■レオナルド・ダ・ヴィンチ 幻の戦争画大作@日曜美術館
出演:
樺山紘一さん(歴史学者 印刷博物館館長)
アレッサンドロ・ヴェッツォージさん(レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長)
ジョヴァンニ・チプリアーニさん(フィレンツェ大学歴史学教授)等
「アンギアーリの戦い」(軍旗争奪場面)の下絵ではないかと言われる絵を見るために
世界中から多くの研究者たちが、フィレンツェに集まった。
レオナルドが壁画に取り組んだのは1503年
完成することなく消えた名作 いつ、どう描かれたのか調査が進められた
フィレンツェ国立修復研究所所長マルコさん:
調査の結果、技法や材料は16C前半に使われていたものに適合すると分かった
度重なる修復で、オリジナル箇所がいくつも削られている
直筆かどうかの結論も出なかった
アレッサンドロ・ヴェッツォージさん(レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長):
この絵は謎を秘めていて、「アンギアーリの戦い」のもっとも重要な絵画的証拠でしょう
東京富士美術館で展示されたのか/驚 日本初公開
ルネサンスの都・フィレンツェ
市の庁舎ヴェッキオ宮殿では、政治や行政が行われてきた
この大広間の壁に描かれるはずだったのが大作「アンギアーリの戦い」
今は別の画家の戦争画が描かれている
1500年 50歳近くになったレオナルドがフィレンツェに戻った
「最後の晩餐」で高い名声を得て、円熟期を迎えていた
メディチ家は追放され、市民たちによる民主的な国造りを目指していた
議長に就任したピエロは、ヴェッキオ宮殿に民主的国家の象徴としての壁画をレオナルドに依頼した
テーマは約60年前、宿敵ミラノに勝利した「アンギアーリの戦い」
その横に発注したのは、当時注目された若手芸術家ミケランジェロ(28歳)
ライバル心を燃やした2人の天才の対決は大きな話題となった
レオナルドは教会の間で下絵を始めた 戦争画の大作は初めての挑戦
半年経っても作業は進まず、業を煮やした共和国政府が督促状を出した
「月々の報酬を支払っているのに、なぜ絵が完成しないのか?」催促と期限が言い渡された
さまざまな素描が残っている中、軍旗をめぐって両軍が争う場面もある
レオナルドの手記より:
敗れた者の顔は青白く、悲痛なシワが寄せられている
号泣まじりの声をあげているような口
敵に武器を奪われながら、歯と爪で激しい復讐を試みる者も見えて差し支えない
死んだ馬の前には、多数の死体が累々と覆い重なって見えたに違いない
アレッサンドロ:
レオナルドは、戦争、戦闘に明確なコンセプトを持っていた
獣のような狂気 怒りの感情を大画面にぶつけた
フィレンツェ軍の勝利の様子ではなく、敗北者の憤怒に焦点を当てている
素描をもとに壁画の構造を考えてみる
戦争のむごたらしさを徹底的に表現しようとしていたレオナルドに対して
横に並ぶミケランジェロは何を描こうとしていたのか
「カッシナの戦い」
ピサとフィレンツェの戦いをテーマにした絵だが、
突然の敵の襲来に、水浴びしていた裸の兵士らが慌てふためく様を描こうとした
筋肉の動きが見事に表現されている
上に描かれているのは、レオナルドの描いた軍旗争奪のよう
その下に「カッシナの戦い」が描かれ、2つの絵が並んだ様を想像していたよう
尊敬する先輩の絵とかぶることを避けるためか、ライバルへの挑戦か?
専門家:
2人は事実ライバルでした 生い立ちも違い、絵のスタイルも性格も違っていた
レオナルドはミケランジェロに一目置いていた
もし、2人の絵が並んでいれば、「世界の学校」と言える
当時のイタリアの政情
ゲスト樺山紘一さん(歴史学者 印刷博物館館長):
15~16Cのイタリアは大変、政治的に混迷状態にあった
1つ1つの国が都市国家をつくり、軍備を持っていた
「アンギアーリの戦い」は1940年に起きたと考えられていた
1502年 レオナルドはチェーザレの下で軍事技士として働いていた
チェーザレは、野心に満ちた若き指導者 勇猛な戦いぶりで支配していた
彼はレオナルドを信頼に武器の設計を任せ、常に行動を共にしていた
この時、レオナルドは戦争の現実を目の当たりにしていた
ジョヴァンニ・チプリアーニさん(フィレンツェ大学歴史学教授):
レオナルドは戦争の道具に関して深い経験があった
兵士ではなく参謀として、戦いの作戦などを研究した
知能はずば抜け、しかも画家なので合戦の模様を詳細に想像でき
もっとも効果的な方法で表現した
実際の戦いにはどんな物語があったのか?
舞台となったアンギアーリの街
石造りの壁は中世の面影を残す この平原が戦場となった
戦いのジオラマ
その名を轟かせたニッコロ(赤い帽子の男性)は2000人の兵を従えた
両軍の一進一退の攻防が続いた後、連合軍が優勢となり、
散り散りとなったミラノ軍は次々と殺された
絵には激しく叫ぶニッコロ、その下には軍旗を守ろうとする息子、追撃する敵兵
ぶつかり合う馬などで激しさを特徴
特徴はニッコロを中心に描いていること
ジョヴァンニ:
ニッコロが負けたことは、政治的に大きな重みをもつ
フィレンツェは、ミラノ軍に勝っただけではなく、当時一番有名な指揮官を負かしたのが重要なポイント
宿敵を倒した歴史的叙事詩となるため
敵将を主人公にした戦争画はかつてなかった
以前の「アンギアーリの戦い」の絵
ここにも軍旗争奪の場面があるが祭りのような華やかさ
これまでは様式的、装飾的なものが多かった
対してレオナルドのリアルな戦争画は、ルネサンスという新しい幕開けになるはずだった
樺山:
これまでは互いの騎士が整列して戦う形式だったので、ほんわかとした雰囲気
レオナルドはもともと軍事技術家として思われていた
激しい殺し合いとして描かれていて、現実感が違う
●人体解剖
「アンギアーリの戦い」を描いていた頃、レオナルドが夜毎通っていたのは病院の地下室
ここで人体解剖をしていた
人はどのように手足を動かせるのか、徹底的に見つめた
『絵画論』より解剖の必要性についての記述:
裸体の人々の身ぶりを上手に描くためには、腱、筋肉、骨の構造を知るための解剖が画家には必要
いかなる筋肉などが運動の原因になっているのか、大きな動きを知るためだ
「最後の晩餐」の際も、街のさまざまな人間の表情をスケッチしている
老人と若者の顔の違い、個性的な顔の違い、表情を徹底的に観察、分析している
●「最後の晩餐」は新しい実験だった
「アンギアーリの戦い」同様、登場人物の心の一瞬の動きを的確に、演劇的手法で描くよう試みている
キリストの発した言葉に、それぞれが様々な表情をする様子を見事に描いた
手記:
人物画は一瞬にして、その人が何を考え、何を言っているか分かるよう、
それぞれの働きにピッタリした動作をもつべきである
ドメニコ:
レオナルドは表情筋の解剖まで行った(それは死体で?
怒り、痛みの筋肉、これらが感情表現を作り出す
「アンギアーリの戦い」下絵では、ミラノ軍は激しく乱れた表情をしている一方、
フィレンツェ軍は勇猛果敢で有名で、感情が乱れることはなく統率されている
人相学、解剖学の研究によって、感情や動きがリアルに表現された
●水の研究
同じ頃、レオナルドは、フィレンツェ近郊の地形を調査し、水の研究もしていた
アルノ川の流れを変えて、敵を混乱させる戦略のため(真田軍みたい
洪水の多いフィレンツェでは、怒濤のような水の流れを何度も見て、素描に描いている
ヒトの感情の高まりと共通点があると考えた
レオナルドにとって、水は命のエネルギーと重なっていた
水の渦はどうできるのか 「アンギアーリの戦い」の力を遮るシーンにも用いられ、渦のような表現となっている
レオナルドは、自然のあらゆる現象の中に、関連性、類似性を見つけ、絵に取り入れた
3Dによる研究
「アンギアーリの戦い」にはどのような動きが隠されているのか、3Dがつくられた
研究員:
旗竿を捻って、竿がテコになって、フィレンツェ軍の騎士のたちを馬から落とそうとしているのが分かる
棒を持った絵にも、川を飛び越える映像をつけてみた(3Dすげえ
素描を丹念に観ていくと、人間のいろんな動きの要素があり、感動的でした
東京藝術大学では、立体復元を試みた(さすがに上手い!
立体化することで、よりレオナルドの製作意図が正確になったという
北郷さん:
視点が増えるので全体像が見えてくる 絵は瞬間を切り取っていて、時間の前後関係を表現している
写真を切りとったのではなく、時間の流れを伝えようとしているのではないかと思う
さらに上から見ると、馬が右から左に回転するような動きが見える 水が渦巻く動きと似ている
動きへのこだわりは素描にも表れていて、試行錯誤がうかがえる
樺山:
たぶん、作品のために何十枚と素描を描いたと思われる
人間の動き、それが作品にどう表せるかを考えていたのでは
人体、自然、あらゆるものが動いていく 瞬間、瞬間を描きとめていく
画家としても、科学者としても、これが本来の任務だと考えたのでは
●「アンギアーリの戦い」に取り組んだのは「モナ・リザ」と同じ時期 画家としての円熟期
「モナ・リザ」を描くとともに、20mもの戦争画を描こうとしていた
レオナルドは静と動、2つの異なる世界に挑戦していた
●「アンギアーリの戦い」が未完に終わった謎
レオナルド「マドリッド手稿」より:
私が最初のひと筆をおろそうとした時、天候が悪くなった
画稿が壊れ、水甕が壊れた 夕方まで土砂降りの雨が降り、夜のように暗かった
●もう1つの理由:技法の失敗
バルビさんは技法の失敗を再現
古代ローマの技法を参考にした油彩技法で、カンタンに剥がれ落ちないよう工夫したやり方
絵の具を壁の漆喰にしみこませるため、火を入れた桶で焙っていた時、絵の具が流れ出した
(これは偶然ではないのでは? 敢えて未完の大作にさせて後世の人々にメッセージとなったのか
バルビ:
塗った絵の具の量が、漆喰に染み込む量の限界を超えるほど多かったから、熱により余分な絵の具が溶け出した
●レオナルドの戦争画への試みは、後の画家に影響を与えた
ザッキアの模写はもっとも古いと言われる 甲冑、武器が詳細に描かれている
ラファエロは、下絵を観にわざわざフィレンツェまで来た
レオナルドが壁画制作を断念してから約50年後
ジョルジョが描いた戦争画にもどこかレオナルドの絵を彷彿とさせる場面もある
ジョルジョは、レオナルドの壁画について、“驚くほどの熟慮と、卓越さに富んでいる”と絶賛
レオナルドの挑戦は、後世の画家にとって貴重な美の遺産となった
井浦:
もし、という世界はないですが、もしも、「アンギアーリの戦い」が完成して、
ミケランジェロと並んでいたら・・・
(ミケランジェロはどうして止めたの? レオナルドが描けなかったから共倒れ?
樺山:
想像すると身震いがしますね
レオナルドは、絵画だけでなくほんとに謎の多い芸術家
今回、今作の謎が解けたら、あちこちの謎も解けるのではと考えました
井浦:研究、実験には終わりがないですね
樺山:
レオナルドがかけた謎というのは、ほとんどまだ解けていないのかもしれないので
天才とはそういう人のことを言うのかもしれないなという気がしてならない
レオナルドが生まれたヴィンチ村
旺盛な好奇心は、この豊かな自然の中で育まれた
(まだまだ地球上には、こんなに素晴らしい自然風景があるんだなあ これをずっと守らないと
レオナルドは、人間を見つめ、自然の本質を探ろうとして
ミラノ、ローマ、フランスに旅をつづけ、67歳の生涯を閉じた
出演:
樺山紘一さん(歴史学者 印刷博物館館長)
アレッサンドロ・ヴェッツォージさん(レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長)
ジョヴァンニ・チプリアーニさん(フィレンツェ大学歴史学教授)等
「アンギアーリの戦い」(軍旗争奪場面)の下絵ではないかと言われる絵を見るために
世界中から多くの研究者たちが、フィレンツェに集まった。
レオナルドが壁画に取り組んだのは1503年
完成することなく消えた名作 いつ、どう描かれたのか調査が進められた
フィレンツェ国立修復研究所所長マルコさん:
調査の結果、技法や材料は16C前半に使われていたものに適合すると分かった
度重なる修復で、オリジナル箇所がいくつも削られている
直筆かどうかの結論も出なかった
アレッサンドロ・ヴェッツォージさん(レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長):
この絵は謎を秘めていて、「アンギアーリの戦い」のもっとも重要な絵画的証拠でしょう
東京富士美術館で展示されたのか/驚 日本初公開
ルネサンスの都・フィレンツェ
市の庁舎ヴェッキオ宮殿では、政治や行政が行われてきた
この大広間の壁に描かれるはずだったのが大作「アンギアーリの戦い」
今は別の画家の戦争画が描かれている
1500年 50歳近くになったレオナルドがフィレンツェに戻った
「最後の晩餐」で高い名声を得て、円熟期を迎えていた
メディチ家は追放され、市民たちによる民主的な国造りを目指していた
議長に就任したピエロは、ヴェッキオ宮殿に民主的国家の象徴としての壁画をレオナルドに依頼した
テーマは約60年前、宿敵ミラノに勝利した「アンギアーリの戦い」
その横に発注したのは、当時注目された若手芸術家ミケランジェロ(28歳)
ライバル心を燃やした2人の天才の対決は大きな話題となった
レオナルドは教会の間で下絵を始めた 戦争画の大作は初めての挑戦
半年経っても作業は進まず、業を煮やした共和国政府が督促状を出した
「月々の報酬を支払っているのに、なぜ絵が完成しないのか?」催促と期限が言い渡された
さまざまな素描が残っている中、軍旗をめぐって両軍が争う場面もある
レオナルドの手記より:
敗れた者の顔は青白く、悲痛なシワが寄せられている
号泣まじりの声をあげているような口
敵に武器を奪われながら、歯と爪で激しい復讐を試みる者も見えて差し支えない
死んだ馬の前には、多数の死体が累々と覆い重なって見えたに違いない
アレッサンドロ:
レオナルドは、戦争、戦闘に明確なコンセプトを持っていた
獣のような狂気 怒りの感情を大画面にぶつけた
フィレンツェ軍の勝利の様子ではなく、敗北者の憤怒に焦点を当てている
素描をもとに壁画の構造を考えてみる
戦争のむごたらしさを徹底的に表現しようとしていたレオナルドに対して
横に並ぶミケランジェロは何を描こうとしていたのか
「カッシナの戦い」
ピサとフィレンツェの戦いをテーマにした絵だが、
突然の敵の襲来に、水浴びしていた裸の兵士らが慌てふためく様を描こうとした
筋肉の動きが見事に表現されている
上に描かれているのは、レオナルドの描いた軍旗争奪のよう
その下に「カッシナの戦い」が描かれ、2つの絵が並んだ様を想像していたよう
尊敬する先輩の絵とかぶることを避けるためか、ライバルへの挑戦か?
専門家:
2人は事実ライバルでした 生い立ちも違い、絵のスタイルも性格も違っていた
レオナルドはミケランジェロに一目置いていた
もし、2人の絵が並んでいれば、「世界の学校」と言える
当時のイタリアの政情
ゲスト樺山紘一さん(歴史学者 印刷博物館館長):
15~16Cのイタリアは大変、政治的に混迷状態にあった
1つ1つの国が都市国家をつくり、軍備を持っていた
「アンギアーリの戦い」は1940年に起きたと考えられていた
1502年 レオナルドはチェーザレの下で軍事技士として働いていた
チェーザレは、野心に満ちた若き指導者 勇猛な戦いぶりで支配していた
彼はレオナルドを信頼に武器の設計を任せ、常に行動を共にしていた
この時、レオナルドは戦争の現実を目の当たりにしていた
ジョヴァンニ・チプリアーニさん(フィレンツェ大学歴史学教授):
レオナルドは戦争の道具に関して深い経験があった
兵士ではなく参謀として、戦いの作戦などを研究した
知能はずば抜け、しかも画家なので合戦の模様を詳細に想像でき
もっとも効果的な方法で表現した
実際の戦いにはどんな物語があったのか?
舞台となったアンギアーリの街
石造りの壁は中世の面影を残す この平原が戦場となった
戦いのジオラマ
その名を轟かせたニッコロ(赤い帽子の男性)は2000人の兵を従えた
両軍の一進一退の攻防が続いた後、連合軍が優勢となり、
散り散りとなったミラノ軍は次々と殺された
絵には激しく叫ぶニッコロ、その下には軍旗を守ろうとする息子、追撃する敵兵
ぶつかり合う馬などで激しさを特徴
特徴はニッコロを中心に描いていること
ジョヴァンニ:
ニッコロが負けたことは、政治的に大きな重みをもつ
フィレンツェは、ミラノ軍に勝っただけではなく、当時一番有名な指揮官を負かしたのが重要なポイント
宿敵を倒した歴史的叙事詩となるため
敵将を主人公にした戦争画はかつてなかった
以前の「アンギアーリの戦い」の絵
ここにも軍旗争奪の場面があるが祭りのような華やかさ
これまでは様式的、装飾的なものが多かった
対してレオナルドのリアルな戦争画は、ルネサンスという新しい幕開けになるはずだった
樺山:
これまでは互いの騎士が整列して戦う形式だったので、ほんわかとした雰囲気
レオナルドはもともと軍事技術家として思われていた
激しい殺し合いとして描かれていて、現実感が違う
●人体解剖
「アンギアーリの戦い」を描いていた頃、レオナルドが夜毎通っていたのは病院の地下室
ここで人体解剖をしていた
人はどのように手足を動かせるのか、徹底的に見つめた
『絵画論』より解剖の必要性についての記述:
裸体の人々の身ぶりを上手に描くためには、腱、筋肉、骨の構造を知るための解剖が画家には必要
いかなる筋肉などが運動の原因になっているのか、大きな動きを知るためだ
「最後の晩餐」の際も、街のさまざまな人間の表情をスケッチしている
老人と若者の顔の違い、個性的な顔の違い、表情を徹底的に観察、分析している
●「最後の晩餐」は新しい実験だった
「アンギアーリの戦い」同様、登場人物の心の一瞬の動きを的確に、演劇的手法で描くよう試みている
キリストの発した言葉に、それぞれが様々な表情をする様子を見事に描いた
手記:
人物画は一瞬にして、その人が何を考え、何を言っているか分かるよう、
それぞれの働きにピッタリした動作をもつべきである
ドメニコ:
レオナルドは表情筋の解剖まで行った(それは死体で?
怒り、痛みの筋肉、これらが感情表現を作り出す
「アンギアーリの戦い」下絵では、ミラノ軍は激しく乱れた表情をしている一方、
フィレンツェ軍は勇猛果敢で有名で、感情が乱れることはなく統率されている
人相学、解剖学の研究によって、感情や動きがリアルに表現された
●水の研究
同じ頃、レオナルドは、フィレンツェ近郊の地形を調査し、水の研究もしていた
アルノ川の流れを変えて、敵を混乱させる戦略のため(真田軍みたい
洪水の多いフィレンツェでは、怒濤のような水の流れを何度も見て、素描に描いている
ヒトの感情の高まりと共通点があると考えた
レオナルドにとって、水は命のエネルギーと重なっていた
水の渦はどうできるのか 「アンギアーリの戦い」の力を遮るシーンにも用いられ、渦のような表現となっている
レオナルドは、自然のあらゆる現象の中に、関連性、類似性を見つけ、絵に取り入れた
3Dによる研究
「アンギアーリの戦い」にはどのような動きが隠されているのか、3Dがつくられた
研究員:
旗竿を捻って、竿がテコになって、フィレンツェ軍の騎士のたちを馬から落とそうとしているのが分かる
棒を持った絵にも、川を飛び越える映像をつけてみた(3Dすげえ
素描を丹念に観ていくと、人間のいろんな動きの要素があり、感動的でした
東京藝術大学では、立体復元を試みた(さすがに上手い!
立体化することで、よりレオナルドの製作意図が正確になったという
北郷さん:
視点が増えるので全体像が見えてくる 絵は瞬間を切り取っていて、時間の前後関係を表現している
写真を切りとったのではなく、時間の流れを伝えようとしているのではないかと思う
さらに上から見ると、馬が右から左に回転するような動きが見える 水が渦巻く動きと似ている
動きへのこだわりは素描にも表れていて、試行錯誤がうかがえる
樺山:
たぶん、作品のために何十枚と素描を描いたと思われる
人間の動き、それが作品にどう表せるかを考えていたのでは
人体、自然、あらゆるものが動いていく 瞬間、瞬間を描きとめていく
画家としても、科学者としても、これが本来の任務だと考えたのでは
●「アンギアーリの戦い」に取り組んだのは「モナ・リザ」と同じ時期 画家としての円熟期
「モナ・リザ」を描くとともに、20mもの戦争画を描こうとしていた
レオナルドは静と動、2つの異なる世界に挑戦していた
●「アンギアーリの戦い」が未完に終わった謎
レオナルド「マドリッド手稿」より:
私が最初のひと筆をおろそうとした時、天候が悪くなった
画稿が壊れ、水甕が壊れた 夕方まで土砂降りの雨が降り、夜のように暗かった
●もう1つの理由:技法の失敗
バルビさんは技法の失敗を再現
古代ローマの技法を参考にした油彩技法で、カンタンに剥がれ落ちないよう工夫したやり方
絵の具を壁の漆喰にしみこませるため、火を入れた桶で焙っていた時、絵の具が流れ出した
(これは偶然ではないのでは? 敢えて未完の大作にさせて後世の人々にメッセージとなったのか
バルビ:
塗った絵の具の量が、漆喰に染み込む量の限界を超えるほど多かったから、熱により余分な絵の具が溶け出した
●レオナルドの戦争画への試みは、後の画家に影響を与えた
ザッキアの模写はもっとも古いと言われる 甲冑、武器が詳細に描かれている
ラファエロは、下絵を観にわざわざフィレンツェまで来た
レオナルドが壁画制作を断念してから約50年後
ジョルジョが描いた戦争画にもどこかレオナルドの絵を彷彿とさせる場面もある
ジョルジョは、レオナルドの壁画について、“驚くほどの熟慮と、卓越さに富んでいる”と絶賛
レオナルドの挑戦は、後世の画家にとって貴重な美の遺産となった
井浦:
もし、という世界はないですが、もしも、「アンギアーリの戦い」が完成して、
ミケランジェロと並んでいたら・・・
(ミケランジェロはどうして止めたの? レオナルドが描けなかったから共倒れ?
樺山:
想像すると身震いがしますね
レオナルドは、絵画だけでなくほんとに謎の多い芸術家
今回、今作の謎が解けたら、あちこちの謎も解けるのではと考えました
井浦:研究、実験には終わりがないですね
樺山:
レオナルドがかけた謎というのは、ほとんどまだ解けていないのかもしれないので
天才とはそういう人のことを言うのかもしれないなという気がしてならない
レオナルドが生まれたヴィンチ村
旺盛な好奇心は、この豊かな自然の中で育まれた
(まだまだ地球上には、こんなに素晴らしい自然風景があるんだなあ これをずっと守らないと
レオナルドは、人間を見つめ、自然の本質を探ろうとして
ミラノ、ローマ、フランスに旅をつづけ、67歳の生涯を閉じた