■子どもの身近に潜む危険@あさイチ
“消費者庁によると、遊具による子どもの事故が最近6年間で1,518件起きています。
こうした事故をなくそうと、今月半ば、子どもの身近に
どんな危険が潜んでいるのかを学ぶイベントが開かれました。
主催したのは、東京大学名誉教授の畑村洋太郎さんを中心とした「危険学プロジェクト」です。
畑村さんたちは、一概に危険を遠ざけてしまうのではなく、
どんな危険があるのかをきちんと知った上で遊具で遊ぶことが大事だと指摘しています。”
VTRゲスト:畑村洋太郎さん(東京大学名誉教授)
●「危険学プロジェクト」
ホールに大勢の親子を集めて、ステージ上で、実際に起きた
遊具での事故を再現して見せることで、
子どもと親が具体的に何に気をつければいいか話し合って、確認することが出来る
例:公園の遊具でもっとも事故が多いのは「滑り台」
持っていたバッグのヒモが遊具にひっかかり、首にもかかる(コワイ・・・
今年、縄跳びを持っていた4歳の女児が、首にからまり亡くなっている
例:ジャングルジムの事故は、この6年間で120件
バッグがひっかかり、首を圧迫 亡くなるケースもある
このプロジェクトに参加した母親の声:
いくら私が注意しても限界があるけれども
子ども自身の気づきが大事だなとひしひしと感じた
「危険学プロジェクト」では注意喚起する絵本も作った
畑村さん:
どこにどんな危なさがあって、
防ぐにはどうすればいいか
考える、想像する、それで実行する
●どんどん撤去される公園の遊具
(今の公園って一体誰のものなんだろうね
畑村さん:
大人が危ないものをなくせばいいと思ってなくしているから
子どもが自分で危なさを感じとるチャンスを全部なくしている
安全な遊具の開発を進めるとともに
子ども自身が危険を想像することが大事
●家や、学校に潜む危険も紹介
例1:イスに座って、前後に揺らす
(よくやったな 後ろに倒れたことも1回だけじゃなかったはず
人形の頭部が粘土素材なのか、衝撃で形が変わってしまい、よく伝わる
例2:ドアに指を挟む(「あさイチ」でもやったね
危険!子どもの指挟み@あさイチ
ドアにプラスチック素材のような棒を挟んで、ドアを閉めると変形してしまう様子を見て
スタッフ:これがみんなの指だったらどうなっちゃう?
子ども:切れちゃう
●子ども服、どこが危ない?(大体12箇所ほどある
答え:
左の女の子は、ネックレス、フリルのスカート、丈の長いズボン、
ズボンのすそのひも、サンダルがひっかかりやすい場所です。
また、髪留めは素材や形によって刺さる可能性があるので注意が必要です。
真ん中の男の子はパーカーのフード、フードのひも、ポケット、ぶかぶかの靴がひっかかりやすい場所です。
右の男の子は、マフラー、肩掛けかばんは引っかかりやすい場所です。
●エスカレーター、どこが危ない?
<FAX>
私の子どもの頃にも、こうした事故はあっただろうけど、増えたということだろうか?
まず、都心の子どもは外で遊べなくなったしね
先に大人が止めてしまったりで、危険を知る機会が減ったのかも
大人が作ったゲームに夢中になり
公園が禁止看板だらけで入れなくなり・・・
以前、ウチの横の道を孫を連れたおばあちゃんが通って、
ずーーーーーっと注意してたのを思い出す
「靴が脱げちゃうわよ」「危ないわよ」「走らないで」「クルマ来るわよ」etc...
私は子どもの頃、ブランコから落ちて、頭から流血したり、
夜中に大きなハサミでなにかしようとして、切って、流血してるのに
親を起こしたら「大丈夫だよ」と言われただけだった
いろんな小さな怪我をして、自分で危険を学んだのかも
学校でサッカーをしていた時、溝に落ちたボールを拾った友だちの膝が
かまいたちでパックリ割れたこともあったっけ あれはビックリした
「かまいたち」で検索したら妖怪って出てきた
他になにか言い方があるのか???
「かまいたち」
***
上記は子どもの話だけれども、
常々思うのは、日本ほど注意喚起が多い国ってないのでは?と思う
とくに電車に乗っている時
「白線からお下がり下さい」
「飛び込み乗車はお止め下さい」
「傘などのお忘れ物にご注意下さい」etc...
挙げたらキリがないほど 都心だけのような気もするし
こんなに大人を注意しないといけない自主性のない国なのか?とフシギに思う
海外では、駅名さえ言わない所も多いのに
そのうち、「車内での化粧はお止め下さい」「車内での飲食はご遠慮下さい」と
どんどん際限なく増えて、周囲が注意だらけになるのではないだろうか
なんでも迷惑行為だと自分の物差しで他人を評価するクレーマーが増えたのか
それこそ危険性を想像する力が低下したのか
そもそも、人が密集しすぎて、パーソナルスペースが侵されることへの不安じゃないかなとも思う
いろんな価値観の人がいて、注意しても直らないから、また注意が増える悪循環
注意を守る人たちは、どんどん居心地が悪くなる
なんだか、戦時中の「欲しがりません 勝つまでは」とかに似ている
今は、戦争に代わって、企業や社会のシステムによって統制され、疲弊した大人たちが
弱い者同士で互いに監視し合っている 心に余裕がないのが根因では?
“消費者庁によると、遊具による子どもの事故が最近6年間で1,518件起きています。
こうした事故をなくそうと、今月半ば、子どもの身近に
どんな危険が潜んでいるのかを学ぶイベントが開かれました。
主催したのは、東京大学名誉教授の畑村洋太郎さんを中心とした「危険学プロジェクト」です。
畑村さんたちは、一概に危険を遠ざけてしまうのではなく、
どんな危険があるのかをきちんと知った上で遊具で遊ぶことが大事だと指摘しています。”
VTRゲスト:畑村洋太郎さん(東京大学名誉教授)
●「危険学プロジェクト」
ホールに大勢の親子を集めて、ステージ上で、実際に起きた
遊具での事故を再現して見せることで、
子どもと親が具体的に何に気をつければいいか話し合って、確認することが出来る
例:公園の遊具でもっとも事故が多いのは「滑り台」
持っていたバッグのヒモが遊具にひっかかり、首にもかかる(コワイ・・・
今年、縄跳びを持っていた4歳の女児が、首にからまり亡くなっている
例:ジャングルジムの事故は、この6年間で120件
バッグがひっかかり、首を圧迫 亡くなるケースもある
このプロジェクトに参加した母親の声:
いくら私が注意しても限界があるけれども
子ども自身の気づきが大事だなとひしひしと感じた
「危険学プロジェクト」では注意喚起する絵本も作った
畑村さん:
どこにどんな危なさがあって、
防ぐにはどうすればいいか
考える、想像する、それで実行する
●どんどん撤去される公園の遊具
(今の公園って一体誰のものなんだろうね
畑村さん:
大人が危ないものをなくせばいいと思ってなくしているから
子どもが自分で危なさを感じとるチャンスを全部なくしている
安全な遊具の開発を進めるとともに
子ども自身が危険を想像することが大事
●家や、学校に潜む危険も紹介
例1:イスに座って、前後に揺らす
(よくやったな 後ろに倒れたことも1回だけじゃなかったはず
人形の頭部が粘土素材なのか、衝撃で形が変わってしまい、よく伝わる
例2:ドアに指を挟む(「あさイチ」でもやったね
危険!子どもの指挟み@あさイチ
ドアにプラスチック素材のような棒を挟んで、ドアを閉めると変形してしまう様子を見て
スタッフ:これがみんなの指だったらどうなっちゃう?
子ども:切れちゃう
●子ども服、どこが危ない?(大体12箇所ほどある
答え:
左の女の子は、ネックレス、フリルのスカート、丈の長いズボン、
ズボンのすそのひも、サンダルがひっかかりやすい場所です。
また、髪留めは素材や形によって刺さる可能性があるので注意が必要です。
真ん中の男の子はパーカーのフード、フードのひも、ポケット、ぶかぶかの靴がひっかかりやすい場所です。
右の男の子は、マフラー、肩掛けかばんは引っかかりやすい場所です。
●エスカレーター、どこが危ない?
<FAX>
私の子どもの頃にも、こうした事故はあっただろうけど、増えたということだろうか?
まず、都心の子どもは外で遊べなくなったしね
先に大人が止めてしまったりで、危険を知る機会が減ったのかも
大人が作ったゲームに夢中になり
公園が禁止看板だらけで入れなくなり・・・
以前、ウチの横の道を孫を連れたおばあちゃんが通って、
ずーーーーーっと注意してたのを思い出す
「靴が脱げちゃうわよ」「危ないわよ」「走らないで」「クルマ来るわよ」etc...
私は子どもの頃、ブランコから落ちて、頭から流血したり、
夜中に大きなハサミでなにかしようとして、切って、流血してるのに
親を起こしたら「大丈夫だよ」と言われただけだった
いろんな小さな怪我をして、自分で危険を学んだのかも
学校でサッカーをしていた時、溝に落ちたボールを拾った友だちの膝が
かまいたちでパックリ割れたこともあったっけ あれはビックリした
「かまいたち」で検索したら妖怪って出てきた
他になにか言い方があるのか???
「かまいたち」
***
上記は子どもの話だけれども、
常々思うのは、日本ほど注意喚起が多い国ってないのでは?と思う
とくに電車に乗っている時
「白線からお下がり下さい」
「飛び込み乗車はお止め下さい」
「傘などのお忘れ物にご注意下さい」etc...
挙げたらキリがないほど 都心だけのような気もするし
こんなに大人を注意しないといけない自主性のない国なのか?とフシギに思う
海外では、駅名さえ言わない所も多いのに
そのうち、「車内での化粧はお止め下さい」「車内での飲食はご遠慮下さい」と
どんどん際限なく増えて、周囲が注意だらけになるのではないだろうか
なんでも迷惑行為だと自分の物差しで他人を評価するクレーマーが増えたのか
それこそ危険性を想像する力が低下したのか
そもそも、人が密集しすぎて、パーソナルスペースが侵されることへの不安じゃないかなとも思う
いろんな価値観の人がいて、注意しても直らないから、また注意が増える悪循環
注意を守る人たちは、どんどん居心地が悪くなる
なんだか、戦時中の「欲しがりません 勝つまでは」とかに似ている
今は、戦争に代わって、企業や社会のシステムによって統制され、疲弊した大人たちが
弱い者同士で互いに監視し合っている 心に余裕がないのが根因では?