくさん注目されるスポーツになったと思う

なので、これからのスケーターにはみんなでそれぞれ高め合って、刺激し合いながら
頑張っていってほしいなと思います



ニコニコ動画:
ソチのSPからFPの間にどう立ち上がって、世界中が感動したFPの演技につなげられたのか?

ま:
SPが終わってからは“ああ、日本に帰れない”と辛い思いもしたんですけど
FPの朝もこのままで大丈夫かなと公式練習を終えました
でも、試合が近づいて、リンクの会場に出た瞬間“これはやるしかないな”という思いが出てきて
ようやくその時ですね

ニコニコ動画:終わった時は満面の笑みでしたが

ま:
“ああ、終わった よかった”という思いがこみ上げて涙が出て
バンクーバーの時も悔し涙を流していたので、“泣いてちゃダメだな”と思いました



女性:
選手としての卒業式とともに入社式みたいな感じだと思うが
なにか違う世界に進むということは考えていますか?

ま:
新たな一歩ですが不安は何もなくて、ただただ前を向いて進むだけだと思っているので
これからも新たな経験をして、元気に前を向いて進みたいと思う

女性:
先日、プルシェンコ選手も引退されましたが、同じ選手生活を送った選手として思うことは?

ま:
私よりも選手生活が長く、ほんとにたくさんの記録を残した選手だと思う
心からお疲れさまでしたと言いたいです

女性:
前を向いて戦う姿が印象的ですが、信念は?

ま:
ちっちゃい頃から変わらないが、1日1日目標を持ってやってきました

女性:今一番やりたいことは?

ま:1月から時間があったので、旅行に行ったり、美味しいものを食べたりすることができました



男性:競い合うことの大切さという点で、キム・ヨナ選手への思いは?

ま:
私たちは15、6歳頃からジュニア、シニアの試合に一緒に出てきました
お互いに刺激を与え、もらいながら、スケート界を盛り上げてきたんじゃないかなと思う



NHK:
最後の世界選手権に向けて何が“もういいんじゃないかな”と思えた?

ま:
試合に向かう気持ちは変わらない ノーミスをする、自信を持って滑ることを考えていた
滑り終えた時、完璧ではなかったですし、現役生活の最高の演技ではなかったので悔しい思いもあった
キス&クライに座って、得点が出て、順位が出た時に“あ、もういいのかもしれない”と思えた

全日本選手権は12歳から出場していて、一番残念な結果で終わってしまって
結果も1つ大きな決断への出来事だったとは思う

NHK:
一度過去に戻れるなら、いつの自分にどんな言葉をかけたい?
(タイムスリップものが続くねえ

ま:
26年間ですのでねw もうほんとに戻ることはないので
あんまり答えはパッと出てこないです



テレビ東京:今、オリンピックについてどう思う?

ま:
ほんとにあと1年ということで、たぶん選手はそれぞれいろんな思いでいると思うので
私はエールを送りたい

テレビ東京:真央さんにとってオリンピックとは?

ま:
んーーー (かなり考えて) やはり4年に1度ですし
選手としてそこを目指していたので、そこに出れた、メダルをとれたということは
ほんとによかったなと思うし、オリンピックはほんとに素晴らしい舞台だなと思う

テレビ東京:もし生まれ変わったら、フィギュアスケーターになりたいですか?

ま:
今、こうしてすべてやりきってなにも悔いはないので
もしもう一度人生があるなら、スケートの道は行かないと思います(!

テレビ東京:何になりたいとかはありますか?

ま:
いろいろありますね 私、食べることが大好きなので
ケーキ屋さんとか、カフェとか
(なんか小学生の夢みたいで可愛い



(あと2つと司会者

文化放送・サイトウ:
やり遂げるというポリシーはどなたから教えられた?

ま:やはり母かな あとはこういう生活なので、自分で決めたことに関しては一応ガンコなつもりです

サ:貫いた最初の体験は覚えていますか?

ま:
しっかり覚えているのは、丸山合宿というのが毎年、長野県(!)であるんですけど
そこで絶対トリプルアクセルを跳ぶって決めて、初めておりたのが一番記憶にあります

サ:そこが浅田真央という素晴らしいアスリートの原点?

ま:
自分で言うのもあれですけど、目標を達成するとこんなに嬉しいんだなって
また頑張りたいなって思えた時でした



司会:最後に本人を送り出せるような質問をしてくださる方いらっしゃいませんか?(笑いが起きる

フリーランス:ご結婚のご予定はありますか?

ま:

ご結婚のご予定ですかw ないです

フ:あ、分かりました



司会:最後にもう1つ 送り出してもらって・・・

ま:でもお相手がいれば、その方と・・・

アジアの女性:
卓球の愛ちゃんみたいに結婚されますか?
あと、ずっと寒いところにいたから、温かいところ、例えば台湾とかにいらっしゃったりしますか?
(台湾に住んでほしいのかな?w

ま:
愛ちゃんとお友だちなので、もし台湾にいい方がいればご紹介してもらいたいなと思いますw
私、ほんとに1つ行ってみたい国が台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます



司会:最後に台湾の話になっちゃいましたがw もう1ついきましょうか? 質問に自信のある方
(逆に何を聞いて締めてほしいの?w

女性:
今後、プロスケーターとしても活躍されていくと思いますが、どう活躍していきたい?

ま:
一番近くにあるのはアイスショーなので、エキシビションなんかを作ります
そのエキシビションナンバーで今までのスケート人生をそのプログラムに注ぎ込めるように
そういうプログラムを作っていきたいと思います

(うわー楽しみすぎる!



司会:最後に浅田真央からもう一度ご挨拶をさせていただきたいと思います



ま:
みなさん改めてありがとうございました
発表してからこの2日間、温かい言葉を頂いて、ほんとに晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました
えー・・・(会見が終わってホッとしたのか、ここで涙ぐみそうになって必死にこらえた


報道陣的には、この瞬間をずっと待っていたのでは? でも、振り返ると笑顔に戻って


スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな道を見つけて
笑顔で、、、前に進んでいきたいと思っています(また後ろを向いてから
みなさん応援どうもありがとうございました




***

絶対涙を見せないようにするところも、真央ちゃんの意地を感じたなあ
こんなに注目されて、こんなに清清しい引退記者会見を立派に締めて、
ここから真央ちゃんのセカンドステージが始まる

だって、まだ26歳!!
フツーなら「私、こんなんでいいのかなあ」とかボンヤリ思いながら
毎日なんとなく過ぎてしまって気づいたら人生半ばとか

アスリートは、子どもの頃から全部の時間を使って、濃密な時間を過ごして
とんでもない壁を何度も乗り越えて、引退後もまた注目され続けていく

この会見もひとつの通過点でしかないけれども、感動した、記憶に残る会見だった





[ニュース]

電撃引退の浅田真央選手、これまでの主な活躍<戦績一覧>
以下、全て女子シングル



【世界ジュニア選手権】
2005年 キッチナー/金メダル
2006年 リュブリャナ/銀メダル


【ジュニアグランプリファイナル】
2004年 ヘルシンキ/金メダル


【オリンピック】
2010年 バンクーバー/銀メダル




【世界選手権】
2007年東京/銀メダル
2008年 ヨーテボリ/金メダル
2010年 トリノ/金メダル
2013年 ロンドン/銅メダル
2014年さいたま/金メダル


【四大陸選手権】
2008年 高揚/金メダル
2009年 バンクーバー/銅メダル
2010年 全州/金メダル
2011年台北/銀メダル
2012年 コロラドスプリングス/銀メダル
2013年 大阪/金メダル


【グランプリファイナル】
2005年 東京/金メダル
2006年 サンクトペテルブルク/銀メダル
2007年 トリノ/銀メダル
2008年 高揚/金メダル ※2度の3回転アクセルに成功
2012年 ソチ/金メダル
2013年 福岡/金メダル






CM:住友生命/浅田真央


織田信成「ずっと真央ちゃんのスケートが大好きです」


織田信成、生放送で号泣「やっぱり寂しい」


“「復帰してからは真央ちゃんがどんな決断をしても応援していこうって思ってたんですけど、
 やっぱり引退って聞いて寂しいなって気持ちがあります」
「体力的にも精神的にも本当に頑張っていた」
「普段はすごく優しくて天真爛漫な感じなんですけど、アスリートとしては芯の通った女性」
「自分の弱さを絶対に周りに見せない」
「これだけたくさんの方に愛された選手は真央ちゃんぐらい。本当に尊敬する選手。
 スケート人生に悔いはないっていう言葉にアスリートとしての真央ちゃんの潔さが見えたと思います」”


真央指導の佐藤コーチ「偉大なスケーター」 発表前に直接報告 涙のハグも


“引退を発表する前の10日の午前中に、新横浜のリンクを訪れた真央から直接引退の報告を聞いたそうで「『終わりにする』ということだった。
 よくここまで頑張ってきたなと思う。お疲れ様しか言葉がなかった」と、愛弟子をねぎらった。
 別れ際、コーチたちとハグをすると、感極まった表情も見せていたという。”

佐藤信夫コーチ、左膝痛の真央は「極限状態まで頑張った」
“引退を発表した10日の午前10時に新横浜のスケートリンクにやってきて「これで終わりにします」と一言の報告を受けたという。
 同リンクに真央が姿を見せたのは昨年12月の全日本選手権後、初めて。
「心の中では、今の状態をもう一回、昔と同じ状態に直すっていうのは難しいと思った。
 一番いい選択じゃないかなという気持ち」で引退を受け入れ、「お疲れさま」とだけ返したという。
 真央が今季苦しんだ左膝痛は「普通では考えられない激しいもの」。
 限界だったが、現役最後の演技となった全日本では3回転半に挑んだ。不発で12位に終わったが
「立派。(3回転半は)彼女のモチベーションだった。極限状態まで頑張った。それだけは間違いない」と思いやった。”


羽生結弦「これからもずっと私の憧れの人です」引退・真央へ感謝






“「トリプルアクセルも、複雑なステップも、伸びやかなスケーティングも浅田選手にしかできない演技を
 どんな状況でも、どんなときでも挑戦する姿を見てこられて幸せでした。
 フィギュアスケートが大好きな浅田選手のスケートが大好きです。これからもずっと私の憧れの人です。
 たくさんの夢をありがとうございました。また会えることを楽しみにしています。本当にお疲れ様でした」”



Viewing all articles
Browse latest Browse all 8633

Trending Articles