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100分de名著 宮沢賢治スペシャル 全第4回

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100分de名著 宮沢賢治スペシャル 第1回「自然からもらってきた物語」
司会:伊集院光、礒野祐子

「作家別」カテゴリーに追加しました。

【指南役】山下聖美(日本大学芸術学部教授)…「宮沢賢治のちから」「賢治文学『呪い』の構造」等の著作で知られる文学研究者。
【童話の朗読】原田郁子(クラムボン・ボーカル)
【詩の朗読】塚本晋也(映画監督)

以前、一度だけ見たことのある番組


カント『永遠平和のために』(4)@100分de名著

私の好きな“画本”シリーズの『銀河鉄道の夜(画本宮沢賢治) 』ほか、
これまで読んだ絵本も映ってた 賢治は大型絵本で読むほうがいいと思うなあ

この全4回の番組の中にも、たくさんの作品が紹介され、
そこに使われた絵がとても魅力的だった これはなんという作家さんだろう?


プロフィール
 

生前は無名 あまりに独創的で掲載も拒否された
童話で売れたのは1冊のみ 利益は5円(今の4500円ほど)

山下さんは学生の時から賢治研究をして、ゼミの学生と今でも花巻をたびたび訪れている
(花巻いいよねえ→宮沢賢治記念館@花巻(1994.12.17)


復刻版を紹介 今買うと200万以上する!


『春と修羅』は自費出版で父がお金を出したがほとんど売れなかった
「ゾッキ本」(古本・古書市場にてきわめて安い価格で売られる新品の本 バーゲンブック)

『注文の多い料理店』
「赤い鳥」など童話は流行っていたが、これも売れず、申し訳なく思った賢治は200部買い取った

山下:
家が金持ちだったので、本で稼ぐ感覚はなかった
一部では知られていた 草野心平、中原中也らは衝撃を受けて、知人に配った



秀才タイプの夏目漱石らと比べ、特別な感性を持っていた


●『注文の多い料理店』の“序”を朗読
(もう最初から涙が出る大好きな序文
 

「青空文庫」より



教師のころ

(絵もいろいろ描いたよね

岩手の山野を歩き回るのが日課だった 岩手の豊かな自然から物語をもらった

山下:
書き方も変わっていて、机に向かって難しい顔で書くのではなく
自然の中で、そのエネルギーをキャッチして、それを書くだけ、
書かされているだけだよということをしつこく言っている
実際、手帳やペンを首から提げていた

賢治の特殊な感覚を、最近は「共感覚」というアプローチで研究されている
色を目で見るのではなく、聴いたり、匂いを音で表したり
1つの刺激に対して、2つ以上の感覚が反応してしまう
3歳くらいの子ども、アーティストらの感性と同じ


●賢治の感性を味わえる作品の1つ『イーハトーボ農学校の春』
 

文章の中に楽譜が入っている


山下:
賢治の感性では、春の太陽の光が音として感じられている
ジャンルを超えていく 絵も描くし、すべてを文学に昇華していく
ストーリーやオチもなく 理解よりも“感じる”読み方をすべきかなと思う

もともと理系の人 「光炎菩薩」などは仏教用語 法華経の大変な信仰者でもある
賢治の作品は、科学用語、宗教用語がたくさん出てくる
それを包括して芸術をつくっているのが特徴


物語に吹く「風」
『注文の多い料理店』
 

 

『鹿踊りのはじまり』


賢治の好きな岩手の郷土芸能に題材をとった
青年は森の中でヒトの言葉を話す鹿が輪になって踊る光景を見る
思わず踊りに加わろうとすると、鹿は風のように逃げてしまう

 

山下:
賢治の童話で風が吹くと妖しい「異界」が現れてくる特徴がある
風はなにか得体の知れないものの「息吹」としてキャッチして描いている

言葉もまずは「息」 『鹿踊りのはじまり』も風がヒトの声に聞こえて記録したという
言葉と風のつながりを描いている

自然と一体になりたい衝動に駆られる その恍惚感が描かれる
これをファンタジーとして片付けず、「山がものすごい」って何?!
と、いちいち立ち止まって考えると、自分で解釈したくてたまらない欲求をもつ方が多い

(面白いなあ!



■第2回 「永遠の中に刻まれた悲しみ」
37年の短い生涯で800篇という膨大な詩を書いた賢治
彼は自分の詩を「心象スケッチ」と呼んだ
その裏には、最愛の妹トシを失った悲しみがあり、作品の中にも影を落とす




●『春と修羅』は詩ではなく「心象スケッチ」と呼んだ
この「序」は私の中で最高傑作だな


山下:
わたくしという「現象」 「照明」というのは何かのエネルギーによって明滅している存在
本体、本質によって動かされている現象に過ぎないと解釈している

賢治は青をよく描いている ヒトの命を「青い光」で表すことが多い
いろいろなものがみんなに共通している 私たちは貫かれているという捉え方

伊集院さんはラジオで喋る時、聞いているヒトの姿は見えないことから、これにとても共感していた

山下:
自分の心の奥の奥の奥の奥を掘ったほうが「みんな」に出会える

伊集院:身震いするほど、すごいなコレ


その日を永遠に刻みつけるために
『春と修羅』には具体的な日付がついているのが特徴

賢治は時間にこだわっていた 着想した日を書いていたりする
その日、その瞬間を永遠化したかったのではないか

妹トシが亡くなった1922年11月27日が3篇


兄と同様、真実を追究し、東京の女子大に進学後、花巻で教師をしていた
厳しい自然で貧しい農家が多い中、質屋を営み財を成した宮沢家に、賢治は深い罪悪感を抱き父とよく衝突した



その一番の理解者がトシ 彼女は病に倒れ、必死の看病も空しく、24歳の若さで亡くなる
 

「永訣の朝」

(この詩は聞くたびに涙があふれる

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)は「あめゆき(みぞれ混じりの雪)をとってきてください」の意(諸説ある


山下:
トシとは幼い頃から仲が良く、法華経の信仰者にもなり、同志
彼女の死は、賢治にとって魂が引きちぎられる思いだった

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)もいろいろな解釈がされている
地元の方に聞いたら「あまゆき(甘い雪)」ではないか

昔の花巻の方が、とくに子どもの頃は雪に砂糖をかけて食べていたという
幼少の頃の思い出など、いろんな時空が混ざった詩と解釈できる

(Ora Orade Shitori egumo)は、「私は私で一人で死んでいきます」の意味
敢えてローマ字にすることで音楽的に聞こえるイメージ


「無声慟哭」
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか

信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
(おら、おかないふしてらべ)

山下:
これも「トシ臨終三部作」などと呼ばれている1つ
魂の一部がいなくなってしまう 死ぬということは何なのか
死んだらどこへ行ってしまうのかということを真剣に追究している

実際、賢治は、最北端に行けば魂に会えるのではないかと列車に乗って行き、「オホーツク挽歌」なども書いた

「オホーツク挽歌」
わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
悼んでいるのかと遠いひとびとの表情が言ひ
またわたくしのなかでいふ


信仰では、みんな、宇宙全体の幸せを考えなければいけないのに、
自分はトシ子のことばかりを考えてしまう

その葛藤を抱えながら、彼はトシの魂と一生懸命交流しようとする
根底の思いは、どうしてももう一度会って声を聞きたい、それらを追究した跡がこれらの作品



童話に描かれた「死」

『やまなし』
 

「クラムボンはわらったよ。」

「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」

「クラムボンは跳はねてわらったよ。」

「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」

(クラムボンは、ここからバンド名をとったのかな


クラムボンとは?

山下:
あなたの想像力に任せられている 音の響きから丸いようなイメージ
水の底の物語なのでファンタジーから始まり、「殺されたよ」と急に物騒な言葉があらわれ
カワセミが魚をくわえていく「死」があるが、後半に生の恵みを象徴する「やまなし」が落ちてくる
死と悲しみとを包む、なにか大きな「命」

伊集院:
ちょっと輪廻転生と考えてしまう 悲しみも恵みも世の中は循環している
トシの死は無駄でもなければ、悲しみだけではないという優しさも感じる

山下:
小さい頃読んだ時と、大人になってから読んだ時の解釈も違ってくる
実際、悲しい出来事を経験してから読むと、またまったく解釈が変わったりする





■第3回 理想と現実のはざまで

「雨ニモマケズ」

日本人の理想的な生き方として誰もが習った詩
これは、賢治の死後、偶然発見された


●戦争と「雨ニモマケズ」

山下:
「理想的な賢治像」がもっとも表れているのが「雨ニモマケズ」
知らない日本人はいないほど これは賢治の死後、鞄の中から偶然発見された
賢治がこれを作品として発表しようと思っていたかは分からない

私たちが知っているのは「ソウイフモノニ ワタシハナリタイ」ところまで
手帳にはあまり知られていない文句が出てくる

「南無妙法蓮華経」など「法華経」を含めて「雨ニモマケズ」だと言える
パッと見込みだけれども、当時は切られて、賢治の死後、フシギな経緯で広まった

 



 



教師を5年で辞め、百姓となる


「羅須地人協会」(実家の別邸
 

 

農作業のかたわら、地元のヒトと童話の朗読会、楽器の練習をした
だが、賢治の活動は理解されず、社会主義者の疑いをかけられたりして、
「羅須地人協会」の活動は1年ほどで終わる

その後、化学肥料のセールスマンとして、重い見本を持って各地を歩いた賢治は
病に臥せ、「雨ニモマケズ」を書いたと言われる

この詩が見つかったのは賢治の死から半年後
賢治を偲ぶ会の開催中、遺品の鞄から偶然見つかった手帳にあった

 




献身的な詩が注目されるようになったのは「軍国主義」の時代

『常盤樹』に掲載され「欲しがりません勝つまでは」などと同様
戦時にある日本人の精神として広まる(賢治の考えの真逆だな/哀

 

 

戦後、教科書にも載り、今度は戦後の窮乏を耐えて生きる日本人の姿に重ねあわされた
 
玄米四合では多すぎると「三合」に改められた

こうして日本中に広まり、偉人・賢治として知られていった

山下:
戦争が賢治を国民一般に知らしめたという側面がある
学徒兵などが「雨ニモマケズ」を読んで、“この気持ちで戦うんだ”という文章を遺していたりとか
戦時中を生き抜かなければならない人々の気持ちを代弁していた

普通は、戦時中の言葉は、戦後は一掃されていくが、また利用されていく

「玄米四合は多すぎる」とGHQの民間情報教育局から修正を指示された
戦争には勝てなかったけれども「雨ニモマケズ」という敗戦後の日本人の気持ちを代弁する言葉となって生き残った
逆の見方をすれば、時の権力を利用して生き残ったテキスト すごい力を持っているとも言える

賢治がいろんな理想世界を現実に移そうとする時、
「どうせ金持ちの坊ちゃんに農民の気持ちは分からない」と理解されず、誹謗中傷もされたと思う

そうしてもがいた結果が「雨ニモマケズ」 自分の中で呪文のように唱えながら
でも、そういうのが私だというのではなく「ソウイフモノニ ワタシハナリタイ」と言っている
聖人君子として生きていたわけではなく、なりたいけど、なりたいと常に思いながら生きていたというところが重要



ありのままの現実を見つめた童話も数多い


『毒もみの好きな署長さん』
 

国のきまりの第1条で「火薬を使って鳥をとってはなりません」
「毒もみをして魚をとってはなりません」と定められていた
「毒もみ」とは山椒などの粉を川でもむと、魚が白い腹を上にして浮かび上がるところを獲ること

この国にカワウソに似た新しい警察署長がやって来て、毒もみをして捕まり、アッサリ認める

「ああ、面白かった。
 おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。
 いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」

みんなはすっかり感服しました。


伊集院:植木等ですよ 分かっちゃいるけど止められない(ww

山下:
賢治も認める ニンゲンはそういうものだと やりたい時は地獄へ行ってまでもやりたい

伊集院:ニンゲンの感情の中には抑えきれない欲とか性質がある

山下:
じゃあ、あなたにとっての毒もみって何? と考えると自分も持っているから、他人も責められないし、
文学は裁くものではないので、法律で裁かれてしまう人も、文学の中では生きている

命を懸けても欲望に忠実でいられるか
賢治は子どもが読んで、教訓や、明るい側面が注目されがちだけれども
大人が読んでもハッとする作品もたくさんある



●「仕事」と「労働」
賢治の作品には働くことへの理想と現実も書かれている

『なめとこ山の熊』


熊の肝は薬効で知られ、男は猟師が生業だが、熊たちと深いところで結ばれていた
山を知り尽くした猟師は、熊の皮や肝を街へ売りに行く時はとても惨めだった
雑貨屋の主人には二束三文で買い叩かれ、それでも家族を養うために体を小さくしてへりくだる



ある時、猟師は熊から「2年だけ待ってくれ 2年後にはお前の家の前でちゃんと死んでいてやるから」
と頼まれ、見逃すと、2年後、約束どおり熊は死んでいた



「てめへも熊に生れたが因果なら
 おれもこんな商売が因果だ。
 やい。この次には熊なんぞに生れなよ」

その後、老いた猟師は熊を撃つ間もなく襲われ、熊は言った
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」



もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。

「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。
それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。

とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。
雪は青白く明るく水は燐光をあげた。すばるや参の星が緑や橙にちらちらして呼吸をするように見えた。






山下:
理想と現実で分けると、理想のほうは猟師は山では生き生きとしている
熊とは尊い命の関係 自然の摂理の中の関係を結んでいる 天から与えられた「仕事」

山を下りると、それを二束三文で売らねばならない それが現実の「労働」
「仕事」と「労働」の対比が描かれていると思う

伊集院:
サービス残業からの過労死も酷い話
でも、天職だと楽しいことは時間を忘れてやってしまう
これを混同することで、とても残酷な結果になる
境目が分からなくなっている人は苦労が絶えないのと同じですね

山下:
自分の「仕事」とはなにか、を見極めることが重要
賢治もセールスマンをやったり労働していく中で
現実と理想の葛藤も見つめてきた人であった



■第4回 「ほんとう」を問い続けて
 

賢治が多くの作品で繰り返し使っている言葉がある
生涯を通して「ほんとうのこと」を探求した賢治
しかし、それは答えのない旅

山下:
賢治は命を懸けて「真理の探究」を行った


『学者アラムハラドの見た着物』


教え子との問答
「鳥が飛ばずにいられず、魚が泳がずにいられないように、ヒトは何をしないでいられないか?」


他の弟子の答え


聡明なセララバアドの答えは
「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」

「うん。そうだ。人はまことを求める。 真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。
 人が道を求めないでいられないことは、ちょうど鳥の飛ばないでいられないとおんなじだ。
 これをおまえたちは堅くおぼえて あとでも決して忘れてはいけない」


山下:
いいことをするのが重要なら、じゃあ何が「いいこと」なのかは人によって違います
ある人にとって「いいこと」が、別の人にとっては「悪いこと」かもしれない
じゃあ、「ほんとうのいいこと」てなんだろう

古今東西の芸術家、哲学者がしてきた真理探究のまなざしが賢治の中にもある

賢治の母親イチの口癖が
「ヒトというものは、ヒトのために何かしてあげるために生まれてきたのス」だった

みんなにとっての「いいこと」て何だろうと小さい頃からずっと頭にあって
信仰、哲学、芸術から求めてきたのではないか

私たちは自分自身のことを何も知らない存在と言っても過言ではなく
「なぜ生まれてきたのか」「いつ死ぬのか」もまったく分からない
「何だろう」と考える本能があるということを言っている


『マリヴロンと少女』


牧師の娘ギルダは、父に付き添って旅立つ日、
日ごろ憧れてやまない著名な声楽家マリヴロンを見かけて心からの尊敬を伝える
「あなたのためなら百遍でも死ぬ」というギルダに

マリヴロン
「あなたこそそんなにお立派ではありませんか。あなたは、立派なおしごとをあちらへ行ってなさるでしょう。
 それはわたくしなどよりははるかに高いしごとです。
 私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分か声のひびきのあるうちのいのちです。」

「ええ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよそうでしょう。
 正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。

 ごらんなさい。向うの青いそらのなかを一羽の鵠がとんで行きます。
 鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。
 みんなはそれを見ないでしょうが、わたくしはそれを見るのです。

 おんなじようにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。
 それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」

「すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすすむ人人は、いつでもいっしょにいるのです」


山下:
今作は『めくらぶだうと虹』をニンゲンに置き換えたもの
どこにでもあるすべてのものに芸術というものはあると賢治は言いたい
職業作家だけでなく、それぞれが一緒に進んでいくんですよということ



芸術をもて あの灰色の労働を燃やせ
農民の生活の向上を強く願った賢治 それをまとめたのが『農民芸術概論綱要』


「かつてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
 そこには芸術も宗教もあった
 いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである

 宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
 芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
 芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
 ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある

 世界に対する大なる希願をまづ起せ
 強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ
 なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
 風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 われらの前途は輝きながら嶮峻である
 嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
 詩人は苦痛をも享楽する
 永久の未完成これ完成である」


アナ:
山形に赴任した時、農閑期になるとお祭りして能舞台をする
さっきまで農作業していた人が衣装を身につけて神楽を奉納したりしてちょっとビックリした

山下:
いろいろなものがすべて一体だった
近代になっていろいろ区分けした 芸術、宗教、科学をバラバラに理解した
芸術の分野もバラバラに区切ったのが近代の特徴だが
賢治は全部を包括して感じていこうとした
ここでは、農業を芸術にしていく必要があると言っている

伊集院:
伊丹監督に映画に出させてもらった時に、映画の途中でカレーを作っている助監督がいて
「カレーじゃなくて、映画つくってるんだよ」てゆったことが助監督に響いたそう
カレーを作ることも芸術の1つ

山下:
どんな仕事、労働にも美を見出すことができる(仕事に限らないよね



『銀河鉄道の夜』(やっと出てきた!





賢治の代表作の書き出し

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云いわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていた
 このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」



先生は、黒板に吊るした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった
銀河帯のようなところを指さしながら、みんなに問をかけました。

カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。
ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。

たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、
このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、
なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。


ジョバンニはカンパネルラと天の川を鉄道で旅をする
 

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。
 僕はもうあのさそりのように ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

「うん。僕だってそうだ」 カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。


石炭袋に着く2人 カンパネルラは突然消える



山下:
「未完の大作」と呼ばれていて、賢治の集大成 大変な問題作とも言われている
日本近代文学とか、童話の枠を超えて、世界文学の粋にいっている
宇宙を旅するというスケールの大きさが日本をこえている


物語のテーマは「死」

山下:
大きなテーマで考えるほど分からなくなる その賢治の「求道」が描かれているのかなと思う

何度も何度も改稿している、改稿するたびにボンヤリしてくる
どんどん何か分からない「闇」を私たちに突きつけてくる

伊集院:トシの死ともちょっとオーバーラップする

山下:
旅に出る時、夜の列車を選んでいる 夜の闇の中であちらの世界を考えて追究した結果が今作

伊集院:
求めることが正しいとすると、私たちが究極的に正しいことが分かったら、それは終わりだったりするのかな
(深い・・・

山下:
「永遠の未完成 これ完成」という言葉も遺している
未完成ということは、読者に任されているということ

参加する、想像力の余地がある ものすごく刺激されて
読者とテキストでどの時代にも生き残ることができる
私たちの解釈も多様で、文学の豊穣さも賢治の魅力だと思う



最後の締めくくりは、大好きな♪星めぐりの歌
クラムボンの原田郁子ちゃんが、賢治の弾いていたのと似たオルガンを弾いて歌うのがイイ

 


***


私の好きな宮沢賢治だが、この番組、山下さんの幅広い解釈で、さらに魅力的だと思った
絵本になく全集にあるもので読んでいない作品もまだまだあるし

昔、全集を持っていたのも手放してしまった
雑紙のようなザラザラした手触りのいい本だったのになあ

賢治というと、中学の国語の授業を思い出す
みんなが気弱な国語の若い教師をバカにしていて、いつも授業はお喋りで賑やか
教師もそんな生徒を放っていた

教科書で賢治が取り上げられ、「どこが魅力か」と私はあてられた
それまで、前の席で友だちと喋っていたけれども
「岩手の方言の響き、オノマトペの言葉の面白さなどが好きです」と答えた時の
ビックリした顔を今でも覚えている
きっと大した返事は返ってこないだろうと期待していなかったんだろう




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